トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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落花流水

 

 

 

 

良い買い物ができた、と思う。

ルドルフへのプレゼントは大いに喜んで貰えたのか、先ほどからしきりに艶やかな尻尾を上下させているし、耳も機嫌良さそうに時折動いている。

 

とはいえ、デートとしては手痛い失敗をしてしまったようにも思う。

何せ、買い物に時間を使い過ぎてしまった。

実の所、昨夜に慌てて映画のチケットを取っていたのだが、時刻は既に18時も直前。

予約していた映画は始まっているどころか既に終わっているところだ。

合流したのが普段よりも少し遅めだったとはいえ、今から映画を、と言うには微妙な時刻。

 

そんなわけで、予定を一つ見なかったことにして、本日最後の場所へ移動する。

 

学生が減ってきたショッピングモールを出ると、そのまますぐ近くの建物へ。

ルドルフはその間も、楽しそうに時折プレゼントに触れていた。

 

ここまで喜んで貰えたなら、最後まで。

 

「…ん?トレーナー君、帰るならあちらではないかな?」

 

「いや、ここで合ってるよ」

 

はた、と我に帰ったのか。

ルドルフが建物前で立ち止まり、困惑気味に言う。

 

「ええと、なんだ…その、ここはホテルではないか?」

 

「そうだよ?さ、行くよ」

 

「えっ、トレーナーさん?ちょっ、待って待ってほんとに!?」

 

珍しい。

何をそんなに慌てているのかは不明だが、顔を赤くしてルナがはみ出しつつあるルドルフが小走りについてくる。

皇帝とはいえ、格式のあるホテルでは流石に多少の緊張もすると言うことだろうか。

時折会見などを行うにしても、大抵がホテルなどではなく学園関係施設やレース場などで行われるため、遠征時以外でホテルに宿泊することは滅多にないし、遠征先のホテルも基本的には学園が手配するものなので、あまり高級なホテルに宿泊することはない。

 

ドアマンがドアを開けてくれる。

緊張で動きがぎこちないルドルフを伴い、エントランスへ踏み入れれば、煌びやかな世界。

シャンデリアはオレンジ色の穏やかな光を反射してきらきらと煌めき、内装も嫌味なくまとまっている。

格式、とは何かを体現したかのような雰囲気に、飲まれそうになりつつも踏み出すと、事前に連絡を入れていたためか、スタッフが誘導してくれる。

見送られながら奥のエレベーターに乗り込むと、ぐいと体が持ち上げられていく。

 

「な、なあトレーナー君…」

 

「うん?」

 

どこか所在なさげにしていたルドルフが、意を決したように口を開く。

 

「本気…なのか?」

 

うん?どう言うことだろうか。

ああ、前回の「デート」では普段着に、さらに散歩やトレーニング用品店が中心だったからだろうか。

 

あの時は酷くお叱りを受けたものだが、流石に2回目ともなれば私だって学習する。

そしてエスコートという単語。

デート慣れなんてしていないし、彼女から見ても粗はあるだろう。

これが本気か?と言われれば多少萎みもしてしまうが、しかし自信がなさそうにエスコートされるのも不安になってしまう。

 

だから私は、胸を張って言う。

 

「もちろん」と。

 

 

 

エレベーターが軽い音を鳴らし、目的階への到着を知らせる。

 

ドアが開けば、そこは天上の眺めだった。

一面がガラス張りの、いわゆる天空のレストラン。

暗めに設定された照明は、美しい夜景を楽しんでもらえるように十分に計算されたそれ。

穏やかな明かりと、趣味の良い控えめなBGMが、その場の雰囲気を作り上げていた。

 

ホテルスタッフから連絡が入っていたのか、待ち構えていたスタッフへ予約名を告げれば、腰を折って一礼。

 

「お待ちしておりました。どうぞ、お席へ」

 

「…え?え?」

 

未だ困惑気味のルドルフを誘導しつつ、通されたのは見晴らしの良い個室。

少し夜景を楽しむには早いだろうか、と悩みつつも、まだ春先だったことが幸いし、既に景色は一面の夜色。

 

一面に広がるビル街は、地上から見上げるのとは異なる趣で我々を出迎えてくれる。

航空障害灯、という味気ない名前の赤いランプでさえ、まるで宝石のように映る。

 

「わあ……」

 

ルドルフが、目に飛び込んできた絶景に年相応に感嘆の声を上げた。

ふらふら、と吸い寄せられるように窓際へ。

 

意外とこういうところでは初心、というか。

普段見せない素直な反応をされると、連れてきてよかったと思う。

その楽しそうな背中に歩み寄っていく。

 

「個室だから、変装は取っても大丈夫だよ」

 

わざわざ個室を取ったのは、当然のことながらルドルフが変装してくることを見越してのことだった。

彼女は有名人だ。せめて食事時くらいはそういった煩わしさから解放されて欲しいと思い、個室をとることにしたのだった。

 

「ああ、そうだな…ふう。あまり本格的な変装ではないものの、どうにも少し窮屈だったな」

 

そう言って振り返るルドルフの姿は、夜景を背にしたためか、いつもよりも美しく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「いやはや全く、君という人は本当に驚かせてくれるよ…」

 

「前回散々叱られたからね。今度は楽しんでもらえたかな」

 

満足げにしているルドルフと、連れ立ってホテルから出る。

やたらと量を食べるということはわかっていたため、比較的量の多いコース料理にしたものの、私がついていける量ではないことはわかっていたので、無理を言って量を減らしてもらったおかげで、なんとかついていくことができた。

 

食事量は多かったが、ルドルフのような健啖家からしても満足がいく量が提供されたらしい。

今も少し頬を赤く染めており、食事も楽しんでもらえた、ということだろうか。

当然ながら、アルコールを飲ませるわけにもいかないため、スパークリングのブドウジュースでの乾杯となったのはご愛嬌だったが。

 

「今日は本当に楽しかったよ。ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

先ほどまで見下ろしていた夜景の中をゆったりと歩きながら、ぐいと背伸びをする。

パキパキと軽く骨が鳴る音が聞こえ、私も緊張していたのだなと今更ながらに自覚する。

 

なんにせよ、今日のデートはこれで終わり。

時間を確認すれば、のんびり歩けば門限に間に合う程度の時間。

 

「あとは帰るだけだね。門限には間に合う時間だから、腹ごなしに散歩して帰ろうか」

 

「うむ。そうしよう。君とゆっくり歩いて帰るのも、また楽しいからな」

 

「いつもとあまり代わり映えしなくて申し訳ないけどね」

 

 

 

 

 

今日は本当に楽しかった。

気に病むトレーナー君の負い目を利用してデートを持ちかけたのは自分でもどうかとは思ったが、結果としてトレーナー君も時折笑顔を見せてくれるほどには、有意義なデートだったと思う。

 

しかし前回との落差が凄まじすぎて、頭が付いていかないことが多かった。

これは私も、エスコートされる側として精進が必要になりそうだ。

 

食事を終え、だいぶ心臓の鼓動も落ち着いては来たものの、今日のトレーナー君は、何と言えば良いのか…。

素敵な大人、という感じだった。

ホテルに着いた際は、流石に動揺してしまったが。

 

あれは勘違いしてしまうだろう。

高価なプレゼントを贈られ、高揚しているところにホテルと来たら、変に期待してしまってもおかしくはない、と思う。

そう言うところがトレーナー君だとわかってはいるのだが、それでもしれっとそのままレストランへ連れていくのだから、本当にそう言うところだぞ、トレーナー君。

 

…もしトレーナー君が一般的な企業に就職していれば、ああいうデートをしていたのだろうか。

思わず、もやもやとした思いが胸を渦巻く。

 

だが、今日はそんなトレーナー君を贅沢にも独り占めすることができた。

そんなイフの事を考える必要はない。

 

…とはいえ、デートはこれで終わってしまった。

あとは寮まで戻って、翌朝からまたトレーニングの日々が始まる。

 

二人で並んで歩く、というのはいつものことだったが、デートの帰りと思うと、変に緊張してうまく言葉が出てこない。

うっかり口を開けば、まだ帰りたくないなどと私の口から飛び出してきそうだから。

 

いつもと代わり映えしなくて申し訳ない、などとトレーナー君の言葉が聞こえた。

この人は何を言っているのだろうか。

ここまでエスコートしてくれて、今更不満があるはずもない。

 

「いやいや、そんなことはないさ。君とのデートだと思えば、歩いているだけでも特別なものだ」

 

「面映いね。そこまで喜んでもらえると、エスコートした甲斐があったよ」

 

照れたように、首に手を当てて笑うトレーナー君。

一日歩いて足が棒のようになっていてもおかしくないというのに、足取りも軽くなってしまう。

 

そんなことを考えていれば、ふと、ぽつぽつと雨が降り出した。

 

「…おや」

 

「ああ、天気は持たなかったか…少し雨宿りでもさせてもらおうか」

 

「あっちが濡れなさそうだな。行こう」

 

 

 

 

 

初めはポツポツと小さな雨粒だったが、少し待っていると一気に降り始めた。

まるでゲリラ豪雨だ。

春は天候がコロコロ変わるが、それにしたってひどい豪雨だろう。

 

店舗の前に張り出したタープが、叩きつけられる雨でバタバタと音を立てる。

 

「なかなか止みそうにないな…」

 

「最後の最後でやられたな、こればかりは今日のトレーナー君でもどうにもできないな」

 

くすり、と笑ってルドルフが言う。

今日の私、とは言われても、流石に雨を止ませるほど人間離れしていない。

 

「流石にどうにかできてしまったら人間を辞めすぎていると思うよ」

 

軽口を叩き合っている最中も、雨足はどんどんと強くなっていく。

叩きつけるような雨の中、寄り添うようにして雨を凌ぐ。

 

「…このままでは門限に間に合わなくなりそうだな」

 

「そうだなあ…流石に外出で門限破りは外聞が悪いね。ちょっとタクシーでも拾ってくるよ。小さい折り畳み傘がバッグに入っているし」

 

ごそごそとバッグを漁ると、底の方から小さな折り畳み傘を引っ張り出す。

ばさり、と広げれば、割と放置気味だったせいもあって若干引っ掛かるところがあったが、それでも傘としての機能には問題なさそうだった。

 

実はファングッズの非売品の傘なので、シンボリルドルフの名前とデフォルメされた似顔絵が一部にプリントされた傘だったりするのだが、彼女は気づかなかったようだ。

担当のグッズを愛用して持ち歩いていると言うのが本人に気付かれると少々恥ずかしいので、気付かれないでよかったと思う。

 

「じゃあ行ってくる。少し待ってて」

 

もはや滝のように轟々と降り注ぐ雨の中を一歩踏み出せば、ばしゃと水を叩く音が足元から聞こえる。

革靴だからメンテナンスが面倒なのだが…仕方ない。

駆け出して数歩のところで、雨音に紛れて背中に声が掛けられた

 

「待ってくれ」

 

思わず振り返る。

 

ぱしゃ、と。

足元の水溜まりを叩く音がして、温かい塊がぶつかるようにして抱き着いてきた。

反射的に抱き留める。

 

開いた傘が、揺れる。

 

「…っ、どうしたんだい?」

 

ぱた、ぱたと、大粒の雨が、コンクリートの地面を叩く。

小さく弾けて、舞って。

 

やがて、ざあ、と強く降り注ぐ。

まるで私達をこの小さな屋根の下に閉じ込めるように。

 

「―――――――――」

 

薄く紅を引いた、艶やかな唇が動いた。

彼女のか細い声を、雨音が包み込み、連れ去ってしまう。

 

だが、幸いにしてか、私の耳にだけは届いた。

 

その意味が分からないほど、バ鹿でもないつもりだ。

だけど、それは。

 

跳ねるように狂い出した心音。

お互いのそれがまるで届いてしまいそうな程。

 

聞こえてしまいやしないかと、心配になる。

雨音が覆い隠してくれるだろうか。

 

 

真っ赤に紅潮した頬。

 

 

甘い息遣い。

 

 

伏せられた長い睫が動き、濡れた紫色の瞳が、私の眼を捉えた。

 

ーーー吸い込まれてしまう、と思った。

 

そっと優しい手つきで下から伸びてきたルドルフの両手が、私の両頬を包み込む。

まるで引き寄せるように。

 

距離が歪んでしまったかのよう。

近くなる距離。

 

鼓動や呼吸さえも溶け合いそうな距離。

 

彼女の踵が持ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

唇が、触れる――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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