トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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神色自若

 

 

夢を見ていた。

 

暖かい水に浮かぶような。

粘着質な糸に絡め取られるような。

 

酷く暖かく、心地のよい夢を見ていた。

 

誰かの影が見えた。

私に手を伸ばしては、引っ込めている。

 

おどおどと、誰かが。

 

誰だろうか。

ルナ?それともテイオーだろうか?

 

それとも、他の誰だろうか。

 

 

 

 

世界が白く薄れていく。

 

 

 

 

ぼんやりとした像が結ばれた。

ようやく重さの少しとれた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

 

目に入るのは、見慣れた天井でも、無慈悲に時間を告げる端末のディスプレイでもない。

 

 

 

「ようやくお目覚めかい?」

 

 

 

薄暗い部屋。

 

栗色の、少し癖のある髪。

随分と見慣れてきたベンゼン環の髪飾り。

 

可能性の果てしか見ていない、濁った瞳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれほどの時間を費やしただろうか。

 

まったく、私らしくもない。

無意味に、ただ無意味に、病人を観察し続けるなんて、時間の浪費に他ならない。

 

ああ、嫌だ嫌だ。

何故こんなことに、私の貴重な研究時間を半日近く潰されなくてはならなかったのだろうか。

 

甲斐甲斐しく世話をするだなんて、それこそモルモットくんの仕事だろう?

水を飲ませ、汗を拭い、そばにいてやるだなんて。

どうにも私らしくない。

今日の私は随分とおかしくなっている。

 

非合理的だ。理不尽だ。

自分でも何をしているのか良くわかっていない程に。

 

でも、そうしなければならないと思ってしまった。

 

まったく、全く本当にきみときたら。

あんな顔をして、無防備に寝顔を晒すだなんて、実に警戒心が足りない。

まさに無垢なモルモットのようだ。

 

手のひらにはまだ、髪を撫でた感触が残っている。

すこしばかり荒れた頬の暖かさが残っている。

警戒心の塊のような顔を緩ませて、頬を擦り寄せてきたあの感触を覚えている。

 

 

 

 

 

 

ただそれだけの事でーーー。

 

 

 

 

 

しっかりと施錠をして、寮を出る。

太陽は少し傾いているが、ご機嫌は麗しいらしい。

 

フィールドワークには絶好の気候。

桜だのなんだのと、風情とやらにはあまり関心は湧かないが、不意に立ち止まりたくもなるような、そんな麗かな春の一日、と言ったところかねぇ。

 

…お腹が空いたねぇ…。

 

見舞いにと持ち込んだ果物の一つぐらい、拝借してくれば良かったとは思うが、私は果物も剥けないウマ娘だからね。

丸齧りというのは楽で良いが、そんな気分でもない。

 

手のひらに目を落とす。

少しばかり、薬の取り扱いで荒れてしまっていたかな。

 

また不摂生をしていると叱られてしまうかもしれないから、あのモルモット君が気付いてなければいいのだけれどね。

ま、そういう事に気づけるような状態でもなかっただろうから、後でハンドクリームでも塗っておけば良いだろう。

 

『準備できました、タキオンさん』

 

耳につけていたレシーバーから、同室のウマ娘の声が発せられた。

アグネスデジタルくん。

名前が似ていることから若干の仲間意識があるし、方向性はまあ、全く異なるし共通言語も少ないものの、お互いに研究者というか、求道者というか。

そういった意味での方向性は一致しているから、友人と呼べるような関係をほとんど持っていない私にとっては、数少ない理解者の一人。

 

そして、モルモット君と似た目の色をしているところが特に気に入っている。

言動は似ても似つかぬようなものだけれど。

……キラルな分子のようだねぇ。

 

「仕事が早いね、デジタル君。締め切りを守るのは作家としてのサガかな?実に素晴らしい」

 

『ぴぃえ!?おおおおお褒めいただき光栄の極み……はわぁウマ娘ちゃんからこんなことで直接お褒めの言葉を賜るなんてデジたんこれはいい仕事しなきゃ切腹ものですぞアッハァ』

 

後半はやけに早口で聞き取りづらかったが、まあいいだろう。

 

「さて、それではあまり時間もない」

 

さて、始めようか。

私の戦いはこれからだ、などと言わないよ?打ち切りになってしまうし。

まぁ、往々にして事を構える前から始まっているのさ、こういうものは。

 

『はひっ!カウント行きます。10秒前』

 

 

きみが目覚めるまで、いましばらく。

 

 

『5秒前』

 

握った手の感触が脳裏を過ぎる。

…うん。

 

『3、2…』

 

やはり、これでいい。

望むなら、これがいい。

 

『1…』

 

 

きみにくれてやった毒りんご(眠り)の魔法は、まだ解けない。

 

 

すうと息を吸い込んで、吐息に言葉を乗せて吹き込んでやる。

さァ踊ってくれたまえ!私のために、私の掌の上で!

 

『やあやあ、全校約2000人前後の生徒諸君!授業中に失礼。ご機嫌はいかがかね?』

 

 

 

 

 

ーーーきみはもう少しだけ、眠っているといい。

 

 

 

 

 

…あ、でも私が酷い目に遭う前には目を覚ましてくれたまえよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やあやあ、全校約2000人前後の生徒諸君!』

 

昼時の放送が始まるにはまだ早い、耳慣れないタイミングでの校内放送。

若干の耳障りなノイズが混ざった音が、学園内に響いた。

 

何事だ?

こんな放送が入るとは聞いていなかったはずだが。

思わず携帯端末を取り出し、スケジュールに見落としがなかったか確認するが、そもそも午前の授業終了まで5分などという中途半端な時間に入れる放送があれば、土曜日の時点で確認があって然るべきだ。

 

それがなかった、ということは。

イレギュラーか。

 

『授業中に失礼。ご機嫌はいかがかね?元気に学問に励んでいるかい?実に結構』

 

この声には聞き覚えがある。

妙に粘着質な声の持ち主。

 

…アグネスタキオン。

 

また厄介ごとか。

折角、昨夜の余韻にまだ浸っていたところであったというのに。

午前の授業を終え、トレーナー君を迎えに行くという大切な用事があるというのに、余計な仕事を増やしてくれるとは、本当に厄介な生徒だ。

…あの脚は認めざるを得ないし、夢に目を灼かれた者としてのシンパシーもある。

 

だが、厄介なものは厄介であることに違いはないし、何よりもトレーナー君に纏わりつかれるのは、まさに眼中之釘。酷く鬱陶しい。

 

『さて、本日は私から、恋にお悩みの諸君にお知らせがある。こう言うと何だが、全校生徒のうち半分以上はお悩みなのではないかと推察するが、それはそれ』

 

声にノイズが掛かっている。

放送室からの放送ではないな。

校内放送をどこからかジャックした?

あの薬学と走ることだけに突き抜け、その他一切合切を削ぎ落としてきたような彼女が?

 

『率直に言おう。例の薬の錠剤化に成功した。協力者を求む』

 

ーーーー。

 

学園内に轟音が鳴り響く。

ほぼ同時一斉に椅子や机が倒れる音が響いた結果、とんでもない音量となり、学園を揺るがす轟音となったのだと気づくまでに、少々の時間を要した。

 

音も凄まじいが、何よりもーーー。

 

…『例の薬』だと?

まさか。

 

『例の薬、で伝わらない諸君のために、あえて平たく形容しようか』

 

やめろ、それは大変な事になる。

 

以前その失敗作が気化して学園の廊下に充満し、理性を失った暴徒が発生した。

その後、実用化に成功したのはいいが…安易にばら撒いたがために、貴重なトレーナーの一斉寿退社を招いたあの悲惨な事故は、学園史に名を残すような大事件だった。

 

『そう…いわゆる”自白剤”だよ』

 

それを、今度は安定した錠剤で実現しただと?

 

『とはいえ、今回は前回の失敗を踏まえ、理性が飛ぶようなものではない。あくまでも、本音でしか話せなくなってしまうというものだ。随分苦労したんだよ?』

 

ーーーそれは。

 

『まあ、まだ固定化に難があってね。先着1名のみだ。しかも、持続時間はたったの10分。薬効は個人差があるから、その点も保証しない』

 

たった10分間。だが、自白剤さえ飲ませれば、意中の相手の『本心』が聞き出せる。

以前事件を起こした惚れ薬のように、相手の感情を無理やり操作したことにより発生する悲劇も存在し得ない。

トレーナーたちが言い辛いだろう本音が、簡単に聞き出せてしまうのだ。

 

そう、誰を愛しているのか、という事でさえ。

 

…いかん。

気を確かに持て、シンボリルドルフ。

私とトレーナー君は相思相愛だ。今更そんな薬に頼る必要はない。

 

しかし、クラスメイトの目の色が、まるで獲物を前にした猛獣のように、ぎらつき始めた。

 

『私はこの薬を持ったまま校内を彷徨いているので、せいぜい見つけてくれたまえ』

 

タキオン。アグネスタキオンよ。

学園の安寧を脅かすのはやめてくれ。

一名に限定したあたり随分と今回は検体の確保については譲歩したようだが、それでさえ奪い合いになるだろう。

 

『ああ、前回のように私が叱られるのは御免だから、破壊行為は厳に謹んでくれたまえよ。それでは、授業中に失礼したね』

 

そう言って、放送はぶつんと音を立てて切れた。

 

即座に端末で生徒会メンバーに通話を繋げる。

 

『会長、学内の放送回線がジャックされていたようです、メイショウドトウがき、亀甲縛りで転がっているところを放送室で発見されました。下手人は不明。マイクのインプットに通信機が接続されていました。遠隔ですね』

 

「やはり遠隔か。ひとまずメイショウドトウのケアを優先しろ。ブライアンはいるか」

 

『屋上に出た。今のところ、見える範囲では外を歩いている様子はないな。…ああ、生徒が昇降口から一斉に吐き出されていっている。教員やトレーナーが裏手から散り散りに退避を始めている。今のところは捕まっている様子はないぞ』

 

「一先ずは大丈夫か…。念のために確認するが、二人はあの薬を使う気はないな?」

 

『ま、まあ私には使う予定はありませんが』

 

『面白そうだし、ちょっと使ってみたいとは思うが。まずは回収だろうな』

 

一瞬だけ、回収してからこちらで「処分」してもよいのだろうかと悪魔が囁くが、理性を動員しなんとか鎮圧に成功する。

 

「ふたりとも気をつけろ。あのアグネスタキオンだ。最高速は誇張でもなんでもなく、学園最高峰だ。トレーナー君のせいで懸念だった脚の問題も解消されてしまった。正面から捕まえるには手強い相手だ」

 

『そりゃあ面白い。私が差せばいいだけの話だな』

 

「エアグルーヴ。風紀に動員要請を。それと秘書の駿川さんに協力要請を出してくれ」

 

『は。直ちに』

 

『私は?』

 

「ブライアンの勘を当てにさせてもらおう。好きに動いてくれ。ただし連絡には出るように」

 

『わかった』

 

二人が通信ルームから退出したのを確認すると、すぐさま端末の監視アプリケーションを立ち上げる。

 

…良かった。トレーナー君は自室に戻っているらしい。

 

渦中から離れた位置だ。

花粉症が辛いと今朝言っていたので、薬を取りにか、あるいは休むために自室に戻ったのだろう。

 

しかし顔が少し熱った色をしていたのが気になる。

随分と性能の良いマスクをつけていたから、慣れないマスクに呼吸が苦しいのかと思っていたが…

 

アプリケーションの上から、着信の通知がポップアップした。

 

『会長!風紀委員は全員が出払っており、駿川さんも連絡が付きません!』

 

「他の協力者候補は?」

 

『それもダメですね。騒ぎに巻き込まれたか、或いは…』

 

…最悪の事態だ。

生徒会役委員以外の大半の生徒が、例の錠剤を求めて動き出してしまっている可能性が高い。

 

幸いな事に、新入生は今の時間は教官によるトレーニングに関するオリエンテーションのために校舎内にいない。

いたとしても、まだ執着の対象と出会ったりはしていない者が大半だからそこまでの騒ぎにはならないはず。

 

…いかん。

私も早く捜索に加わらなければならない。

人海戦術が取れない以上は単独で動くしかないのが口惜しい。

 

騒ぎの起きている方向へ向かえば恐らくは見つかるだろうが…。

 

アグネスタキオンはああ言っていたが、奪い合いになってしまった場合の被害は想像したくもない。

被害を受けるトレーナーは一人に限られるが、被害者が一人だからといって坐視しているわけにもいかないのだ。

 

む、また着信だ。

 

「メイショウドトウのケアが終わり次第、エアグルーヴも捜索に加わってくれ。私もこれから動く」

 

『了解しました』

 

一旦通信を切り、そしてすぐに出る。

 

「シンボリルドルフだ」

 

『カイチョー!僕はこれ参加するからね!捕まえたら一緒にトレーナーの本音を聞き出そーよ!5分・5分でいいよね!』

 

テイオー?

ちょっと待てテイオー。

 

そうやってわたしの理性を揺さぶりに来ないでほしい。

本気で悩んじゃうから。

 

5分かあ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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