トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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一髪千鈞

 

 

 

 

「……それは私の端末なんだけどねぇ」

 

みしり、めりめりと音を立て、端末のガラス面にゆっくりと亀裂が走っていく様子をどこか他人事のように眺めながら。

口から出たのは、気の毒なモルモットくんの無事を喜ぶ言葉でも、安堵の言葉でもなく、そんな言葉だった。

 

その末に「ぶつり」と音を立てて通話が切れ、後に残されたのは感謝祭の喧騒と、どろりと濁っていながらも、痛いほどに鋭い視線。

居た堪れない空気、とはこういう事を言うのかもしれない。

 

なにせ、目の前で八百長紛いの会話が繰り広げられたのだから。

 

『負けるところでも拝ませてもらおうじゃねえか』と、通話先の人物は言い放っていた。

恐らく、この後に控えるレースの事を指しているのだろう。

これが仮に他の話を指していたとしても、あの皇帝にその言葉を投げつけることが出来るというのは中々肝が据わっている。

 

シリウスシンボリくん、だったか。

 

感謝祭という、ターゲットが確実に現場にいるであろうタイミング。

そしてファンサービスという、トレーナーとウマ娘が離れる『隙』のある日。

衆目を意に介さず犯行に及んだのは随分とまあ大胆だとは思うものの、確かにほぼ常にこの皇帝の近くにいるトレーナーくんを誘拐しようとすれば、この日を置いて他にない。

よくよく検討していけば、レース時など確実に担当と離れる瞬間は存在するものの、その時を狙わなかったのは同じウマ娘としての情けなのかねえ。

 

勿論、誘拐など許されるべき事ではないというのは倫理観に照らし合わせれば明白なのだが、それにしてもあのモルモットくんは実に数奇な運命に翻弄されているねえと関心しきりだ。

 

さて。

 

それにしても状況は最悪と表現するしかない状態だねえ。

会長は先ほどからヒトでも殺せそうな目でこちらを凝視しているし、なんなら私たち共通の習性がそれはもう見事に出てしまっている。

耳は後ろへと引き絞られ、苛立ったようにゆるゆると振り回される尻尾。

そして脚は今にも突っ込んできそうな具合に石畳を掻いている。

 

どうにもうまくないねえ、この状況。

 

「アグネスタキオン」

「私ではないよ」

 

棘がある、を通り越して、もう2,3人程なら人を殺しそうな低い声が、喧騒の中いやによく通った。

 

冷静に考えてみれば、今回のレースに勝利することで具体的な利益を得られるのは私一人だ。トウカイテイオーくんは既に担当契約を結んでいるし、会長に至っては敗けてしまえばただでさえ半分になったモルモットくんの占有権が、更に分割されるという、ある種の損害を被る一方で、勝ったところで状況は膠着したまま。

他のメンバーに至っては、勝っても負けてもなんら痛手ではない。

勿論、レースに敗れるという悔しさのようなものは残るだろうが、言ってしまえばそれだけだ。

 

つまり、どういう事かと言えばだね。

 

「本当か」

 

今回のレースを仕掛けた私に矛先が向くのは自然な帰結といえる、ということだねえ。

ぎろり、と圧力を増したその眼は随分と物騒だが、生憎向ける相手を間違えているよ。

 

随分とまあ、都合の悪い事態になったものだよ。

なあ、モルモットくん?

 

「言っただろう?私ではないと」

 

今回の件では私は何もしていない。寝耳に水も良いところだ。

改めて状況を簡潔に整理しよう。

 

今回のレースを仕掛けたのは他ならぬ私だ。

そして、つい今しがた眼前で繰り広げられた遣り取りは身代金として八百長を要求するそれ。

 

……ふぅン。

これはもしかして私が犯人だったのではないかな?

 

自分で言うのもどうかとは思うけれど、状況から考えれば最も怪しいのは確かに私だ。

推定無罪の原則が働くかどうかについては司法に伺いたいところだ。私刑はご免被る。

 

流石の私も犯罪に手を染めるほどまだ追い込まれてはいない訳だが、しかし無罪を立証するための材料も著しく不足している。

であれば、今回の件は私にとっては、もはや曲がり角で車に激突されたようなものだった。

そして模擬レースまで時間もないときた。

 

仕掛けてきたのが誰か、現在の情報では判断のしようがない。

しかし、仮にここまで見通して仕掛けてきたのだとすれば、相当に悪辣で容赦のないことだ。

 

……ふぅン。

 

シリウスシンボリくん、か。

 

私のリハビリに付き合ってくれていたトレーナーくんから、彼女の人物像については雑談程度ではあるが聞き及んでいた訳だが、その時に抱いたイメージからは随分と乖離した要求だ。

 

あのシンボリルドルフに真っ向から喧嘩を売りに行けるという事で関心を抱いた覚えがあるが、はて。

彼女を負かすためだけにこういった手段を取るようなタイプだとは、トレーナーくんの口ぶりからすると考えにくい。

人を見る目に関しては、私は随分と疎いのだろうという自覚はあるが。

 

「解せないねえ」

 

「何がだ」

 

「考えてもみてくれたまえ。状況から推測すれば、どう考えても私が『犯人』じゃないか」

 

「君以外の誰が犯人だと?」

 

こちらに向けられる目つきがますます険しくなった。

まるで犯罪者でも見るかのような目だねぇ……。

 

つい先日に引き起こした騒動の際もそうだったが、あのトレーナーくんが関わるとこの皇帝は「冷静さを欠く」というレベルではない掛かりっぷりを披露してくれる。

確かに客観視すれば、あの電話だけでは確定できないにせよ、限りなく黒に近いグレーな立場にいることは否定のしようがない。

 

「仮に、そう見えるよう仕向けられたとすれば?もしこれが100%偶然から成り立つ状況だったとすれば?その可能性を排除して物事を考えるのは聊か短絡的じゃあないかい?」

 

しかし、「グレーでしかない私」をこれほど明確に黒と判断して掛かるというのは、どうにも私の抱いている「敵」の像と合致しない。

 

「……」

 

ざり、と石畳を掻く音がした。

 

一体どこまで入れ込んでいるのか。

いや、思い返せばトレーナーくんの部屋のドアを蹴り破ったり、その片鱗は見えていたのだけれど。

 

ふぅン。

存外、なっていないのではないかな、皇帝も。

 

大体だね、きみ。

あの頑固なトレーナーくんが、そんなやり方でモノにできるのなら、きみか私が、とっくのとうにやっているというのにねえ。

 

どっ、と。どこかで大きな歓声が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喧噪、熱狂。

その場を支配していたのは、どこか熱に浮かされたような雰囲気だった。

 

「着いたぞ」

 

「……なにこれ」

 

存外丁寧な手つきで地面に下ろしてくれたシリウスシンボリが、こちらに黄色い声を上げるファンにしっしと手を払うようなジェスチャーをしながらぶっきらぼうに言い放ってようやく、私は視線を上げることとなった。

流石に、いい年をしてウマ娘に抱きかかえられて運ばれる姿を衆目に晒すのは中々に堪えるものがある。すでに手遅れ感が随分漂っているが。

 

「随分と盛大じゃねえか。羨ましいもんだ」

 

彼女が若干嫌そうな目付きで見上げるのは、やけに派手な垂れ幕。

カラフルで、格好いいデザインの垂れ幕が複数掛けられたトレーニングコースは、ここがトレセン学園内の殺風景な場所であることをすっかり忘れてしまったような有様。

感謝祭では生徒たちがあちこちに飾りつけを施すのが恒例だが、今回はいつになく激しい。

 

「……何故」

 

「ふん。流石は皇帝サマってところか」

 

鼻を鳴らし、吐き捨てるように呟くシリウスシンボリ。

その視線の先には、ルドルフの「格好いい」似姿が描かれた大きな垂れ幕。

そこに並ぶように、テイオーやアグネスタキオン、メジロマックイーンら本日の出走ウマ娘たちの姿も描かれている。

 

感謝祭の催事としてルドルフが模擬レースを行う以上、一定以上の耳目を集めることに当然なるとは思っていた。

 

思ってはいたが、しかし。

正直な所、決まったのがつい数日前であることを考えれば想像を絶する規模に膨れ上がっているような気がしてならない。

 

派手でカラフルな垂れ幕があちこちに掛けられ、過激な煽り文句が踊る。

そして耳を澄ませてみれば、どこかで聞いたような声でアジテーションじみたアナウンスが掛けられている状況。

言っていることが支離滅裂な癖に、勢いだけはある。恐らくはゴールドシップがまた何かやっているのだろう。

これでゴールドシップ以外があのアナウンスをしているのであれば、それはそれで心配になる所だ。もう一人あんなのがいたら堪ったものではない。

 

「……いい天気だ。レース日和だね」

 

思わず現実から逃避したくなり、天気の話などし出してしまう。

どこか焦点が合っていない気がする目でもって垂れ幕を見上げている私は、きっと間抜けのように口をぽかんと開けていることだろう。

 

 

 

駿川さん。

 

一体何をどう手配すればこうなるのですか。

 

飛び入り企画というのはもう少々、いやもっとひっそりと小さく粛々と実施すべきなのではないですか。

 

思わず頭を抱える私に、シリウスシンボリの「何だこいつ」という不審げな視線が突き刺さった。

 

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