トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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往事渺茫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…まずい。

 

アグネスタキオンに看病されたらしいところまでは朧気ながら記憶には残っているのだが、その後の記憶がはっきりしない。

 

有り体に言ってしまえば、この惨状に全く記憶がない。

 

起きた、という意識自体はあったのだが、輪郭がなく、音でさえも水中で聞いているような、ある種朦朧とした状態にあったとしか弁解のしようがない。

ぼんやりしているな、という思考だけは存在していたが、ふと急速に思考がクリアになっていくにつれて、私が置かれている現在の状況が余計に分からなくなった。

そして現在はと言えば、寝室の椅子に腰掛けた状態で、先ほどから私は酷く胃痛と頭痛の二つとの戦いを強いられているという状態である。

 

私のベッドに横たわるのは、ルドルフ、テイオー、アグネスタキオンの3名。

自室のベッドで、それぞれの方向性で容姿端麗な3人のウマ娘が眠っているという状況に、思うところがないとは言わない。

なんというか、実家で飼っていたハムスターが固まって眠るような姿には自然と目尻が下がるような思いだ。

 

これが穏やかな寝顔であれば、さぞ微笑ましいものとなったことだろう。

本心からそう思う。

 

だが、しかし。

それが本当に「穏やかな寝顔であれば」である。

 

現実はどうか。

 

3名が3名とも、何らかの恐ろしい目にでも遭わされたかのような苦悶の表情で気絶しているのである。

 

ルドルフは泡を吹いているし、テイオーは顔を青くしてぶるぶると震えている。アグネスタキオンに至っては時折痙攣している始末。

社会的な死を免れたという意味では、3人の着衣が乱れていないのが救いかもしれないが、この状況が一体何故引き起こされたのかを知らなければ安心して日常へ帰ることもできない。

 

それ以前に、頭痛か胃痛により私が死んでしまうかもしれない。

 

端末で、学内イントラネット上に何かしらの情報が出ていないかと確認したところ、今現在はベッド上で苦し気にうごめくテイオーと壁の間でじわじわと押しつぶされ始めているアグネスタキオンが首謀者となって、自白剤なる胡乱なる薬を持ち出して騒ぎを起こしたとの情報が大量に出回っている。

 

あっちで見かけた、こっちで見かけた…とまぁ、まるで指名手配犯のような扱いだ。

添付されている「逃げるアグネスタキオン」の画像を確認するが、なるほど。

画像を見る限りではあるが、あれはやばいことに定評のアグネスでも、害のないほうのアグネスだ。

わざわざウィッグを被り、変装はしているようだが、現物が丁度倒れているので見比べてみれば、尾の色が若干違う。

恐らくだが、ヘアマニキュアの類で毛色を誤魔化そうとしたのだろう。

何故こんなことをやっているのかはさっぱり不明だが。

 

しかし、その騒動の首謀者と、鎮圧を行う体制勢力の筆頭たるルドルフが仲良くベッドで眠っている状況には上手く繋がらない。

鎮圧しようと争った果てに相打ちに持ち込まれた可能性はある。

なにせ相手はあの曲者だ。

 

その曲者はテイオーと壁に挟まれてちょっと潰れているが。

 

…とはいえ、争ったにしては実に身綺麗というか、特段そのような形跡は見当たらない。

流石に服を捲る訳にもいかないので服の上から診るだけにはなるが、特段外傷はなさそうだったので、一安心というところ。

 

テイオーだけは何故か若干煤けているが、テイオーの身に一体何があったのだろうか。

 

…そういえば担当ウマ娘とは言え、こうしてトレーニングとは関係の無いところでまじまじと見ることは無かったかもしれない。

普段、トレーニングでは体操服だろうが水着だろうが、無遠慮に観察している訳ではあるが、改めて考えると制服姿ではそもそもトレーニングなどしないので、妙な心境になりそうだ。

 

いや、そんな事を考えている場合ではない。

 

どうしたものか、と腕を組んでみるも、良案は浮かばない。

というか、妙に落ち着かないのである。

 

 

何故か?

こちらを妙に近い距離からじっと見上げてくる金色の瞳が、私から若干の冷静さを奪いに来ているからだ。

 

視線の主はマンハッタンカフェ。

意識が明瞭になってきたと思ったらすぐ近くにいて、至近距離からじっとこちらを見ているのである。

猛禽類のような瞳で至近距離からじっと見上げられていると、落ち着かなくて仕方がない。

 

私は何故捕食される小動物の気分を味わされているのだろうか。

 

更に、マンハッタンカフェが何か掴んでいるなと思えばそれは紐であり、その紐の先でちょっとばかり絵面がとんでもないことになっているウマ娘がしくしくとべそをかいているのである。

 

確か、メイショウドトウといったか。

 

接点はほとんどないのだが…なんかこう、すごい身体をしているのだ。

無論、トレーナー目線で見て、だが。

 

普段見かけるときは大抵、背を丸めて小さくなっているためあまり目立たないが、真っすぐ立つとルドルフとほぼ同程度の身長。

中等部にしてはかなり身体の成長が早いのか、体つきもしっかりしている。

性格故か、なかなか勝ち切れずに苦しんでいるようではあるが…。

 

思わずじっと見てしまっていたせいだろうか。

 

「あの…あのぅ……」

 

おろおろと視線を彷徨わせ、だんだんメイショウドトウの目がぐるぐるとしてきている。

顔もだんだん赤くなってきており、視線から隠れようともぞもぞと身じろぎする姿はその…なんだ、すんごい縛られ方のせいもあって、非常に煽情的ではあるものの、しかしそんな事よりも遥かに大事なことがある。

 

いやほんとでか…いや、何故メイショウドトウは縛られているのか。

そして縛ったのは紐を握ったまま先ほどから微動だにせずこちらを見ているマンハッタンカフェなのだろうか、という点である。

 

マンハッタンカフェはじっと無言で見上げてくるだけだし、唯一まともそうなメイショウドトウは先ほどから顔を赤くして目を回しているのか、あのあの、と狼狽えるばかりである。

 

ちらとマンハッタンカフェを見やれば、何故か先ほど見たときよりも耳の位置が後ろへと倒れている。

いくら考えてみても、状況としては最悪の部類であるという事以外、さっぱり理解できない状態である。

 

何が最悪なのか。

まず全く状況が掴めておらず、逃走すべきなのかさえも判断が付かない事だ。

 

それと、ルドルフが寝ているというのが痛い。

ルドルフと言うある種の絶対者が寝ている或いは何らかの理由によって意識を失っている訳だが、大変に心細い。

 

しかしもっと切実な理由があるのだ。

 

 

 

 

 

ルドルフは 寝起きが 悪い。

 

 

 

 

 

寝起きが不機嫌であるとか、そういう話ではない。

ただ、就寝時は流石に皇帝の仮面を脱いで寝ているのだろう。

 

寝起きでぼんやりしている間は、出会ったばかりの頃に似た言動を取りがちなのだ。

時折マルゼンスキーに揶揄われては赤面する程度のものではあるが、いかんせん彼女が外で被っているのは皇帝として、立派な生徒会長として威厳あるもの。

なるべく、私の問題でルドルフが築き上げてきたイメージを損ねるようなことはしたくない。

 

それと、寝起きのルドルフは時折、身体能力の差があることを忘れて絡んでくることがあるため、私のような非力で脆い生き物からすれば大変危険な猛獣なのである。

 

だが喫緊の問題として、理由は全くもって不明だが不機嫌になりつつあるマンハッタンカフェがこれでもかとばかりに至近距離から無表情にこちらを見つめているし、縛られているメイショウドトウの縄もどうにかしてやらないといけない。

現状、この部屋の状況はまともな思考を奪って余りあるどころか、色んな意味で生命の危機を感じさせるに十分だ。

 

さて、どうやって打開すべきだろうか。

 

ゆさゆさ。

 

よし、起きないな。

これは多少の事で起きないかどうかの確認だ。うん。

泡を吹いているが、良く眠っているのでヨシ。

 

そういえば、テイオーの私生活までは知らないが、ハッピーミークの一件の際にも私の前に割って入ってくれていたあたり、もしかすると助けになってくれるのではないだろうか。

軽く揺すってみる。

 

こちらは何故かびたんびたんと跳ねた。

駄目そうだった。

 

テイオーが跳ねたことで、壁に挟まれて居たアグネスタキオンが更に押し潰されていっているので、テイオーを揺するのはやめておこう。

 

諦めて振り返ると、やはりというかなんというか、まるで背後霊か何かのような立ち位置でこちらを見つめる金色の瞳。

視線の圧力に屈したわけではないが、もはや対話が出来そうなのが彼女しか残っていない。

 

「…マンハッタンカフェ。聞いてもいいかな」

 

「はい」

 

声を掛けたことで、猛禽のような瞳が更に一歩近づいてくる。

視線の圧が強い。

 

「何がどうなってこうなってるんだろう?」

 

示すように、視線の圧から逃れるように。

ちらと背後で寝ている3人に視線を向ける。

 

「さぁ……急に倒れましたし……」

 

そしてフクロウのように首を捻った。

思わず私も、つられるようにして首を捻るしかなかった。

 

 


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