トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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愛月撤灯

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー瞬間。

 

 

 

 

 

ばしゃあ。と音が聞こえて。

 

「きゃっ⁉︎」

 

「わ」

 

横合いから水が勢いよく掛けられた。

0センチへと縮もうとしていた距離が、開く。

 

「………」

 

「………」

 

ぱちくり、と。

お互い頭から濡れ鼠になってしまった私たちは、お互いに目を丸くして顔を見合わせる。

 

「………ええと、ついてないね、私たち」

 

「………ああ、全くだ。よりによってここで水を被せられるとは、な」

 

どうやら、すぐ横合いを通り過ぎようとした車の跳ね上げた水溜りが直撃したらしい。

傘の下にいた、とはいえ。

横合いからのそれには、為す術がなかった。

 

お互いに無防備になっていたこと、そして驚いてしまい、ルドルフを庇うこともできなかった。

頬に添えられた手をぐいと動かされなかっただけマシと思いたい。

やられていれば、明日は首にギプスでも巻く羽目になっていたことだろう。

 

驚きのあまり傘を手放してしまったので、轟々と降りしきる雨が全身をより一層濡らしていく。

 

「あーあ、チャンスだったのになぁ…」

 

彼女の呟きは、雨音に殆ど掻き消されて、よく聞こえなかった。

 

遠ざかろうとしていた下手人であるところの車のテールランプが、赤く点灯しその動きを止めた。

バタン、とドアの開閉する音がよく響き、ぱたぱたと人が降りてくる。

 

こちらに水を被せてしまったことに気がついて止めたらしい。

最近にしては律儀なものだ。

 

「あ、あの!大丈夫でしたか!?」

 

タオルと傘を手に小走りでやってきた二人組は、なんだかとってもよく見たことのある顔。

見慣れた芦毛の少女と、いつも付き従っている執事の方だった。

 

「………メジロ……マックイーン………?」

 

…いかん。

驚いて丸くしていた目が、急速に鋭く尖っていく。

今日一日、比較的可愛らしい声を出していたルドルフの声が、いきなり数トーンほど低くなった。

 

「ひえっ!?生徒会長さん!?ま、まさか……」

 

薄暗いので見えづらいが、メジロマックイーンの顔色も合わせて青褪めていく。

 

「……またお前か、メジロマックイーン……!!」

 

「わたくしまたやっちまいましたの!?」

 

青褪めて少しずつ後退りするメジロマックイーンに対し、ルドルフは足元をぱちゃぱちゃと掻いている。

 

今にも掴みかかりそうな剣呑な目をしているルドルフの頭をポンと軽く叩き、一歩前に出る。

 

「まあ、事故みたいなものだから仕方ないよ。ただこのままだと身体を冷やしてしまうから、申し訳ないが車で送って行ってあげて貰えないかな」

 

「そ、それは構いません!服も全てクリーニングさせていただきますわ!あなたにも掛かってしまったのですね。申し訳ありません…」

 

「畏まりました。この度は大変ご迷惑を……」

 

「私の方はあまり気にしていないから」

 

執事の方からタオルを受け取ると、そのままルドルフの頭をくしゃくしゃと拭う。

レースが雨天の時によくやることではあるが、そこでようやくルドルフは大きくため息をついた。

 

「……はあ、私もつくづくタイミングが悪い。仕方ない、世話になるよ。……トレーナー君は?」

 

「私は時間があるし、歩いて帰るよ。雨は好きなんだ」

 

「あのトレーナーさん⁉︎わたくしをこの人と2人にしないでくださいまし⁉︎」

 

メジロマックイーンが何か騒いでいる。

 

「……そうか。わかった。今日はありがとう」

 

ふい、とそっぽを向いた顔。

頬が赤く染まっているのは、水を掛けられたからか、それとも。

 

私も、おそらく人のことを言えない顔になっていることだろうとは思うが。

 

「じゃあ、また学園で」

 

「ああ、また明日」

 

「あの、わたくしこの後ひどい目に遭う気がするんですけども!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………危なかった」

 

今だに跳ねている鼓動をそっと胸の上から押さえても、かすかに伝わってきてしまうほどにそれは暴れ回っている。

 

雰囲気に流されそうになった。

そして、それも良いかと思った自分にひどく自己嫌悪を覚える。

 

相手は学生だ。

いくらウマ娘と言っても、シンボリルドルフの醜聞となるわけにはいかないのに、何をやっているのだ、私は。

 

大きなため息を一つ。

傘を拾い上げる。

 

すでに全身は隈なく濡れそぼってしまっており、もはや傘を差す必要も感じないほど。

ばさばさと音を立てて、傘を折り畳んでバッグに仕舞い込む。

 

仕事柄、雨に濡れることは多いが、ここまで濡れたのはいつ以来だっただろうか。

そういえば、ルナの直撃を受けたあの日はこんな感じだったかもしれない。

 

ぶるぶる、と頭を振れば、濡れた髪が雨粒を弾き飛ばす。

だからと言って今更どうにもならない程度ではあるものの、多少頭は冷えた。

 

手に持っていた紙袋は、それなりに撥水加工が施されていたようで無事ではあるが、スナップで止まっていた上部も少々心許ない。

折り畳んで、こちらもバッグへ仕舞い込む。

 

こう言う時、古いバッグだと何に遠慮するでもなく、容赦無く濡れたものでも突っ込んでしまえるので有難い。

 

 

 

 

…帰るか。

明日まともに顔が見れると良いのだが。

 

 

 

 

 

 

10分ほど、雨の中を歩いただろうか。

もうすっかり春めいてきてはいるが、まだ雨は少しばかり冷たい。

火照った体の熱を奪うには、ちょうどよかった。

 

少し近道でも、と考えて公園の中を抜けて行こうとしたが、これは失敗だったかもしれない。

 

舗装された部分も多いが、これだけの豪雨だと殆ど水路だ。

それに、周辺の土が流れ込んでいるため、殆ど濁流と大差ない。

 

歩くところがなく、遊歩道の縁石を伝うように歩いていると、子供の頃のことを思い出す。

縁石や白線の上ばかり歩いていたような気もする。

 

不意に込み上げた懐かしさに、そういえばあっちに遊具があったなと思い出し、足を向ける。

 

ざぶざぶと歩いていけば、目的の遊具が見えてくる。

 

小さなジャングルジム、シーソー、滑り台。

そして、ブランコ。

 

ブランコには、なぜかこれだけの豪雨だと言うのに、誰かが座り込んで俯いていた。

暗くてよく姿が見えないが、浮浪者の類でもない。

明らかに少女のそれ。

 

近づいていけば、ぼんやりとした灯りに映し出されていたその人影が、見知ったそれであることに気がついた。

 

「……テイオー?」

 

まるで雨粒で満たされる世界の中取り残されたように俯いて雨に打たれていたのは、担当となったばかりのトウカイテイオーだった。

 

「どうした!?」

 

こんなところで何をしているのか。

風邪をひいてしまう。

だいたい、門限がそろそろ不味い。

 

そんなことが頭を過ぎる。

 

「……トレーナー?」

 

しかし、私の声に反応して、億劫そうに顔を上げたテイオーの目を見た瞬間、そういったあれこれが頭から吹き飛んだ。

 

 

ーーーー濁った瞳。力なく笑う口許。

 

見覚えがある。

足の骨折に絶望して、ひどい顔をしていたあの時と同じ目だ。

 

慌てて駆け寄ると、傘を開いて差してやる。

 

「何があった?」

 

「……何があった?それはボクのセリフだよ。ねえ、トレーナー」

 

「何?」

 

「なんで?ねえ、なんでカイチョーと結婚したの?ボクじゃダメだったの?ボクはそんなに眼中になかった?ねえ、教えてよ。あれ、結婚指輪じゃないの?」

 

……まずい。

何かを盛大に勘違いしている上に、恐ろしいほどに掛かっている。

 

「見ていたのか?」

 

「見てたよ。でもあんなところ、見たくなんてなかった」

 

ざあざあと音を立てて降り荒ぶ雨は、まるで彼女の内心を反映したかのようだ。

激情。濁った瞳の向こうに見える仄暗いそれに、私は身動きさえ封じられてしまう。

言葉が出ない。

 

「ボクは、ボクは戦う前に負けちゃったんだ」

 

あはは、と笑う。

いつもの声。いつもの笑顔。

しかし、致命的なまでに感情が相反している。

 

「ねえ、でもまだ間に合うよね。今、ここにトレーナーがいて、カイチョーはいない。ボクだけ。いるのはボクだけなんだ」

 

ゆらり、と。

テイオーが、ブランコを蹴って立ち上がった。

軽く浮いていた靴底が、バシャと足元の水をかき分け、ぬかるんだ地面を踏みしめた。

 

強い圧力に、思わず一歩、足が下がる。

 

「…何か勘違いしている」

 

「勘違い?ボクが、何を勘違いしてるって?」

 

テイオーはぐいと覗き込むように顔を近づけた。

どろりと混濁し、渦巻いたそれが私の目を射抜く。

怖い、と思ってしまった。

 

「……ああ、トレーナーはカイチョーしか最初から眼中になかったって事⁉︎そんなことは分かってるんだよ!」

 

激情に任せるように、振り払うよう、傘を叩かれる。

手には当たらなかったが、傘は弾き飛ばされて転がっていく。

ああ、折れていたりしないと良いのだけど。

 

「話を聞いて。…ほら、私の手を見て」

 

「手がどうしたの。指輪を見せつけて…って……あれ、なんで指輪してないの?」

 

ようやく目に光が返ってきた。

ぱちくりと瞬きをして、不思議そうな顔をしている。

 

それはそうだろう。

 

「…そもそも指輪なんて最初から買っていないんだよ」

 

考えても見てほしい。

トレーナーが指輪なぞしていたらあっという間に何かよくない事件が起きる。

 

ずいぶん昔だが、一時期トレーナーの間でダミーの指輪を左手の薬指に装着することでお守り代わりにするブームが発生したことがあった。

 

実際に、あまりのトレーナー被害に頭を痛めていた学園運営本部から各トレーナーにそれぞれカタログが配賦され、好きなものを選択する方式で支給されたことがあったのだ。

 

すなわち、結婚ないし婚約してるんで駄目ですよと遠回しに諦めさせるという手段である。

 

一方、遠回しに袖にされたウマ娘たちは、何をどうやってかはさっぱり不明だが、お揃いのメーカー・デザインの指輪をどうにかして特定し、それを着用し、しれっと正妻面をし始めるというのが大いに流行ったのである。

 

当時の東京優駿に勝利したウマ娘が、芸能人の結婚報告会見で行うような、指輪を見せつけるポーズをした写真が報道され、一躍大問題となったために一気に鎮火したが、未だに当時の指輪をお守り代わりにネックレスとして着用しているというウマ娘は多い。

 

あれはあれで地獄だった。

それが分かっていて、流石に指輪をアクセサリーとしてプレゼントするという選択肢は存在しない。

 

「じゃあ、デザインだけでもお揃いにって言ってたのは何?トレーナーは指輪以外のものにしたの?」

 

「……聞こえていたのか。はあ、私のサプライズはだいたい失敗するな…ほら座って」

 

「え?え?」

 

「いいから」

 

強めに押せば、混乱しているのか割と素直にブランコに座り直してくれる。

傘を弾き飛ばされてしまったので、もはや二人とも笑えるほどずぶ濡れだ。

ずぶ濡れになったバッグに手を突っ込み、紙袋を引っ張り出す。

 

防水性能があまりよろしくない、というか、古いバッグなのでもはやコンビニ袋もかくやという勢いで水溜りと化しているそれが、たぷんと情けない音を上げた。

紙袋は紙袋で、ある程度の撥水加工は施されているものの、水溜りに漬け込まれていれば流石に浸水もするようで。

 

取り出した小箱は、床上浸水とまではいかないようだが、それでも濡れてしまっていた。

 

「……」

 

テイオーの目が鋭くなった。

残念だが、それは杞憂である。

 

小箱を濡れた指でぱかりと押し開く。

中に入っていたのは、キラキラと銀色に輝くアクセサリー。

幸いにして台座となるクッションまでは濡れていなかったおかげで、物自体としては綺麗なままだ。

 

「ほら、足出して」

 

「え、うん……」

 

本当は今度のデート時にでも渡すつもりだったのだが、まさかそんな勘違いをされると思っていなかった。

 

雨で濡れた指では多少付けづらかったが、足首にそれを付けてやる。

この小箱は…まあ、乾かしても多分駄目だろうなとは思いつつも、一応鞄に仕舞い込む。

 

「うん、似合うじゃないか」

 

「え、あの、トレーナー?」

 

「何」

 

「あの、え?なに、これ?」

 

きょとん、と。

先ほどよりも目を丸くして、じっと自分の足首で鈍く光るそれを見つめるテイオー。

 

「ルドルフのネックレスとお揃いのデザインのアンクレットだけど」

 

「ボクに?」

 

「うん」

 

「カイチョーと結婚したんじゃなかったの?」

 

「何、その話。してないよ」

 

色々と危ないところではあったが、結果から見れば、今日は1日平和なデートをして終わっただけだった。

それだけだ。

 

「トレーナー」

 

ふと、テイオーがこちらを向いた。

瞳に先ほどまでのような濁りはなく、むしろ妙にきらきらしている。

 

「トレーナー!!!!!!!!!!」

 

しゅば、と音が聞こえるような勢いで、テイオーが飛びかかってきた。

 

「うわっ」

 

その勢いに押されて、背中から二人して水溜りに倒れ込んだ。

ざぱん、と。

まるで池にでも落ちたような音がした。

 

 

 

殆ど泥水になった水溜りから見上げる夜空は、大雨を降らせる真っ黒い雲に覆われていた。

 

月はこちらを見ていない。

 

覆い被さるようにして張り付いて離れないトウカイテイオーの体温を感じながら、そんなしょうもないことを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仰向けになっていたからだろうか。

ぱたり、と大きな雨粒が唇に当たった。

 

唇に触れる。

 

あの一瞬、ほんのわずかに触れたそこが、今になって熱を持っているように感じた。

 

ーーー彼女は、気づいただろうか。

 

 

 

 




●第一章、完結。
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