トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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弓調馬服

 

「タマモクロス、君、それは流石に…」

 

程よく冷まされていたのか、口の中を火傷はしなかった。

とはいえ、いきなり熱いたこ焼きを放り込まれて思わず悶えてしまい、醜態を晒してしまったのも確かだった。

 

「すまんすまん、大口開けてんのを見たらついなあ」

 

けらけら、と。

悪戯が成功した子供のように、実に楽しそうに笑う。

思っていたよりは有情だったようで、関西人のノリで、リアクション芸のように熱湯風呂だとか、熱々おでんだとかを仕掛けてこないだけの分別はあったらしい。

 

「全く…」

 

呆れたようなため息を思わずついてしまうが、口に放り込まれたたこ焼きは、こういうところで売っている割には案外美味しかったのが若干悔しい。

 

ふと、こういう時にすぐに反応しそうな隣の皇帝陛下が妙に大人しいなと思い、そちらに目を向ければ。

 

「…」

 

無言で、しかし目を皿のようにしてこちらを凝視していた。

 

「…ルドルフ?」

 

「…んっ、ああ、すまない。少し考え事をしていてな…。口の中は火傷していないか?」

 

気遣わしげに頬に手を当てられる。

口の中を見せろ、ということなのだろうが、特段火傷もしていないので断固拒否する。

流石に過保護すぎやしないだろうか。

 

「大丈夫。火傷はしていないよ」

 

「せやせや、火傷せえへんかったやろ?ちゃあんとフーフーしてあったから安心せえや」

 

「…⁉︎あーんだけでなく、ふーふーまでやっていただと…⁉︎」

 

タマモクロスの余計な茶々に、ルドルフがべンチを蹴って立ち上がった。

膝の上に乗せていた彼女の分のたこ焼きパックが宙を踊り、思わず反射的に手を伸ばしてなんとか掴み取ることに成功した。

 

一方、当のルドルフは落としかけたたこ焼きには目もくれず、タマモクロスに詰め寄って何事か話しをしている。

詰め寄られている側のタマモクロスがニヤニヤと笑っているあたり、以前のような掴み合いの喧嘩には発展しないようで一安心するが、お互いに場を弁えているだけという可能性もある。

 

しかし、そこまで驚愕するような出来事だったのだろうか。

…あそこまで気色ばんでいるところを見るに、そういう出来事だったのだろうな、きっと。

 

「おおー、ナイスキャッチ」

 

ひとまず、無惨な事故に遭いかけたたこ焼きのパックを確保したことにほっと胸を撫で下ろしていると、テイオーから声がかけられた。

 

はあ、とため息をつきながら振り返れば、親指をぐっと立ててテイオーが気持ちのいい笑顔を浮かべていた。

無性にホッとするような笑顔だった。

 

「いや、危ないところだったよ」

 

「せっかくのたこ焼きだもんね。あ、桐生院トレーナーもおかえり。たこ焼き食べる?」

 

「え?あ、いただきます…?何かあったんですか?」

 

「いや、まぁいつものこと、かな。はい、こっちも」

 

私もいまいち何が起きているのか分かっていないが、ひとまず混乱する桐生院トレーナーにラムネを押しつけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、ルドルフがようやく落ち着いたのか、タマモクロスを伴って戻ってきた。

ついでにどこから拝借してきたのか、折り畳みテーブルまで確保してきている。

 

「すまない、待たせてしまったかな」

 

「大丈夫だよ」

 

「それで、作戦立てるんだよね?ボクこういうの初めて見るから楽しみだよ!」

 

テイオーが目を輝かせて言う。

確かに、担当トレーナーが付かない限りは選抜レースなどに出走しても、作戦は自分で考えて実行するしかない。

ある意味、誰かと相談しながら作戦を決めていくと言うのは、彼女にとっては新鮮な出来事なのだろう。

 

「き、緊張してきました」

 

今回の主役となる桐生院トレーナーは、興奮と緊張が綯い交ぜとなったような顔をして、拳を握りしめている。

 

「そんなに緊張することはない。このレースに限っては、敗北の責任を取る必要もないのだから」

 

先ほどまで掛かっていたルナちゃんから、随分と落ち着いた声と内容の発言が繰り出された。

その後ろにいたタマモクロスが、何やら不可解なものでも見たかのような目をしているあたり、先ほどまで碌でもない話が繰り広げられていたのだろう。

 

「は、はいっ」

 

ぴんと背筋を伸ばして返事をする桐生院トレーナー。

 

しかしルドルフ。

安心させるために言ったのかもしれないが、それはつまり、この場でもなければ負ければ責任を取る必要があると暗にプレッシャーをかけてやいないだろうか。

当然、担当ウマ娘の敗北はトレーナーの責任によるところが大きいのだが、そう言ったことは現時点ではあまり意識させずとも良いと思うのだが。

 

お互いに真面目すぎるためか、うまく噛み合っていないような気もする。

とはいえ、あまりのんびりもしていられないだろう。

 

「さて、呼び出しが始まるまで残り1時間を切っていることだし、始めようか」

 

ぱんぱん、と手を鳴らせば、慣れたものですぐさまルドルフが表情を引き締める。

なぜかタマモクロスとテイオーまで緊張気味に頷いた。

 

「トレーナー君」

 

「ありがとう」

 

ルドルフから差し出されたのは、折り畳みテーブル。

意外と背が高いそれを、手早く組み立てる。

見渡せば、トレーナー勢は慣れたもので担当ウマ娘達が椅子だのテーブルだのと持ち寄って来て、それぞれ本陣を形成し始める。

 

毎年恒例の行事ではあるが、チームやトレーナーごとに随分と色が出るものだ。

 

例えばリギルの東条トレーナーのところでは、受け持っているウマ娘も研修生も数が多いため、ホワイトボードまで持ち込んでおり、青空教室じみた光景が展開されている。

東条トレーナーはホワイトボードの近くに陣取り、質問に淡々と回答している。

特段隠すこともないのは、自信ゆえだろうか。

 

スピカのところでは、すでに研修生達が難しい顔をして唸っているようだ。

スピカのトレーナーは癖の強いウマ娘を集める傾向があるため、研修生は毎年悲惨な目に遭いがちだ。

当のトレーナー本人はあくまでもトレーニングなどについてはかなり熱心に指導を行うが、究極的には「自由に走れ!」と平気で言えてしまうので、スピカの気風からすると、レース前の作戦会議などはほとんど意味を為さないと思っている節がある。

ある意味で最もウマ娘とのコミュニケーションが難しいチームかもしれない。

 

黒沼トレーナーのところは…何やら研修生達がお通夜のような表情で必死にノートに何か書き込んでいる。

まあ、あの調子でじっと見つめられて平然とできる研修生がいるとすれば、それは肝が座りすぎだと思う。

おそらく、今の私でもああして近くに座って観察されれば落ち着かないと思う。

さらに、チームのエースであるミホノブルボンもぼんやりと突っ立ったままじーっと研修生達を観察しているので、ますます落ち着かなくなるだろう。

 

気の毒に…。

 

なお、私は毎年ルドルフが調達してきたテーブルを囲んで行うが、大体をルドルフが対応してしまうし、私からは実の所あまり渡してあげられるものもない。

他のチームであれば、まず誰と誰が組んで出走するのか、というところから始まるのだが、人数が少ない所か、現在時点でも出走できるのがルドルフしかいないため、随分とその辺りの面倒ごとからは解放されている感がある。

 

さて。

あまりのんびりもしていられない。

 

「じゃ、桐生院トレーナー。後よろしく」

 

「えっ」

 

「いやだって、桐生院トレーナーがどんな作戦を立てて、どんな資料が必要なのかを確認していかなきゃいけないからね。私が口出しをすればレギュレーション違反になってしまうし」

 

「な、なるほど…わかりました。では、ミーティングを始めます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うえぇ…なんか見てるだけのボクまでキンチョーしてきた…」

 

「あかん、ウチもなんか落ち着かんわこれ…」

 

レースも直前。

すでにルドルフはパドックに入っており、準備は万端といったところ。

まぁ、パドックと言っても研修生が本番の雰囲気を味わえるようにととりあえず簡易的にやっているだけの、ほんのお遊び程度のものなので、なんとも寂しい見た目ではあるが。

 

威風堂々と立つシンボリルドルフとは対照的に、なぜか直接出走するわけでもないテイオーとタマモクロスが落ち着きをなくしている。

肝心の桐生院トレーナーはと思い、最前列に詰めている彼女の様子を伺うが、こちらも顔色をコロコロと変えており、完全に上がってしまっている。

 

「そんな緊張するほどかな…」

 

「自分考えが甘いで」

 

思わずこぼした一言に、タマモクロスが耳聡く反応した。

 

「うん?」

 

「自分の担当は皇帝やろ?」

 

何を今更、と思わず怪訝な表情を返せば、タマモクロスは呆れたように「そういうとこやで…」とぼやく。

 

「あんなあ、あの『皇帝』がいくら模擬レース言うても、G1級ばっか出てくるわけでもないレースで負けてみぃ。完全にトレーナーのせいになるやないか」

 

「…うん?ああ、言われてみればそうか…」

 

確かに、タマモクロスの言う事も分からないでもない。

明らかに、今回の出走者の中では頭一つ二つ抜けているというか、まともに走ればまず相手にならないようなメンツではある。

とは言え、G1レースでないとはいえ、競走に絶対はない。

それを「絶対」にしてしまうのが皇帝シンボリルドルフだとはいえ、今回は桐生院トレーナーには申し訳ないが、「流す」レースだ。

レースというよりは並走に近い。

 

そもそも、ルドルフはすでにトゥインクルシリーズを卒業しており、活動の場をドリームトロフィーリーグに移している。

トレセン学園に居るのは、まだ卒業年限に達していないことと、ここの環境が良いためだ。

ルドルフ曰く、最低でもあと四年は居座るつもりでいるとのことだった。

ルドルフよりも長く在校している生徒も何人かおり、なんだかんだで中高一貫過程に加えて大学過程まで含め、合計10年間在校する生徒も結構な数いるため、まだまだ折り返しというような頃合い。

流石にそれらを満了してしまえば卒業となるが、なんだかんだでそのままトレセン学園に就職するウマ娘も結構な数いるので、果たしてルドルフといつまでこうしていられるかは、彼女次第だろう。

彼女が次のステップへ進むという時、私はどうするんだろうな。

 

閑話休題。

 

そんな事情によって、ルドルフは本気では走らない。

全力を尽くすことは間違いないのだが、それは今現在使って良い範囲内での全力である。

つまり、周囲に合わせて「スケールダウン」した能力でいかに勝つのか、という勝負になる。

 

そんなことを考えている時点で周囲を舐めているように取られるかもしれないが、これは別にウマ娘とウマ娘の、魂を削って行う真剣勝負ではない。

あくまでも、研修生に現場に近い感覚を叩き込むためのイベントである。

その辺りよくよく弁えている彼女は、本気を使うべきところを間違えない。

 

「カイチョーは勝てる?」

 

考え込んでいると、テイオーが微妙な表情をして聞いてきた。

なるほど、ルドルフを超えるべき相手として明確に認識はしたものの、なんだかんだでまだ憧れもある、ということだろうか。

確かに、憧れの相手には勝って欲しくなってしまうものだ。

 

とは言え、今ここで予想される結果を言うわけにもいかない。

何しろ、周りにいるのは耳がいいウマ娘達だ。

ここで迂闊なことを言ってしまうのも申し訳ない。

 

「どうかな。レースに絶対はないからね」

 

「でもカイチョーには絶対がある。違う?」

 

そう言われて仕舞えば、私はトレーナーとして口にできる言葉は一つだけだ。

 

「違わないよ」

 

がしゃん、とゲートの開く音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

ゲートが開くと同時に飛び出していく。

 

ここから始まるのは熾烈な先頭争いだ。

距離は2400メートル。私が得意とするレンジ。

 

『シンボリルドルフさんには、先行策で戦ってもらいたいと思います』

 

あの研修生。

桐生院トレーナーが出した結論は先行策だった。

 

『理由は?』

 

『今回は芝2400メートル。他の出走者データを見る限り、逃げが3人、差しが4〜5人、追込みが予想されるのが1名です。12頭立てなので、残るは多くても先行が3人。そして相手はG1ウマ娘が数名しかいません』

 

『だから先行なの?』

 

テイオーが疑問を呈するが、彼女は嫌な顔の一つもせずに答えていく。

 

『はい。考慮すべきは類似の脚質で仕掛けてくるウマ娘よりも、シンボリルドルフさんがバ群に邪魔されることだけだと考えます』

 

資料を示しながら、簡単に説明していく桐生院トレーナー。

なるほど、きちんと考えられている。

トレーナー君が与えた資料を全面的に信用しているためか、与えられた範囲内では上出来と言える回答だ。

 

しかし、トレーナー君も人が悪い。

わざわざ私の能力をかなり低めに見積もった数字を出している。

さらに、大まかな目安として示されたそれはトレーナー君独自の算出値。

一般的にトレーナー間で使うものとはまた違う基準で弾き出された数字になっている。

 

さてこれをどう扱うのか、と見物していたが、桐生院トレーナーもなかなかどうして吸収が早い。

トレーナー君が長年かけて築き上げてきた独特の世界、というか。

ウマ娘の能力を相対的に数値化して扱う術を、少しずつではあるが理解していっているようで、困惑こそすれど、きちんと与えられた資料をもとに考えを進められている。

 

優秀なトレーナー候補だ。

若干気に食わない部分もないとは言わないが、それでもこれほど飲み込みが早く、先輩トレーナーとウマ娘を信用した作戦立案はなかなかすぐにできることではない。

 

飛び出して暫くすれば、大体の作戦に合わせた位置取りへと収束していく。

先頭争いを繰り広げているのは、3人。

桐生院トレーナーの読みは当たっている。

 

私が付けたのは6番手。

先頭争いが激しく、全体としては縦に伸びた布陣。

同じ先行策一つとっても、ほとんど逃げ集団を追走するような位置を取るもの、むしろ後団に近い位置を取るものと幅が広い。

 

第2コーナーを回っていく。

 

今回の私は、特段のオーダーがないため中団の外側を流す。

インを突くには少々リスキーであることと、すぐ前を走るウマ娘が少し下がってきているのを嫌った形だ。

明らかに周囲に意識されていることはわかっているが、無茶なブロックは仕掛けてきていない。

多少の距離ロスが発生するが、スタミナには自信がある。問題はない。

 

第3コーナーを回って、直線。

 

『なるほど、ではそのように。他にオーダーは?』

 

『基本的に仕掛けのタイミングはお任せします。ただひとつーーー』

 

逃げ集団のうち、二人がジリジリと落ちてくる。

 

そろそろ少しずつ位置を押し上げていく頃合い。

ギアを上げようと思った瞬間、後ろから気配がした。

 

「んんん〜!」

 

おや、思ったよりも早い。

後団が上がってきていた。

 

『周りのウマ娘からすれば貴女は最大の敵になり得ます。意図的な集団ブロックはないにせよ、無茶な仕掛けをされる可能性は高いと考えていただいて良いでしょう』

 

なるほど。

桐生院トレーナーはよく分析したものだ。

確かに、G2レースは時折走ることになるが、G3などにはほとんど出走していない。

私と走った経験のあるウマ娘は、このレースにほとんど居ないのだから、私を意識しすぎてしまえばペースが狂うこともあるだろう。

 

トレーナー君とは違う切り口ながらも、今与えられた情報の中では良い結論を出していると思う。

基礎がしっかりしている、とでも言えばいいのか。

私というある種「強い」駒を前にして、これだけ堅実な策を出してくるというのは、逆説「それだけウマ娘の力を信用している」ことに他ならない。

なかなか、できることではない。

おどおどしている面が目立っていたが、これは評価を上方修正しなければならないか。

 

特に、発想については似通ったものを感じる。

トレーナー君であれば、このレースならあまり得意ではないが逃げを指示してきただろうか。

あるいは追込みか。

追い込みはシービーやギャロップダイナのようで今ひとつ好きになれないが、それでも能力差があるため、下手にバ群に巻き込まれるのを嫌って指示を出すだろう。

おそらく、桐生院トレーナーは私の最も得意な戦法のうち、本レースの出走バの内訳を見て選択したのだろうと思う。

 

そろそろ第4コーナーだ。

本来であれば、そろそろスパートを考える頃合いではあるのだが、今の私は少しだけ能力を下方修正し、仕掛け位置を後へずらしている。

 

ぐい、と踏み込み、体を前へと押し出してやる。

スパートを掛ける前に、位置を押し上げていく。

 

先行集団が焦ったように、暴発するようにスパート体制に入っていく中、流されることなく体制を整えていく。

じりじりと外へハナを出し、飛び出す機会を伺う。

 

早すぎるスパートをかけた者たちは、落ち着いている私を横目に今のうちに距離を稼ごうと前へ前へと駆けていく。

 

さて、そろそろ私も仕掛けるか。

あまり気が乗らないが、それでも優秀な研修生の献策を無為にするほど腐ってもいない。

 

 

 

ーーーさあ、前を開けろ。

 


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