「アグネスタキオンンンンン!!その!薬を!寄越しなさい!!」
これまた凄まじい形相でもって私を追いかけてくる一団を引き連れるようにして、私は地面を蹴って前へ前へと駆けていた。
エアグルーヴくんを振り切ったのはいいが、流石に目立ちすぎたようだね。
それに煙幕を使用したのも良くなかったようだ。
あれのせいで盛大に目立ってしまい、生徒たちに捕捉される羽目になってしまっている。
幸いにして、誰も彼も散々走り回った後のようで、すでに息も上がっている。
それに、小競り合いが多発してくれたおかげで彼女たちの制服もぼろぼろだ。
程よく消耗してくれているお陰で、エアグルーヴくんを振り切る意外でまともに走っていない私にとってすれば、千切り捨てるのも容易だった。
とはいえ、数が数だ。
振り切ったとしてもすぐに次の追手がかかる。
この脚だけで振り切るのは些か労力が掛かりすぎる。
煙幕だけでは心許ないと思い、あちこちに仕込んでおいたトラップを十全に活用しながら全力で逃げ回る。
音響、煙幕、投網、スライム、催涙……まあ、ありとあらゆる思いつく限りの嫌がらせの数々を駆使して見たが、それでも一定数が食い破ってくるのは恐ろしい話だね。
つい先ほども、スライムで粘液まみれになりながらも鬼の形相で追い縋ってきたウマ娘をようやく脱落させたところ。
自分で引き起こした騒ぎではあるが、いやはやここまでするかい?
……いや、するのだろうな。
きっと、私でも。
向かう目的地はトレーナー寮。
そろそろ覚醒に向かっているトレーナーくんの目覚めを見届け、体調を確認しなければならない。
そのためには、迂回しつつ寮を目指していると悟られて先回りされることは避けたい。
そろそろシンボリルドルフ会長や、トウカイテイオーくんには目的がバレている頃合いだろう。
そうなれば、寮の前で一戦交えなければならない可能性さえある。
下手に消耗していられないのだ。
次のトラップは……ああ、少々良心が咎めるが仕方がない。
ひっそりと設置されていた紐を、駆け抜ける勢いで掴んで引き抜く。
くるり、と身を反転させながら制動を掛ける。
ざりざり、と蹄鉄で舗装された地面を削りながら。
こういう無茶な動きができるようになったのも、トレーナーくんのお陰だろう。
つい数年前までは、脚に負担を掛けないことばかり考えていたというのに。
全く、ありがたくて涙が出てしまいそうだよ?
さて、今度のトラップは少々悪辣だぞ?
白衣を翻し、手を追走してくる彼女たちに向けて高らかに。
「さあ行け!私のモルモットくんたち!」
ケージに詰め込んでおいた大量のモルモットくんが解き放たれる。
いきなり解き放たれたモルモットくんたちは、突然の出来事に戸惑い、そろりそろりとケージから出てゆき、彼女たちの進路を塞ぐ。
ぷいぷい。
きゅいきゅい。
可愛らしい鳴き声を発しながら、好奇心の赴くままに、本能のままに新たなる旅路へと旅立とうとするモルモットくんたち。
しかし動物園のふれあいコーナーを優に凌ぐほどの数を解き放てば、その鳴き声は少々やかましいほどだ。
あっちへうろうろ、こっちへうろうろと、ろくに指向性もなく解き放たれたモルモットくんたちが散らばっていこうとする。
三々五々、それぞれ一匹でどこかへ行こうとする個体や、なぜか列を成してもそもそと歩いて行く個体、そのまま草を食み始める個体などバリエーション豊かだ。
ケージの外に放したことがほとんどなかったというか、研究室の外で放し飼いになどする機会もないので、こうして盛大に脱走して行く姿はどこか新鮮味がある。
下手に解き放つと帰ってくるはずもないので、当たり前ではあるのだが。
それにしても実に緊張感に欠ける姿だねえ。
ほのぼのしているじゃないか。
まるでベッドで穏やかな表情をして眠るモルモットくんとそっくりではないかな?
……まあ、そのままではモルモットくんたちが行方不明になったりとしてしまう可能性が高く、野生のかけらも見られない彼らを野放しにしては気の毒なことになってしまうだろう。
「えっ!?何このモルモット!?あれ、何か背中に……って薬の瓶!?」
足止めをより確実な物とし、そして気の毒なモルモットくんを出さないために告げる。
「はっはっは!さあてどのモルモットくんが幸運の女神かな?」
「ちょっ……嘘でしょ。モルモットを捕まえるわよ!!どれかに当たりが入ってるかもしれないわ!」
慌ててモルモットくんたちをかき集めようとしているウマ娘たち。
あっはっは、見事に引っ掛かってくれたようで何よりだ。
まあ、そのモルモットくんたちはただの精鋭陽動モルモット部隊だから、当たりなど入っていないのだけれどね。
逃げおおせるほど気骨のある子はいないと思うが、ちゃんと捕まえてケージに戻しておいてくれたまえよ、君たち。
くるり、と踵を返し、何事か叫んでいるウマ娘を尻目に再度加速しようとして、はたと「それ」に気づく。
「こんにちは!やっと見つけたよ?」
どこかで見たような流星。
ぴょこぴょこと楽しげに揺れるポニーテイル。
人好きのする笑顔。
ああ、ここで仕掛けてきたのか。
「やあトウカイテイオーくん。こんなところで出会うなんて、奇遇じゃないか」
本当にトレーナーくんの愛バは厄介なのしかいないな。
一体、どういう教育をしているんだい?
先程のモルモットくんたちが良い仕事をしてくれているおかげか、追撃の手はぱたりと止んだ。
寮の前までたどり着くと、ひと呼吸つける。
途端に現実に帰ってきたような、どこか不思議な気分だ。
これほど走ることに集中できるというのは、これまで抱えていた問題が解消したからというだけでは説明が付かない。
やはり、精神が肉体面に及ぼす影響は……いや、今はそうではない。
空を見上げれば、世界が赤く染まって行こうとしている頃合い。
時間は随分と稼げたようで、太陽の位置はもう随分と傾いている。
ふと、予感がした。
そろそろトレーナーくんも起きた頃合いだろう。
このバ鹿騒ぎも、そろそろお仕舞いにしようか。
インカムの通話ボタンを押し込み、ここまで尽くしてくれた協力者に声を掛ける。
「デジタルくん、手伝いはここまでで完了だ。報酬は追って支払うので、撤収に入ってくれ。くれぐれも足のつかないように」
追って支払うも何も、同室なので取り立てから逃れられようもないのだが。
それでも、私などの悪巧みに協力してくれる物好きな彼女にはお礼の一つも述べておきたい気分だった。
『ひゃい!承知しました!……幸運を』
「ありがとう。では後程」
通信を切り、インカムを外して地面に放り出すと、踏みつけて破壊する。
証拠は物理的に隠滅するに限る。
童話だって、ガラスの靴を誰かが粉砕してしまえばシンデレラなぞ見つかる由もなかったのだから。
腕を組む。
もう一度空を見上げれば、まだ足の早い春の陽はさらに少しばかり高度を落としたように思えた。
……ふぅ、と細く息を吐く。
実に。実に長い1日だった。
なぜ私がこんなにも疲れるような羽目に陥らなければならなかったというのだ。
それもこれも、あの愛らしいモルモットくんのせいに違いない。
すぐにでもラボに帰って研究の続きに手をつけたいという気持ちも当然ある。
だが、意に沿わない配役とはいえ、途中までやりかけた仕事を途中で放り出すのは矜持に反する。
あっはっは!本当に厄介な役目を自ら背負い込んでしまったものだねぇ。
振り返る。
寮からまっすぐ伸びる学園棟への道。
味気ないその道の向こう。
できれば見たくなかったそれが、まっすぐにこちらを目指して歩いてきている。
瞳からまるで炎でも立ち上っているようで、その紫色は酷く剣呑な光を湛えてこちらを見据えている。
やはりここで仕掛けに来たか。
だが、少しばかり遅きに失したね。
いやはやまったく、生徒会長ともあろうものがなんて失態だい?
こんな有様では、きみにトレーナーくんの看病など任せられないんだよ、残念なことにね。
さて、最後の仕事は邪魔者の排除。
どこまでやれるかは分からないが、やれるだけやってみようか。