トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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削除覚悟のコメントやたくさんの応援をいただきました。
途中でやらかしたりもして筆を折ろうとしたりしていましたが、それでも応援コメントを直接送ってくださったり、長らくお待ちくださった皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
作者冥利に尽きるとは此の事でしょうか。

…それでは、「トレセン学園は今日も重バ場です」二章開始します。
追いついてからはスロー更新になると思いますし、基本的にはひっそりと目立たずに続けられればと思います。

もうしばらく、お付き合いください。


二章
胡蝶之夢


 

 

 

 

 

わあああああ、と。

 

レース場を歓声が包み込む。

 

天候は雨なれど、バ場状態は良好。

雨合羽を着た無数の観客が、彼らの翳す傘がひしめき合う様子は異様だ。

 

異様だが、独特の美しさがその中にはある。

 

興奮し渦巻く圧倒的な熱量が。

期待に熱せられた囁きが。

 

色とりどりが詰めかけた観客席は、まるで花束のよう。

しとしとと降り頻る雨に打たれて、それでも尚勝利を掴んだ者に贈るべくして集まった花束と表現するのは些か気障に過ぎるだろうか。

 

こんな事を考えてしまうあたり、何度経験しても順応できないだけの圧倒的な熱に浮かされたと弁解させてもらいたい。

 

それほどの夢が、夢の始まりが今ここに詰まっていた。

 

 

「誰が勝つかなあ?」

 

関係者席の最前列。

トレセン学園の貸与品である、ネイビーの雨合羽にすっぽりと収まったテイオーが、期待に瞳を輝かせてこちらを振り返った。

ウマ娘用にデザインされた専用の耳付きのそれを身に纏うテイオーは、いつになく幼く見える。

 

「テイオーはどう思う?」

 

質問に質問で返すのはよろしいことではないが、気になって聞き返す。

テイオーは暫しの逡巡を経て、ゲート入りを待つウマ娘の中から一人を指し示そうと腕を上げる。

 

「当たったらはちみーをご馳走しよう。硬め濃いめスペシャルで」

 

上げかけていた腕が途中でぴたりと止まった。

暫くその腕が彷徨うと、そっと頭に添えられた。

 

「うーん…悩むぅぅ……」

 

彼女の直感は案外侮れないのだが、このように「当たった」場合に何らかの景品を付けてやると、途端に「当てよう」として余計な事を計算に入れようとしてしまい、その鋭さが鈍ってしまうところがある。

 

こういう小さな「迷い」が、1秒未満の判断が必要となるレースで余計な足枷となる。

故に、折に触れて「直感も選択肢に入れられる」ように密かなトレーニングを行っているのだが、今のところ結果は出ていない。

いちいち余計な迷いを持たせているだけではないか、という負い目もある。

しかし、些細なことでもムキになるというか、真剣になってくれるテイオーだからこそ、こうして悩むことができているのだ。

 

悩んで、迷って。

失敗と成功を積み重ねて。

判断をする、ということを積み重ねていって欲しいと思う。

 

頭から煙を上げそうな勢いで悩み始めたテイオーを他所に、もう一人の同行者へと声を掛ける。

 

「じゃあ、ルドルフは?」

 

「1枠2番の…あのネイビーの衣装の彼女ではないかな」

 

迷いのない回答。

自分なりに答えを持っていたようで、回答には自信が見えた。

 

「へえ…理由は?」

 

「一度レースを見たことがある。彼女の切れ味は、「最も速いものが勝つ」皐月賞においては信じるに値するだろう?」

 

なるほど、確かにそう言われればそれも納得できる。

頷いて聞いていたところ、どうにも不満げな顔が、目の前に迫った。

あの日以来、どうにも物理的な距離感が縮まっているような気もする。

 

「その顔をしているということは、君は違うのだろう?」

 

「あ、そうだよ!トレーナーは誰が勝つと思うのさ?」

 

「ズルはだめだよ、テイオー?」

 

窘めるも、テイオーは聞く耳を持たない。

 

「はちみーはいいからトレーナーの予想を聞かせてよ」

 

はちみードリンクを諦めるのは珍しい。

そこまでして聞きたいのであれば、答えるに吝かではない。

 

「6枠13番」

 

「…断言したな」

 

「随分ハッキリ言うね、トレーナー。でもなんで?パッとしなくない?」

 

各ウマ娘がゲートに収まっていく。

出走の時を今かと待っている彼女たち。

 

 

 

 

「見てみなよ、あの顔」

 

 

 

ーーーあいつ、このレースで一番楽しそうな顔をしてるじゃないか。

 

口の端を吊り上げて、瞳に自信を宿して。

 

 

 

 

その姿は、私の目には輝いて見えた。

 

 

 

 

「…ま、依怙贔屓みたいなものだよ」

 

「「…?」」

 

 

 

 

 

 

 

 

二章

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……夢か」

 

布団を蹴って飛び起きれば、全身が汗で湿っていた。

何か、酷い悪夢を見せられていた気がする。

 

まだカーテンの向こうは薄暗い。

時計に目をやれば、いつもの起床時間よりもやや早いかというところ。

 

ばくばくと狂ったように跳ね回る動悸の音が、いやに部屋に響くような気さえしてくる。

 

大きく息を吸って、吐く。

何度か深呼吸を繰り返せば、それは徐々に収まってゆく。

 

大きく息を吸って、吐く。

リラックスのためのルーチンというのはそれぞれ個々人ごとに持っているとは思うが、私の場合はシンプルに深呼吸である。

息を吸い、吸った時間の倍かけて吐き出す。

それだけだ。

 

枕元に置いた水を呷る。

室温に暖められた水はずいぶんと微妙に温いが、それでも今の身体にとっては求めていたようで、いやに美味しく感じた。

 

ようやく人心地つけた、というところだろうか。

 

結局、昨晩はひどい目に遭った。

門限まであまり時間の余裕がない時点でテイオーを発見し、その後帰りたくないとまたしても駄々を捏ねるテイオーを担ぎ上げて栗東寮まで送り届け、フジキセキに謝り倒す。

 

やだー、と騒ぎながら私の首に巻き付けられた尻尾はずぶ濡れで、それに首を締め上げられかけるという貴重な経験をする羽目にもなった。

フジキセキが気付いて外してくれたのでことなきを得たが、そのまま力づくで引き剥がそうとしていれば私の首が折れるなり取れるなりしたのではないだろうか。

 

デートが無事に終わったと思った直後に、なかなかにハードな出来事だった。

 

フジキセキはフジキセキで、お小言も口にせず、何か察したように「仕方ないね」などと言いながらテイオーを引き剥がして寮に戻って行ったが、一体どういうことだったのだろうか。

 

なお、その後テイオーからひたすらメッセージが届き続け、付き合っていたら深夜になってしまったことを申し添えたい。

本当に、あの沈みっぷりは一体何だったのかと首を傾げることになった。

 

さて。

一晩が明けた訳だが、大変な事実に気がついてしまった。

 

 

風邪をひいた。

 

 

寒気がするし、体の節々が痛む。

頭痛はひどく、うっすらだが視界が白く濁っている。目が霞むとでも言えばいいのだろうか。

 

ベッドボードに置いている体温計を取り出し、熱を測ってみれば、38.5度。

なるほど、こうなる訳だ。

 

とはいえ、のんびりと休んでもいられない。

桐生院トレーナーを預かっているということもあるし、昨日のフォローもしなければならない。

ルドルフもメジロマックイーンの車が跳ねた雨水を被ってしまっているし、テイオーは昨晩はほぼ雨ざらし状態だったので、体調面で不安が残る。

二人とも、風邪をひいてなければ良いのだが。

 

体調管理は基本の基本、と口を酸っぱくして言っている筈の私がこの様というのは何とも格好がつかないが、解熱鎮痛剤を飲んで身支度を整えているうちに、多少は動ける程度まで緩和されたように思う。

 

出かける前に、きちんとマスクをする。

今回は何を思ったか「n95」と記載された、無闇に性能の高いマスクである。

多少呼吸は苦しいが、致し方ない。

 

自分が辛いのは体調管理がなっていない証左なので自業自得だが、だからと言ってもし担当にうつしてしまっては目も当てられない。

うつせば治る、とは良く言うが、そんな方法で治るぐらいならばいっそ治らないほうがまだ良い。

 

普段マスクなど滅多にしないので、もし不審がられることがあれば、春先故に切ることの許された最強のカード「花粉症」を言い張る心算である。

 

さ、行こうか。

 

あまりのんびりしていると、またも不審がった担当ウマ娘たちが寮の前でやらかしかねないのだから。

 

 

 

 


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