トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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韋編三絶

 

 

 

 

それにしても随分ともう暖かくなったものだ。

寒気のおかげで妙に寒くはあるが、気温としては暖かく、心地よい。

職場への道を歩いているだけだというのに、新調したバッグのおかげで気分も少しばかり明るくなっている。

それと、体調不良が一周回って妙に元気一杯になっている。

 

何かおかしな薬でも飲んだだろうか。

 

ともあれ、身体が動くのは幸いだ。

トレーニング場にたどり着くと、ひどくご機嫌な愛バ達が。

 

何故か笑顔のままばちばちと火花を飛ばして向き合っていた。

 

「見るといい。これがトレーナー君からの…」

 

「ふふーん。ボクの足首を見てよ。ウマ娘にとっての命を守るんだって意味だよ、これ?ボクの方が…」

 

…また朝からか。

ルドルフとテイオーだと身長差があるものの、お互いに笑顔のまま圧力を出している。

つい最近もこんな光景に出くわしたような覚えがある。

 

そしてその間に挟まるような位置に立ってしまった桐生院トレーナーが気の毒でならない。

私だったとしても、あんなところに挟まるのは御免被りたいところだ。

 

……あ、気づかれた。

 

ぐりん、と二人の耳がこちらを向き、続けて首がこちらを向いた。

 

「ああ、おはよう、トレーナー君。昨夜はいい夜をありがとう」

 

ちらり、と首元を開いて見せるルドルフ。

絵面としてはあまり褒められた物ではないが、ちらりと細いネックレスのチェーンが、朝日を反射してきらりと輝いて見えた。

自分で選んでおいてなんだが、プレゼントしてよかったと思う。

 

「おはよー!トレーナー!昨日はありがとー!早速つけてきちゃったよ。ねえねえ、似合うー?」

 

いつも通り元気一杯のテイオー。

昨夜の萎みっぷりがなんだったのかと目を疑うような光景ではあるが、このひまわりのような笑顔を見ているとこちらも元気にしてくれる。

軽く足を振って見せた通り、シューズに少し隠れるようにしてアンクレットが見えた。

 

「おはよう、二人とも。よく似合っているよ」

 

どちらがより似合っている、などと言う見え透いた爆弾のスイッチを押しに行く気はない。

それに、二人ともそれぞれに似合っているのだから、それでいい。

センスのない私の見立てだったので不安ではあったが、一晩が経って改めて見ると、やはりよく似合っていた。

 

…あの時、二人に同じものを買っていく勇気がなかった私ではあったのだが、今となってみれば、全く同じもので揃えた方が後々の火種とならなかったのではないだろうか。

今からやり直しが効いたりしないだろうか。

 

「…それにしてもトレーナー君。そのマスクは一体どうしたんだい?風邪でも引いて…」

 

流石に目敏い。

この時期、マスクを付けた者は多いので流してくれないかと祈っていたが、流石に付き合いの長いルドルフは気づくか。

 

「どうにも朝から鼻が出てね…。花粉症かもしれない」

 

「む。それはいかんな…ある日突然花粉症になるというが、こうも木で囲まれた環境ではさぞ辛いだろう」

 

「いやあまったく勘弁してほしいよね。明日も続くようなら耳鼻科にでも行ってみるよ」

 

「…ふむ。学園内にアレルゲンは…まあこの際更地にしてしまえば…」

 

おかしい。

花粉症かも、と告げただけで、学園内の植栽が更地にされようとしている。

 

「大丈夫、トレーナー?花粉症って辛いみたいだし、ちゃんとお薬とかもらってきてね?」

 

「ああ、大丈夫。今までなかったからびっくりしているだけだよ」

 

無垢な心配の声と目が、酷く心に刺さってくる。

違うんだ。ただ熱があるだけだから…とは今更いい辛い。

なんとか今日を乗り切り、明日に回復することを祈るばかりである。

 

「さて、準備をしているから、二人はストレッチね。体をちゃんとほぐしておいて」

 

「承知した」

「はーい!」

 

ルドルフは鷹揚に頷き、テイオーは楽しそうに手をあげて了解の意を示した。

 

「さて、桐生院トレーナーはこっちに。朝のトレーニングについて簡単に説明するから」

 

慌てて駆けてくる桐生院トレーナー。

 

「おはようございます。今日もよろしくお願いします!」

 

「おはようございます。朝から災難だったね」

 

「い、いえ…何かあったんですか?」

 

「ああ、気にしなくていいよ。基本的に機嫌はいいみたいだから。それで、今日の準備は…ああ、まずはストップウォッチだね」

 

桐生院トレーナーに、ストップウォッチを二つ手渡す。

片方はデフォルメされたルドルフのシールが貼られた緑色。

もう片方はこれまたデフォルメされたテイオーのシールが貼られた青色のストップウォッチである。

 

「ありがとうございます。…随分と可愛らしいストップウォッチですね?」

 

ほほー、と感嘆の声を上げながら、桐生院トレーナーが矯めつ眇めつしてストップウォッチを眺めている。

わざわざ特注しているので、ウケがいいようで良かった。

 

ルドルフのシールは流通しているので今更だが、デビュー前のテイオーのものはまだグッズ化されていない。

であれば、どうしてこんなものがあるのか。

…アグネスデジタルとは仲良くしておいて正解だったと思う。

 

「これもモチベーション管理の一環だよ」

 

モチベーション管理のために、意外とこう言う小細工が必要だったりするのだ。

こうした細かいところでも、応援しているという姿勢を見せていくことで、ウマ娘たちは期待に応えてくれる…と、個人的には考えている。

 

それと、もう一つ理由がある。

 

「ベテランになっていくと担当も増えるから、一目で誰のものか分かると言う点でも、意外と実用的だそうだよ。自分でやるのは初めてだけどね」

 

元々は、ルナが勝手にストップウォッチを自分仕様に改造して押し付けてきたのがはじまりだったが、今では複数の担当を抱えるトレーナーは大体それぞれの担当カスタムを施したストップウォッチを持っている。

 

おハナさんのところは妙にセンスが古いが、カスタムをマルゼンスキーが手伝っているせいである。

何故かスワロフスキーや、何故かタッセルをつけたりと妙にゴテゴテしがちなので、邪魔になってくると綺麗に剥がされてしまうのを嘆いているのをたまに見かける。

最近はプリクラを貼り始めたとの噂を聞いた。

 

「そうだ、こっちは桐生院トレーナーにあげる」

 

ひょい、とバッグから取り出したクリップボードを手渡す。

 

「クリップボード、ですか?」

 

「アナログだけど、これが結構使うんだ。仕事のもので申し訳ないけれど、先輩からのプレゼントってことで」

 

説明のたびに、小さなメモ帳に一生懸命メモをとってくれるのは嬉しいが、あれでは不便だろうと思い、クリップボードを用意した。

自分が使っているものと色違いのクリップボードである。

なんだかんだで、雨の中に放置する羽目になるなど、濡れたり汚れたりとハードな使われ方をしがちなものであるため、きちんと防水・防汚加工のされた使い勝手の良い逸品である。

このクリップボードにたどり着くまでに何枚をダメにしたのか、思い出せないぐらいには頻繁に買い換える羽目になっていたが、これにしてからは精々ルドルフの癇癪に巻き込まれてへし折られたり、ゴールドシップの手で紙飛行機のように折り畳まれたりして買い直す程度で、通常の用途には完全に耐えうるものだ。

 

「わあ、ありがとうございます!…あれ、これって…」

 

「誰のかよく分からなくなるから、シール貼っておいたよ」

 

「私の似顔絵ですか!こんなに可愛くしていただいて…」

 

「紙を挟むと見えなくなっちゃうんだけどね」

 

そう、アグネスデジタルにテイオーのシールを依頼する際、ついでとばかりに桐生院トレーナーの似顔絵シールも依頼しておいたのだ。

何に使うかについては熟知している彼女なので、きちんと防水仕様で仕上げてきた。

しかも一晩で。

 

頼んでおいてなんだが、グッズ関連に関しては異様なまでに有能である。

もちろん、きちんと対価は支払っている。

大抵は小額の原材料費と、ウイニングライブのチケットで支払いが済むので、非常にありがたい。

 

問題は、依頼した品の引き取り時に、何故か毎回必ずやばいほうのアグネス…もとい、アグネスタキオンが何か胡乱な品物を同梱してくることである。

 

最初はラベルすら貼られていない、いかにも危険なものばかりだった。

最初は妙にそっけない茶色の瓶だったのに、最近は妙に可愛らしい丸々とした手書きの文字で「解熱剤」「喉の痛みに」「寝不足の時に」「元気がない時に」など、きちんとラベルの貼られた錠剤の薬が届くようになっている。

 

そして今朝飲んできたのも、アグネスタキオン印の解熱鎮痛剤である。風邪薬も飲んだが、流石にそちらは即効性は見込めない。

…やけによく効くのだが、ラベルと共に貼られたあのシールの笑顔を思い出すと何故だか無性に腹が立つ。

それと、身体が発光し始めるような罠が仕込まれていなくて良かったと切に思う。

 

 

 

 

 

ともあれ。

ほくほく顔で喜んでいる桐生院トレーナーには悪いが、仕事の時間だ。

二人のストレッチがそろそろ終わる。

 

ストレッチを見ていた限りだが、二人とも先日と比べると少し身体が硬い。

昨晩に身体を冷やした影響が出ている可能性がある。

今日の朝練はあまり追い込まず、身体を温めることを中心に据えようか。

 

少し離れた位置でストレッチをしていた二人から、終わったとの声が掛かる。

 

「…さて、それではお待ちかねのトレーニングを始めようか」

 

「はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…それにしても。

 

頂いたクリップボードに挟んだ今日のトレーニングメニューを、目で追っていく。

ストレッチと、ウォーミングアップまではメニュー通り。

 

ですが、そこから先に予定していたトレーニングと、実際に今行っているトレーニングは随分と内容が異なっています。

 

ターフを走るお二人は、涼しい顔で流し気味に走っています。

本来のメニューであれば、併せで、強めのはず。

 

それに、ターフに出す前にも軽くではありましたが、別のトレーニングメニューを挟むなど、大きく異なっている状態。

 

もしかして、メニューを別の日程と間違えて渡されたのでしょうか、と思い日付を確認するも、今日の日付。朝練とも書いてあるので、メニュー自体に間違いはないでしょう。

 

「あの…」

 

「メニューの違い、かな」

 

聞かれると思っていたのか、内容を話すまでもなく。

 

「え?…はい。どうしてか気になって」

 

「ストレッチと、ウォーミングアップ。そこで少し、動きが固かったんだ。昨日の夜に少し、外出先で身体を冷やしてしまっていたから、それが影響しているのだと思う」

 

「ふむふむ…?」

 

「レースがしばらくない今、一番怖いのは、怪我だ。追い切る必要もなく、テイオーにレース勘をつけるにしても、今日焦ってやる必要はない。だから少し変更して、ラップタイムをひたすら意識して走らせている、と言う感じだね」

 

…なるほど。

メニューはメニューとして持ちつつも、ウマ娘の当日の状態…今の私では分からないような、微細な違いでさえ読み取って、リスクを避けつつ効果的なメニューを組んでいくということでしょうか。

 

確かに、白書にもそのような事は記載してありましたが、こうして実際にトレーニングに参加していると、注意して見ていてもまだまだ足りないと言うことがよくわかります。

 

「なるほど…勉強になります」

 

手元のメモに、教わったことを記入していく。

 

「知っていることと、実践する事は少々違うから、桐生院トレーナーが「知っている」ことが現実の中でどう「実践されている」のか、その差異を埋めるのにこの研修期間を使ってもらえたらいいと思う」

 

 

あとは、ウマ娘の現実とのギャップもね…と。

俯いて呟く、憂いを帯びた先輩の横顔は、妙に心に焼き付いたのでした。

 

一体、どういうことなのでしょうか…。

 

 

 


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