トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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落花狼藉

 

 

 

「何のつもりだ、アグネスタキオン」

 

「おやおや、おやぁ?生徒会長とあろう者が随分と余裕を失ったものだねえ」

 

何が起きているのか。

にやにやと三日月のように笑うアグネスタキオンが、ルドルフを前に煽るように笑っていた。

 

「何のつもりだ、と聞いている」

 

対するルドルフも、珍しく随分と顔を強張らせ、敵対心を露わにしている。

 

「お忙しい生徒会長には疲労回復と記憶力に良いサプリメントの処方が必要かな?言っただろう、ただの回診だよ。薬を投与した者として、責任を持って経過を観察しなければ適切な処方などできやしないだろう?」

 

くつくつと、喉を鳴らして煽るアグネスタキオン。

彼女が煽るたびに、ルドルフの機嫌がどんどん悪くなっていく。

畏れられることは多いが、真っ向からこうして煽られる経験の少ないルドルフの意外な弱点を見てしまったような心持ちだ。

 

「体調は回復したと本人は言っていたが?」

 

「おや?そうなのかい、トレーナー君?」

 

アグネスタキオンの濁った瞳がこちらを向くと同時、ぐりん、と勢いよくルドルフの首がこちらを振り返った。

 

気ほどからルドルフの表情が硬い。

いつかのように瞳孔は開いているし、レース直前のような異様な雰囲気さえ漂わせているのだが、そんな目を向けられても正直なところ困る。

 

「おかげさまで熱は下がったよ、アグネスタキオン」

 

熱は下がった。これは紛れもない事実である。

ルドルフの目が怖くて忖度したわけではない。

事実のみを述べている。

 

「ふゥん……なるほど、なるほど。それならいいんだけどねぇ。でも君、まだ疲れが抜けきっていないだろう?」

 

ある程度回復はしたが、疲労は抜けきっていない。

確かにアグネスタキオンの言う通りだ。

精神的な疲労もあるが、発熱したことで相当に体力を消耗しており、普段よりも体が重い。

あれだけの熱を出しておきながら、身体が重いというだけで済んでいることは驚くべきことではあるが。

 

そんな私の内心を読み取ってか、アグネスタキオンは笑う。

先程までの嘲笑とは、少しばかり毛色の違う笑い。

 

「くっくっく……図星だね?だから今日は、栄養ドリンクを持ってきたんだ。ありがたく飲みたまえ」

 

ひょい、と軽く下から弧を描くように振られた、長い袖の中から何かが飛んでくる。

思わず手を伸ばしたところで、ぱしりと音を立ててルドルフの手がそれを掴んだ。

 

ちょうど掲げるような姿勢で掴んだものだから、きらりと日の光を弾くその小瓶が、酷く美しいものに見えた。

 

「こんな怪しいものをトレーナー君に飲ませろと?」

 

不機嫌そのものを形にしたかのような、棘のある言葉がルドルフから発せられるのを実に新鮮な気持ちで耳にしながら、綺麗だなと小瓶の中で揺れる液体に目が吸い寄せられていた。

 

最近この手の事態が多いが、私は現実逃避が得意なのかもしれない。

 

ルドルフの機嫌は過去でも類を見ないほどに悪くなっている。

昨日、よほどひどい喧嘩をしたのかもしれない。

左右に大きく尻尾を振り回し、時折私の太腿や臀部に直撃させては、ばしん、ばつん、と非常に良い音を立てる。

 

これが結構痛いのだ。

 

手心を加えて貰えないかと目で訴えるも、当の本人が尻尾の行方に気づいていないのである。

昔からそうだが、機嫌が悪いくせにそばを離れていこうとせず、結果的に振り回した尻尾により被害を受けるのだ。

痛いことは痛いのだが、怪我をするほどでもなし。

 

今は概ね太腿あたりに当たるのだが、もう少し彼女の背丈が小さかった頃は、膝の裏を見事に打ち抜かれて崩れ落ちたことがあった。

今でもテレビ番組などの特集で笑いの種となる事件だが、レース後のインタビュー中に、機嫌を害したルドルフの尻尾によって私の膝裏を綺麗に打ち抜かれ、私が画面外に消えるという珍事が起きたことがある。

それを考えれば、狙いが太腿になった分、ただちょっと痛いぐらいなので諦めもつく。

 

「心外だね。それに贈り物を差し止めるなどと、随分と無粋じゃないか?」

 

「薬で人の心を弄ぼうと言うのが無粋でない行為だとでも?」

 

「おやおや、そんなものにさえ縋りたいのが今のトレセン学園の、いやウマ娘の現状ではないかな?ウマ娘の幸福の実現のために邁進する生徒会長らしくないじゃあないか」

 

………いや、本当に何が起きているのか。

 

テイオーをなんとか宥めすかし、トレーニングをさせている間にはちみードリンクの屋台まで走り、更にルドルフのお気に入りのクレープを購入して献上したまではよかった。

 

「はちみーでボクの機嫌が…」などとぶつくさ言っていたが、着替えて帰ってくる頃にはすっかり機嫌を取り戻し、今はこうしてひっついて離れなくなっている。

機嫌を取りすぎた気もしないでもないが、散漫な状態のままでいられると、いつ怪我につながるかと気が気ではないので仕方がない。

 

もちろん、テイオーの掛かりを抑えてくれたルドルフに感謝の意を込めて献上したクレープも好評だった。

 

結局、テイオーが離れないとぐずり始めたため、抱き上げたまま送っていくことになった。

事故とは言え、見てしまったものは見てしまったので、せめてもの罪滅ぼしである。

 

おかげで好機の視線には晒され、テイオーの機嫌良さそうに動く耳にべしべしと頬を叩かれながらではあったものの、比較的穏和な雰囲気の中でトレーニングを終えることができたのだが。

 

その矢先にやってきたのがアグネスタキオンである。

そしてこの有様というわけだった。

 

何が起きているのか詳細は不明なままではあるものの、昨日の騒動で何かしらあったのは間違いない。

なにせ、ルドルフ、テイオーと共に倒れていたのを見ているのだから。

 

わかっていることといえば、なぜかルドルフが扉を蹴り破って押し入ってきたらしいことぐらいである。

事態の全体像は全くもっていまだに誰からも説明がなく、恐らくはこの後捕まえる予定の駿川さんから解説が為されることだろう。

或いは、この対立構造になぜか入っていないらしいテイオーか。

 

「昨日カイチョーとタキオン先輩がぶつかったんだって。ボクそこにはいなかったんだけど」

 

予想を補強するように、抱き上げたままのテイオーがぐいと猫のようにしなやかに身体を伸ばし、耳打ちするように捕捉を入れてくれる。

 

「そうだったんだ」

 

「うん。それで共倒れ」

 

「そっかぁ……」

 

説明が簡潔にもほどがある。

そしてルドルフとアグネスタキオンの喧嘩などと言う恐ろしい事態が私の預かり知らぬところで発生していたことに、すでに取れかかっているほどに痛めつけられた私の胃が悲鳴を上げる。

この悲鳴が断末魔にならないことを祈るばかりだ。

 

今もなお、ばちばちと見えない火花を散らす二人。

この二人がまともにぶつかれば、尋常ではない被害が出ることはわかっている。

わかっていると言うか、テイオーの補足によって理解した。

あの部屋の惨状は、その余波か何かだ。

 

これ以上の被害は看過できない。

誰がって、私よりもおそらく怖い緑の人がそろそろニコニコ笑ったまま怒るだろう。

 

胎を括る。

仕方ない。できることをしよう。

 

「ルドルフ、アグネスタキオン」

 

「何かな?」

 

「何だい」

 

これで駄目なら諦めて駿川さんにバトンを投げて鎮圧してもらおうと決意しつつ、口を開く。

 

「今度それぞれ時間を作るから、二人きりで話、聞かせてよ」

 

一旦矛を納めてもらうには、これしかない。

実際、それぞれ事情を聞きたいところではあるし、私のために動いたのであればお礼もしなくてはならない。

結果があの惨状だとしても、だ。

 

それであれば、一旦二人を引き離したうえで話を聞き、それから考えれば良い。

タスクをひたすらに後回しにすることだけは得意なのだ。

これで駄目なら、それこそ緑の人を引っ張り出すしかない。

 

「「………」」

 

そして、渾身の一手は無駄にはならなかったようである。

ぴたり、と動きを止め、喧嘩しあっていたはずの二人が無言のうちに視線を交わす。

 

「「……仕方ないな」」

 

そしてどちらともなく、一歩下がった。

矛を納めよう、ということだろう。

何かあの一瞬で後ろ暗い取引などがされているのでもなければ、まずは一旦落ち着くことができるだろう。

 

「わかってくれて嬉しいよ」

 

これでひとまずのところは解決、と言うことで何とかならないだろうか。

 

「ボクはー?」

 

「テイオーは今週末にデートいこうね」

 

「やったー!」

 

「あら?と言うことは、私にも二人っきりでお話聞いてくれるんですか?」

 

背後から、聞き慣れた声が掛かる。

 

「駿川さん?」

 

振り返れば、どうやらこの騒動を聞きつけてやってきたらしい駿川さんが頬に手を当てて、にこにこと微笑んでいた。

なにやら笑顔の圧が強い。

 

「ねえトレーナーさん。私の部屋の冷蔵庫がお酒だらけって言ってましたけど……」

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー当然今夜、消費に付き合ってくれますよね?

 

 

 

春の嵐は、少々容赦がなく連続して訪れるものだったらしい。

天を仰げばすっかり寂しくなった桜の木々が、新芽をつけ始めている。

 

しぶとく残った桜の花びらも、全て吹き飛ばして行ってしまいそうな、大きな嵐の訪れを確かに感じながら、私は天を仰ぐしかなかった。




2章日常編、完結。

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