トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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自縄自縛

 

 

 

あんな恰好で学園内をうろついていたらそのうち通報されてもおかしくない。

うまぴょいされたと思しきトレーナーがふらふら歩いています!とかそういう方向でだが。

 

その後、栗毛のウマ娘と別れてから、そそくさと事件現場を大きく迂回するようにしてトレーナー寮へ戻り、破れたシャツを取り換えることに無事成功し、シャワーもちゃんと浴びることができた。

今日は朝から寮に戻ってばかりなような気がするが、立て続けにトラブルが発生するのが悪い。

悪いのは向こうからやってくるトラブルの方であり、私に責任はほとんどないのではないか、と開き直りたくなる時もある。

なお、これは業務をサボタージュしているわけではなく、必要な処置として行っているので、業務の一環としてカウント出来るはずだ。

 

いくらちゃんと洗ってある予備のジャージを借りたとはいえ、持ち主はルドルフ。

鼻を近づけてみても、フローラルな洗剤の香りしか感じ取れない。

とはいえ、いくら学習機能の低さに定評がある私でも、昨晩から散々「匂い」関連で痛い目を見たので学習はする。

 

楽観的予測に基づく「だろう運転」が事故を招くのは間違いない。

道路をただ車で運転しているよりも遥かに事故率が高い場所に勤めているので、当然「かもしれない運転」を心掛けなければ、あっという間に様々な意味で職を失ってしまう。

人間には分からない香りだったとしても、ウマ娘に掛かればその持ち前の嗅覚で拾ってしまう可能性がある。

昨晩や、今朝のように。

 

痛い目に遭ってから次に気を付ける機会が来るのが早すぎると思わなくもないが、それはつまり、すぐに復習ができるということだ。

 

忘れる前に実践することで、記憶に残りやすくすることが出来るというのは幸いなことだ。

忘れた頃にやってくる事故は、大抵は一度目よりも被害が拡大するのだから。

 

そうとでも思わなければ正直やっていられないという本音もあるが。

 

 

 

更には、あの栗毛のウマ娘を抱えていたので、より一層危険物と化しているのだと思われる。

自覚症状はないものの、危機感だけはあったため、念には念を入れてきちんと身体を洗う。

消臭効果のあるお高いボディソープをやけくそ気味にプッシュしたことは言うまでもない。

 

過去に、高い消臭効果と匂い成分の補給によって「加齢臭のするおじさんでもウマ娘の香りになるボディソープ」なる製品が爆発的にヒットしたことがある。

同僚から体臭消しと安全確保のために薦められ、実際に使用してみたが、確かに布団から学園内でよく接する香りが漂い出し、驚いた覚えがある。

 

まぁ、そんな香りを漂わせて出勤したところ、ルナが匂いと見た目のギャップにか「解せぬ…」とばかりに猫がフレーメン反応でも起こしたような顔をしてやたらと顔を近づけて来たため、封印と称して洗面所の棚に仕舞い込んでいる。

ルナがそういう反応をしたということは、つまり私の体臭自体は見事に消し去られていたのだとは思うが、今となっては別のウマ娘に匂いを付けられたと勘違いされる恐れがある。

封印を解除する日は来ないだろう。

 

 

 

なお、流石にそのまま返すのも躊躇われたルドルフのジャージは現在、脱衣所に置いた洗濯機の中でぐるぐると踊っている。

洗剤はいつもの倍ほどを投入した。

 

念には念を。

見えている地雷は踏まない。

ここの所何故か立て続けにトラブルに見舞われているので、自分の力が及ぶ範囲で徹底して行いたいところである。

消臭、ヨシ。

 

 

 

シャワールームから出ると、端末がメッセージの着信を伝えるランプを光らせて待ち構えていた。

『鎮圧完了』と、端的に記されたメッセージに、画像が添付されている。

画像データを開いてみれば、簀巻きにされたゴールドシップとアグネスタキオンが実に無念そうに耳を萎らせて並んでいた。

その上に何故かメジロマックイーンまで乗せられており、まるで米俵が積まれているような光景だった。

メジロマックイーンは被害者だったような気もするのだが、授業を放り出してゴールドシップを差そうとしていたことは事実なので、いまいち擁護する気になれない。

 

なお、アグネスタキオンが若干黄緑色に光っているように見えるのは気のせいではないだろう。

もしかすると、薬物投与によるドーピングでの対抗を図ったのかもしれない。

 

流石にメッセージでだけ「お疲れ様」と返信するのも不誠実だろうと思い、ルドルフの端末に通話をかけると、1コールしきらないうちに繋がった。

 

「助けてくれてありがとう、お疲れ様」

 

『ああ、ありがとう。そちらは無事に寮に戻れたようだな』

 

どうやら一頻り暴れてすっきりしたのか、口調が普段のそれに戻っている。

ここ数日は碌にトレーニングも出来ていなかったので、余計にフラストレーションを貯めてしまっていたのかもしれない。

 

「お陰様で」

 

当然のことながら、あの栗毛のウマ娘を拾って逃げたことについては触れない。

 

あれが非常に微妙な判断であることは自覚している。

 

もうルドルフには執着されきっていることは身をもって体感している。

いくら気絶しているとはいえ、他のウマ娘を私が抱きかかえて運ぶというのは、理性として理解を示したとしても、感情はそうは行かないだろう。

現に、あれだけ仲の良かった筈のトウカイテイオーとすら、あの酷い顔合わせとなったほどだ。

 

『君をそんな恰好で出歩かせたくはなかった。もしまた余計な事故に巻き込まれたらと思うとな…』

 

異様に沈んだトーンの、ルドルフの声。

一体どれほど信頼がないのだろうか、私は。

ほんの10分15分で帰れる距離を一人で帰すだけでもここまで心配されてしまうとは。

我が事ながら何をやっているのだろうか。

 

「流石にそんな高頻度で事故に巻き込まれてたまるものか」

 

だから。

事故に巻き込まれたくないから、気絶して転がっているウマ娘を見捨てるのか、と問われれば、それには否と応えなくてはならない。

『全てのウマ娘の幸福』を理想に掲げる彼女が、あのような危険地帯で事故に巻き込まれ、無防備に気絶していたウマ娘を放置することを是とする筈がないのだから。

 

個人的な思いとしては、可能な限りあまり多くのウマ娘に深入りはしたくない。

懐かれるのに悪い気はしないが、それ以上に被害が膨らみすぎる。

だが、見てしまった以上、気付いてしまった以上、見ぬふりをすることは、許されない。

 

 

 

私の信念と、彼女の信念がそれを許さない。

 

 

 

だから私は黙っている。

私が勝手にやったことであって、いちいちその全てを共有する義務はない。

 

『そうは言うが、君は本当に危なっかしいところがあるから、十分に気を付けてくれ』

 

聡い彼女の事だから、私程度の隠し事など感づいてはいるだろう。

その上で何も言わないという事は、これでいいのだろう。

 

まだ未成年ではあるが、彼女の精神性は大人のそれに程近いものがある。

自身の中で折り合いを付け、清濁併せ呑むだけの度量を持ち、使い分けができている。

 

だが、彼女が折り合いを欠くような事柄、彼女の手だけでは届かない事柄。

そういった、彼女の手から零れ落ちていくものが、どうしても出てきてしまう。

 

そんなことは、他ならぬ彼女自身が、数多の夢を自らの手で、脚で打ち砕いてきた彼女自身が、一番良く知っている。

夢を叶えるために、他人の夢を砕いてしまうというジレンマ。

 

諦めを付けなければならない。

折り合いを付けなければならない。

だが、力を付けるために、夢を実現し幸福を齎すために走る彼女が。

いくら大人であろうとしたところで、心の問題を片付けることなんてできやしない。

 

走るウマ娘たち全ての夢を叶えてやることは、できない。

だけど、夢に挑戦するための手助けぐらいは、私にもできる。

ほんのわずかな力でも、背中を押してやるぐらいはできるのだ。

 

彼女の器から零れ落ちそうな分ぐらいは、できるだけ私が受け持つ。

 

それが私の、トレーナーとしての矜持。皇帝の杖としての役割。

ウマ娘の夢を支える者として、かくあれかしと己に課した決まり事だ。

 

…そんなお題目を掲げているくせに、新たな担当を受け持つことに消極的になってしまうあたりは、実に私らしい器の小ささだと思うが。

 

だからこそ、私は黙って勝手にやる。

ばれているのかもしれないが、これからもそうするのだろう。

口にすれば酷い目に遭うので、それを公言するほどの度胸もないというのが、案外真実かもしれないが。

 

「ひとまずそちらも無事なようで良かった。この後は執務室を片付けに…」

 

『駄目だ。君の執務室は私とブライアンで片付けておく。…今日ぐらいは寮で大人しくしていてくれ。午前の講義が終わったら迎えに行くよ』

 

恐らくゴールドシップと怒り狂ったメジロマックイーンが乗り込んできた時点で、私の執務環境は酷い有り様になっているものと思われる。

幸いにして、ラップトップは既に大破しており、必要な書類もすべて鞄の中に詰め込んで出てきているので、部屋が荒れていたとしても居心地が悪い程度で済むだろう。

従って、ひとまずは部屋の片づけを、と思ったのだが、ルドルフによる制止が掛かった。

 

「過保護だな…」

 

客観的な事実を指摘されているだけではあるので、あまり抵抗するつもりはない。

とはいえ、いくらウマ娘とはいえ、年下の少女に保護されるというのもなんとも情けない話である。

あの救援要請の時点で、もはや大人の威厳などあったものではないが。

 

『わかったね、トレーナー君?』

 

いつもより多少強い口調でルドルフが念を押してくる。

こういう時に彼女の要望を無視して行動すると、大抵のケースにおいて何故か更なる災難に見舞われ、そして私はただの被害者にも拘らず説教がはじまるのである。

情けない話ではあるが、こういう時は素直に首を縦に振るに限る。

 

「…了解」

 

『よろしい。ではまた後程』

 

 

 

 

 

 

 

通話が切れる瞬間、過保護は一体どちらなのだか、とため息を吐かれた気がした。

 


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