トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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自分の足で立って、前へ歩んでいく。大事なことだが、ここでは難しいことでもある。
だけど、相棒にあれだけ言われてしまって引き下がるなんて真似はできない。

しばらくは、カラッとした気持ちのいい天気が続きそうだ。



前程万里

 

 

 

 

自分を守る堀が気づいたら埋められているという、色々と精神衛生上よろしくない事態となったが、それでも時間は容赦無く進んでいく。

 

その後、朝食自体は大変おいしく頂いた。

故郷の味をなぜトレーナー寮で味わう羽目になったのかは未だによくわからない。

母に抗議のメッセージを送ったところ、故郷の近況情報が長々と綴られて返ってきた。

近所でよく遊んでいた同級生はもう結婚して子供がいるのだとか。

端末をポケットにねじ込んで黙殺することにした。

あとで何か言われたら、なんて返せばいいんだろうか悩んでいるうちに返信を忘れたと適当なことをほざいて乗り切る所存である。

 

ルドルフを伴って寮を出る。

瞬間、周囲…というか、寮周辺で担当トレーナーが出勤しようとするのを待っていたウマ娘たちがどよめきだした。

 

『まさか…あれが伝説の朝帰り!?』

『4時から待っていたけれど会長の姿は見てないわ…つまりこれは…』

『馬鹿な!門限があるはずよ!』

『だけど相手は会長よ!そのぐらい…権力でこう…』

『あの会長が自ら規律を乱すようなことを許すのかしら』

『だとすればまさかトレーナー公認!?』

『うまぴょいしたんですか!?』

 

ざわざわと、驚愕したように動揺が広がっていく。

 

 

とてもざわついている。

 

 

ふと見れば、先に捕獲されていたトレーナーが眼をかっ開いて驚愕の表情を浮かべている。

直後、トレーナーを捕獲しているウマ娘が舌なめずりをした。

驚愕の表情が瞬時に絶望の表情に変わった。

 

いかん。このまま放置すると連鎖反応が起きる。

罪のない他のトレーナーがうまだっち(隠語)…いや、事と次第によってはうまぴょい(隠語)されてしまうかもしれない。

 

「ふふっ…」

 

ふと、ぴったり隣につけているルドルフが口許に手を当てて笑った。

心なしか、いつもより距離が近い。

 

『勝者の笑みだ…っ!』

『なんかいい匂いしない?…焼き魚?』

『まさか朝ごはんを…』

『食べたのか…?トレーナーと…?』

『トレーナーのお部屋で一緒に朝ごはん…何も起こらないはずもなく…』

『うまぴょいしたんですね!?』

 

加速するざわめき。

もはやほとんど悲鳴のような声があちこちから上がっている。

あとさっきからうまぴょいうまぴょい言ってる奴は生徒指導室にでも放り込まれてしまえ。

 

…仕方がない。

 

「ねえ、ルドルフ」

 

「なんだ?」

 

「何もこんな早くから朝ごはん作りに来なくてもいいんだよ?」

 

わざとらしく無い程度に、牽制の一言を放る。

だが、相手もさるもの。意図を察したのかは不明だが、からりと笑って返す。

 

「ははは、好きでやっていることだからな。睡眠もきちんと確保しているとも。トレーニングに支障はないよ」

 

牽制は上手く躱されたが――――ここだ。

 

「けどさ。それだったらトレーニングをちょっと早めに切り上げて、外のベンチで一緒に弁当でも食べようよ。もう春だし、絶対気持ちいいって」

 

「…なる、ほど。なるほど、その手があったか。目から鱗、とはこの事だ。では早速明日、どうだろうか?」

 

「いいよ。じゃあサンドイッチでも作って持って行くかな」

 

瞬間、くわっ、と見開かれる目。

ルドルフにまるで落雷でも落ちたかのような衝撃が走った。

 

「…私の聞き違いでなければ…それはつまり…トレーナー君の…“手料理”を頂けるということで相違ないかな?」

 

「今日朝食作ってもらったし、たまには私からお返―――」

 

「勿論だ!是非頼みたい!」

 

ものすごく食い気味である。

尻尾は上下に大きくばたばたと揺れており、頬は若干紅潮している。

掴みかかってまでは来ていないものの、ぐいと鼻先を寄せてくる。

効果は抜群だ。だが、あと一押しが必要だ。

朝食を用意しての疑似同棲或いは通い妻ムーブを超えるインパクトが。

外堀を埋め、既成事実というか毎朝トレーナーを優しく起こしてあげたいという彼女たちの願望を上回るものが必要なのだ。

 

「分かったよ。しかし弁当持ってベンチで朝食、って言うのはデートみたいでちょっと緊張するかもな」

 

努めて照れくさそうに。でも満更でもなさそうに。

実際そうなのだからわざわざ演じてやるようなことでもないのだが、敢えて。

敢えて『初々しさ』を醸し出してやれ。

20歳をとうに越えた大人が、ひとまわりも年下の子にやるような真似では当然ない。

 

周囲のウマ娘たちが一瞬で静まり返る。

自室への早朝からの担当ウマ娘の浸食を恐れた(捕獲されるような)若いトレーナーたちも眼を見開く。

 

 

―――その手があったか。

 

 

これならば、鍵が替えられたばかりで侵入経路が遮断されているウマ娘でも問題なく実行できる。うまだっちを狙うには少々難易度が高くなるが、自慢のトレーナーと外で並んで擬似デートのような朝ごはんが満喫できる。

場所を選べば、朝練に向かう他のウマ娘を牽制することにも繋がる。

一方でトレーナーも寝込みを襲われたり鍵を奪われたり、何ならドアを壊される恐れもない。

今この場で出来る、私の最善だった。

もうこれ以上、誰にも傷ついてほしくないのだ。

 

 

 

なんとか自分が事件発生の引き金を引くことを回避した私は、ルドルフと二人でのんびりと通勤路を歩いていく。

 

今日は麗らかな春の一日、といった気候。

春先にしては温かい気温に、湿度も低め。

風が少し出ているが、トレセン学園は今日も快適だ。

 

春休みは終わりを告げ、ウマ娘たちも平常運転に戻っている。

ゆったりと歩いていく私たちの脇を、時折ウマ娘が小走りで駆け抜けていく。

トレーナー寮から学園棟へ向かう道中に、ウマ娘に追い抜かれるという事態が起きていることに今更疑問を持つことはない。

 

「あっ、先輩ちょうど良いところに。今日午後のトレーニングでうちのと並走ぁぁぁぁぁぁぁ」

 

さすがウマ娘の足。軽くドップラー効果が発生している。

自分の担当ウマ娘に担ぎ上げられて、拉致同然の姿で学園棟へ出勤するトレーナーもたまに見かける。あれは若いトレーナーによく見られる出勤スタイルだ。制御を怠ると依存に依存を重ねてああなってしまう。そのまま放置すると出勤先が学園棟から実家にいつの間にか行き先変更されることがあるから、基本的にウマ娘特急には頼ってはいけないのだ。

遅刻寸前の場合でもできるだけ自分の足で走ること。

共に立って歩く。共に前へ進む。それが基本だ。

ここでは極めて難易度の高い基本ではあるが。

 

そっと見送ると、並走は今日はできない旨をしたためたメッセージをイントラに書き込んで空を見上げる。

 

春だなあ。

 

つい先日まで結構冷え込んでいたためか、桜はまだ開いていないが、蕾をつけた姿はこれからの開花を期待させる。

そうか。もう今日からだな。学園に新入生がやってくるのは。

 

その夢を花開かせる手伝いをするのが、我々トレセン学園のスタッフたちだ。

トレーナーという杖を得ることができるのはその中でも一握り。

スカウトという名の選抜ダービーは、トレーナー、ウマ娘共に勝つために最重要な要素は「運」だ。運のいい者が勝つ。

そして、私にはその運があった。

だから、引き続きルドルフの指導を行なうことに手は抜かない。

 

…そして、遺憾ながら新たに二人以上をスカウトし、担当しなければならない。

相棒からあれだけ言われてしまった以上は、やるしかない。

両立はなかなか難しそうだが、失敗すればどんな目に遭うかわからないのだ。

自分の力の及ぶ限り、最大限努力するほかない。

 

 

だが、やれない訳はない。

まだ私は、こうして立っていられるのだから。

さっき運ばれて行った後輩とは違うのだ。多分。

 

 

「…ふふ、良い顔になったな」

 

「誰かさんにあれだけ発破をかけられたからね」

 

『走れ今を まだ終われない…♪』

不意に、ルドルフの鞄から聴き慣れたメロディが流れ出した。

“winning the soul”。三冠レースの勝者だけが歌うことを許されるそれ。

シンボリルドルフ自身の専用楽曲なども用意はされているのだが、彼女は殊の外この曲を気に入っており、携帯端末の着信音はずっとこの曲を選択している。

…皐月賞を獲った時のウイニングライブを褒め過ぎただろうか。

息抜きでカラオケに遊びに行っても必ず歌うほどの気に入りようである。

 

「…む。エアグルーヴからだ。すまない。…ああ、今向かっている。入学式の原稿は昨晩送った通りだ。来賓の到着が遅れる?ふむ。その程度であれば…」

 

眉根を寄せて、一旦言葉を切ると、こちらへすまなそうな視線を向けた。

軽く頷いてやると、彼女はそのまま小走りに駆け出していく。

あれだけレースで活躍しながら、相当な自治権を持つ生徒会の運営までやっているのだから頭が下がる。

そちらの方面に関しては、いちトレーナーである私が力になれることはあまりない。

せめて、足を引っ張らないように可能な限り融通してやるのもトレーナーの務めだろう。

 

ぱん、と両手で自分の頬を軽く張って、気持ちを引き締める。

電話一本で一気にオフからオンへ切り替えるあの姿を見て、私がぼんやりしているわけにもいかない。

 

さて、征くか。

二人もスカウトしなければならないのだから、動くに遅いということはないだろう。

 

気持ちのいい春風が吹いている。

前途洋々、気持ちを入れ替え、また走り出すとしよう。

 

 

 

 

「にゃあ」

 

がさり、と植え込みから葉擦れの音が聞こえた。

目の前を、植栽から飛び出した黒猫が横切っていった。

 

どうして。

 


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