トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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夜を駆ける

 

 

 

「…やり遂げた。私はやり遂げたのだ」

 

時間は朝5時。

私は寮の自室で、長い長い激闘の夜が終わったことに安堵のため息をついた。

 

壁掛けの時計に目をやれば、あと30分もすれば普段の起床時間だ。

仮眠を取るにしても中途半端な時間。

下手にここで寝て遅刻などしてはまずい。

 

仕方なしに、ぐいと背伸びをして、朝練に向かう支度を始める。

 

それにしても、自分でやっておいてなんだが、何でこんなことになったのだろうか。

 

 

 

 

 

荷物をバッグに詰め、身支度を整えると寮を出る。

あれだけ疲れていたのに寝不足どころか、帰ってきて1時間程度しか眠ることもできなかったため、どうにも晴れ晴れとした空が目にいちいち刺さって痛む。

 

何故そんなことになったのか。

理由は単純だ。

昨晩帰ってきてシャワーを浴び、ベッドに横になってうとうとしていたのはいいのだが、不意に思い出したのだ。

 

 

 

 

ーーーやばい。

 

弁当作るとか言ってしまったのに何の準備もしていない、と。

 

 

 

よく考えれば、ルドルフはよく食う。

よく食うどころの話ではない。

あの顔とスタイルで、私の数倍から数十倍までの量を平気で食べる。

 

流石に六平トレーナーのところのオグリキャップや、先輩のところのスペシャルウィークのように腹が制服からはみ出すまで食うほどではないが、一般成人の食べる量を遥かに上回っているのは確かだ。

 

…ウマ娘と食事をする機会が過去に何度かあったが、食事量にホッとしたのはタマモクロスぐらいだろうか。

ウマ娘という括りで見ても少食な彼女が食べる量は概ね私と同じくらいなので、見ていて安心する。

彼女、自分のお金の大部分を実家に仕送りしているらしいが、それができるのもその食事量ゆえだろう。

オグリキャップなどは、自分に与えられるレース賞金の大半が食費に消えているらしいし。

 

そして、私の冷蔵庫の中には若干の酒類と、保存食。あとはゼリー飲料しか入っていない。

まずい。材料を買いに行かねば。

 

こういう時、門限のあるウマ娘たちと異なり、夜間でも自由に外出できるトレーナーというのは楽でいい。

大体のものは寮の購買で揃うし、なかったとしても少し足を伸ばしてコンビニや24時間営業のスーパーへ向かえば事足りる。

トレセン学園は基本的に直接搬入が基本だが、オグリキャップが食い過ぎた時など、突然食材が切れることもあり、深夜にバタバタとスタッフが買い出しという名の仕入れに行くこともある。

 

寮の、トレセン学園外側の出入り口から外に出る。

一応この学園、職員用の駐車場がひっそりと存在しており、私の愛車も月極駐車場感覚で停めっぱなしにしている。愛車、というか。トレーニングで追走しなければならないことが多いため、バイクではあるのだが。

車に関しては学園の社用車があるし、バスだってある。

ただ、バイクに関してはトレーニング用なので個人所有が多く、先輩トレーナーに「あると便利」と勧められるままに買ったものだ。

その際、普通自動車免許しか持っていなかったため選択肢が原付しかなかったのだが、二人乗りができると便利だなと思ったことがきっかけで二輪免許を取り、二人乗りができる小さなスクーターを購入している。

 

 

…古き良き映画のように、後ろに誰かを乗せて…というところに憧れがなかったとは言わないし、トレーニング中に怪我をしたウマ娘を乗せて、みたいなシチュエーションに憧れがなかったとは言えない。その時はまだ、私もキラキラした目をした新米トレーナーだったのだから。

 

よく乗る割に、結局まだ後席に誰も乗せたことがないのだが。

 

 

 

 

 

にしても、随分と買い込んでしまった。

食事量と、トレーニングで消費するカロリーを考慮し、さらに栄養素が云々とトレーナーらしく考えていたら、カートに詰め込まれた食材がどんどん膨れ上がっていってしまった。

1人暮らしであれば1週間は余裕で保ちそうな量である。

 

こういう時、スクーターというのは収容荷室が大きくて助かる。

本当はあまりよろしくないのだが、足元にも荷物が置けるので、なんとか載せ切った。

 

 

 

 

トレセン学園は相当に広い。

そのため、トレーナー寮の出入り口から出た場合、学園正面側にある商店街や繁華街といった買い出しのできるエリアに向かうにはぐるりと広大な敷地を回っていかなければならない。

基本的にトレーナー寮側の出入り口は、トレーナーの大半がスクーターなりを持っていることや、夜間に帰ってくる際はタクシーで移動したりすることが多いため、だいぶ不便な位置にあるのだ。

正門は夜になると閉まってしまうし、その脇にある出入り口も警備がついている影響で門限を過ぎて夜間になると完全に閉まってしまう。

 

このため、まだトレーナー寮の出入り口から出入りできることを知らない新人トレーナーが帰ってこれず、先輩トレーナーに連絡して向かえにきてもらう、なんてことがよくある。

ウマ娘の方はしっかりした寮長が口すっぱくルールを教えるし、そもそも初日から門限をぶっちぎるようなキテレツなウマ娘はほとんどいない。

あのゴールドシップですら、入学当初はそこまで目立つ真似をしていなかったし。

 

 

「あっ、あの、どなたかいらっしゃいませんか?まさか締め出されてしまうなんて…」

 

そんなことを考えたからだろうか。

正門前で締め出され、困っているらしい者を発見してしまった。

見れば、頭の上に例の特徴的な耳がない。人間だ。

 

「…そっちはこの時間、開きませんよ」

 

「えっ!?」

 

スクーターを留めて声をかけると、驚いてこちらを振り返る。

若い女性だ。ベストを着て、胸にバッジがついているところを見るにお仲間で良さそうである。

 

「正門は大体23時頃には完全に閉まります」

 

「そうだったんですね…。えっと、あなたは…」

 

「あなたと同業者ですよ」

 

「やっぱり!以前お見かけしたことがあります。シンボリルドルフさんのトレーナーですよね」

 

同業ということを聞くと、嬉しそうに両手を胸の前で合わせる彼女。

 

「あっ、失礼しました。私は桐生院葵と言います。本日からこちらでお世話になります」

 

「桐生院トレーナーですか。よろしくお願いします」

 

ぺこぺこ、と二人して頭を下げ合う。

あぁ、最近はこうして誰かと挨拶することもあまりなかったな、などと考えていると、桐生院トレーナーは困ったように眉を寄せた。

 

「それで、あの…」

 

「ああ、失礼。トレーナー寮の出入り口は夜間も使えるので、そっちからです」

 

「そうだったんですね。ありがとうございます。もうどうしようかと途方に暮れてしまいました」

 

「初日から中々チャレンジャーですね」

 

「うっ、すみません…。中央のトレセン学園に就職が決まったので、家族がお祝いにと…」

 

「なるほど。良いご家族をお持ちで」

 

実際の仕事始めは明日からだろう。

時折、入寮日に家族が引っ越しを手伝ってそのままお祝いに、などというケースを耳にする。桐生院トレーナーもそのクチだろう。

 

まぁ、出入り口さえ教えれば子供でもあるまいし、帰って来れるだろうと思ったが、しかしこんな時間に成人とはいえ若い女性一人放り出すというのも外聞が悪い。

 

「はい」

 

使わないくせにいつもぶら下げている予備のヘルメットを彼女に放り投げてやる。

 

「えっ?わっ、たたた」

 

いきなりヘルメットを投げたものだから、わたわたと慌ててキャッチする桐生院トレーナー。

いかん。対ウマ娘ばかりやっているものだから、普通の人間相手に言葉足らずになっているのではないか、私。

 

「ここからだと結構距離あるし、乗っていきな」

 

「えっ、送っていただくなんて申し訳…」

 

「どうせ同じ寮でしょう。ここで見捨てるのも後味悪いですし、ついでですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

「今度から気をつけてくださいね。門限に間に合いそうにない時は、正門まで行くより駅前でタクシー拾った方が楽ですよ」

 

「はっ、はい!門限守れるように重々気をつけたいと思います」

 

恥ずかしそうにしながら彼女は言う。

まあ、それはそうだろう。

明日から仕事始めだと言うのに、その前夜にいきなり寮に戻れなかったら大惨事だ。

 

「よい…しょっと」

 

「あの、トレーナーさん、その袋は?」

 

「朝食の買い出しです。あれで結構食べるんですよね。同じものばっかりでも栄養が偏るし、色々買っていたらこんなことになっていて」

 

「な、なるほど…。朝ご飯ひとつとっても栄養素のバランスを…」

 

何か慌ててメモを取り出したが、そう大したことでもない。

桐生院家といえば、トレーナー界隈では名門も名門。

数々のスターウマ娘を育て上げた名トレーナーを輩出するその道の名家だ。

その桐生院の人間で間違い無いのだろうが、どうも堅物らしい。

 

「基本的にウマ娘の食事をトレーナーが作ることは稀だからあんまり参考にしなくていいですよ」

 

そもそも、頻繁に作らされているトレーナーもいることはあるが、それは義務ではなく、担当のポテンシャルを最大限引き出すための手間隙の範疇に入る。

 

「普段は朝練の後にカフェテリアとか、それぞれ適当に食べてるからそこまで気にしなくていいです。基本的には簡単に傾向を指示してあげれば大丈夫ですよ。お米食べろ、みたいな」

 

お米食べろって言ったら業務用炊飯器をいくつも空にするような奴もいるが。

 

「なるほど、勉強になります…」

 

「さて、それじゃあ私はこの辺で。また」

 

いくらトレーナー同士とはいえ、こんな深夜に話し込んでいるところを誰にとは言わないが目撃されてみろ。翌日私が無惨な姿で見つかるかもしれない。

 

「あっ、はい!ありがとうございました!」

 

とはいえ、優秀なトレーナーは一人でも多く欲しいのがトレセン学園の現状。

彼女には是非、頑張って欲しい。

名門出身のようだし、あまり私のような一般人が心配するような相手でもないだろう。

 

 

 

 

適当に手を振って別れ、重い重い買い物袋を両手に下げて寮の廊下を歩く。

調子に乗って買い込み過ぎたかもしれない。

その代償が指に食い込む形で現れている。指ちぎれそう。

食材を余らせても自分で普段から料理しているわけでもなし。

朝食だけでなく、弁当も用意してやるか…。

 

部屋の鍵を開け、買い物袋をキッチンに放り込む。

生物はとりあえず冷蔵庫に詰め込んで、一旦シャワーを浴び直す。

 

熱いシャワーが夜風に冷えた体に心地よい。

 

桐生院、ねえ…。

トレーナー界の名門がどんな指導をするのか、気になることは気になる。

敵対意識は特段無いが、名門トレーナー一族の指導は、もしかしたらルドルフの指導の中で役に立つかもしれない。

それに、名門として血統が確立されているということは、ウマ娘の対処も慣れたものだろう。

むしろこちらが色々と教わりたいぐらいである。

今後も仲良くしておいて損はなさそうな相手だ。

 

今更だが、いくらトレーナーバッジをつけた同僚とはいえ、見知らぬ人間のバイクに乗ってしまうあたり、世間知らずの箱入り娘なのかもしれない。

乗せておいてなんだが、私、相当不審者じみてなかっただろうか。

 

 

 

 

ざっと体を拭いて髪を乾かせば、次の戦場が待っている。

 

キッチンには食材の山。

 

包丁などはきちんと手入れされている。

誰がやってるって、入り浸っていた頃のルドルフがたまに研いだりしていたからだ。

研いでくれるのはありがたいのだが、食後に制服姿で包丁を研ぐ姿は心底心臓に悪い。

レシピも確認した。

 

…やりますか。

ここからは戦争の時間だ。

 

 


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