『さぁファンファーレが鳴り響きます!』
ファンファーレが響く。
模擬レースだっていうのに、こんなに豪勢なファンファーレまで用意して。
「カイチョーの走るレース」。
ただそれだけで、ここまで予算も人も動くと言うのは、分かってはいたことだけどとんでもないことだと思う。
クラシック三冠ウマ娘。
七冠の「皇帝」。
超えるべき目標の高さを、改めて叩きつけられたような気持ちだ。
『感謝祭に相応しい春の陽気、美しい青空が広がる、トレセン学園トレーニングコース』
『模擬戦とは聞いていましたが、皇帝シンボリルドルフをはじめとした優駿たちが集まるレースとなりました』
耳を澄ませるまでもなく、実況に、解説まで耳に飛び込んでくる。
メイクデビューもまだ先なのに、こんな舞台で戦うことができると言うのは、ラッキーというべきなのかもしれない。
一人、また一人とゲートに収まっていく。
先程までスタンドを見上げていたマックイーンが、どうしてか少し嫌そうな素振りを見せたけれど、渋々という様子でゲートに押し込まれていく。
最近野球のバット持ち歩いてたっていうし、何かスランプにでもなってたのかな。
それでも、ゲートに入る瞬間の横顔は競技ウマ娘としてのそれだった。
『ターフも絶好の良バ場となりました』
『名勝負となる舞台は整いましたね』
軽く足を上げて最後の調子確認をする。
トレーナーが触って確かめてくれた足は、トレーナーの言う通り「問題ない」。
なんだかんだ言いながらも、トレーナーと正式に契約してから1ヶ月も経っていない。
それでも。
『選抜レースなどで実力を示したナリタブライアン。今日は3番人気です』
『あの皇帝から次期生徒会長として、副会長へ抜擢されるなどその実力は未知数ながらも大きな期待が寄せられているウマ娘ですね』
ブライアンがゲートに収まり、正面を見据えた。
続いてゲートに収まったのは、今回のレースの発起人。
最近特にトレーナーの周りを騒がせている、問題のウマ娘。
『2番人気を紹介しましょう。アグネスタキオンです』
『今回のレースの仕掛け人となった彼女。下バ評ではシンボリルドルフに迫る可能性があるとの噂もあるようです』
トレーナーの分析によれば、公式戦に出ていないだけでポテンシャルなら最高峰のそれ。
脆かったと噂のあった足も十分に回復しているみたい。
……そういえばトレーナーはどこで見ているんだろう。
ゴールドシップもいつの間にかゲートに入っている。
ボクも、ゲートに身を滑り込ませた。
準備は万全。調子も良好。
そして最後に呼ばれるのは、やっぱり。
『さあ、本日の主役はこのウマ娘を置いて他にいない!本日の1番人気シンボリルドルフ!』
『圧倒的な実力のシンボリルドルフにどこまで他のウマ娘たちが食い下がるか。下克上はあり得るのか。火花散らすデッドヒートに期待しましょう』
すごい圧力が、隣のゲートから撒き散らされている。
伊達に皇帝と呼ばれてはいない、ということだろう。
普段よく真面目な顔や、困ったような笑顔を浮かべているはずのカイチョーは、今日は表情が厳しい。
『各ウマ娘ゲートイン完了。出走の準備が整いました』
大きく息を吸って。
腰に手を当てて空を見上げる。
今日の空は、綺麗な青色。
いい天気。
……よし。
『2000メートル先のゴールを目指して、今ーーー』
全ての音が、消え去って。
ゲートが開いた。
『ーーースタート!』
『スタート!』
ゲートが開く。
一歩。
踏み出せば、世界が一気に開けていく。
広い空、スタンドからの大歓声。
ふぅン。よもや模擬戦でここまで人が集まるとは想像だにしていなかったけれど、デジタル君に依頼したポスターや宣伝材料はきちんと効果を発揮してくれたようで何よりだよ。
二歩目。
ちらと横を見れば、全員ゲートを飛び出していく。
結局あの後も会長はすっかり掛かったままの様子で、トレーナーくんと連絡が取れないことに随分と焦っていたようだったけれど、それでも流石に皇帝。
きちんとゲートから飛び出してきている。
『各ウマ娘まずは好スタートを切りました!』
三歩、四歩、五歩と、足の回転を上げて加速していく。
脚の不安はない。手を緩める必要もない。
耳を打つ歓声も、どんどん遠ざかっていく。
『スタンドの歓声に押されるように、内外からウマ娘たちが先団を争います!さあ誰が行くんだ、誰が行くんだ』
まずは先団争いだ。
私の読みでは、メジロマックイーンくんが逃げを打ち、会長と私、テイオーくんが先頭集団を形成。そしてブライアンくん、ゴールドシップくんが後方集団を形成するとーーーおや。
『ーーー早い、早い!』
ざわ、とスタンドから動揺が伝播する。
不審に思い、前に視線を向ければ、前に出て行こうとしていた芦毛を抑えて飛び出していく鹿毛が一人。
『ひとり飛び出して行きましたシンボリルドルフ!どうでしょうか!このペースがどのような結果を生むのでしょうか!』
『随分とハイペースです。掛かっているのでしょうか。』
……ふぅン。会長が、逃げを?
逃げを打つ会長に、ぐい、と引っ張られるように後方が速度を上げていく。
コーナーに差し掛かった際にちらと見えた横顔には余裕がない。
ーーーーーまさか、掛かっている?
ほとんど暴走のようなハイペース。
先頭集団をどんどん振り切るように加速していく。
『向こう正面に入り、レースは淀みなく進んでいます。変わらず先頭はシンボリルドルフ!』
そろそろ詰めないと不味いか。
引き離されすぎないようにペースを見ていたが、押し上げていかないとこのまま押し切られる可能性があるねえ。
『ペースとしてはやや……いや、かなり早い展開となっています!』
『このペースは大丈夫なのか⁉︎』
とはいうものの、流石に超がつくようなハイペースも少し緩んできたように思える。
彼女は明らかに冷静ではない。
あの八百長紛いの電話。そしてトレーナーくんとの契約権が掛かったレース。
勝たなければならない。負けなければならない。
そのジレンマで追い込まれている様子だったからねぇ。
そうであるならばこれは暴走。
私の前には、会長とメジロマックイーンくん。
後ろには、少し離れてトウカイテイオーくんと、ナリタブライアンくん、ゴールドシップくんがだんだん上がってきた様子だねえ。
ギアを上げようか。
2000メートルのこのコースは、ぐるりと一周と少し。
皐月賞に近いコース構成となっている。
双眼鏡を外し、肉眼で目視する。
コーナーに差し掛かり、ようやくアグネスタキオンやメジロマックイーンがルドルフの背中を捉えて上がっていく。
いい判断だ。
大逃げを打っていたルドルフはだんだん落ちてきている。
それはそうだ。適正距離の2000メートルであんな大逃げを打てばその消耗は相当に激しくなる。
直前まで話ができなかったこともあり、ルドルフの予定している作戦について共有ができていないし、こちらからもレクチャーができていない。
それでも彼女が大逃げを打ったと言うことは、何か理由がある。確実に。
「ありゃどういう事だ?」
シリウスが怪訝な表情でそんなことを口にした。
「大逃げなんてらしくねえじゃねえか。お前の入れ知恵か?」
「いいや、あれはルドルフの判断だよ。君の知っての通り、どうにもレースが始まるまで連絡が付かなくてね」
「へえ。皇帝サマにしちゃあ珍しいが……お前が原因なんじゃねえのか」
「……流石にないと思うけど」
……私の拉致が原因でうっかり掛かって暴走していると言うことはないだろう。きっと。
逸れていた意識をレースへ引き戻す。
スパートへ入っていく面々が前線へポジションを押し上げていく一方で、レース慣れしていないテイオーが上がってきた後方集団に飲み込まれていく。
……ルドルフの大逃げ。
本来メジロマックイーンを逃げウマ娘として仮定していたであろう出走ウマ娘からすれば、厄介な事態と言っていいだろう。
彼女たちに考えている時間はない。レースは一瞬が勝敗を分ける世界。
一手の思考にかけていい時間などと言うものは、ほとんどないも同然。
チェスの、あるいは将棋のプロをプロ足らしめるものは何か。
ルドルフと話をしたことがある。
その時に至った結論はーーー時間。
その思考の深さ、奥行きに比べ思考に掛ける時間は極端に短い。
それは脊髄反射で対応するようなものではない。
研究を重ね、何万、何百万というシミュレーションを繰り返した果て。
最適解を「すでに済ませた」思考の中から短時間で拾い上げる「経験」の産物。
いくら頭が回るウマ娘だったとしても、脳への酸素供給が滞るレースの中で完全に冷静なまま思考を重ねることのできるウマ娘というのは少ない。
だから、膨大な思考を、シミュレーションを「すでに済ませた」ものから選ぶだけになるまで経験を積み重ねてきたのだ。
故に、ルドルフは強い。
身体能力、フィジカルだけで勝てるような世界には、居ないのだ。
都合よく意思の力一つでレース中に覚醒することなんて滅多に起きない。
身体能力も、フィジカルも。
それはレースに参加しているウマ娘全てが満たしている資質だ。
トレセン学園に立っている時点で、前提条件は全員が満たしている。
では、優れたフィジカルを持ち、膨大な経験値とそれを運用する卓越した思考能力を併せ持ち、冷静に振るうことができる『皇帝』を超えるにはどうすればいいのか。
現実的ではないが、答えはいくらか存在している。
ひとつ。
その能力を、予想を超えるだけの、圧倒的な身体能力を発揮すること。
ぐい、と。
ゴールドシップが冗談のような伸びを見せて上がって行こうとした。
しかしこれは続かない。
反応して上がって行こうとするナリタブライアンとテイオーにブロックされ、大外へ回される。出鼻を挫かれたゴールドシップは上がってこられない。
一方ブロックしたナリタブライアンも、スペックだけで言えば十分に勝負に持ち込める筈だが……何だ?足元を気にしている?
じりじりと上がっていくが、どうも精細を欠いているように見える。
展開に惑わされたか、或いはレースに集中しきれていない?
ふたつ。
これも単純明快。
総合能力で、上回ればいい。
能力も高水準。思考能力も遜色ない。
皇帝を正面から「刺す」ならこれしかないというほどの鬼札。
アグネスタキオンがスパートを掛ける。
メジロマックイーンを外から抜き去って、落ちてきたルドルフと並び、そして一歩前へ。
ルドルフがちらりと後ろに目をやった。
アグネスタキオンの仕掛けのタイミングは絶妙だ。メジロマックイーンが出る直前にハナを抑えるように抜き去って行った。
性格に若干の難はあるが、やはり巧い。
それに何より、不安を解消できたあの脚がある。
『コーナーを抜けてホームストレッチへ突っ込んでくるウマ娘たち。固まって先頭はアグネスタキオン。続いてメジロマックイーン。シンボリルドルフは下がって3番手!』
最終直線に入り、しかし先頭集団はほとんど固まったような状態。
ナリタブライアンは仕掛けをしくじったか、上がりきれていない。
ゴールドシップは大外へ回されたロスが大きいか。
先頭集団がこのまま差しつ差されつでゴール板を駆け抜けるか?
ーーーーいいや。違う。
そして、みっつ。
そう、凡ゆる思考を済ませ、最善手を拾い上げ続けるルドルフは確かに強い。
圧倒的と表現して差し支えないだろう。
あり得ないと可能性の中から除外して行き、最終的に勝ち筋を絞り込んでいく皇帝。
無数に積み重ねられた経験と、思考の果てに辿り着いたその「勝つ技術」。
蜘蛛の糸を張り巡らせるかのような、恐ろしく緻密なレース運び。
これを覆すなんて、困難を極めている。
最終直線で横並びから一歩下がったが、あのシンボリルドルフがこのまま終わるはずもない。
必ず、何か仕掛けてくる。
だから。
ーーーー思考の外、切り捨てた可能性の中から強襲を『掛ける』。
最後方。
ぐい、と大きく踏み込んで、一気に飛び出してくる小さな影。
垂れて落ちた筈の