トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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鳥語花香

 

 

 

 

 

「はっ…はっ…」

 

荒い呼吸。

火照った肌。

 

上気した頬は恥じるようにその色を染め、滴る汗はその細い首を通って胸元を滑り落ちていく。

 

美しい、と素直に思った。

 

 

 

「はー…はー…終わったよ、トレーナー!」

 

指示した回数、ターフを周回したトウカイテイオーが小走りにこちらに駆け寄ってくる。

その姿は実に健康的で、運動をするもの独特の美しさを纏っていた。

 

今日のトレーニングは、とにかく種類が多い。

というのも、とにかく現状のトウカイテイオーの状態を確認しなければトレーニングメニューを作ることができないからだ。

筋力系から心肺機能、ターフを掛ける様子、ラップタイムまで細かく計測していき、丁度最後の一週を終えたところだった。

 

「お疲れ様。これで一通り見せてもらったかな」

 

何故か近くに寄ってきて、周囲をウロウロとし始めるテイオーを他所に、計測したラップタイムと所感を手元のファイルに書き込んでいく。

 

「…ふむ」

 

他のトレーニングで与えた負荷や計測器を用いて集めたデータを、シートに叩き込んでいく。

そして、基準値からの乖離をざっとではあるが、評価基準に則って割り振っていき、最終的な数値として算出していく。

本来であればラップトップに入れてある簡易計算機ですんなり弾き出せる値ではあるのだが、残念なことに今朝方粉砕されてしまったので、致し方なく紙の上でガリガリと計算していく。

 

ベースとする評価基準は、トレセン学園の入学試験時のデータ数年分を均したものを使っている。

基本的には在校生全員分の入試結果の平均値を使う為、どの程度平均から乖離しているかは分かり易い。

本当ならばG1ウマ娘全員の計測データを取りたいところではあるが、残念ながらそこまでやると目をつけられてしまう。当然ながら、敵となるトレーナーにはなるべく情報を与えたくないのだから。

 

これを毎年入れ替えながら、現在の数字がどの程度であるのかを把握し、レースに必要な重要項目として統合して最終値を確定させていく。

 

こんなものに何の意味があるのかと思われることも多い。

だが、こんなものでも分かることはある。

入試時のデータ平均から、同じく担当の入試時のデータを相対的に評価しておけば、そこから担当トレーナーがつくまでの期間でどの程度伸びたかが判断できる。

教官による育成は「満遍なく」行われるため、現在時点と過去のデータを簡単に比較できるようにしておけば、どの項目で顕著な伸び率になっているかが分かる。

すると、伸び率の高い部分に関してはトレーニング効率が高いものと仮定でき、トレーニング方針に組み込みやすくなるのだ。

そして全距離を走らせた際の動きなどからある程度の適性を割り出していくと、大まかな能力値がまとめられる。

私の場合はこうして数字という分かりやすいものを使って可視化しなければならないが、チームスピカのトレーナーなどはトモを見てちょっと撫で回せば大体のことがわかるというから異常である。

これだから人外のトレーナーは困るのだ。

凡人たる私にも分けて欲しい能力だが、一方それを駆使しようとするとウマ娘がびっくりして蹴りを入れてくるので死にかねない。

あのトレーナーにしか出来ない真似だとは思うが。

 

書き上がった表とまじまじと睨めっこをおこなっていると、私の肩にさらりと絹糸のような髪が掛かる。

暗いブラウンの鹿毛。

ルドルフの長い髪だった。

 

ひょいと肩越しに覗き込むようにして顔を寄せた彼女の横顔はいつになく真剣で、思わずどきりとしてしまいそうになる。

毎度のことながら心臓に悪い。

ふわりと品の良い花の香りがする。

 

ーーーそういえば、以前、有馬記念の優勝記念に香水を贈ったのだったか。

 

あまり飾らない彼女ではあるが、飾らないながらも身だしなみには手を抜かないところがある。

ウマ娘の鼻は良すぎるため、基本的に人間がつけるような香水は苦手とされやすい。

そのため、わざわざ専門店まで足を運び、ああでもないこうでもないと店員と騒ぎ、吟味を重ねて贈ったそれを付けていてくれたことに少し嬉しくなる。

ウマ娘向けに作られており、かなり匂いが薄いため、ここまで接近してようやく気づける程度ではあるが。

 

「…?」

 

ふと、横顔を凝視していたことに気が付いたらしいルドルフがこちらに視線を向けた。

 

反射的に、視線をシートへと逸らす。

彼女も特に追求はしてこなかった。

 

ルナはこういう時、大抵は私のやることを邪魔せずに見ている。

昔は膝の上によじ登ってきて一緒に見ていたし、今はこうして肩越しに覗き込んでくる。

 

対するテイオーは、どちらかと言えばコミュニケーションを取りたがる節があるというか、プライドの高さと人懐こさが前面に出ている節がある。

 

担当ウマ娘、という括りではあるが、気質から何から何まで、当然ながら全く違う生き物として見なければならない。

さて、集中しなければ。

 

 

 

…中距離の適性が頭一つ抜けている。

長距離も走れるだろうが、主戦場は中距離…クラシック路線向きだろう。

能力の伸び率は最高速度と体力の伸びが比較的良好だ。これなら菊花賞の3000メートルも射程圏内。

脚質は先行か、或いは差しか。

とはいえ、総合して考えると先行向きだろう。

 

スパートに入る際の足運びに独特なものがあるが、以前見た際よりも無茶な使い方はしていないようだ。

 

「ねえねえ、ボクの走りどうだった〜?見惚れちゃった?ねぇねぇ」

 

ちょろちょろ、と私の周囲をうろうろしてくる。

 

「こら、トレーナー君が困るだろう」

 

私の隣でファイルを覗き込んでいたルドルフが、ひょい、と首根っこを摘んでテイオーをぶら下げた。

 

「わ、カイチョーなにするのー」

 

「あれは集中しているときの顔だ。私もあの顔をしているときに話しかけたこともあるが、まず反応はしない。今はしばらく待ってやれ」

 

助かる。

 

特筆すべきなのは、やはり繋の柔らかさからくるステップの取り方だろうか。

ストライドは広く、振り上げる足はかなり高い。

跳ねるような独特の走行フォームはこの辺りが原因か。

 

成程。

だから故障したのか。

 

ウマ娘は人間のそれと酷似した骨格をしており、体格もほぼ同じ。

とは言え、人間が2000メートルをあの速度で走ろうものなら、完走する前に、負荷によって脚は粉砕される。

ウマ娘の骨は、人間よりも特別丈夫にできているからこそ耐えられている。

特に衝撃に対する強度は高いのだが、いくら頑丈とは言え、耐久性を上回る力が掛かったり、弱い方向に衝撃やトルクが加われば折れることもある。

そして今回の骨折のカルテを確認した限りでは、後者だ。

 

繋が異常に柔らかいため、負荷を受け止めるべきところからズレて力が加わったものらしい。

これはある種、柔らかさを武器にする以上は避けて通れない問題だろう。

下手な指導を打てば、強みを打ち消すだけに終わり、そのまま不調に繋がりかねない。

相当に難しい指導となりそうだ。

 

「一通りは把握できたと思う」

 

シートから顔を上げると、目の前には膨れ面のテイオー。

 

「…どうした?」

 

「なんか…なんか恥ずかしいんだけど」

 

そう言われても困る。

確かに、パーソナルデータとして身長や体重まで事細かに把握することになるし、ファイルには走行時や平時の脚の写真なども留めている。

言われてみれば年頃の少女には少々酷な仕打ちなのかもしれない。

とは言っても、こちらもこちらでトレーナー業というのは立派な仕事である。

医師が患者の身体の情報を把握するようなものだとは思うが、それでもテイオーはご立腹らしい。

 

「そう言ってやるな」

 

「そう言えばルドルフは嫌がったことなかったね」

 

「私は君に見せて恥ずかしい身体はしていないからな」

 

ふふん、と鼻息も荒く、自信たっぷりに腕を組むルドルフ。

確かに見られて恥ずかしいプロポーションはしていないだろうが、そういう話でもないはずなのだが。

 

「ちょっとカイチョー、それは聞き捨てならないんだけど!?」

 

「落ち着いて。ほとんどデータだけだし、必要以上に見ることもないから安心して」

 

「それはそれでなんかモヤモヤするよ!?」

 

私に一体どうしろというのだろうか。

とはいえ、どのみちトレーナーの不文律として仕事の時以外はウマ娘のデータは見ないし、そこに何かよからぬことを考えるのはご法度である。

 

時折、繊細な体の問題までケアしなければならなくなる事態が発生することもあり、ずいぶん頭を痛めたものだ。

ルドルフの時は特に勝手がわからないこともあり、右往左往する羽目になった記憶が鮮明に頭に焼き付いている。

 

「方針は固まったかい?」

 

なにやら引っ付いて遺憾の意を表明しているテイオーを抑えつつ、ルドルフが問う。

 

「何とかね」

 

「これから本格的なトレーニングかあ、何したらいいの!?」

 

嬉しそうに耳と尻尾をぴこぴこと揺らすテイオー。

人懐こい、を体現したかのような彼女はルナとはまた違う可愛らしさだが、残念なお知らせを告げることになる。

 

「残念ながら、テイオーは今日はこれで終わりだよ」

 

「ええー…」

 

「リハビリ明けということもあるけれど、初日はストレスが掛かりやすいから。今日はクールダウンしたら上がりね。クールダウンのメニューはこれ」

 

「そんなぁ。じゃあカイチョーは?」

 

「ルドルフはこれから本番」

 

「むー…ボクももっとトレーニングしたい」

 

「安心しなよ。明日から本格的に始めるから、足りないなんてことは起きないはずだよ。今日は帰ったらゆっくりお風呂で温まって、ストレッチして早めに休むこと」

 

「うう…わかったよぉ。今日はこれで引き下がってあげよう」

 

「どこ目線なの?」

 

「もちろん、()()目線に決まってるじゃん」

 

ふふん、と胸を張り、こちらにピースサインを突きつけてくるテイオーに、苦笑を返す私だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルドルフ」

 

テイオーが帰った後。

日もすっかり落ち、時間はすでに18時を回った頃。

ターフを走らせていたルドルフが帰ってきたタイミングで声をかける。

 

「タイムは?」

 

声をかけられたルドルフが、ゆっくりとしたペースでこちらへ戻ってくる。

 

「1分58.8秒。はい、タオル」

 

「ありがとう。しかし…」

 

タオルを渡すと、滴る汗を拭い始める。

だが、その表情は優れない。

 

「今日はだいぶペースが早いね。刺激された?」

 

「恥ずかしながら、そのようだな。どうにも気が急いてしまってね」

 

トレーニングはただ早く走ればいいというものでもない。

実際のレース展開を想定し、1ハロンごとにペースを考えながら走らせるのもトレーニングのうちだ。

ルドルフの脚質は先行・差し。

尖った能力は持たないものの、レース運びが圧倒的に巧みな彼女は、基本的には先行策をハイレベルで実行できる。

先行策というのは、存外難しい部類だ。

展開などにもさほど左右されない、つまり一定の位置につけれるスタート上手があればそれなりにできる反面、前に他のウマ娘がいなければ掛かってしまったり、後続の進路を邪魔してしまうことにもなりかねない。

そして、逃げウマ娘に近いほど出足の速さと確実性が求められる。

 

一瞬の切れ味ではなく、高い能力をきっちり運用する、確実さこそが最も重要となる戦法。

これを確実にこなし、持ち前のレース能力で相手を捩じ伏せることこそシンボリルドルフの真骨頂。

 

故に、番狂わせが少ない、所謂『退屈なレース』になるのだ。

だからこそ、こうしてメンタル面でペースを崩すのは珍しいことだった。

 

「私も負けたくない相手くらいいるさ」

 

一通り汗を拭い、スッキリした顔でルドルフが言う。

 

「負けず嫌いがよく言うよ」

 

「とは言っても、こうして自分を追うウマ娘が出てくると言うのは初めての経験でな」

 

「どう言うこと?」

 

これまでも、今ですらシンボリルドルフを追い越そうと必死なウマ娘はそれこそ大量に存在している。

一つ上だが、同じ三冠ウマ娘であるミスターシービーや、対抗心剥き出しのカツラギエースなど、彼女を追いかけるものは枚挙に隙がないほど。

 

「ふふ、意外と君自身にはわからないのかもしれないな」

 

くすり、と意味ありげに笑われる。

私が担当するウマ娘、と言うことでテイオーに何かしらの対抗心を抱いている、と言うことだろうか。

確かに、ルドルフとのこれまでで得た教訓がフィードバックされれば、初めから高効率でのトレーニングは実施できるとは思うが、まだまだ特別意識するほどの相手にはなり得ない。

今まで付きっきりだったものが少し離れることから来る、精神的なものだろう。

 

「ともあれ、すぐに落ち着いてみせるさ」

 

「そこは信用しているから、あまり心配してないよ」

 

「知っているとも」

 

戯けたように言うルドルフと、思わず顔を見合わせて笑う。

 

「さて、それでは今日はクールダウンをしてそのまま上がるとするよ」

 

「分かった。私も寮に帰るよ」

 

「ああ、それじゃあーーー」

 

 

 

 

そういえば、伝え忘れていた。

 

「その香り、よく似合っているよ」

 

付けてくれていて、ありがとうと思いを込めて。

 

突然言われたルドルフは、びっくりした顔で固まった。

 

「…っ!君は、本当に…」

 

そして、ゆっくりと表情を崩した

 

「ああ、君の選んでくれた香水なのだから、私に似合わないはずがないだろう?」

 

少し頬を染めたルドルフは、嬉しそうに笑った。

こうして素直に嬉しそうな顔を見るのも、なんだかずいぶん久しぶりのことのように感じる。

 

上品なアイリスの香り。

皐月賞を勝った記念に贈ったそれは、青いボトルに詰められた「吉報」。

受け取った時のルナの顔と、今のルドルフが重なって見えた。

あぁ、あの頃からそれだけは変わらないのだな。

 

 

 

 

『信念』の花言葉は、彼女にこそ相応しい。

 

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