トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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朝令暮改

 

 

 

掛かっている、というような言葉で片付けられる騒ぎではなかった。

 

 

 

 

耳に当てる前、通話が繋がったと思った瞬間からこの荒ぶりようだ。

 

放置したとはいえ、精々が30分程度。

目が覚める前から延々とやっているとすれば、掛かっているというレベルで済ませていいような状況ではない。

 

スピーカーの向こうからは「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ」と亡者のような呻き声もとい泣き声が発信されている。

技術の発展に伴い、電話も随分と音声が明瞭になっているので、往年の映画のようにひび割れた声でないのは救いだが、この場合は却って恐ろしい。

 

何が恐ろしいかと言われれば、発信元が”皇帝”シンボリルドルフである点である。

 

そういえばウマ娘の耳は人間のそれとは異なり、付いている位置が高い。

人と同じように携帯端末が使えなかったため、この手のスマートフォン型が世に出てくるまでは、やたらと上下に長い端末を使っていた時期があった。

未だに学園棟の購買部などに置いてある、時代から取り残されたような古いダイヤル式の電話は受話器が当時の仕様のため、異様な存在感を放っている。

いわゆるガラケーだった頃は、鞄から定規のようなサイズでかつストラップが大量についた携帯電話が出てくる光景が当たり前だったが、現代においては指向性スピーカーの発達に伴い、携帯端末を耳に当てずとも良くなっている。

耳から離しているのにしっかりと通話できているのは、指向性スピーカーとウマ娘の耳の良さが合わさった結果、ヒトからすれば聞き取れないような音量でも通話が成立するから、ということである。

 

なお、人が使うことになった場合は、耳に押し当てて丁度いい程度の音量である。

彼女らの耳の良さはまさに地獄耳であった。

 

…。

 

ウマ娘と電話の発展について思いを馳せたところで、スピーカーの向こうから響いてくるのは泣きじゃくりながら何事か叫ぶ声だ。

 

早朝からまたしても悲惨な事態に巻き込まれ、もはや思考がどこかへ逃げ出していた。

 

 

 

現実逃避はやめよう。

諦めるべきだ。

 

現実はいくら遠くに押しやっても、石の下に押し込んでも、必ず這い出てくるのだ。

邪神の類か何かと思って間違いはないだろう。

 

ふう、とため息をつきたくなる衝動を押しやり、口を開く。

 

「…ルドルフ?」

 

慎重に、慎重に。

別に勿体つけているわけではない。

 

ルドルフと、否、ウマ娘と付き合っていく以上は、こういうところで手を抜いてはならないのだ。

耳が良い、と言うのは何も音を拾う能力だけが優れているのではない。

感情の機微など、我々人間では聞き取れないような微細な声の揺れまで拾い上げてくるからだ。

 

電話越しだからこそ多少は誤魔化しが効くし、向こうも言葉を捉えようとしてくれる部分はある。

それに、電話というものは基本的に伝送する帯域が決まっているので、必要以上に音声データを送ることはない。

電話口での声が普段と違って聞こえる所以だが、つまり音声に含まれる情報が著しく制限されることになる。

 

そのことが原因、というわけでもないのだが、寝起きにうっかりルドルフの電話を取り、無邪気に対応して大惨事を招いて以来、電話口でも注意を払うようになった。

 

それに、昨日の一件も気になるところだ。

 

正直なところ、自宅があれだけ損壊していたというのに誰一人として「何故あの3人が倒れているのか」を説明してくれなかったおかげで、今の私は突然自宅が爆破されたと思ったら弾丸の飛び交う戦場のど真ん中に放り出された一般日本国民ぐらいには状況が理解できていない。

或いは、寝起きに異世界召喚されたぐらい理解不能な状態だった。

 

昨日は意識が朦朧としていた時間があったため、余計に何が起きたのか、或いは自分が関わっていたのかも不明なのだ。

慎重に慎重を期して、尚足りない程だと考えていい。

 

もうこの時点でルドルフがこの有様なのだ。

迂闊な言葉で刺激などしては目も当てられない。

 

「う゛ぅ……ぐしゅ……トレ゛ーナーさ゛ん゛………」

 

声を掛けると、なんとかして立て直そうとし出したのか、泣き声が収まる。

とはいえ、ちょっとつつけばまた泣き出しそうなそれ。

この年頃の少女には珍しく、全力で泣く子供のようである。

 

なるべく刺激しないよう、柔らかい声色を意識して声を出す。

まずは落ち着けて、皇帝の神威を回復してもらわなければならない。

 

これが仮に対面だったとすれば、私は何度か目の鯖折りによる病院送りとなっていたかもしれないのだ。

以前もこんな調子で泣いてしまったルナが腰に抱きついてきたと思ったら、そのまま締め上げられて死ぬ思いをしたのである。

 

故に、まずは落ち着いてルドルフを取り戻してもらう。

そして、しかるのちに今この有様だった理由の確認と、ついでに昨日の件をなるべく遠回しに探りを入れたいところ。

このひどい状況で最優先すべきは、打ち手が全くわからない現状の脱却だ。

 

「嫌『ぶつっ』な夢でも見たの?」

 

突然の静寂。

 

 

…。

 

 

おや、と思って、端末を耳から離し、画面を覗き込めば。

端末のメーカーロゴが表示され、そして画面が暗転した。

 

なるほど。

 

しかし切れるにしても随分とタイミングが悪い。

繋いだばかりで切れてしまったので、充電器がここにあったとしても事故になっていただろうが、より悪いことに今、手元に充電器がないのである。

 

しかし、今どこのあたりで声が切れた?

 

………あれ、もしや「嫌」あたりで切れたりしていないだろうか?

 

 

 

なるほど。

詰んだ。

 

 

 

携帯端末くんには今度タイヤ引きでもやってもらおう。

根性が足りないようだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後。

携帯端末を充電することは諦め、早々に寮を出た。

何が起きたのかは不明ではあるものの、ひとまずのところルドルフとテイオーの2名と合流し、状況を確認しなければならない。

 

昨日に何があったのかは不明だが、どうせ碌なことは起きていない。

 

足早にトレーニング場への道を急ぎつつ、できうる限りの対応プランを練っておかなければ命に関わる問題だ。

 

特に、あの通話の切れ方は最悪だ。

何か致命的な誤解を招いたような気がしてならない。

 

連打されていたメッセージの通知を思い返すに、急を要するのはルドルフの方である。

テイオーの方はどちらかというと落ち着いていた。

ルドルフと対比した結果落ち着いていると比較判断はできる程度であり、あれだけコールとメッセージを連打してきていたということは大概まずい状態であることに変わりはないが、まだ余裕がある。

であれば、なるべくなら各個撃破を基本とした動きが求められるだろう。

できれば双方ともにまとめて対処してしまいたいところではあるが、ルドルフがああなっている以上は、むしろルドルフとテイオーを鉢合わせさせると色々と大変な事態が起きる。

 

故の各個撃破。

落ち着かせるためにも、最近乱発しすぎて効果の薄れてきたと思しき切り札の名前呼びと、そしていくつかの案を練っておかなければ。

 

テイオーの方は、メッセージの内容を見る限りは比較的平和だし、最悪でも今週末に控えた外出があるので乗り切ることはできるだろう。

心の中で少しだけ謝ると、歩みを早めていく。

 

恐ろしいことに、昨日も気づいたら夕方過ぎだったし、今朝もこれで時間を消費してしまうことを考えると、最近まともにトレーニングができていないという事実に思い当たった。

 

トレーナーとしては問題なのだが、得てしてこういうものだ。

気性によっては朝寝坊が多かったり、時間にルーズだったり、そもそも自分のやりたいトレーニングしかしないようやウマ娘だっているのだ。

これが恒常的に続いてしまえば問題だが、1日2日程度なら取り返しは十分効く。

 

それ以前の問題として、昨日にルドルフたちが気絶していた理由が仮に自分が何かしたというのであれば、何をしたのかを詳らかにしなければならない。

ああしてルドルフが盛大に崩れる場合は、私が何らかの誤解を与えて思い詰めまくった結果として発生するルナ返りによるものだ。

 

何の誤解があったのかは不明だが、それを解き明かさなければならない。

どうせ碌なものではないが、それでもだ。

 

「おはようございます、トレーナーさん」

 

沈思黙考しつつ歩いていたところで、声をかけられた。

普段この時間は秘書業務をしている筈だが、わざわざ様子を見にきてくれたのだろうか。

あるいは、仮宿とはいえ自室で問題が起きていないか確認に来た、ということか。

 

「駿川さん。昨晩はありがとうございました」

 

一晩の緊急避難とはいえ、妙齢の女性の部屋を借りるというのも気が引けたが、それでも随分とよく眠ることができたので素直にお礼を述べた。

 

「私の部屋、よく眠れましたか?」

 

「ええ。ルームフレグランスですかね、花のような甘い香りがして、少し緊張しましたけれど」

 

「……あら?そういうものは置いて無かった筈なんですが……」

 

墓穴を掘ったらしい。

となると、あれは駿川さんの残り香だったということだろうか。

 

「何だかそんな気がしたんですが、疲れていたんですかね」

 

「あぁ、昨日は随分とお疲れでしたものね。どうせ変に気を使ってソファーで寝ていたりしませんか?」

 

「………いや」

 

鋭い。

どうしてこう、私が関わる者は大抵私の行動様式を見抜いてくるのだろうか。

そんなに分かりやすいのだろうか?

 

「ベッドで寝てくださってもよかったんですよ?ちゃんとシーツとかも新しいものになっていましたから」

 

「そうは仰られても、流石に駿川さんのベッドで眠るのは申し訳ないですし」

 

 

 

 

 

 

 

ーーー瞬間

 

「………………ほう、「駿川さんのベッド」で?」

 

背筋が総毛立った。

 

 

 

背後から突然聞こえてきた、ど低い声。

地獄の底から響くような、そしてなんかちょっと枯れたような声。

 

「………………」

 

振り返るのが怖い。

隣にちらりと視線をやれば、駿川さんの困ったような目と視線がぶつかった。

 

二人の内心はここで一致した。

「どうしましょうかね、これ」と。

 

「なあ、トレーナー君。聞かせて欲しい。昨日「近づかないで」と君は私に言ったね」

 

いつの話だかはさっぱり不明である。

全く記憶にございません。

 

ゆっくりと振り返る。

現実に対面するのを1秒でも延長しようという心ばかりの抵抗も虚しく、本日も実にご機嫌麗しいルドルフと相対することとなった。

 

並木道の隙間に差し込む木漏れ日が、その耳飾りにきらりと反射して輝く。

出走前でもないのに関わらず、ぎらぎらと悪い意味で輝く瞳は、妙に充血している。

目の周りも少し腫れぼったい。

 

これは通話時に思っていたことではあるが、あれは本当に恥も外聞もなく泣いていたのかもしれない。

 

「トレーナー君。私はあの後、考えた」

 

「うん?」

 

ひたり、と。

一歩前に足を踏み出して彼女は言う。

 

「きっと何か君の気に障ってしまうような事を仕出かしてしまったのだと、色々考えたのだ」

 

「いや、そんなことは…」

 

目が覚めた時点で既にルドルフは気絶していたし、その後も何かした覚えはない。

となると、やはりルドルフの気絶には私が何らかの形で関与していたということだろうか。

 

「いや、確かに私は、君の部屋のドアを蹴り壊してしまった」

 

…あれルドルフがやったのかよ。

ドアを壊したとかそういうレベルの破壊規模では無かったような気がするのだが。

何がどうなればドアがソファーに突き刺さり、部屋の中が戦場跡のような状況に陥るのか。

ちょっと私の貧困な発想力では想像がつかない世界の出来事である。

 

「それについては申し開きもない。すまなかった。………君の怒りもごもっともだ。先程の電話でも「嫌」とだけ言われて切られてしまったくらいだしな」

 

「いやそれは………」

 

そもそもつい今しがたルナちゃんの自供により、その所業を耳にしたレベルである。

翌朝に何が起きたか知るという、情報の遅さが紙媒体並だった。

つまり、今朝の通話を切ったのもそんな意図は一切なく、ただ携帯端末の根性が足りなかっただけであった。

 

「わかっているさ。ここのところの私たちはやり過ぎていた。君に嫌われてしまうに十分な振る舞いであったと猛省してなお足りないほどだ」

 

自嘲するように笑うルドルフ。

 

だけど、と言葉を区切り、艶やかな唇を開く。

艶やかな唇は、少し荒れているように見えた。

 

先ほどまでの経緯から泣き腫らした目、メイクも若干崩れているし、もうぼろぼろと形容してもいいような状態。珍しく髪もところどころ跳ねているし、制服のリボンも少し曲がっている。

それでも、なお皇帝は前を向いて言葉を紡ぐ。

 

「それでも、トレーナー君でなければ………君でなければ、だめなんだ」

 

まるで血を吐くように。

真摯な想いが伝わってくる。

 

「どうか、どうかわたしに、やり直すチャンスを与えてください」

 

そして、皇帝が頭を下げた。

 

「………わかったよ。顔を上げて」

 

なにやら大変にシリアスな場面となっているような気がしているが、この私は完全には状況を把握できていない。

部屋の惨状をやったのがルドルフだ、ということがわかっただけである。

前後の経緯もわからないので、怒るも何もないと思うのだが。

彼女の言っていた「近づかないで」という言葉も、多分私が言ったことだろう。

記憶が朦朧としていた期間があったので、恐らくはそこだ。

 

なんとなくではあるが、少しずつ理解が追いつき始めてきた。

 

「………ほら」

 

少し手を広げてやる。

 

「うぅぅぅぅぅうぅぅぅう………」

 

だだだ、ぽすん。

どこかコミカルな音でもって、ルドルフが胸に飛び込んできた。

流石に泣き出しはしないようだが、懸命に鼻先を胸元に擦り付けている。

またしても皇帝の仮面が剥がれかけているが、駿川さんはルナ時代からよく知っている相手なので今更取り繕う必要もないと判断したのだろう。

そういえば、駿川さんに部屋の鍵を返さなければ。

 

「………ああ、それはそれとして、トレーナー君」

 

胸の中で実に珍しく、ぐすぐすとやっていたルドルフがもぞりと動いた気配がして、視線を落とす。

すると、少し腫れぼったい紫色の宝石と、ぴたりと視線が交わった。

 

 

 

 

 

ーーーーいったい、駿川さんと寝たというのは、どいうことなのかな?

 

 

 

 

 

ぎらり、と胸元あたりから向けられる紫色の双眸の圧力。

涙が滲んでいるし、そもそも目も腫れぼったい。

それでもなお、皇帝は皇帝だった。

とんでもないプレッシャーが、不意打ち気味に叩きつけられて、私は思わず走って逃げたくなってしまった。

 

そもそも最初に声をかけてきた時から言葉が捻じ曲がっていた。

助けを求めて駿川さんの方へ視線をやれば、彼女は忽然と姿を消していた。

 

 

 

 

 

逃げやがったな。

 


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