トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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消閑-一球入魂

 

 

「こ…このわたくしが、敗けた…ですって…⁉」

 

あり得ない事態。

あまりの衝撃に、思わず地面に膝を着いてしまう。

 

…嘘だ、ありえない。

直接この目で見てきたし、散々VTRでも研究を続けてきた。

身体は、思い通りに動くはずでした。

 

だから、こんなことが起きるはずがない。

このわたくしが、誇りを背負ったわたくしが、こんな格下に負けるだなんて…!

 

視線を上げれば、そこには一段高いところに陣取ったシンボリルドルフのトレーナーが、わたくしを見下ろしていました。

 

「メジロマックイーン」

 

わたくしを見下ろす、冷淡な眼。

何の感情もそこからは読み取れない。

 

「…意志、情熱。大いに結構だ。だが、それだけでは勝てないことを知るといい」

 

こんな屈辱を与えられたのは、初めての事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首尾よく学園から抜け出すことに成功した。

 

トウカイテイオーから貰ったゴールドシップお手製の瓦版、というか怪文書による脅威から、一旦遠ざかることに成功したのだ。

勿論、何の解決にもならない。

本当に私がやるべきことは、ゴールドシップを抑えられるウマ娘をけしかけて、例の怪文書の発行元を潰し、騒ぎを収束させることだ。

 

だが、残念なことにアレを抑えられる者に心当たりがない。

となると、怪文書を回収するよりも、まずはいったんその場から退き、一息入れてから戻り、ルドルフのトレーニングに顔を出すのがベストだろう。

ルドルフの傍にさえ居れば、無理な逆スカウトを掛けてこようとするウマ娘の結構な数を弾く事ができる。

 

黒沼トレーナーの助言が、早速活きてきていた。

 

 

 

商店街でコロッケなどを買い求め、おやつ代わりに頂く。

ここのコロッケは学生向け、というかウマ娘がうろうろする地帯のためか、異様に安い上にボリュームがそこそこあり、そして割と美味しいのだ。

ただ、「ランチセット」については除外する。

ウマ娘向けのランチセットなので、量が多く、そして重い。

買って帰れば、翌日の朝、昼、間食、夕飯、夜食とそのすべてにコロッケを主役にしてもまだ翌朝食べる羽目になる程度に量が多いのだ。

そして、力が強いウマ娘向けのセットになっているため、お持ち帰りの重量としては聊か不適切な重量になっている。

 

ルドルフに振舞われた朝食が意外と量が多かったおかげで、今更になってようやくお腹が空いてきていた。

コロッケは美味しかったが、流石に1つだけでは足りない。

どこか仕事しながら食事の摂れる場所に、と思い、繁華街へ足を向けることにした。

 

とはいえ、オープンスペースであるカフェなどで、仕事の情報を取り扱うのも抵抗感がある。いくら木っ端トレーナーと言えども、未だにシンボリルドルフのスクープを探している記者は多い。

あの変態記者はド正面からやってくるが、パパラッチのような真似をするものも中には存在する。

個別ブースのワーキングスペースでもあればいいのだが、近場には存在していないため、あれこれうろついた挙句に、行き慣れているカラオケに引きこもってしまう自分が虚しい。

 

まぁ、飲み物も食べ物もあり、ソフトクリームは食べ放題、仕事に疲れれば一曲歌って気分をリセットできる、といいこと尽くしではあるのだが、カラオケは防音が微妙というか、なんだかんだで周辺の部屋から音が漏れてくるのだけが難点だ。

 

 

 

 

…そして今日は特にひどい。

 

『狙えっ、狙えっ、空の果て~』

 

普段であれば、この時間帯ならトレセン学園を始め、近所の学生や若者はまだ授業なり部活なりで学校にいる時間帯。

当然、平日のため、ストレスの溜まった仕事帰りのサラリーマンの姿もまだない。

 

『うっちっぬっけ、ど真ん中~』

 

精々が主婦の集まりだったり、町内会の集まりだったりが多いため、

カラオケ自体はおまけで、おしゃべりが中心となるケースが多い。

そのため、思ったよりも閑散とした印象が強いのだが。

 

『かっせっ、かっせっ、ユーターカー!』

 

今日は隣室がスタジアムらしい。

 

 

 

 

 

肩が凝った。

言っても、どのみち他人の目がないカラオケボックスである。

立ち上がり、ぐいと身体を伸ばす。

 

「あ゛ー…」

 

ばきぼき、と背骨が音を立てて本来ある位置に戻っていく感触が小気味良い。

そのまま、ストレッチを行う。

凝り固まった筋肉をゆっくりと、丁寧にほぐしていく。

本当であれば、ここで軽いマッサージでもあれば最高なのだが、どちらかというと自分がウマ娘に施す側であって、自分が受ける事がなかなか出来ないのが悩ましい。

 

帰り際にマッサージ屋でも探そうかと思い、端末を取り出した瞬間、がちゃと音を立ててドアが開かれた。

 

「は?」

 

「え?」

 

皆さんも、カラオケで飲み物を取ってきた帰りに違う部屋のドアを開けてしまって気まずい思いをすることが時折あると思う。

そういう時、いつも思うのだがどういう顔をしたらいいのか分からない。

当然、あけられた側も予期せぬ来訪者に歌っていた声のトーンは急激に落とし、えっ、えっ?と困惑の表情を浮かべる。

 

今もそうだ。

 

「た、大変失礼いたしました…」

 

やってしまった感を盛大に顔に出し、羞恥に頬を染めてドアをそっと閉めようとしていたのが、よりによって知った顔であれば、余計に。

 

「…メジロマックイーン?」

 

「えっ、あっ」

 

名門であるメジロ家の誇るステイヤー、メジロマックイーンが、何故かやけに見覚えのある縦縞のはっぴを羽織ってそこにいた。

 

 

 

 

 

「……くっ。いっそ殺してくださいまし」

 

十数秒の時間をかけて顔色を信号機のように点滅させていたメジロマックイーンだったが、遂に状況をはっきりと把握したのか、よよよ、と崩れ落ちてさめざめと泣き始めた。

 

そんなところで崩れ落ちていられると大変に外聞が悪いどころの騒ぎではない。

 

下手をすれば人が集まってきかねないため、なんとか立ち上がらせ、部屋に招き入れた。

 

「……」

 

「………あの、これは……」

 

今更ながら、応援はっぴを羽織ったままであることに気が付いたのか、いそいそと脱ぎ始めるメジロマックイーン。

恐らくも何も、先ほどから延々と隣室で繰り広げられていたスタジアムもかくやという応援歌メドレーは、この少女がかましていたものだろう。

 

「……………ビクトリーズか」

 

「………………………………はい」

 

話が続かない。

マックイーンは顔を赤くしてずっと俯いているし、状況が状況なのでこちらも迂闊に刺激できない。

まさか「くっ殺せ」という言葉が生きているうちに聞けるとは思わなかった。しかもウマ娘から。

 

だが、話を続ける気もあまりない。

崩れ落ちたから緊急避難のために招き入れたが、正直なところあまりきちんと話をしたいとは思わないのだ。

 

何故か。

 

野球と政治の話だけは精神衛生のためにも仕事場に持ち込んではならないからだ。

だが、あまりの話の続かなさに思わず口を滑らせた。

 

「最近打ててないんだよなぁ、ユタカ…。もう年なのかな…」

 

瞬間、がばりとメジロマックイーンが勢いよく顔を上げた。

混乱しているのか知らないが、目がぐるぐると渦を巻いているように見える。

 

「決闘ですわ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

 

 

 

 

その結果がコレである。

河川敷の湿気たグラウンドで、訳の分からない場面が繰り広げられていた。

バッターボックスでまたしても泣き崩れるメジロのご令嬢を、微妙に盛られたマウンドから見下ろしているという状態だ。

 

なんて??????

 

勝っておいてなんだが、訳が分からない。

何故メジロマックイーンは突然決闘と称して勝負を挑んだのだろうか。

パワーはともかく、ろくにバットも振れないくせに、何故1打席勝負を挑んできたのか。

 

そもそも彼女は何を背負って戦ったのか。

 

私達は、何を賭けて戦ったのか。

 

彼女は今もグラウンドに拳を振り下ろして物凄く悔しがっている。

レースでもここまで悔しさを前面に出して悔しがるウマ娘は見たことがない。

ある種、貴重なものを見ている気さえしてくる。

 

おかしい。

直接関わったことはなかったが、今も本格的に悔し泣きをしているメジロマックイーンといえば、世代では最強のステイヤー候補の一角だ。

デビューすれば春の天皇賞を獲れる逸材で、本人は真面目で堅物、という話を聞いていた筈だ。

決して、今もバッターボックスで慟哭している、恐らく青春のすべてを掛けた最後の打席で三振してしまい、甲子園優勝の夢が絶たれた高校球児のような像は、彼女の振り回したバット同様、その評にかすりともしない。

 

河川敷で野球をしていた少年たちからバットとグローブ、ボールと場所までも巻き上げると、大見得を切ってバッターボックスに立ち、そして私のしょぼい素人投球で豪快に三振してこの有様である。

 

本当に何がしたかったんだろうか、このお嬢様は、本当に。

 

制服姿に応援ハッピを羽織った絶世の美少女、という愉快な出で立ちで打席に入ったは良いが、ウマ娘の卓越した膂力で、かつ全身全霊でバットを振り回すものだから、ぶおん、ぶおん、ととんでもない風切り音を発生させ、周囲に風圧をまき散らす大型扇風機と化した。

いちいちスカートがふわりと浮き上がるものだから、道具一式と場所をカツアゲされた少年たちが拳を振り回して応援し、調子に乗ったメジロマックイーンがさらにしゃかりきになる、という地獄絵図。

 

ひっそりと付き添っていた執事らしき人物が、ふわりふわりと舞うスカートに「お嬢様!いけません!」とちょくちょく頭を抱える羽目になっていたあたり、本当に何なのだろうか。

 

当事者になっているらしいが、マウンドに立たされた私は完全に蚊帳の外の気分だった。

 

ふと、メジロマックイーンが泣く事をやめて、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

ぎらり、と目に異様な輝きが灯る。

…いや違う、これは涙を堪えてるだけだ。

そして彼女は、私に指を突き付けて何か言い出した。

どうせろくでもない事だろう。

 

「今日のところは、潔く負けを認めます…」

 

拳を握りしめて瞑目すると、くわっと目を見開いて叫ぶ。

 

「ですが、覚えていらして!わたくしは…わたくしはメジロマックイーン。あなたをいずれ倒す女ですわ!」

 

負けず嫌いは大変結構なことだ。

レースという闘争の世界に身を置いている以上、負けることが大嫌いな者は、勝負根性が身につきやすい。

だが、使いどころを決定的に間違えている。

 

「できればレースで頼めないかな…」

 

相手をするのは私ではなくシンボリルドルフだが。

 

「…次は、負けませんわ!あのスライダーの対策を…」

 

聞いちゃいない。

きっ、と最後に私を睨みつけ、良くわからない捨て台詞を吐いて、執事の方に支えられてよろめきながら彼女は去っていった。

 

私が投げたの、カーブなんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、ゴールドシップより酷いぞ、あのぽんこつステイヤー。

 

しかも、諦めていない。

恐らく恥ずかしさのあまり頭がおかしくなってしまったのだとは思うが、そういう所は真面目じゃなくていいと教えてやりたい。

負けを認めるから、もう来ないでくださいと念を送っておく。

やはり仕事で野球の話はまずいのだ、と酷く痛感する羽目になった。

 

 

 

トレセン学園の葦毛はおかしな奴しかいないのだろうか。

いや、流石に苦労人のタマモクロスに失礼か…。

 


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