「…というわけだ。理解できたかな」
「ん゛ぇ゛ぇ……」
「成程。トレーニング方針としては概ね私と似通ったところに着地しそうだな。クラシック路線は理解したが、デビュー時期はどうする?」
ぺらぺら、と付箋が貼られた資料を捲りながら、ルドルフが問うてくる。
基本的に用意した資料はこの場ですべてに目を通すことを前提としておらず、自分で理解しながら読み進めていくことを考慮した分量としている。
説明は簡潔に、要点のみを。
トレーナー同士であれば突っ込んだ話も必要になるが、ウマ娘たちにはいきなり理解しろと言って叩き込んだとしても、納得感、腹落ち感が伴わない。
だから、資料には説明した内容の補足まで含め、事細かに記載している。
故にこうも分厚くなってしまうのである。
抜粋版というか、それこそプレゼン用のスライドのようにまとめたものも最初期は用意していたものの、ルドルフからは「それを作成する時間があれば休め」と言われて以来、せいぜいが要旨をそれぞれセクションごとに纏めて記載している程度にとどまっている。
「仕上がり次第で前倒しするかもしれないけど、現状のプランでは12月の新バ戦を狙う」
「に゛ぁ゛ぁ……」
「…存外遠いな」
先ほどから、ほぼ今回の説明の中心となっているはずのテイオーは奇声を上げながら机にぺたりと貼り付いて悶えている。
一方、この手のミーティングに慣れているルドルフはいつも通り。
「骨折明けで6月のデビュー戦に間に合わせるには時間が足りない。基礎は出来ているけれど、フォームの矯正やらが必要になるから」
「仕上がる前に無理にデビューして、潰れるのを避けたい、ということか」
「その通り」
「ん゛ぉ゛ぉぉぉぉ……」
ぐったり。
と、言わんばかりに、配布した資料と机に頬を寄せるようにして突っ伏すトウカイテイオー。
一気に詰め込みすぎただろうか。
「…大丈夫?」
思わず手を伸ばし、その頭を軽く撫でると、テイオーは「にぁぁぁ…」等と言いながらさらに溶けていく。
その隣で資料に目を通していたルドルフの眉がぴくりと動いたのが見えた気がした。
「トレーナー君。
「あー…多少普段より分かりやすさを意識してはみたんだけど…」
「うぅ…難しかったよ…カイチョーもトレーナーも、いっつもこんな話してたの…?」
むくり、と身を起こしたテイオーが、大量に付箋を貼った資料を捲っては眉間に皺を寄せる。
「…我々のミーティングのあり方も見直しが必要になりそうだな」
ルドルフは苦笑しつつ、言葉を続けた。
「基本的に今この場で押さえておくべきことは、トレーナー君の説明で強調されたことだけだ。例えば、どのレースを目標に据える、だとか、な」
「えぇ?じゃあこの…トレーナーの頭に振り下ろしたら病院送りにできそうな資料の束は?」
ふりふり、と可愛らしく資料を振って見せるが、そもそも仮にこれがプラスチックのバインダー1枚だったとしても、ウマ娘の力で私の頭に振り下ろせば簡単に救急車か霊柩車に乗る羽目になると思われるので、是非やめて頂きたい。
さて、どう説明すれば脳天へ紙束を振り下ろされずに済むかと考えていると、ルドルフが口を開いた。
「有り体に言えば、参考書のようなものだな。授業の流れと一緒さ。先生がポイントを押さえた説明をして、分からないところなどは参考書なりで理解を深めるだろう?」
「あぁー」
納得のいく喩えだったのか、テイオーはふんふんと頷いて話を聞いている。
「たとえばこの辺り。走行時の姿勢やスパート加速時の癖なんかが写真で示されている。説明ではこう言った細かい資料まで示しているといくら時間があっても足りないから、まず概要だけ説明してくれるんだ」
説明上手、教え方が上手い人がやっていることのうち、相手がわかっているであろうものを引き合いに出し、概念や概要をイメージさせると言う工程がある。
この部分が、年齢的にも立場的にも、近い目線であるところのルドルフの口から語られた方が説得力があるなと思わず内心で拍手を送る。
「…てことは、これ全部読まないとダメってこと?」
「できればそうする方がいいんだが…」
流石に私の前でそこまで言うことは憚られたのだろう。
困った顔をしてこちらに視線を寄越してきたので、言葉を引き取る。
「基本的にはこれは自習用に近いと考えてくれればいいよ。今後、日常のトレーニングでも毎回普通に指導するから、読まなかったとしても直接的な問題は出ないよ」
「ただし、筋力トレーニングと同じでどの部分を鍛えるのか、などを意識していればより効果が高まるのと同じ、だったか」
ルドルフがきちんとこちらのいいたいことを汲み取ってくれるので助かる。
「その通り。何のためにこのトレーニングがあるのか、目的意識をきちんと理解しておかないと、いくらルドルフであろうとも、いずれだれてしまうからね」
そう、目的意識がはっきりしないまま努力をしたところで、いつか必ずだれてしまう。
何のためにトレーニングをするのか、どこを目指しているのか、そしてそれはいつまでにどこまで到達しなければならないのか。
高いモチベーションを保ち、かつトレーニング自体の効果を引き上げるには、意識面での改善も必要となってくる。
まだ中等部のテイオーがそれを課されるというのも中々に重い課題となるが、目標となる到達地点の高度が高ければ高いほど、徹底した事前準備が必要となる。
ただ装備を買い揃えた、というだけではどうにもならない世界。
彼女の到達点はクラシック三冠だが、ステップレースとして出走を計画しているレースでさえ、そこを到達点として全てを振り絞ってゲートに立つウマ娘もいる。
そこで勝ち続ける、と言うことは、天賦のそれだけでこなすのは到底不可能だ。
「うーーん…強くなりたいなら読め、ってことだね。わかった、全部読むよ!」
「よしよし、その調子だよ」
だから、今はそれでいい。
ぐしぐし、と頭を多少雑に撫でてやる。
なんだか在りし日のルナとは違う気安さのためか、比較的接しやすくはある気がする。
良い意味で肩の力が抜けているとでも言えばいいのだろうか。
…きっとこればかりは、どこかで一度失敗しないと身に付かない事だ。
トゥインクルシリーズに本格的に参加する前に手酷い挫折を経験したことは、テイオーにとって何より価値があるものとなるのだろう。
そして、この…自分で言うのも何だが、やたらと分厚くなってしまいがちな資料にも、きちんと必要性を自分なりに理解して向き合おうとする姿勢は得難いものだ。
「…ま、これで全部ではないし、都度改定を重ねていくから」
「え゛っ」
一息ついて。
テイオーからの疑問などに答えつつコーヒーを堪能していると、不意に端末が振動した。
ポケットから取り出してみれば、発信元は駿川さん。
何の要件だろうか、と考えて、不意に昨晩の事を思い出した。
脳裏を過ぎるのは、アルコールに頬を染めた駿川さんが口にしていた言葉。
『研修の顔合わせは明日ですから、午前はトレーナー室にいてくださいね』
やばい、今何時だ?
10時30分?
「…はい、もしもし」
『あ、トレーナーさん!トレーナー室にいらっしゃらないみたいですが、いまどちらに?』
「すみません、別の場所でミーティングをしていたら熱が入ってしまいまして…」
『あ、ならよかった。11時に顔合わせ出来そうなので、それまでにトレーナー室に戻っていていただけるようにお願いしますね』
「承知しました」
通話終了のアイコンをタップし、通話を終える。
危ない。
思わず熱が入ってしまい、予定をぶっちぎってしまうところだった。
「そろそろトレーナー室に場所を移そうか」
二人に向き直ると、二人は声をそろえてこう言った。
「「えーやだー」」