トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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薬籠中物

 

 

 

 

 

ふわり、と。

 

頭に何かが触れているような感触があった。

 

 

 

 

 

 

 

…薄暗い。

 

ああ、瞼が重い。

 

今、何時だ…?

 

 

 

 

「しまっ…!」

 

タイマーもセットせずに寝てしまった。

まずい、また遅刻してーーー

 

慌てて跳ね起きようとして。

 

「ふふっ、大人しくしていたまえ」

 

ぐい、と額が押し返された。

 

「…誰だい」

 

聞こえているはずの声が、うまく認識できない。

誰の声なのか。

寝起きの頭が認識を阻害している。

 

「失礼、勝手に上がらせてもらっているよ」

 

重たい瞼をゆっくり持ち上げていく。

今にも再び眠りに落ちそうだが、なんとか力を振り絞って。

 

霞む視界。

ぼやけて、焦点も定まらない。

 

「……」

 

徐々に瞳が焦点を結び始める。

いつの間にか消されたシーリングライト。

遮光カーテンが引かれ、その隙間から僅かに陽光が入り込んでいる。

 

そして、人の影。

 

癖のある濃い目の栗色。

小さなベンゼン環。

そして、若干濁った瞳。

 

「アグネス、タキオン?」

 

「いかにも。おはよう、トレーナーくん。お目覚めはいかがかな?」

 

いつものように口の端を軽くあげたアグネスタキオンが、私を覗き込んでいた。

 

「……なぜここにいる」

 

「何故とは心外だな。君が私の薬に頼るような事態に陥っていたから、わざわざ研究をほっぽり出して様子を見に来てやったんだぞ?」

 

状況が読めない。

何故そのことを知っている?

何かおかしな薬でも混入させていたのか?

 

しかし、体が光るなどの、トンチキな効能を発揮する様子もなかった。

 

「ああ、君が飲んだ薬はあくまでも風邪薬と解熱鎮痛剤だよ。特製品ではあるがね」

 

だったら、何故知っているのか。

 

「きみ、案外律儀に私が贈った救急箱を使っているだろう?」

 

……あ。

 

「ふゥん…その顔だと、気づいていなかったようだねえ。不用心だ」

 

「あの箱は、開いて中に入れたものを取り出すたびに、底に仕込んだセンサーが感知して私の端末にSOSを送るようになっていてねぇ…まさかきみが気づかずにそのまま使ってくれているとは思わなかったよ」

 

やられた。

 

まさかあんなただの箱にそこまでしているとは、予想外だった。

警戒の対象が小瓶の中身に向いていたこともあったし、アグネスタキオンが物理的・機械的な仕掛けをしてくるというのは、正直予想の範囲外だった。

 

「それで、何をしにここまで?薬の検証かい」

 

実際に風邪を引いた人間が自作の薬を飲んでいるのだから、効果検証に来たと言われても不思議はない。

彼女の性格であれば、いくらか検体を確保し、経過観察をすれば満足して帰っていくだろう。

 

「何をバ鹿なことを言っているんだい」

 

「どういうこと?」

 

「はぁ…いちからか?いちから説明しないと駄目なのかい?」

 

しかし、アグネスタキオンは大きなため息をついた。

やれやれ、と肩を竦められた。

何故だか妙に腹が立つ。

 

「全く、察しの悪さもここまで行くと度し難いね。……きみが苦しんでいるのだから、この私が看病の一つもしてやろうと、そういう話だよ」

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

……???????

 

 

 

 

 

「看……病……?」

 

「そうさ。きちんと手製の冷却ジェルシートも貼ってやったし、ひどい汗だったから、タオルで拭いて、着替えだってさせてやったんだぞ?きみはもう少し私に感謝してくれてもよいと思うよ」

 

おかしい。

何かが致命的におかしい。

あのアグネスタキオンが、こんなに甲斐甲斐しく人の世話を焼くなんて。

 

「それに…寝ているきみの手だって握ってやった。見たまえよ、こんなに強く握りしめて。私の肌に爪が食い込んだらどうするつもりだったんだい?」

 

「手…?あ、ごめん」

 

右手に違和感。

見れば、アグネスタキオンの言う通り、その細い手を握りしめていた。

 

言われてから気づくとは何事だろうか。

慌てて手を離そうとするが、思うように手が動いてくれない。

 

「無理に離そうとしなくても構わないよ?私たちウマ娘の身体はきみが思っているよりも頑丈だからねぇ」

 

にやにやと。

まるでチェシャ猫のように笑って彼女は言う。

 

しばらくもがいてみたが、私の手はどうにも痺れたように言うことを聞かない。

 

「そっちはいい。とにかくきみは水分を摂るべきだ。だいぶん汗をかいていたからねぇ。ほら、これを飲みたまえ。塩分を添加した経口補水液だよ」

 

ぐいとラベルのないペットボトルを押し付けられる。

わざわざ蓋を外してから手渡してくれるあたり、本気で私を看病する気なのだろう。

左手で受け取ると、アグネスタキオンの手が背中に差し込まれ、上体を簡単に起こされる。

座ったままなのに、本当にこの力はどこから出ているのだろうか。

 

「む…ありがとう」

 

「お礼はいいからさっさと飲みたまえ。きみに必要なのは休眠だ。自分でもわかっているのだろ?」

 

言われるがままに、ペットボトルに口をつける。

スポーツ飲料と異なり、全く甘味はない。

甘みはないし、随分と温くなっていて、お世辞にも美味しいものとはいえない。

 

なのに、何故だか随分と美味しいと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……眠ったか。睡眠薬を混ぜた甲斐があったというものだね」

 

まったく。

世話を掛けるモルモットくんだ。

 

この私が研究を一旦放り出して駆けつけてやったからよかったようなものの、あのまま寝かせていてはより一層体調が悪化していただろう。

 

「あの生徒会長も何をしているのだか」

 

昨日の妨害作戦は見事に失敗に終わった。

あの後、カフェを連れてあちこち顔を出して回ったが、結果は空振り。

どうも、今朝集まってきた情報によれば、あの二人は無事デートを完遂したのだとか。

 

ついでに、2人目ことトウカイテイオーくんもそのおこぼれに預かったのか、朝から実にご機嫌だったと言うではないか。

 

……。

 

どうにも気に食わない。

数日がかりで行った実験が完全なる空振りに終わった時のような、遣瀬ない感情が胸の内に湧き上がっている。

 

これは苛立ちと形容すべきもの。

もっと言うならば、嫉妬心、というやつだろう。

 

私も随分とまあ、真面になってしまったものだ。

そんなものとは無縁であり、研究の徒であればそれで満たされていたと言うのに。

 

私の胸は、なぜこんなにも空虚さを訴えているのだろうか。

 

「んん……」

 

寝苦しいのだろうか。

ひどく汗をかいている。

 

眠れてはいるようだが、暑いのか、それとも寒気が酷いのか。

随分と寝苦しそうだ。

 

濡れタオルで汗を拭ってやれば、すこしばかり表情が和らいだ。

ああ、まるで子供のようだ。

 

繋いだ手が少しばかり動き、ぎゅっと握り直された。

 

「…あ」

 

空虚なそれに、暖かい光が宿る。

少しばかり肌に食い込んだ、短く切り揃えられた爪。

握る力は強いが、大した力ではない。

 

ちくりと爪が刺さる、甘い痛み。

振り解くのは簡単だ。

 

だが、どうしてかそれができない。

実に、実に不可解なことだ。

 

…トレーナーくん。

きみは、本当に酷いな。

 

穴が空いたようだった私の胸に、きみはどんどん立ち入ってくる。

アグネスタキオンという研究バ鹿からすれば、きみの存在はどう考えても余計だ。

 

何故わざわざ私の生活まで首を突っ込んでくる。

会長の世話で忙しいだろうに、わざわざ毎日弁当を作って届けに来た。

 

私がプランAだBだのと、それこそ死力を振り絞って人生を賭けた選択をしようとしていたところを、魔法のように片付けて去って行こうとする。

 

魔女の薬なんて必要ない、とばかりに。

童話に準えるならば、私は都合の良い舞台装置である魔女のはずだったんだがね。

 

必要ない、ときたか。

酷いものだよ、きみは。

 

……まったく、勘弁してほしいものだね。

私に魔法を掛けておいて、あとは知らんぷりかい?

 

だけどね、トレーナーくん。

私のガラスの靴を防弾仕様に改造しておいて、そのまま逃げようなんて虫のいい話、私は許さないよ。

 

 

本当に、迷惑なトレーナーくんだよ。

人の心を散々掻き乱しておいて。

こんな寝顔を見せられたら、不思議と私は何も言えなくなってしまうじゃないか。

 

 

普段迷惑をかけていると言う自覚はあるさ。

だけどね、それはきみが悪いんだ。

自覚したまえよ、きみも。

きみが私に困らされている以上に、私を困らせているのだということを。

 

迷惑をかけるのはお互い様だ。

きみに嫌そうな顔をされる謂れはないよ。

 

それに、きみはきちんと責任を取りたまえ。

私をこんなことにしてしまったきみには、私に魔法をかけ続ける義務がある。

 

 

 

 

 

…だけど、きみが弱っている今くらいは。

 

魔女の薬(わたし)は、きみの助けになろうじゃないか。

 


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