『石や~きいも~』
『さぁ本日のサプライズイベントは模擬レースです!いやいやしかし、たかが模擬レースと侮るなかれ!』
トレーニングコースの外まで響き渡る、二つのアナウンス。
先ほどまでイベントの呼び込みをしていた気がするゴールドシップの声は何があったのかはさっぱり不明だが、いつの間にか例の特徴的な声で焼き芋を連呼する販売車の呼び込み音声に取って代わられ、一方でいやに聞きなれた声がこの異様な盛り上がりを更に過熱させてゆく。
『や~きたて~ぇ~』
『皇帝シンボリルドルフと、帝王の名を冠す新星、皇帝の後継と見られるトウカイテイオーによる継承戦か!?との見方もある本レース!感謝祭の入場チケットが取れなかった全国のトゥインクルシリーズファンが地団駄を踏んで悔しがりそうなこの一戦、一体どのようなレース展開となるのか!』
どうしたものか。
アナウンスまで思いっきり煽ってしまっている。
それに、この声だ。聞き覚えのある声どころではない。
『や~きいもぉ~』
『実況は私、赤坂がお送りいたします!』
赤坂さん、ほんとに何やってるんですかこんなところで。
そしていい加減に誰か焼き芋の呼び込みを止めてくれないだろうか。
思わずルドルフに助けを求めようとしてポケットに手を突っ込むも、指先は虚しくポケット内の生地をまさぐるばかり。
そういえば袋を被せられた後に没収されたのだったか。
……今日はとにかく情報量が多すぎる。
ぎりぎりと締め付けるように頭が痛む。
朝はルドルフと行動し取材を受け、昼はタマモクロスと屋台巡り。
そこまでは良い。妙な幻覚を見たような気もしないでもないが。
その後、良く分からないままに袋か何かを被せられ、拉致されたと思えばシリウスシンボリに抱きかかえられ衆目に晒され、挙句の果てにこの有様だ。
厄日なのだろうか。
詰め込まれた情報量で頭が内部から弾け飛ばないだけ、まだマシなのではないかとさえ思えてきてしまう。
出来るだけ意識から外すよう努めてはいたものの、結局私は何に巻き込まれたのか、そして現在何に巻き込まれようとしているのか、未だにさっぱり分からない。
「あ、トレーナー!無事だったんだね!」
不意にそんな声が聞こえた気がした。
その次の瞬間、背後から襲い掛かる腰への軽い衝撃。
声が後ろから聞こえた瞬間に身構えそうになったが、幸いにして声の主は加減をしてくれたらしい。
「っと……待たせたね、テイオー」
振り返って確かめるまでもない。
名前を呼んでやれば、腕の下をくぐるようにぴょこんと後ろから顔を出す、小さな三日月。
どうにもご立腹なのか、頬を膨らませているあたり、言動と相俟って小動物らしさを余計に強調してくる。
「もー!来ないなー来ないなーって思ってたら『ユーカイされた』って聞いてボクびっくりしたんだよ!」
そりゃあそうだろう。
担当トレーナーが模擬レースとはいえ直前に誘拐されましたなどと、びっくりしない方がどうかしている。
「あー、うん。遅くなって済まない」
曖昧に頷きながら、テイオーの髪をくしゃりと撫でる。
「んー」
気持ちよさそうに目を細めてされるがままになっているテイオーの耳は横に倒されており、レース前でもちゃんと力が抜けている事が分かる。
得難い素質だ。
模擬レースとは言え、これほどの衆人環視の中走ると知ってリラックスしていられるウマ娘は少ない。
あのルドルフでさえデビュー戦は若干の緊張感を滲ませていたのだから、これはもう天性の物だろう。
「テイオー。今日の調子は?」
「良いよ。問題なし!」
軽い調子で声を掛ければ、打てば響くような気持ちの良い返事が返ってくる。
するりと腕の下から抜け出したテイオーが、こちらをしっかりと見据えた。
「作戦は覚えてる?」
彼女の透き通るような空色の瞳には、迷いの影はもうない。
自身に満ちて、それでいてルドルフとは明確に異なる、その色。
「うん!」
簡潔に答えて、笑うトウカイテイオー。
シンボリルドルフに憧れ、その足跡を辿ろうとしていた模倣者ではなく、今の彼女はきちんと「トウカイテイオー」としてここに立っている。
にこやかでありながらも、どこか獰猛さを潜ませる笑顔に一つ頷いて返す。
昨日の帰り道、しっかりと打ち合わせをした甲斐があったというものだ。
「あ、シリウスだ」
「よぉ。落とし物のお届けだぜ」
「……1割はあげないよ?」
「いらねえよ。面倒臭いことになるだろうが」
本人を前にして随分な言種だとは思うが、余計な口を挟んで「じゃあ1割あげるね」などと言い出されても困るため押し黙っておくことにした。
人間の1割と言うとどの程度なのか等と、再度の現実逃避に入りながら。
しばらくして。
テイオーをパドックへ送り出した私たちは観客席に居た。
「結局皇帝サマは間に合ったのかね」
どこかで調達してきたらしい焼き鳥を頬張りながら、どこか退屈そうにシリウスシンボリが呟いた。
「どこにいるのか最後までわからなかったけど、ルドルフなんだから間に合わせるでしょ」
それはきっと、近くで育った君が一番よく知っているだろう?と目配せをすれば、ぶすっとした表情で串を噛んだ。
「大した信頼関係だな」
「ルドルフから向けられる信頼に比べれば大したことないよ」
君なら空も飛べるだろう、ぐらいは真顔で言い切りかねないルドルフからの、ちょっと常軌を逸したような謎の信頼感に比べればと言う話だが。
「……御馳走様だ」
そんなことは知らないシリウスシンボリには、当然のように顰めっ面とため息を貰ってしまったが。
結局、ルドルフとは連絡が取れないままここまで来てしまった。
テイオーの端末を借りてルドルフへ連絡を取ろうと試みていたのだが、結局彼女が通話に応答する事はなかった。
先ほど口にした通り、ルドルフならばきちんとレースには間に合わせてくるだろうが、恐らくは私のことで事後処理にでも追われているのだろう。
レース前だというのに彼女に迷惑を掛けてしまったのは痛恨の出来事だ。
テイオーはきちんとパドックへと送り出せたものの、ルドルフと組んで以来、彼女のレース前は必ず付き添っていたので、妙な違和感ばかりが胸を占める。
これで良かったのだろうか。
どこか消化しきれないものを飲み下せない。
手すりに凭れ掛かったまま、焦れたように時が過ぎてゆくのを待つ。
シリウスシンボリは、必要以上に口を開く事はなかった。
しばらくして、観客席に人が増えてきた。
パドックが終わったらしい。
「本バ場入場が始まったらしいぞ」
彼女の言う通り、ターフへ目を向ければウマ娘たちが一人、また一人と入ってくる。
どこか優雅ささえ感じさせる足取りでやってきたのは、メジロマックイーン。
随分と落ち着いたものだ。
「……ええと、ナリタブライアンに……」
ルドルフに期待され副会長に抜擢された有望株に続いて、ゴールドシップの姿も確認できた。
あの調子だったので何か仕出かすかと思っていたが、存外大人しい。
……大人しいと言うか、何故かサングラスを掛け、柵を飛び越えてから微動だにしない。
いつの間にか焼き芋の呼び込みの声は聞こえなくなっていた。
そして、一際小柄なテイオーの姿が遠目に確認できた。
元気よく小走りで駆けてゆきながら、観客へ愛嬌を振り撒いている。
観客も心得たもので、大きな歓声でもって出迎えた。
テイオーの後に、最近特によく見かけるようになった栗毛のウマ娘。
アグネスタキオンの姿が見えた。
これまでリハビリに専念して、あまり人前では走っていなかったにも関わらず、多くの歓声が上がる。
軽く手を挙げて歓声に応える姿は、存外堂に入っている。
最後に。
わああ、と一際大きな歓声が耳朶を打つ。
「……ちゃんと間に合ったじゃねーか」
同じように手すりに体重を預け、不機嫌そうにターフを眺めていたシリウスシンボリが俄かに表情を変え、ぼそりと呟いた。
一歩一歩、ゆったりと。
しかし確かな足取りで、芝生を踏み締めるように歩み出てくる。
ヒートアップしていく歓声。
何度見ても、やはり彼女の姿は一際存在感を放っている。
いつもと少々違う状況のせいか。
『皇帝』と呼ばれるに相応しいその姿に、思わず目が吸い寄せられて。
ターフの向こうから、こちらを真っ直ぐに見据えていた紫色の瞳と、視線が交錯した。