「結局、ホワイトボードがある方が説明がし易いかもしれないな。今後トレーナー君の部屋にも運び込んでおこうか」
「私の部屋にホワイトボード置いたって使うことないでしょ」
「さんせー!」
「ふむ。賛成多数により可決されたようだよ」
私の部屋にしがみつこうとする二人をなんとかして押し出し、トレーナー室に移動してしばらく。
ルドルフが、先ほどのミーティングにおける抑えておくべきポイントをホワイトボードに書き出しながらそんな事を言いだした。
その対面に折り畳み椅子を引きずってきて腰掛けたテイオーは、こくこくと頷きながらメモを取っている。
まるで授業のような光景の中、ぬるりと私の部屋にホワイトボードの設置が可決された。
冷蔵庫に貼ってある小さいメモ用の物をホワイトボードだと言い張り、既に設置されているので新たな設置は不要であるということにしたい。
自室にまでミーティング用の備品を持ち込みたくないと切に思う。
部屋に入り込まれること自体はもはや諦めの境地だが、仕事自体はできれば自分の部屋以外で行いたい。寛ぐためのリビングに置かれたら、気になって仕方がないのだ。
多分仕事は捗るのだろうが。
各トレーナーに割り当てられた個室は案外広い。
執務机やソファー、冷蔵庫といった家具類や、脚付きのホワイトボードなどの仕事用に使用する備品まで置いているにもかかわらず、まだまだ閑散とした印象がある。
元々、部屋の規模の割にトレーナーとウマ娘の1対1で歩んできてしまったため、本来の用途として想定されたミーティングなどにはほとんど使われることが無い。
一応、部室という物も存在しているが、それはチーム単位で与えられるため、現在2人のみ担当を受けている私には無縁の話である。
それにしても、昨日にゴールドシップと怒り狂ったメジロマックイーンに盛大に荒らされた筈だが、ものの見事に復旧されている。
生徒会の面々の尽力に頭が下がるばかりだ。
まぁ、ひっくり返せば両面使えるホワイトボードの裏に、片づけを手伝わされたと思しきナリタブライアンの泣き言というか、恨み言が小さく書かれていたが。
今度差し入れに甘い物でも持って行くから許してほしい。
領収書はメジロ家宛てにしておけば経費で落ちるだろうか。
「そう言えば何の疑問もなくこっち移動したけど、必要あったの?トレーナーの部屋でよくない?」
ふと、テイオーがそんなことを言い出した。
「生活感のあるところでミーティングとかあんまりしたくないんだよ」
自分の部屋で仕事の話をすると言うのはあまり嬉しくない事態である。
もはやお茶会半分だったとはいえ、それはそれ、これはこれ、と言うやつだ。
「しかしトレーナー君の部屋は元々生活感があまりないと思うが」
「そう言う話じゃなくてね?」
実に不思議そうな顔をしてルドルフが口を挟む。
普段からいつルドルフが入り込むかわからないお陰で、常に綺麗な状態を保つ癖がついたのは良いことなのだろうが、そんな理由でいいのか?と思わず頭上に疑問符を浮かべてしまいそうになる。
こう言う話題はのらりくらりと躱すに限る。
あまりまともに取り合うと、理詰めで防衛線を粉砕されてしまうからだ。
後々になってよく考えると理屈になっていない時も稀にあるのだが、そのプレゼン能力の高さでなんとなく納得させられてしまうことがあるのがルドルフの怖さである。
どうしても譲れない時などは、下手するとルナ帰りして泣き落としまで駆使してくる。
これが競技者でなく一般企業に就職していたら、辣腕社員になった事だろう。
相対する企業の社員という立場でなくて本当に良かった。
こんこんこん。
扉からノックの音が響く。
どうぞ、と口を開こうとして、その前にドアが開いた。
「邪魔するでー」
「邪魔するなら帰ってー」
「あいよー」
そしてドアが閉まる。
「ってなんでやねん!」
ドアが閉まってものの数秒後の出来事である。
芦毛の小柄なウマ娘が、けらけらと笑いながら勢いよくドアを開いてずかずかと入ってきた。
芦毛、と言うと私にはどうも碌な思い出がない。
つい先日も、芦毛2名に多いに頭を痛める羽目となった程である。
「まいど。お届けモンやでー」
からからと、夏の快晴を思わせるような快活な笑顔。
ちらりと見える八重歯はどこか人懐こさを助長しているような気がする。
珠のような髪飾りに、赤と青の長い鉢巻のようなリボン。
タマモクロスが、満面の笑みでやってきた。
「…む」
すかさずルドルフが反応する。
私の行動のせいでもあるのだが、あれ以来タマモクロスに何故か警戒している節があるのだった。
「届け物って、今日はどうしたの、タマモクロス?」
「相変わらずほんま他人行儀やな自分。タマちゃんでええ言うとるやんか」
「私たちそんな仲良かったかな?」
はて、と首を傾げる。
確かにあれ以来、時折話すようにはなっているが。
「何言うとん?あんなに強くウチのこと抱きしめといて」
自分を自分の腕で抱きしめるようにしてタマモクロスが頬を染めて言う。
ぱきっ、と空気が割れた気がした。
背後から、皇帝と帝王の視線が突き刺さる。
何故だろう、肌がヒリヒリしてきた気がしてならない。
「その節は本当に申し訳ない」
あれは生存が脅かされて錯乱した結果であった。
思わず真顔になり、頭を下げる。
「しゃーないなー。許したろ…って怖!いや冗談やんか。そんなおっとろしい目ぇせんでもええやろ!」
「え?」
そんな顔は流石にしていないと思って頭を上げると、タマモクロスが見ていたのは私の後ろ。
え、どんな顔してるの君たち、と振り返れば。
「仕方ない、あれは緊急事態だったからな。その節は私もすまなかった」
「ねーねーカイチョー、何の話ししてるの?」
苦笑するルドルフと、何の話か分からないもののとりあえずにこにこ笑顔のテイオー。
タマモクロスは何にそんなに怯えたのだろうか。
「…?」
「ま、ええわ。んでな、秘書の駿川はんから新人トレーナーを連れて行くようにって話で…」
「あぁ、タマモクロスが案内してるのか」
「ちょっとしたバイトやバイト。まあおもろいで。ウチの後ろをカルガモみたいにトレーナーの雛が付いてくるからな」
ふふん、と腕を組んで笑うタマモクロス。
なんだかんだと言いながら面倒見の良い彼女のことだ。バイトと言っているがほとんど「見てられへんわ」とかそんな理由で手伝っているような気がする。
「肝心の雛が見当たらないようだが?」
「おん?…ほんまや。なんやどっかに落としてきたかな」
「カルガモの雛って言うとさー、お母さんについていってるときに排水溝に落ちちゃったりするよね」
テイオーが頭の後ろで手を組んで、あっけらかんと言う。
確かに、カルガモのご家庭では時折そうした悲しい事故が起きると聞くが、いくら何でも超倍率の試験を数多突破してここにきているはずの新人トレーナーにそれはあんまりではなかろうか。
「やめたれや!…え、ほんまに排水溝?ちょお見てくるわ」
流石にそんなところにハマってはいないだろうとは思うが、不安になったらしいタマモクロスが廊下へ出て行く。
「いいか、テイオー。あんな感じで部屋を出るやつは大体次のシーンでやられる。畑の様子見てくる、とかな」
「あー、あるある。ガーデンフォークで刺されたりするよね」
「やめーや!自分意外とボケるやないか!」
ドアから出て行こうとしたタマモクロスが、勢いよく体を捻ってツッコミを放った。
流石本場仕込みである。
しかし、新人こと桐生院さんは何故部屋に入って来なかったのか、と考え、何となくわかった気がした。
そういえば、真面目そうなタイプだった。
タマモクロスの勢いに置いていかれてしまったのだろう。
そして、なんとなく入るタイミングを逸してそのままぽつんと廊下で待たされている、と。
「おい。何で入って来ぉへんの…や…」
ドアから上半身だけ出して声を掛けようとしたタマモクロスの声が尻すぼみに消えていく。
嫌な予感がしてきた。
「ちょちょちょい!自分何しと…何しとんほんまに!?」
まさか本当に排水溝にでもハマっていたとか。いや廊下にそんなものはない筈だが。
しかし、タマモクロスの使う関西系特有の軽妙な会話に、妙な焦りが含まれている。
「タマモクロス、どうし…た…」
彼女の頭の上から、私も廊下を覗き込もうと身を乗り出して、それを見た。
「あ、あの…、下ろしていただけませんか」
ちょっと焦ったような顔をして、しかし暴れていいのかも分からずに控えめな抵抗をする桐生院さんと、
それを無表情に抱き上げている、珍しい白毛のウマ娘だった。
カルガモの雛が拉致されるのは予想外だったなあ。