トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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手練手管

 

 

 

 

 

真顔のままトレーナー君が膝から崩れ落ち、背中からぐらりと倒れて行った。

 

「おっと、危ない」

 

疲労がピークに達した際などに時折あることだが、慢性的に疲労を溜めがちなトレーナー業

咄嗟に手を差し伸べ、ゆっくりと倒れて行こうとする背中に手を添えてやる。

 

トレーナー君の体重は軽い。

私の手でも簡単に支えられる。

 

一方のトレーナー君は、倒れることなど気にも留めていないかのように反応を返さない。

いつも通り、表情のあまり動かない顔で、憮然として考え込んでいる。

 

ぐいと背中を押してやれば、思い出したように姿勢が戻っていく。

自分のことに比較的無頓着なところがあるのはそれこそ痛いほどに承知しているし、私が原因で怪我をさせてしまったり、疲れさせてしまうことは多い。

それでもなお、余計な怪我はしてほしくないと思う。

 

「大丈夫か?」

 

部屋を半壊に追い込み、住めなくして焼き出されるような事態を作り上げた張本人である私がこんな言葉を掛けるのもどうかとは思うが。

 

「大丈夫。少し目眩がしただけだから」

 

ゆるゆると首を振り、ゆっくりとした動作で立ち上がる。

疲れていることも重々承知はしているし、先刻述べた通り負担を掛け通しになっていることも承知しているが、それでも心配なものは心配だ。

立ち上がってはくれたものの、顔色はあまり優れない。

 

いくら状況が状況とはいえ、そもそも規則として原則立ち入りができないはずの学生寮で寝泊まりというのは不味い。

倫理的問題は一旦棚に上げておくとしても、下手な前例を作ることを避けたいという意図は理解できる。

それに、今回のような事例……要するに、トレーナー寮を程よく住めない程度に破壊してしまえば。

ついでに簡易的に宿泊できる場所を奪ってしまえば、もしかしたら自室に招き入れることが出来るかもしれないと早合点するウマ娘が後を絶たなくなってしまう可能性だってある。

 

むしろ、目算ではそうなる。

 

とはいえ、今回の状況は本当に特例だ。

感謝祭を前にしたトレセン学園とその周辺は、基本的に人で溢れている。

普段あまり関わることのない、トレセン学園の学生と交流を持つことの出来る機会というのはごく僅かだ。

 

ある種、一般ファンの認識では私たちは「ニュースやテレビの向こう側」にいる存在に近い。

トゥインクルシリーズが国民的スポーツであるからこそ、余計にそうなる節がある。

 

さらに、あまりメディアに注目されず、表に出てこないウマ娘にも熱心なファンというのは数多く付くケースが多い。

そういうウマ娘を間近で見る、あるいは交流するチャンスがあるのが、近日に控えているファン感謝祭という一大イベントなのだ。

 

つまり、どういうことかと言えば、周辺一帯の宿泊施設類は早々に全滅し、1年先の予約も完売、という状況が延々と繰り返される。

そして、それだけの人の流入があるため、近隣ではお祭り騒ぎだ。

 

トレセン学園が中心となるので、トゥインクルシリーズ関連のイベントではあるのだが、ドリームトロフィーリーグなどもイベントレースをこの時期に行うし、地方トレセン学園からの交流なども発生するし、感謝祭前後に交流レースなども組まれるため、そちらのファンも全国から集まってくる。

 

毎年決まった時期に開催はしているが、その都度に特需じみたインバウンドが発生するため、周辺一帯があれもこれもとイベントを乱発し、それに拍車を掛ける。

 

そうなっているため、熱心なファンは貴重なグッズや、周辺施設の行うイベントやツアーに参加するべく、長期休暇などを取得して満喫していくのだ。

春先だというのに、実際に屋台だのなんだのがあちこちに立ち並び、いわゆる「推し」Tシャツや法被などを身に纏った集団が練り歩くという事態が日常的に見られる。

 

そして夜はやけくそ気味に自治体が催す、公営施設を使った過去のレース上映会などが行われ、グッズだけでなくアルコール類などもそれこそ飛ぶように売れていく。

 

そういった意味では、地域社会に相当還元しているとは思うのだが、今のトレーナー君にとっては迷惑千万だろう。

 

なにせ、そうした事情によりこの時期は本当に泊まるところがないのだ。

トレセン学園内の数少ないゲストルームなども地方や海外からのゲストで埋まるし、学園外は最寄駅から沿線一帯にかけて宿泊施設類は全滅。

その年によって多少の差異はあるが、限定グッズを入手すべく徹夜で行列を成したり、公園などにテントが設営されるなどの事態が起きることもままある。

 

そんな状況で放り出すわけにも行かないし、同僚の部屋に泊まり込むにしても連泊というのは気を遣う。

せめて心と体を休めて欲しいとの想いからの提案ではあったのだが…。

 

「噓でしょ……流石にファン感謝祭と言えど、そこまでは……」

 

「いや、周辺の宿泊施設の状況は……これを見てもらった方が早いか」

 

端末に周辺宿泊施設の予約状況を表示して渡してやれば、しばらく目を通したのち、愕然とした表情になった。

思い返してみれば、私は生徒会業務の一環として見回りや、周辺で催されるイベントに顔を出したりとあちこちに赴く事となるが、トレーナー君はこの期間、あまり外に出ない。

大抵、感謝祭に取材に来たメディア対応や、その事後処理に追われることとなっており、学園外に出る機会が無いため、周辺の様子については私や同僚のトレーナーたちからの伝聞程度に留まっているらしい。

 

「いやいや…ええ…」

 

当のトレーナー君は、先ほどから私の端末で必死に現実と戦っている。

周辺の宿泊施設なら先ほど見せた通り全滅しているし、学園内も臨時の夜勤スタッフなどがもう入っているので、仮眠室などもほぼ使えない状態。

この状況で部屋を貸せたのは、それこそ本当に部屋で仮眠をたまに取っている程度の駿川さんぐらいなものである。

 

「他のトレーナーに助けを…」

 

思わずトレーナー君の手元を覗き込めば、トレーナーたちの専用イントラネット内で部屋に泊めてくれる同僚を探すコメントを付けていた。

そして当然のように「殺す気か」「担当に締め上げられるに決まってるだろ」などのコメントが付き、肩を落とす。

 

「………だめか」

 

それはまあ、だめだろうな。

幾らなんでも他のトレーナーを部屋に泊めれば、担当ウマ娘が騒ぐに決まっているのだ。

いくら私だって騒ぐぞ。

 

大体、本当に泊まるところがない状況なのだ。

それこそ打てる手なんて野宿や空き教室ぐらいしかないのだが、流石にトレーナーをそんなところに放り出せるほどトレセン学園側も適当な対応は取れない。

何かあれば大問題になってしまうし、そもそもまだ体調の悪いトレーナー君をその辺に放置して自分だけベッドで寝る訳にはいかない。

それに私が原因なのだ。故に、ベッドを分け合うことを辞さない覚悟である。

 

 

 

今回の件、トレーナー君にとっては心理的なハードルが幾つかあるはずだ。

 

ひとつは、生徒会長自らが特例だからと言い張って、自室にトレーナーを引っ張り込むということに対する指摘を受けそうだということ。

だが少し考えればわかる通り、まずファン感謝祭の直前ということで、本当に宿泊施設がない。

中央のトレーナーライセンスを持つような貴重な人材を、この状況で放り出すというのは私個人としても有り得ないし、学園運営側、そしてURAも嫌がるだろう。

実の所、予想しないタイミングでの海外から戻ってくる関係者もいたため、余計に居室が圧迫されてしまっているのだ。

仮に平時であればトレーナー君を空いている居室に案内し、不便をかけた元凶として甲斐甲斐しくお世話をしていたことだろう。

 

もうひとつは、前例ができたことにより、トレーナー寮に押し入って破壊の限りを尽くそうとするウマ娘が出かねないということだ。

普通に考えれば、私が許されているのが有り得ないのであって。

自室をこれでもかとあくまで事故ではなく意図的に破壊しにくれば、普通は嫌われる。

トレーナー室の破壊に関しても、アグネスタキオンの薬が騒動の発端であるため、正しく「鎮圧活動の結果」だと言い張ることができる。

実際、あそこまで煽られなければドアを蹴り破るような事態には発展しなかった。

その辺りを懇切丁寧に事前に周知し、あくまでも「タイミングが悪すぎた」「運が良かった」というあたりに落とし込んでしまえば、反論は封殺できる。

 

みっつめは、トレーナーとはいえ教職員が、生徒の部屋で寝泊まりをするということ自体が大変に外聞が悪いということである。

これについては仕方のないことではあるのだが、正常な判断を下せなくなる程度に情報を与えて混乱してもらえればその点は問題ないだろう。

寮長であるヒシアマゾンにも先ほど連絡を行い、了承は得ている。

あくまで生徒会長としての権限で特例を認めたわけではなく、寮長が「そういうことならウチの寮で受け入れてやるよ」と判断を下したという点が重要なポイントだ。

 

ここまで来てしまえば、トレーナー君は私を頼らざるを得なくなる。

厄介なのは駿川さんだが、同年代の同僚で仲が良いのは結構だが、流石に何日も私のトレーナー君を預けるわけにもいかないのだ。

こちらは別途、横槍を入れられないように対応を考えておく必要がある。

 

……昨日は散々な目に遭ったものだが、風向きが私の方へ向いてきたのではないだろうか。

頭の中でウイニングライブの段取りを整えていたところ、トレーナー君は相変わらず端末と睨めっこをしていた。

 

理知的な横顔。

真剣な瞳。

トレーニングメニューを練っているときや、レースの対策を考えているときのような真剣な目。

思わず胸が高鳴った。

 

「いっそ即日入居できる借家を……だめか。短期で入れそうな物件も全滅している……」

 

でもトレーナーさんは往生際が悪いと思うの。

 


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