「トレーナーってさ」
桐生院トレーナーが登録に並んでいる間。
暇を持て余した私は、観客席の欄干に身体を預けてぼんやりと眺めていた。
一面に広がる青々とした美しいエバーグリーンは、非常に優秀なスタッフたちの懸命な努力によって保たれている。
苅込や散水といった基本的な管理はもとより、ウマ娘の脚力によって抉られてしまった部分の補修、植え替えといった対応、そしてエアレーションやウインターオーバーシードといった作業まで、スタッフだけでやってのけている。
その彼らの結晶の上で、笑顔を見せるウマ娘たちを眺めていたところ、賑わいを見せるトレーニング場を楽しそうに見渡していたトウカイテイオーがおもむろに口を開いた。
「うん?」
「見ただけでボクたちの強い弱いってわかるもんなの?」
唐突な質問に、少し面食らう。
確かにごく一部のトレーナーは見るだけだったり、少し触ればその良し悪しを判断できる。
勿論、そんなのはごく一部の凄腕と呼ばれるようなトレーナーたちに限られる。
「走りを見ればわかるけど、ただ立ってる姿を見てどうこう、とは言えないかな」
ある程度は分かるものの、それは現在時点での仕上がりがわかるかどうか、という程度。
私は別に凄腕でもなんでもないので、見て触れただけで才能を見抜くような能力の持ち合わせはない。
そもそも私は、スカウトに散々失敗しているし。
シンボリルドルフとトウカイテイオーという二人と担当契約を結ぶことができたものの、この二人は所謂逆スカウトによるものだった。
採用手法もまったく洗練されないままここまで来てしまった感がある。
まぁ、そもそもウマ娘の実力で選ぶことをしていなかったどころか、つい先日までは採用する気もなかったので致し方ないことではあるのだが。
「ふーん?じゃあなんでボクと契約してくれたの?あんまり走ってるところ見てないよね?」
確かにそれはそうだ。
トウカイテイオーが選抜レースに出ていることろは一度だけ見たが、それ以来はあまりしっかりと見ることはなかったのだから。
「…ほう?その話は私も興味があるな」
少し離れた場所で、他のウマ娘と情報交換をしていたルドルフが話の内容を聞きつけたのか戻ってくる。
興味がある、と言いながらも目が笑っていない。
「…まだ当時はルドルフしか見ていなかったし、複数契約の許可も出ていなかったから、関心を抱くことさえなかったね、確かに」
「その割には、一人目を見繕ってくるのが早くなかったかな?」
ずい、とルドルフが身体を寄せてくる。
何故私はこんな目に遭っているのだろうか。
「…いや、あの」
思わず言葉に窮し、テイオーに視線をやれば、そちらはそちらで妙にキラキラとした目で私を見上げている。
思わず、近くにいたはずのタマモクロスの姿を探すが、いつの間にかふらりとどこかへ行ってしまったのか姿が見えない。
「あはは、逃がさないよー?」
ぐいぐいと迫るルドルフに圧されるように一歩下がろうとしたところで、背後からテイオーにぽすりと抱き支えられてしまった。
前門の皇帝、後門の帝王。
私は逃げることを諦めるしかなかった。
「分かった、分かったって。…話すから、その前に何か飲み物でも買ってこようか」
この距離感で話をするというのは正直辛い。
衆目を無暗に集めてしまっており、周囲のウマ娘に悪影響を与えかねない状況。
話すことは話すが、ひとまず何とかしてこの状況からは脱したい一心で、私は飲み物の販売を行っているウマ娘を示すのだった。
「毎度あり―なの」
何故この時期にラムネしか売っていないのかはひとまず置いておくとして、5本のラムネを購入することになった。
どう考えてもお祭り感覚である。
ひとまず、ルドルフとテイオーを引き連れて観客席のベンチに腰掛けると、両隣を固めるようにして二人が座った。
示し合わせでもしていたかのように、二人して一度座ったあと、すすと肩が触れるような距離に詰めてきた。
…またしても身動きが取れなくなった。
しかしよくよく考えると、新しく担当する相手をルドルフに相談することなく決めてしまっている。
事後承諾で許可自体はもらえたから良かったものの、これで気に入らない相手を引っ張り込んでいれば大惨事だったのは間違いない。
「元々気にかけてはいたんだ。ルドルフに憧れているというのはよく聞いていたし、仲も良さそうだったからね」
それが大きな要因を占めているのは確かだ。
決め手は違ったが、嘘ではない。
「…ふむ。あれだけよく遊びに来ていれば、流石にそうもなるか」
ラムネ瓶のビー玉を、ぱこんと指で押し込みながらルドルフが呟いた。
まだ事務処理に慣れていない頃から、ルドルフの仕事を手伝いに生徒会室に入り浸ることも多々あった。
今は仕事を手伝うことはほとんどなくなったが、それでもよく顔を出しに行っており、そこでよくテイオーと出くわしていたので、知らない相手ではなかったというのは大きい。
当時のテイオーには邪魔者扱いを受けていたが。
どうやらルドルフとしてはある程度納得のいく説明だったらしい。
先ほどまで右側からかけられていた圧力が潮が引くように消えていく。
ルドルフが気に入っている相手だと思ったから、引き入れても問題ないと判断した、ということは、ルドルフに対し最大限配慮したと言うことだ。
本来は、どんなウマ娘と契約を結ぼうがそれはトレーナーの自由なのだが。
それとラムネのビー玉ってそうやって押し込むもんじゃないと思う。
「そういうことであれば」
「分かってもらえて嬉しいよ」
いや本当に。
心の底から安堵のため息をついてしまう。
「んー…?」
一方、テイオーは釈然としないものがあったのか、怪訝な表情を浮かべている。
それはそうだろう。
二人目を採用する段階になっても、あの日までは塩対応もいいところだったのだから。
精神的に追い詰められた果てに開き直り、なんやかんやでテイオーに手を引かれて踊ってそのまま契約しただのとルドルフに話せば、何が起こるのか正直わからない。
だから、嘘にならない範囲で説明するしかないのだ。
「テイオーが語った夢を支えたいと思ったから…じゃ不十分かな?」
…まあ、本当はもっといろいろとあるのだが。今は勘弁してほしい。
思わず、テイオーにアイコンタクトで「今度話すから」と必死で視線を送ると、彼女は顔を輝かせて頷いた。
「そっかー。じゃあ、今はそれで納得しておいてあげる!」
本当にきちんと伝わったのだろうか。
ルドルフでさえ時折分かり合えない時があると言うのに、まだ付き合いの浅いテイオーとこれだけで分かり合えるとは考えづらい。
だが、今この場で下手なことを言うのもそれはそれで困った事態を招く。
どうにもならず、取り敢えずラムネ瓶を普通に開封する。
ぷしゅ、と間抜けな音がして、透き通った瓶の中にビー玉が転がりきらりと陽の光を反射した。
まだ肌寒いのに、良く冷えたラムネをぐいと呷れば、しゅわしゅわと炭酸の刺激が心地よい。
「自分らほんま仲良いなあ」
ふと聞こえた声に視線を向ければ、積み重ねたたこ焼きのパックを手にしたタマモクロスが呆れたような顔をして立っていた。
「おや、おかえり。帰ったのかと思ったよ」
「帰るなら帰るで声くらい掛けるわ。…あっちでたこ焼き売っとってな」
ひょい、と空いている方の親指で彼女が示した先には、つい先日簀巻きにされて制圧された芦毛の二人組がたこ焼きを販売している姿が見える。
反省しているのだろうか、あの二人。
「吸い寄せられてしまった、と」
「せや。見て見ぬふりなんてウチにはできんかったんや…」
くっ、と首を振るタマモクロス。
関西圏の粉ものに対する熱い情熱は一体どこから来ているのだろうか。
「禁断症状、か…」
「あんま深刻そうに言わんといてや。…自分らも食うかー?」
そう言って、抱えていたたこ焼きを1パックずつ、ルドルフとテイオーに押し付けていく。
「む、ありがとう」
「気前いいねー」
なんだかんだで結構な量を食べる二人は、素直に受け取っていた。
「自分はどないする?」
「んー、私は気持ちだけ貰っておくよ」
「ほかほか。…ふあぁ…あー眠」
「寝不足はトレーニングの敵なんだけど…欠伸移りそう」
眠そうに大きく欠伸をするタマモクロス。
何故うつるのか、という点についてはまだ明確な原理は判明していないものの、現状で最も有力とされる理由は、集団で生活している動物同士が寝る時間を知らせるための合図、と言われている。
このため、比較的親しい間柄の人からはあくびが移りやすいとされている。
「あーそっち行ったで」
「いやいや…ふあぁ」
「ほれ、あーん」
「なんっ!?」「だと…!?」
「熱っ!?」
欠伸で大きく開けてしまった口に、熱いたこ焼きが放り込まれた。
「ただいま戻りましたー…って、どうされたんですか!?」
丁度戻ってきた桐生院トレーナーが困惑したような顔をしていたのが印象的だった。