ルドルフがウィニングポストを1着で通過した。
上がる歓声、興奮気味の囁き声。
隣のテイオーも、興奮気味にぴょこぴょこと跳ねている。
そしてその勢いでそのまま隣のタマモクロスに飛びついた。
ぐええ、とカエルを潰したような声がして、タマモクロスが締め上げられた。
こちらに飛びついてこなくてよかった。
テイオーの膂力で締め上げられたりすれば、どこかしら折れてしまうだろうから。
すす、と無言で距離を取りつつ、展開されたレースに思考を傾ける。
「…ふむ」
桐生院トレーナーの立てた作戦は問題なかった。
提示した能力の範疇内で勝ちを取りにいくのであれば、初見であることを含めてもほぼ最適解に近い選択をしている。
細かい予想までは外しているが、大筋としては問題のない内訳だ。
着差も1バ身と、まあまあの成績。
桐生院トレーナーの方を見れば、安堵したのかぺたんと座り込んでいる。
安堵の一つもするだろう。
タマモクロスが先程言っていたように、皇帝に指示して負けさせてしまったら、と思えば胃の一つも痛くなってしまうだろう。
そういえば私も、最初の頃はそういったことを多少気にしていた覚えがある。
それを思えば、桐生院トレーナーはよくプレッシャーを乗り越えたものだと思う。
「桐生院トレーナー」
「あっ、はいっ!」
お疲れ様、と声をかければ、彼女は驚いたのか勢いよく立ち上がった。
小さなポニーテイルがぴょこんと弾む。
「勝てたようだね。…初めての『直接関わるレース』はどうだった?」
自販機で調達した缶コーヒーを手渡し、隣に並んでターフを眺める。
なぜかウイニングランまでやっているルドルフをぼんやりと眺めながら、彼女のウイニングランにしては観客の数が足りないな、などと考えていると、ぽつりぽつりと桐生院トレーナーが言葉を紡ぎ始める。
「…予想通り、だったとは言えません。ルドルフさんの仕掛けも、その後の上がりの速さもそうですが、全体のレース展開も想定とは異なっていました」
勝ったと言うのに、少々悔しそうな顔。
なるほど、完璧主義の気があるのだろう。
「そうだろうね。予想とはかなり違っただろう」
だいぶ抑えて走っているはずだが、それでもなんとか着差1バ身つけて勝つことができている。
「…はい。私が勝てたのはシンボリルドルフさんという、強力なウマ娘がいたからです」
まあ、あのデータを見てルドルフの能力がそのままだと考えるほど能天気でもなかったらしい。
現に、歓声に応えて手を振っているルドルフは、周囲のウマ娘たちと比べればはるかに余裕のある姿だ。
それは精神的な余裕もあるのだろうが、肉体的にも全力を出し切っていないことは明白だ。
唯一、事故の可能性があったとすれば、それはバ群に飲まれて身動きが取れなくなることだったが、相手となったウマ娘たちも露骨なブロックを仕掛けることができるほどの準備時間がない。
また、各チーム、トレーナーから1名ずつしか出走できないルールになっているので、着順を犠牲にしてチームメイトを勝たせるという選択肢も、まずない。
ある意味では単純な、余計な要素のない競い合い。
とはいえ、初見のウマ娘のレースを、ここまで精度高く予想して作戦を立てられたのは優秀と言うほかない。
持ってきたデータ類もほとんど吐かされてしまったし。
さすがは名家、ということだろう。
おそらく、同じことを私がやっても、もっと盛大に外しただろうし、下手したら普通に負けさせてしまったかもしれない。
それに、偉そうなことを言える立場でもない。
私が勝ってこれたのは、ルドルフ自身の分析能力と、彼女自身の能力を徹底的に把握してきたことによるものが大きいと言うだけなのだから。
「今回の勝利は自信にしていいと思うよ。ルドルフは作戦が悪ければ普通に負ける程度の力しか出していないから」
「え?」
きょとん、とびっくりしたような顔をする桐生院トレーナー。
『皇帝』なのだから大差をつけて勝てて当たり前と思っていたのだろうか。
競走に絶対はないと言うのに。
「分析力に問題はないと思う。どちらかというと、桐生院トレーナーの課題は、ウマ娘に対しての接し方なんかが中心になるかもしれないね」
データから勝てる戦術を選択するのは当然のことだ。
その上で、トレーナーとして大切なのはーーー
言葉を続けようとしたところで、ルドルフがターフから戻ってきた。
その背後では、次のレースの準備がもう始まっている。
「やあ、おかえり。いい走りだったよ」
「ただいま、トレーナー君」
軽く手を上げて迎えると、ルドルフは少し微笑んだ。
そして、桐生院トレーナーに報告に向かう。
「桐生院トレーナーもお疲れ様だ。1着だったよ」
「お疲れ様でした。作戦に応えてくださってありがとうございました」
ようやく実感が湧いてきたのか、硬かった表情が少し和らいだように見える。
最初はウマ娘との接触も少ないから、トレーナーになったという実感が得にくいのだ。
「ああ。その顔を見る限り…楽しんでもらえたようで何よりだ」
「はい、本当に…。ようやく、トレーナーの端くれとしての実感を得たように思います」
ありがとうございました、と。
ペコリと頭を下げる桐生院トレーナー。
毎年思うが、こうして研修生にレースを体験させることで、それまで硬かった表情が生き生きとし出すのは、見ていて気持ちがいいものだ。
夢の第一歩を踏み出した、とでも言えばいいのだろうか。
私が応援するのはウマ娘の夢だが、その夢を叶える手伝いをする仲間である他のトレーナーの支援も吝かでないのだ。
「それじゃあ、反省会かな。映像は撮ってあるし、走ったルドルフからのフィードバックと、レース分析でも…」
「なあ、あんたシンボリルドルフのトレーナーだろ」
突然、背後から声をかけられた。
特に記憶にない、男性の声だった。
「…何か?」
振り返れば、案の定トレーナーバッジを付けた男性だった。
同僚だとは思うが、交流が一切ない相手のことはよく知らない。
見た目からして、私よりも明らかに若い。
ポケットに手を突っ込み、こちらを睥睨する姿は、どう見ても情報交換に来た、というような風体ではない。
時折、こういう人物がいる。
黒沼トレーナーのような、見た目の威圧感と行動原理が乖離している例もままあるが、あれはあれでウマ娘を第一に考えた結果落ち着いたスタイルだ。
一方、優秀な跳ねっ返りというのはどこにだって一定数存在している。
時折、やんちゃな同僚に絡まれるトレーナーが出てくるのだ。
大抵は東条トレーナーやスピカのトレーナーが、憧れを拗らせたのか、それとも越えるべき壁を敵と誤認してしまうのか、時折絡まれるのだが、どうも今年は私が貧乏くじを引いたらしい。
ともあれ、私の場合はおそらく…
「シンボリルドルフを担当できたからって良いご身分だな」
まあ、そうなるだろう。
この手の話は随分前に、それはもう、よく言われた。
いかに高給取りのトレーナーとはいえ、優秀な担当ウマ娘を輩出できるかどうかによって、報酬も大きく変わってくる。
だから、よくこうした感情をぶつけられることがあった。
特に、何の実績も持たない私がいきなりシンボリルドルフという高嶺の花を捕まえてしまったことから、先輩や同僚にさえ妬まれることとなったのだ。
今では、特段そういうことも無くなっているので、こうした敵意のある目を向けられるというのは随分久しぶりなことである。
大抵がルドルフのいない場所で行われていたのだが…まさか、その担当がいる場で難癖をつけて来るというのは初めての経験だった。
まあ、難癖というか。ほとんど事実なので何か言い返す気もないのだが。
「まあそうだね」
シンボリルドルフにただ押し上げられただけ。
彼の言っていることは間違った話ではない。
全くもっておっしゃる通りだ。
「結果をたった一回出したからと良い気なもんだ。偶然能力の高いウマ娘を担当しただけで複数担当が許されるとは、中央のトレーナーの質も落ちたな」
それについてはどうなのだろう。
彼の言うことはほとんど事実ではあるが、中央のトレーナーの質が落ちたということはないだろう。
現に、桐生院トレーナーを見ただけでもその優秀さは良く伝わってくるし、ベテランたちはベテランたちで人外と評して良いような化け物ばかりだ。
『質が落ちた』という発言は正しくない。
訂正するなれば、「お前が全体の足を引っ張っている」とでも言えばそれで良いのだ。
私は偶然シンボリルドルフの担当となり、単独でも成果を上げることのできる彼女に引き上げられる形でずるずると生き残っている。
そんなことは、それこそメディアでもなんでも、ウマ娘を取り巻く媒体などで随分と前から言われ続けていたことだ。
その「運がいいだけのトレーナー」が複数担当を許された、つまり実力に見合わない昇進があったことが不愉快なのだろう。
「トレーナー」に対しての理想が故に、言わずにはいられなかった、というところだろうか。
それに、桐生院トレーナーがルドルフを勝たせてくれたのもその感情を後押しするのに寄与したのだろう。
研修生が作戦を立てても勝てるのだから、やはりシンボリルドルフのトレーナーはただ単純に運がいいだけの置物である、と。
言いたいことはわかった。
しかし相手にしている時間が惜しい。
桐生院トレーナーはレースを終えたばかりで記憶も新鮮だ。
今のうちに振り返りを行って、より確かなものにしておきたい。
それに、ルドルフのクールダウンも手伝ってあげなければならない。
また、ルドルフのあの「抑えた走り」の難しさをテイオーに教える良い機会でもある。
ウマ娘の強すぎる闘争心のせいで、走りがセーブできないケースが多いので、それを教えるチャンスなのだ。
いつも全力で走ると言うのは美徳だが、テイオーのように足に不安がある場合は、力を抜き、今出すことが許される力の範疇で走る、という場面が確実に存在する。
…しかし、私に苦言を呈するにもなぜ今このタイミングなのだろうか。
もっと他にちょうどいいタイミングなんていくらでもあっただろうに。
わざわざ衆人環視の中で突っかかってこられても、お互いのためにならないと思うのだけれど。
「それで、何か用ーーー」
大抵は私が退きさえすればそれで勝手に勢いを失っていく。
別に否定するような事でもないし、事実を事実として受け止めるだけだ。
立ち向かう必要があるとは思えない。
だから、適当に流そうとしたのだが。
「藪から棒に随分と失礼だな、貴方は」
自分のことを言われても揺るがないが、身内のことを悪く言われて許せない者が、それこそ目の前にいたのである。
抑える暇もなかった。
ずい、と私の前に割り込むようにして立つシンボリルドルフはちょっとよろしくない感じに機嫌を損ねている。
耳は絞られ、尾は忙しなく揺れている。
ざり、とコンクリートの床を掻いており、掴みかかってもおかしくないような目つき。
相当に怒ってらっしゃる。
そして、トレーナーを馬鹿にされて怒るのは、ルドルフだけではなかったらしい。
ぐい、と袖を引かれ、私と入れ替わるようにして前へ出る小柄なウマ娘。
「いきなり出てきて何なの、キミ」
不機嫌を全く隠さず、頬を膨らませたトウカイテイオーが、私の前に立った。
「せっかくの楽しいイベントだったのに、ほんっと気分悪いよ、キミ。早くあっち行きなよ」
「そうだな。それに私のトレーナーに用があるなら、私を通してからにして貰おうか」
私の前に、壁のように立ちはだかる二人。
普通立場が逆だと思います、ルドルフさん、テイオーさん。
「…自分大丈夫か?」
心配するように、意外と面倒見のいいタマモクロスが覗き込んでくる。
「まあ、私は別に。どちらかと言えば…」
思わず、ルドルフとテイオーに睨まれている彼に目を向けてしまう。
「…あいつ死んだんとちゃうん?」
「もうちょっと穏便な結末を希望するよ…」
事態が飲み込めていない桐生院トレーナーが、またしてもおろおろとしているのがどうにも気の毒だった。
巻き込んでしまって申し訳ない。