「こんにちは、トレーナー!」
私をじっと覗き込みながら元気よく挨拶をしたのは、トウカイテイオーだった。
ポニーテールにまとめた髪型。くりくりと忙しなく動く大きな空色の瞳。ぴょこぴょこ飛び跳ねる小柄な体躯。特徴的な声。
一度会えば忘れられないような要素が揃っている彼女だが、悪癖がある。
このトウカイテイオーは、シンボリルドルフに執着しているのである。
あの三冠を手にした菊花賞。
そこで彼女はシンボリルドルフのレースを見て、それ以降はいたく熱心なファンと化した。
とはいえ、どこぞの変態とは異なって、随分と距離感が近い。
神聖化よりも身近な憧れの先輩として認識をしているようで、何かにつけて生徒会室に遊びにきているそうだ。
中等部でも物怖じしないウマ娘は多々いるが、トウカイテイオーは物怖じしないというか、異様に距離感が近い。
大人びた外見のシンボリルドルフに対し、トウカイテイオーが小柄で言動もまだまだ子供っぽいところがあるため、母子と称される事もある。
さて。
シンボリルドルフに近しく、仲の良いウマ娘というのは大体が私と縁を持つ羽目になる。
そりゃあそうだろう。大体いつも近くにいるのだから。
そんな訳で、このトウカイテイオーもご多聞に漏れず、私と面識のあるウマ娘の1人である。
そして、私にとっては要警戒対象の1人でもある。
「ねえねえ、カイチョーのトレーナーをクビになっちゃったって本当?お祝いする?」
「トウカイテイオーまで聞いてるのか、その話…。その前に下ろしてくれない?」
「倒れたばっかりだしベンチにでも座ろ」
話を聞かないトウカイテイオーは、私をベンチまで運搬してそのままベンチに腰掛けた。
「なんか違くないかな」
「ほっといたらカイチョーに怒られちゃうじゃん。…あ、もうそうじゃないのかな?ゴールドシップが号外配ってたよ?」
「何してくれてるんだあの黄金船」
「はいこれ。トレーナーにもあげる」
がさ、と。通学バッグから取り出されたのは、件の号外だった。
見出しは「ついに蜜月終わる?皇帝とトレーナーが破局!…か?」である。
末尾にごくごく小さな文字で疑問系の言葉を付け足しているあたり、小賢しくも保身に走っている。
読み進めていくと、よくもまぁ、ここまで調べたものだと感心するような内容がずらりと。
「シンボリルドルフを除く2名と契約することになった」だの、「トレーナーは不当な評価に悩まされており」だのと、事実ではないが微妙に嘘とも言い切れないグレーゾーンをこれでもかとばかりに投げ込んできている。
書いた奴は恐らく、頭の切れるろくでなしだ。
そして私は自分より遥かに小柄な少女に抱き抱えられたまま新聞を読み漁るろくでなしだ。
力が強くて脱出できないんだよ、一度こうなると。
「ゴルシと契約するの?」
ぐい、とトウカイテイオーが覆い被さるようにして顔を覗き込む。
ぐいとハナを寄せてくるのはウマ娘の習性だ。そして、綺麗な瞳がいきなり濁るのも習性だ。多分。
「どうした急に。やだよ怖い…」
あんなのと契約したら頭がおかしくなってハジけないと死ぬ病気にかかってしまう。
「じゃあこの写真は何?」
ここ、と指さされた先には、ベンチで項垂れている私をどこぞの異星人が慰めているような写真が添えられていた。
私はなぜトウカイテイオーに問い詰められているのだろうか。
この少女は「カイチョー」ことシンボリルドルフが絡むと若干頭が緩くなるのか、極端な言動に走りがちな傾向がある。
「何話してたの?」
「教えてやろうか。トウカイテイオーに聞かれた内容と全く同じ質問と、後はバスケと野球とカバディの話だ」
「わけわかんないよ…」
「私もわからん。とにかく下ろしてくれないか。もう大丈夫だ」
「むー。分かったよ」
やっと下ろしてもらえた。
ここで脱兎の如く逃走を選択しても良いが、警戒しているウマ娘に対して逃走なぞ選んでみろ。20メートルも走る前に組み伏せられる。
「それで、ええと…」
「そうそう、カイチョーのトレーナーをクビになったならボクが契約してあげるよ!」
なんの話をしていたのだったか、と思いだそうとしたところに爆弾が落とされる。
「えぇ…」
「なんで嫌そうな顔するの!?ボクは最強無敵のウマ娘だよ!?」
「予定だけどね」
「予定だけど実現するもん」
「来年秋ロードショー」
「映画の予告?あ、つまり映画になる程ドラマチックに無敗の三冠バが爆誕してるのを楽しみにしてるんだ!」
その自信がどこから湧いてくるのだろうか、この元気印は。
「ねーねー。いいじゃん契約しよーよ。先っちょだけだから!」
「そう言ってニンジン差し出したら全部食べちゃうでしょ君たち」
「ボクはそんなことしないよ!」
「はちみーをひと口だけあげようか」
「全部飲んじゃったのはもう謝ったじゃん!!」
以前、ルドルフと散歩している時にロードワーク中のトウカイテイオーと出くわした際、ルドルフが手にしたのがブラックコーヒーだったため、私のはちみつドリンクを差し出したことがある。
まだ口をつけてなかったのだが、相当喉が渇いていたらしいトウカイテイオーに一気に全部飲み干されたのだ。
小さい奴と罵ってくれていい。だがご存知の通り、食べ物の恨みは怖いのだ。
「2人スカウトするなら、1人はボクでいいじゃん!カイチョーが受けたっていうトレーニング、ボクも受けたい!」
こういうところがあるから取れないのだ、トウカイテイオーは。
この少女、天性の才能に加えて負けず嫌い、走ること自体も好き、頭も悪くないと必要な要素自体は揃っているのだが、とにかくシンボリルドルフに執着してしまっているのだ。
このまま仮に彼女と専属契約を結んだとしても、恐らく早晩潰してしまう。
天性の才能も、気質も良いものがある。
だが、シンボリルドルフとトウカイテイオーは「別の生き物」だ。
同じトレーニングを施すことは簡単だ。
だが、そんな雑なトレーニングで勝てる程、競争バの世界は甘いものじゃない。
それで勝てるウマ娘なら、そもそもトレーナーなど不要だ。それは教官による数十人を相手にした指導と自主トレだけでダービーを獲るような物である。
憧れの人に近づきたい。
その気持ちは痛いほどよくわかる。
だが、同じことをしているだけでは、いつまで経っても近づくことなんて、できない。
逸材であることは痛いほど知っている。
トモを見ただけで素質を見抜き、一流バをバカスカスカウトしていくスピカの鉄人トレーナーではないが、トモを見ればそれは分かる。
だから、惜しい。
彼女の中で『絶対』と化しているシンボリルドルフの像を打ち破る切っ掛けが、天地がひっくり返るようなパラダイムシフトが齎されなければならないのだろう。
「それに期待させて悪いけど、そもそもシンボリルドルフの担当をやめる訳じゃないからね?」
「えー!学園内じゃもう大事件になってるよ?」
「はい?」
「だってカイチョーが抱え込んでたトレーナーが放牧だよ?」
「私の評価くらい知ってるだろうに…」
「みんなが探してるし、隠れてた方がいいんじゃない?」
「そのみんなとかいうファジーな単語が具体的にどの程度の人数なのか読めなくて怖いんだけど」
「トレーナーのついてない子とか、うまく行ってない子はだいたい」
「ここにトレーナーついてない子が何人いるか知ってるかいトウカイテイオーくん」
「1000人は堅いよね!」
いくら私が木っ端トレーナーとはいえ、プライドぐらいある。
選ばれるにしても、『シンボリルドルフのトレーナー』と言う肩書きだけで選んでほしくはない。
当然だろう。
だってルドルフしか育てたことがないのに、そんなすごい育成実績だとか騒がれても困る。
ルドルフだから通用したやり方、伝わる説明の仕方…そんなのがどれだけあるか、自分でもまだ未知数なのだ。
その肩書きでなく、トレーナーとしての私がどの程度か理解した上で契約させて欲しいのだ。
後で話が違うと怒られても、私には土下座するくらいしかできないのだから。
「…じゃ、そういうことで」
「あっ!逃げた!!!」
逃げる私を追うように、粘度の高い視線が纏わりついてくるのは務めて無視をした。