トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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急転直下

 

 

 

 

「ごあああああああああああああああああっ!!!!」

 

 

 

 

突然、ゴールドシップが頭を抱えて咆哮を上げる。

舌をべろんと出し、泡を吹いて叫ぶ様はどう見ても正気を失っているようにしか見えない。

 

あまりの圧力に思わず後ずさってしまう。

 

こんな酷いものを見たのは例の事件以来だ。

あの時のウマ娘二人は本当にひどかった。

ロアナプラとかにいそうな顔で殴り合っていたし。

あの場に駆けつけたルナちゃんも同じような顔をしていたという記憶にはそっと蓋をしておこう。

 

「何を飲ませたんだアグネスタキオン」

 

「失礼な。彼女が勝手に飲んだのだよ」

 

しげしげとゴールドシップの様子を観察しながらも、アグネスタキオンはやれやれと肩を竦めた。

そういう話をしているのではない、という意味を込めて横目で睨みつけてやると、渋々ながらも口を開く。

 

「君も相変わらず好奇心の徒であるようで何より。以前に私が「感情による身体能力への影響」について講義したのは当然、覚えているだろう?」

 

「あぁ、話半分程度に聞いていた記憶が朧げながら」

 

「えーっ!?あんなに熱く語り明かしたというのに!?」

 

ぐいぐい、と私の袖を引っ張って抗議してくるが、今はそれどころではない。

何せ、あのいつも余裕綽々というか、天衣無縫を地で行く変人が苦しみ悶えているのである。大抵のことはジョークで処理できてしまう彼女にしては只事ではない。

第一、語り明かしたというが精々が1時間程度であり、しかも色気もへったくれもないトレーニング場でだ。

ルドルフが生徒会の用務でトレーニングに遅れて暇を持て余していたところにやってきて、ひたすら語った挙句にルドルフに追い払われていただけだったはずだが。

その後、私に飲ませる筈だったという薬がマンハッタンカフェに盛られ、あの大人しい不思議系ウマ娘が酷い目にあったらしいという事後報告は聞いた覚えがある。

 

残念なことにアグネスタキオンの作る薬は、効果だけは保証されている。

以前も惚れ薬なる胡乱な薬をうっかり開発してしまい、その余波によってトレセン学園のトレーナー数人が寿退社する羽目になったように、効果だけは本物だ。

明らかに物理学や生物学の範疇も超えているようにしか思えないようなぶっ飛んだ効果の薬品を生産しまくっている彼女だが、今のところその創薬活動によって起きた事故は大抵ふざけた事態ばかりを引き越しているため、ある意味で信用できる。

 

或いは、敢えてそういうものだけを外部に持ち出しているのかもしれないが。

 

「そういうのは良いから」

 

「全く、君は本当につれないね。ああ、そうそう感情。感情が肉体面に作用することが壁を突破するファクター足り得るという確証そのものはないが…ええと、良く言うだろう、火事場のバ鹿力、とか」

 

「微妙に誤って覚えていないか、それは」

 

「細かいことを気にしているとウマ娘の相手は務まらないよ。さて、人は理性の生き物だ。感情のままに行動するを良しとせず、理性と知恵でもって社会を形成し―――」

 

「御託はいい。結論は」

 

「感情などの本能系を増幅し、理性の働きを低下させる効果だね」

 

とんでもないものを作りやがる。

まだ全身が蛍光色の輝きを発し出す薬の方がマシだとさえ思えてくる。

…それは、下手をすればドラッグの類になるのではないだろうか。

 

「安心したまえよモルモット君。君がたった今懸念したような依存性も体への害もないよ。心配には及ばないさ。私はただ、感情が理性を上回った時にどのような効果を肉体面に及ぼすのが知りたかっただけさ。ウマ娘の持つ、勝利への渇望。これが余計な理性を排除した上で前面に出ればどうなるのか。実に興味深いではないか!」

 

もちろん君も興味があるのだろう?と興奮気味にぐいぐいと顔を近づけてくるアグネスタキオンの頭を抑えながら、ため息をつく。

 

だからこそ、余計に心配になるのだが。

分かっていないのではなく、分かった上でやるから性質が悪い。

 

眼前では酷く悶え苦しむゴールドシップ。

苦しみのあまりか、いつも頭につけている装具を引きちぎるようにして剥がしている。

時折私も薬を盛られることはあるが、ここまで苦しんだのは記憶にない。

 

これはもしかすると、ウマ娘が飲んではまずい薬だったのではないだろうか。

ふと、意識の端に何かが引っかかった。

 

「…ん?待って、アグネスタキオン」

 

「なんだい?」

 

「つまりそれはゴールドシップが仮に本能のまま奇行を繰り返していたとしたら…」

 

「それはそれは酷く強化されることだろうね」

 

「なんてことをするんだ」

 

「本来はモルモット君に飲ませるつもりだったんだが」

 

「私を殺す気?」

 

「Arrrthurrrrrr!!」

 

あ、いや。

案外大丈夫そうかもしれない。

まだ若干ふざけていられているようである。

 

と思ったのも束の間。

その時は突然やってきた。

 

「――――あ」

 

ぷつり、と糸が切れたようにゴールドシップの声が途切れた。

絹糸のような長い銀糸が、ふわりと舞うようにして倒れていく。

その瞬間が、酷くスローに見えた。

 

うわ、顔からいった。

 

 

 

 

 

 

 

綺麗に気をつけをするような姿で廊下にうつ伏せで倒れたゴールドシップを前に、私はどうすればいいのか分からなくなっていた。

ルドルフやテイオーのように良識のない連中だ。

締め切った風呂場で酸性洗剤と塩素系洗剤を混ぜれば大変なことになるように、この狭い空間に劇薬が二人もいるというだけで胃がキリキリと傷んでいるというのに、この上さらに予想外の事態が立て続けに発生しているとくればもはや私には打つ手がない。

 

毎度打つ手がないとか言ってる気がしてきて目頭が熱くなる。

 

「…どうする?」

 

「ふゥん…しかしここまで苦しむとは想定外だったな。改良の余地が…」

 

思わず、大体の元凶であるアグネスタキオンに問うてみるも、彼女はデータを取るのに夢中だ。このウマ娘は事態を引っ掻き回すこと自体は大の得意だが、事態の収拾に関しては残念なことにまるで役に立たない。

 

ひとまず、こういう時は状況確認からだ。

 

廊下は爆発によってあちこち破損しているし、爆風に巻き込まれたウマ娘が一人転がっている。

でろん、と大の字になって仰向けに倒れているあたり、完全に気を失っているらしい。

倒れている栗毛のウマ娘の近くに、ひしゃげたドアが転がっているため、もしかしたらアグネスタキオンのラボのドアが吹き飛んで直撃でもしたのかもしれない。

いくら頑丈なウマ娘とはいえ、打ちどころが悪ければ大事になりかねない。

可能な限り早急に救護してやらないとまずいだろう。

そして誠に遺憾ながら、自ら毒を呷って自決もとい倒れたゴールドシップもどうにかしなければならない。

蓑虫のようになってもがいているメジロマックイーンはとりあえず緊急性はないので放置の方向で。

 

全くもって頭が痛くなる光景。

首謀者が全く役に立たない以上は、私が対処するしかないのだが…。

 

嫌すぎる。

 

こういう時にはトレセン学園の自治部隊を呼ぶに限るのだ。

迂闊に手を出せばロクな目に遭わない。ことトレセン学園内に限ってだが、トレーナーという仕事をしている人間であればこういう場面で手を出さずに通報するのは常識である。

私は詳しいのだ。何度も痛い目に遭わされてきた実績は伊達ではない。

 

正直なところ、こんな状況ではトレーナーとしてのノウハウなんてものは一切役に立たないのだ。精々がウマ娘とのコミュニケーション技術を叩き込まれたぐらいで、決して「ゴールドシップとアグネスタキオンの取り扱い」などという履修科目は存在しない。

経験値で乗り越えろ、と言う人はいるかもしれない。

だが、こんな事件はトレセン学園内でも滅多に起こらない。

そもそもアグネスタキオンはラボに引きこもりがちであまり出歩くことはないし、ゴールドシップはゴールドシップで比較的単独でおかしなことを仕出かすのであまり二人が関わることはなかった。

 

おかしなことをやっているという大枠での方向性だけは一致しているので、これまで交わらなかったのが不思議なぐらいではあるが、流石のゴールドシップも自らを検体とするような真似は嫌なのだろうか。

 

落ち着け。

慌てると対処を間違えることは分かっている。

冷静に、落ち着いて端末を取り出し、メッセージアプリを立ち上げる。

 

素早くメッセージを打つ。

宛先は当然、自治部隊の頂点にして今朝率先して自治を乱しかけたウマ娘。

過去に助けを求めたところ、嬉々として乱闘に乗り込んでいき、駿川さんの手によって暴れていた連中もろとも制圧されたという実績を誇る、頼れるウマ娘。

これでうっかり前回のような事態を招いたらと思うと、手が震える。

だが、あまり悠長にもしていられないと思い、気持ちを奮い立たせ、メッセージを送る。

 

 

 

 

 

 

『たしけて、ルナ』

 

焦りからか、酷く情けない誤字を送信してしまった。

 

 


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