トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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一話ぶりに出てきて恐ろしい勢いで加湿してきます。
彼女の脚質には合っているようです。



笑面夜叉

 

 

 

 

「辞令!新年度より追加で担当ウマ娘を2人持つこと!」

 

 

 

幼いがひどく威勢の良い声で告げられたのは、地獄への片道切符が発行されたという話だった。

 

ぼんやりとスムーズに進んでいく辞令交付式を眺めていたところを、何の前触れもなく突然壇上に呼び出され、わたわたと転がるように前へ出てみれば。

あの小さな理事長直々に言い渡されたのが先ほどの不意打ちの辞令交付であった。

周囲に控える同僚たちがざわつくのも無理はない。

 

まだ早いのでは。

いくらシンボリルドルフのトレーナーだからといってそれはあまりにも…。

 

等々。全体的に肯定的な反応ではない。

当然だろう。いくら偶然シンボリルドルフのトレーナーに収まり、うっかりとんでもない成果を(ルドルフが)挙げてしまったとはいえ、私自身はまだまだ新人の域を出ない。

ベテラントレーナーたちを中心として、やはりというかなんというか、否定的な反応が示された。

 

…若いトレーナーの芽を潰してはならない、という意味での反応だったが。

 

ベテラン、と言われるトレーナーの大半が、深入りさせない、適切な距離感をキープするという技術を徹底的に身に着けた猛者である時点で何か切実なものを察してほしい。

 

これはまずい。

不味いというレベルの騒ぎではない。

命に関わる事態である。

 

思わず周囲に視線を巡らせる。

 

通常であれば、新年度の理事長の話などを聞くために大体隅に生徒会役員が座っている筈なのだが、31日の攻防戦の結果か、彼女たちは今日は居ない。

そりゃあ、あんな深夜まで巡回を行い、恐らくではあるが騎動隊の皆さんと共に脱走或いは特攻してきた、覚悟の決まったウマ娘とドンパチやっていたはずなので、いくらルドルフやエアグルーヴと言えども疲弊して眠りについている筈だ。

数時間から1日以内という短期間ではあるが寿命が延びたことを認識する。

 

「秋川理事長。シンボリルドルフの実績を買っていただけたことは大変に光栄ではありますが、私にはまだ複数のウマ娘を指導するだけの力量が」

 

「無用!」

 

食い気味に理事長がいつもの調子で声を上げる。

その手には、「心配無用」と記された扇子が。

相変わらずどのタイミングで持ち替えているのだろうか、それは。

いや、その前にこの扇子が用意されているということは反応を予測していたのだろう。

 

「気持ちは分かるが、君の実績を、その情熱を私は買っている!」

 

やばい。話を聞く気がない。

こうして辞令として用意されているという事はほとんど覆しようのない状態まで持って行かれてしまっているという事ではあるのだろう。間違いなく理事会での決議を通している。

しかし私はまだ死にたくない。

 

「担当ウマ娘に頂点を獲らせる!そのために公私を問わず寄り添い、励ますその姿勢!」

 

「理事長、あの」

 

「『皇帝』を育て上げたその手腕!一人でも多くのウマ娘の未来のため、大いに役立ててほしい!」

 

あ、だめですねこれは。

秘書の駿川さんが辞令を載せて舞台袖から持ってきたトレイを胸の前で抱え、残念そうにそっと首を振っている。

これはもうどうしようもないやつですね。

 

「期待!君ならばやってのけると私は信じている!」

 

台に乗っていても相変わらず小さい秋川理事長。

しかし、子供のように小柄な理事長の瞳が、爛々とした光を湛えて下から突き上げるように迫ってくるのは、どうにも心臓に悪い。

まるで、最終直線に入った瞬間にウマ娘が見せるような、本気の瞳だ。

何もかもを捻じ伏せるような、そんな瞳。

 

こういうのはズルくないか、と思うも、私は勢いに押されるように「…拝命します」と、項垂れるようにして辞令を拝受したのだった。

拝命と同時に、にゃあと理事長の頭の上に常駐している猫が鳴いた。

 

こうして、私という犠牲者を出しながらも辞令交付の儀という略式裁判は恙なく閉会した。

 

 

 

 

 

「どうすればいいんですか…」

 

ビールの注がれたグラスを呷り、テーブルへ叩きつけて今すぐここから逃げ出したくなる気持ちを必死にこらえながら声を絞り出す。

時は進んで16時。年末の仕事納めと同じく、仕事を途中で終え、本来であればウマ娘たちが使用するカフェテリアでトレセン学園の職員たちが「今日ばかりは」と恥も外聞もなくアルコールを煽り、懇親会を行っていた。

 

アルコールを振る舞う席にやんちゃなウマ娘が潜り込むことを防ぐために、徹底した防諜と警備体制が敷かれ、本日のためだけに徹底した防音措置まで取られ、ウマ娘の聴力ですら酔っぱらいの大声が聞こえないように念入りに隔離した末に実現する、年に一度の無礼講が許される懇親会である。

 

入学式の前には別途入社式が執り行われるが、歓迎会はここまで厳重な警備とはならず、それぞれのセクションごとに新入社員を歓迎する小規模なものとなるのがトレセン学園の常である。

ひとまとめにやってしまえば良いじゃないかと思われることも多いこの催しだが、ウマ娘に真っ向から接した経験の少ない新人がこんな光景を見ればがっかりしてしまいかねないため、基本的に分離開催となっている。

なお、盗聴の惧れがあるため、支給されているスマートフォンは「新年度用にアプリケーションのアップデートと端末のメンテを行う」という名目で一旦没収の措置が取られる念の入れようだ。こういう対応がとられている、ということは過去にやらかしたウマ娘がいるということである。

私がぶつくさと不満というか、遺言を生産していると、普段あまり動かずに淡々とグラスを傾けている黒沼トレーナーが音もなく隣の席に腰かけた。

とても心臓に悪い。

 

「まだ早いと進言したんだが」

 

サングラスを掛けた強面で普段近寄りたくないオーラを放っている黒沼トレーナーがそんな事を言いながら、グラスにビールを注いでくれる。

その見た目と声、そして淡々として表情の変わらない姿と声のトーン。スパルタも平然と課していく鬼トレーナーという出で立ちではあるが、それは彼なりのウマ娘との付き合い方であった。

初年度は「おい」と背後から声を掛けられた折、思わず財布を差し出してしまいそうになったが、始めてこの懇親会に参加した折に親身になって相談に乗ってくれる、面倒見のいい兄貴分である。

なるほど、こういう姿勢を徹底できるからこそ「ベテラン」なのかと感動すら覚えたほどだった。

 

その時には既にルドルフにがっつりと捕獲されており、ウマ娘界の深淵がちらほら見え始めていたので手遅れ感は凄まじかったが。

 

「黒沼さん…」

 

「決まったことは仕方がない。まだ荷が重いだろうが、お前がやるしかない」

 

「おおう…」

 

「深入りを許すな。お前にはシンボリルドルフが居る。あれを上手く壁にしろ」

 

「ルドルフを?」

 

「一度執着された奴を抱えたまま新入りの指導ってのは、導火線に火のついた爆弾でお手玉をやるようなもんだ」

 

淡々と絶望的な話を告げる黒沼トレーナー。

しかし、「だが」と言葉を区切る。

 

「火のついた導火線はそうそう消えねえが、新しく火を付けさせるよりはマシだ」

 

お腹にぐるりと筒のような何かを巻いて、更に導火線に平気で火を付けそうな顔で黒沼トレーナーは言う。

 

「執着心を利用して距離を保つ、ということですか?」

 

「そうだ。だが間違えるな。俺達と違いあいつらにとっては一度限りのトゥインクルシリーズだ。その腕で上手くやって見せろ」

 

鉄面皮にはまるで変化はないが、少しだけ黒沼トレーナーが笑ったような雰囲気があった。

本当、強面なのに根は良い人だ。

 

 

 

 

 

 

「飲みすぎた…」

 

懇親会も解散となり、それぞれ寮に戻ったり、担当ウマ娘の様子を見に行くなどして散り散りになる。

 

いつの間にか霧雨はどこかへ行ったのか、大粒の雨がざあざあと降り落ちている。

酔って身体が温かいのに、雨で冷えるのは嫌だなと思わなくもないが、どのみち帰ってシャワーを浴びて眠るだけだ。

時間的にも、というかアルコールを摂取した酒臭い存在と化してしまっているため、学園棟の中で雨宿りをするわけにもいかない。

今日は仕事を免除されている、というか、あまり酔った状態で未成年であるところのウマ娘達の前に出たいとも思えないので、さっさと寮に帰って泥のように眠ろうと決意する。

 

と、その前に。

念の為に携帯を取り出して確認するも、今日はルドルフからの連絡がひとつも来ていない。

私のいない所でトレーニングを行う場合、念のために事前に場所だけでも連絡を入れるようになっている。

彼女はしっかりしているが、いざトレーニングに入れば普段生徒会活動などに時間を割いてしまっている分を取り返そうという意識が働く。

結果として、オーバーワークを誘発しやすいと言う短所があった。

気持ちはよく分かるが、オーバーワークを繰り返した所で伸びるものも伸びなくなる。

 

オーバーワークによる疲労を溜め込んでむしろトレーニング効果を落とし、さらに状態が悪いが為にレースも振るわず、さらに遮二無二トレーニングに励む…という最悪の事態を招く。

そして最後には故障する。

しばしばトレーナーがついていない、或いはトレーナーの指導に不信を感じた者が陥りやすい悪循環。

 

口を酸っぱくして言ってきたからか、今では無茶なトレーニングはやらなくなったものの、トレーニングの報告自体は習慣として続いている。

 

彼女がそれを怠るという事は考えづらいため、今日はゆっくりと身体を休めているのだろうと判断。

こちらから連絡をして、眠っているところを起こしてしまうのも忍びないし、そもそも今日はオフだ。

 

携帯端末もメンテナンスという名の初期化が行われ、業務上必要のないアプリケーション(所在地把握アプリなど)については一掃され、綺麗な姿になって帰ってきているので、今日は安心して眠ることができそうだ。

 

…まぁ、一週間も経過しないうちにまた監視アプリが知らないうちに入っているのだろうが。メンテナンスしてくれる総務の職員が最近ウマ娘に流行りの監視アプリの見つけ方や止め方を教えてくれるが、来週にはそのトレンドもまた変化するのだろう。

 

トレーナーが集団蜂起などすれば人権問題になりかねない話ではあるのだが、一方で「物理的に監視されたり監禁されるよりマシ」と開き直った空気がトレーナー業界には蔓延しているため、今更そんな騒ぎにはならないだろうという事で皆、濁った目をして諦めている。

正しく業界の闇である。

 

幸いにして、ウマ娘たちはみな眉目秀麗であり、差はあれど「可愛らしい」「美人」という評価で一定している。

顔が良いというのは得であり、武器である。

何せ、実情を何も知らない一般の男性諸氏からすれば「あんな美人に言い寄られてるのに嫌だと?」という論調になりがちだ。

私も最初は先輩に「深入りするな」と諭された際、そう思っていた。

 

 

片手で傘を。片手で端末を操作しながら歩く。

学内のトレーナー用イントラなどの確認と並行してトレーニングによく使うアプリケーションをネットワーク上のバックアップから一つずつ呼び戻していく。

なお、ここで手間を惜しんで一括復元すると余計なアプリケーションまで全部復元され、総務スタッフの努力が無に帰すので注意が必要である。

 

ざあざあと雨が降りしきる。

しっかり整備された石畳といえど、周辺が自然だらけで、かつこれだけの豪雨では、排水も追いつかずに浸水してしまう。

 

もはや小川のようになってしまった寮への道を、できるだけ浅い場所を選んでざぶざぶと音を立てて歩く。

足の指先はすっかり冷え、アルコールによって齎されていた熱があっという間に奪われていく。

 

そう言えば、彼女と出会ったのもこんな雨が降っていた日だったか。

あれから紆余曲折あったものだ、と懐かしい気持ちになる。

 

まだ中等部に上がったばかりの幼いルナを担当に持てた、というか逆スカウトされたときはこの世の春だと思ったし、いわゆる源氏計画のような邪な感情を持つことがなかったと言えば嘘になる。

当時のルナは幼いながらも可愛らしさと美しさが同居した顔立ちをしていたし、そんな美少女がちょこちょこと寄ってきてはトレーナーさんトレーナーさんと纏わりついてくるのは、まるで妹でもできたかのようだった。

 

成長していくにつれ美しくなっていく彼女は、呼び方を「トレーナー君」にいつしか改め、公の場で「ルナ」と呼ばせることはなくなった。

それに伴い、妹のような扱いから変化を重ね、今の信頼関係がある。

 

…まあ。

隙あらば監禁したり仕舞い込もうとしたりする、女性と話していると目が濁っていく、と言ったように、レースとあまり関係のない私生活面での気性難が多い点はいただけない。

これで適度な距離感であればコロっとやられていてもおかしくはないのだが。

 

…。

 

思い返せば、私の頭の中はずっと彼女の事ばかりだ。

新たに担当を最低二人は持てと辞令が出て、それを受け取りはした。

だが、新入生のプロファイルを見ようと言う気もまだ起きない。

 

明日からはまたトレーニングの日々が始まる。

どんなトレーニングがいいか。明日の彼女の調子はどうだろうか。

疲れているからと休息を取らせたら、むしろ寝不足になって出てくることもある。

あの皇帝が駄洒落を考えていたら夜が明けていた、などと誰にも言えないじゃないか、なんて笑い飛ばした事もあった。

 

 

 

…できるだろうか。私に。

 

 

 

今の彼女への指導水準を保ったまま、他のウマ娘を「見る」ことが出来るだろうか。

同時に、均等に。

向き合うことができるだろうか。

 

雨水を掻き分けるようにして歩いてきたからか、いつもより随分と時間がかかったように思う。足が泥のように重い。

寮へ入る前に一度靴を脱ぎ、水を払ってから裸足で寮へ入る。

寮の中はこんな環境にも関わらず、カーペットフロアだ。

時折トレーナーを求めて徘徊しに来るウマ娘の足音を響かせない配慮だと同僚が笑っていた。

 

本日は悪天候。トレセン学園はいつも重バ場。

思っていたトレーナーライフとは大幅に趣が違うような気しかしないが、それはそれ。

私の夢はウマ娘の夢を叶える事。彼女たちの活躍をサポートし、その才能を、熱意を、上のステージへと押し上げる手伝いをするのが使命。

 

ウマ娘がしっとりしていたところでそこに何の違いもないだろう、と嘯けたのは何年前までだったか。

 

ふかふかとした足元の感触は心地よい。

この悩みは解決しそうもない。実際にスカウトして、指導をしながら努力を重ねるほかない。

覚悟は未だ決まらないまま、自室へ戻る。

 

今日はもう、眠りたい。

自室にたどり着けば、今日はもうシャワーを浴びて眠るだけだ。

 

そのつもりだった。

 

部屋の前で、軽く腕を組んだルドルフがドアに軽く身体を預けて待機しているのを目にした私の本能が、トラブルが起きると激しく警鐘を鳴らし始めなければ。

 

 

 

こちらに気がついたルドルフはドアから背を離すと、にこやかに笑いかけて言う。

 

 

 

 

「やあ、トレーナー君。昨晩はよく眠れたかな」

 

―――いつもの柔らかな微笑がこれほど恐ろしく感じたのは、一体いつ以来の事だろうか。

 

 

 

 

 

 

 


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