見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

10 / 198
 
 ──未勝利戦

 未だに1位を、どんなレースを制することもできず、ウイニングライブのセンターに立ったことがないウマ娘たちが集い1位を目指すという、条件付きの限定レース。

 正直、ジュニアを経てクラシック年代の秋というこの時期で未勝利っていうのは、かなり実力的には劣るのよね。
 ……もちろんアタシがそうだって自覚はあるわよ? 前走があんな結果だったし。
 でもね、前走は1位経験のあるウマ娘も走れたのよ。だから、単純に考えれば、勝ったことがないウマ娘たちしかいないんだから、実力は劣るしレース自体のレベルも下がるってことでしょ。
 アタシがむしろデビュー戦をこっちにすべきだったんじゃないかしら、と思ったのも当然よ。
 デビュー戦はある意味“無理”をしたのに、前走に比べて条件を下げたのはそうなったのはトレーナーの思惑のせいだと思う。
 未出走だったアタシがとりあえず見られるレースをすれば、デビュー戦としてまだ彼女の体面が保てるはずだった。
 でも──結果は、あの13秒のタイムオーバー殿(しんがり)負け。
 彼女にとっても屈辱で、汚名返上のためにレースのハードルを下げたんだと思う。

 ──でも、それも甘い考えだとレースの雰囲気で思い知らされたわ。

 未勝利戦っていうのは勝ったことのないウマ娘しかいないから、必ず誰かが勝利という経験を得られることができるレースでもある。
 だから、そこに希望を求めるのは確かなのよね。
 そこに希望を見るのはわかるけど──でも、当然のことながらこのレースで1着を取り、ウイニングライブでセンターをつとめる栄光を得られるのは、たった一人しかいないわけで……
 つまりは未勝利という泥沼から抜け出せるのは、このレースでも悲しいことに一人だけしかいない。
 そうなると、どうなるか……わかる?
 答えは──その1着を目指して、出走するウマ娘たちは勝利に渇望し、余計に血眼になるってこと。


 ──その上、あのレースの後で苛烈さを増したトレーニングのせいで当日のアタシの体調はもう最悪。
 さらには、あんなことがあったせいで……






第10R 大驚愕!? 二度目のレースは熱の中

 

「──はあ!? 熱がある?」

 

 アタシの二戦目のその日、トレーナーの素っ頓狂な声が部屋に響いた。

 ついでにアタシの頭にも響く。本当に勘弁して欲しい。

 発熱が分かったのは、寮を出たアタシが彼女にバッタリ出くわしたからだったんだけど……

 今はもう、本当に──何よりも休みたい。

 

 ……そう、何も考えなくていいように。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 レース場に向かおうと寮の部屋を出ようとしたアタシ。

 ベッドにはコスモの姿はない。

 彼女もエリザベス女王杯に向けてトレーニングをさらに励んでいる様子で、朝早くに起きて、夜遅くに帰ってくるのを繰り返してる。

 

(練習……しすぎじゃないかしら)

 

 そんな姿に不安を覚えなくもない。

 でも、それを軽々しく口に出すことは今のアタシにはできなかった。

 以前ならそれを言えたのに──デビュー前どころか、デビュー戦で大惨敗したようなアタシが、他のウマ娘の──それもG1ウマ娘、今年のオークスを制した彼女の練習に口出しするなんて、どんな顔してできるだろうか。

 

 ──後にして思えば、この時のアタシ達の間は完全にすれ違っていた。

 

エリザベス女王杯(エリジョ)も明日だものね……がんばって、コスモ…………)

 

 エリザベス女王杯は京都で開催される。

 アタシは、聞いてはいないけどコスモはもう向こうに出発したのかもしれない、と思った。

 そこにいない彼女に密かにエールを送り、部屋を出る。

 そうしてひっそりと廊下を歩く。

 歩いている人が少ないものあるけど、アタシに声をかける人なんて誰もいなかった。

 それはそうよね。あんな恥ずかしいレースをしたアタシを、嘲り笑う人はいても、気にかける人なんて──

 

「──ダイユウちゃん?」

 

 ──いたわ。

 誰かの顔を見るのが怖くてうつむいていたアタシは、その声に顔を上げる。

 そこにいたのは──ベルノライトだった。

 重そうな荷物を抱えた彼女は、最近会ってなかったのもあって半信半疑といった様子でアタシに声をかけたみたいだったけど──アタシの顔を見て彼女の顔色が変わった。

 

「ど、どうしたの? ひどい顔色だよ!? あの、だ、大丈夫!? ダイユウちゃん」

「べ、ベルノ……あはは……だ、大丈夫、よ。たぶん……だって、レースがあるの。福島で……」

 

 一応、がんばったけどカラ元気も出なかった。そんな自分に苦笑するしかない。

 彼女はアタシの答えを聞くなり──

 

「大丈夫なわけないでしょ!? そんな顔で!!」

 

 あわてた様子で周囲を見て──付近にいた眼鏡をかけたウマ娘へと駆け寄った。

 

「おお、これはベルノどの。慌てた様子でいったい何のようでござ──」

「あの! 体温計持ってませんか!?」

「ふむ。体調チェックは競走ウマ娘サポートの基本の基本でござりますからな。その中でもさらに基本の体温測定のために、体温計は常に肌身離さず──」

「貸してください!!」

 

 眼鏡をかけたウマ娘──体型的にきっとスタッフ育成科の娘だろうけど、説明を続けようとする彼女の話をバッサリ斬って、ベルノは迫った。

 普段、大人しいベルノだけあって彼女の気迫に驚いた顔をしたが、特に気を悪くした様子もなく、そのウマ娘は体温計を取り出してベルノに渡し──彼女は一目散にアタシのところへ戻ってきた。

 ──で、その結果がコレってわけ。

 

 測定結果を見てベルノは言葉を失い、ひょいと後ろから覗き込んだ体温計を貸してくれたウマ娘も、それを見て眉をひそめる。

 

「……ダイユウちゃん、今すぐ出走を取りやめて。ううん、この結果をURAに報告すればすぐにでも──」

「駄目。やめて……」

 

 ベルノライトは心配そうにアタシをジッと見つめて言う。

 彼女の目はアタシをベッドに縛り付けてでも寝かせ、その上で自らアタシのトレーナーに直訴しようとしかねないくらいに真剣な強い目をしていたけど……アタシは止めた。

 彼女はオグリキャップのチームに所属していて、うちのチームから見れば完全に部外者だから。

 そんな彼女が出走回避を言い出せば、下手をすると妨害行為と受けとめられかねない。

 そう説明したアタシに、「そんなの関係ないよ!」と反発したベルノ。

 でも──

 

「いえ、一理ある話でござるな。確かに他のチームからの妨害行為と見なされかねない行為でござる。測定なら自チームでもできることでござりますから──」

 

 と、体温計を貸してくれた眼鏡のウマ娘が長い説明を聞かされれば納得せざるをえない。

 とはいえ、アタシもベルノも途中からは聞いてなかったけど。

 やっぱりベルノは優しいのよね。それでも心配そうにしていたわ。

 

「アタシが自分でトレーナーに言うから……だいじょぶよ、ベルノ」

 

 精一杯笑ったつもりだったけど、そうならなかったみたいね。ベルノは不安そうな顔になっただけだったわ。

 でも、そこはそれ彼女もトレセン学園に所属するウマ娘の一人。事情はわかっているのでそれ以上の口出しが良くないと理解してくれた。

 だから、アタシは熱でボーッとしそうになりつつもトレーナーたちの部屋へと歩き出す。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

(このまま走ったら他の人に迷惑がかかるし、良い結果なんて望むべくもない)

(……というか、前回のレースも熱があったのかも……)

 

 歩きながらアタシは考える。

 前回のデビュー戦も、今回と負けず劣らず体調は絶不調だった。

 思い返してみれば、意識がボーッとしたりして集中力を欠いたのは、デビュー戦の緊張からくるものじゃあなく、熱があったからじゃないかしら。

 むしろ今日よりも酷かったような……

 ともあれ、今は目の前に迫ったレースの方が大事。

 

(こんなの、レースに出走できるような体調じゃないし、辞退するなら早めにした方が……)

 

 アタシはそう思いながら入室のノックを──する直前に言い争うような声が聞こえて、アタシの手は止まった。

 

「──明らかにうちのチームの方が実力が上ッスよね?」

「どこを見ればそんなことが言えるのかしら。まぁ、“本当の”オークスウマ娘でもいたら、話は別ですけど」

「くッ……」

「当然よ、(カストル)より優れた(ポルックス)なんていないんだから!」

「そっちの方が後にできた新興チームなんだから、そっちの方が弟でしょうが!」

 

 片方の女性の声はうちのチームのトレーナーの声だった。

 内容的に考えると相手は《ポルックス》のトレーナーでしょうね。

 まったくアタシたちのチームって、ウマ娘同士だけでなく、トレーナーも仲が悪いの?

 本当に呆れ果て──

 

「──13秒ものタイムオーバー出すような娘は、うちにはいませんけどね!!」

 

 ────ッ!!

 アタシの体がこわばり、冷や汗が背中を伝う。

 

「うちのセッツと同じ、“あの人”の関係者がそっちにもいるじゃないですか。でも……あの結果じゃあねぇ。恥ずかしくて報告してないって聞きましたけど?」

「う、うるさいわね! あの娘は──」

「えぇ! えぇ! 知ってますよ。な・に・し・ろ、アンタ自ら声をかけたんですってねぇ!! あんなカスみてぇなウマ娘にね!」

「アナタ! これ以上は──」

「なんですか? “カス”を()るから《カストル》っていうんですかぁ?」

「──ッ!! 黙りなさい!! 私だって学園の重役から『あの人の手前、デビューさせないと学園の面子がつぶれるから、頼むよ』なんて言われなかったら! それで優遇でも確約されていなかったら、()るはずがないでしょう!! あんな見すぼらしく実力もないのに一人前のウマ娘のような顔をするugly(見苦しい) duck(欠陥者)を!!」

 

 

「…………………ぇ?」

 

 アタシは、目の前が真っ暗になった。

 なに、今の話?

 あのひとは──いったいなにをいっているの?

 

「──あなたの努力する姿を見て、是非チームに来てほしいって思ったの。一緒に、頑張りましょう!」

 

 トレーナーって…………アタシの努力を認めてくれたから、誘ってくれたんじゃないの?

 

「──実力を付けるためのトレーナーよ。それが私の仕事。確かに今のあなたの姿は、小柄で痩せすぎているように見えるけど、成長期なんだからすぐに大きくなるわ」

 

 アタシを成長させてくれるんじゃ──なかったの?

 

「──もちろん早熟な子もいれば晩成型の成長をする子もいるわ。同級生が活躍してるからって焦る必要はないわよ」

 

 晩成型って話も……ウソだったの?

 

 アタシの体はガクガクと震えだす。

 体の熱が原因なんかじゃない。

 抜けていく力のせいで立っていることも辛くなって──

 

「なッ!? 優遇とか汚ねえじゃないですか!!」

「うっさい!! アンタ達に勝つためよ! そもそもアンタだって──」

 

 扉越しに聞こえる罵詈雑言。

 それはもうアタシの頭にほとんど入ってこなくて──

 足元が崩れかけた時──

 

「──どうした? 大丈夫か?」

 

 トレーナー部屋の出入口の前にいたアタシは、入ろうとしたらしい人に声をかけられて、力なく振り返ろうとし──ついに足元が崩れる。

 

「──っと、危ない!」

 

 その人はアタシのすぐ近くにいたので、とっさに支えてくれた。

 おかげで地面に倒れこんだり、どこかをぶつけたりしなくて済んだのだけど──

 

「「────っ!?」」

 

 さすがに音がして、室内では息をのむような気配がした。

 アタシが力が入らない体に鞭打って顔をあげると、彼は厳しい顔をしている。

 

「キミ、ひょっとして熱が……」

 

 彼がそう言いかけた時、ガラッと音がしてトレーナー部屋の扉が開いた。

 そして顔を出したのは──《カストル》のトレーナー。

 彼女はまず最初に目の前にいたアタシを助けた人が目に入ったらしく──

 

「なんだ、あなたなの。いいわね、お暇そうで。それも呑気にウマ娘と仲良く──」

 

 言いながら、彼が支えているウマ娘──つまりはアタシを見て、一瞬、彼女の顔が強張った。

 

「だ、ダイユウサク……あなた、まさか…………」

 

 顔色が変わる。

 その背後には言い争っていたであろう、男性トレーナーが意地悪く二ヤついている顔が見えた。

 彼女はその気配に気づいたらしく──

 

「──チームの部屋に行くわよ。アナタ、これから福島でしょ」

「え? あ……ハイ…………」

 

 そう言ってアタシの手を取ると無理矢理立たせた。

 どうにか立つことができたアタシを放置し、彼女はアタシを支えていた人──多分この人もトレーナーなんだろうな──を一瞥する。

 

「私が面倒を見ているウマ娘がお世話になったみたいで、そのことはお礼を言うわ」

「──あの、今、福島って……その()………」

「これ以上は、チームや私の仕事の話。口出ししないでくれるかしら?」

 

 有無を言わせぬ口調でピシャリと言い、彼女はアタシを引っ張るようにしてチームの部屋へと向かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ついたのはチームの部屋。

 そこには誰もいなくて、アタシとその人の2人っきりになった。

 彼女はさっきの会話を聞いていたか、とは一切訊いてこなかった。

 ただぶっきらぼうに「用件は?」と聞いてきたので──そこで、アタシは言った。

 熱があると。

 そしてとても走れるような体調ではないと。

 けど──

 

「──走りなさい。出走取消は認めないわ」

 

 アタシの報告を聞いて、驚いて声をあげたその人はそう言った。

 冷徹なその言葉が、アタシの心胆を寒からしめた。

 彼女が下した決断は、レースへの参加だったんだから。

 

「……え?」

 

 それを聞いて、アタシは愕然とする。

 もしも直前にあんなことを聞いてなければ、知らなければアタシは憤っただろう。

 ──こんな体調で走れと?

 ──いや、おかしいでしょ?

 ──アタシ、熱あるんですけど?

 ──さすがに直前の出走取り消しは迷惑がかかるのはわかってるわよ?

 ──でも、こんな体調で走ることの方が迷惑かかると思うんですけど。

 そんな反論が頭に浮かんだのかもしれない。

 でも……今のアタシはもう、頭がモヤモヤして──それをどこか他人事のように感じていた。

 

 なぜなら──心がとっくに死んでいたから。

 

 さっき聞いてしまったアタシを勧誘した真相。

 それで目の前の彼女へのわずかに残っていた信頼は、完全に消え去った。

 アタシの体調を知ってなお、走らせるその行動こそ──アタシを道具としか見ていない、なによりの証だもの。

 そうしてアタシにできたのはもはや「走ればいいんでしょ」なんて投げやりな心境でさえない。

 それは怒りの感情があればこそ、だから。

 そんなもの()をついさっきぶっ壊されたアタシはただ機械的に──

 

「はい……わかりました──」

 

 ──と、答えるだけだった。

 そして私は向かった。

 たった一人で──福島へ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

六平(むさか)さん、それって他のレース場のこともわかります?」

 

 私──ベルノライトは隣にいるサングラスをした強面のトレーナーに声をかけた。

 六平さんも私も、関わっているのはオグリキャップというウマ娘のこと。

 彼女のトレーニングを担当しているのが六平さんで、私がサポートしているのも彼女だ。

 だからもちろん私が気にするのはオグリちゃんのことなんだけど──今日だけは違った。

 なにしろ今朝、見かけた知り合いのウマ娘がものすごく体調が悪そうにしていて、それもそのはず発熱していた。

 ダイユウサク──って、まるで男の子みたいな名前の彼女は、私やオグリキャップと同い年なのに、この前デビューしたばかりのウマ娘。

 

(オグリちゃんって今まで何戦走っていたっけ?)

 

 思わず比べてしまうが、彼女はそもそもデビューが中央(トゥインクルシリーズ)ではなく、私と一緒で地方の笠松。入学一年後に中央のトレセン学園に移籍するまでの間に12戦も走っていたんだから、まるで経験が違うのよね。

 未だに一回しかレースに出たことがない彼女。

 

(──って、競走を諦めた私でさえとっくの昔にデビューしていたんだけど。笠松で)

 

 それもそのはず、そのウマ娘は私から見ても不安になるくらいに、レースに出走できるような体つきじゃなかったんだから。

 最近は、やっと体つきが変わってきたみたいだけど──

 

(なんかちょっと悔しいのよね。勝ってた相手に抜かされるようで──)

 

 なんて思いながら、思わず胸に手を当ててしまう。

 そんな彼女が──妙にフラフラと歩いていたから、思わず呼び止めて、体調が悪いのがわかった。

 本当なら私が直訴して、出走を取りやめさせるべきだったんだけど──

 

(確かに、別のチームのメンバーが出走取り消しを求めたら、角が立つのは間違いないもんね)

 

 私は彼女とその場にいたスタッフ育成科のクラスメイトに諭された。

 そうなるとオグリちゃんにも変な影響が出かねない。

 私はそれを心配したし、ダイユウちゃん自身もそれを恐れてたみたいで、自分で言うって言ってたけど──

 

「ああ、もちろんわかるが……なんか気になるレースでもあるのか?」

 

 六平さんが怪訝そうに私の方を見る。

 ああ、誤解してる。きっとオグリちゃん関連で、ライバルとか気になるウマ娘がいるのかと思ってるみたい。

 だから私は「そうじゃなくて──」と前置きして、

 

「実は、知ってるウマ娘が出る予定のレースがあって……」

「知り合い? そりゃあ、ウマ娘が星の数ほどいるあの学園に通っていれば、知り合う可能性なんて無限にあるだろうが──」

 

 トゥインクルシリーズに出走するウマ娘がことごとく所属しているんだから当たり前。

 

「ええ、ダイユウサクって言うんですけど」

「ほう? 随分と雄々しくて勇ましい名前だな」

 

 六平さんが「はっはっは……」と愉快そうに笑う。

 ああ、もう。そんな呑気な話じゃないんだけどなぁ。

 ともあれ、私達ウマ娘の名前は時々、そういう“女性”からかけ離れた名前がつくことがある。ダイユウちゃんはその典型よね。

 

「速いのか? そいつは」

「いえ、全然……」

 

 私は思わず苦笑する。

 そして六平さんに同学年なのに最近まで未出走だったことや、未だに未勝利な彼女の経緯を説明した。

 すると親切に調べてくれて……

 

「む……これか、福島の未勝利戦で──」

 

「──え?」

 

 六平トレーナーが示したその箇所を見て、私は固まった。

 そんな私の様子に気が付いた六平トレーナーが怪訝そうに見る。

 

「オイ、いったいどうしたんだ?」

「いえ、これって……この表示ってことは、このウマ娘は出走するってこと、ですよね?」

 

 私の確認に、六平さんはうなずいた。

 

「ああ、その通りだぞ。なんの問題もなく出走を──」

「違います! 大問題です!!」

 

 私は思わず六平トレーナーの言葉を遮ってしまった。

 でも、その罪悪感を吹っ飛ばして、私は興奮して言う。

 

「このウマ娘……ダイユウちゃんは、今朝、熱があったんですよ!? それも結構な熱で──」

 

 私が告げた体温を聞いて、六平トレーナーも顔をしかめた。

 

「オイオイ、それは本当か? だとしたら無茶もいいところだぞ」

「と、止めないと!!」

「いや、それは……ここからじゃあ、それにオレたちの立場じゃあ、ソイツは無理だ……」

 

 私の言葉に、六平トレーナーは心苦しそうに、ボソッと言った。

 それで私も少し冷静になる。

 うん。確かに、六平さんが言うとおり、無理だ。

 現地の福島にいるならともかく、この場所から福島のレースにクレームを付けるなんて不可能だろう。出走しているウマ娘が高熱を出しているはずだから止めろ、なんてできるわけがない。

 もちろん、“他のチームのこと”だから。余所様のやることに、それが明確な「ルール違反」でもない限り、横槍は難しい。

 

「嬢ちゃん、残念だが……この場にいるオレたちには、無事にレースを完走するのを祈ることくらいしかできねえ」

「そう、ですよね……」

 

 思わずしゅんとしょげながら、私がつぶやく。

 そこに書かれた彼女──ダイユウサクの名前を見ながら、私は祈ることしかできなかった。

 

 そんな願いが通じたのか、彼女は無事にゴールすることはできた。

 でも、それは果たして無事と言えるのでしょうか。

 なぜならレース結果は、殿(しんがり)負け

 彼女はデビューから二戦連続で殿負けってことになっちゃったんだから。

 しかも──

 

 ──またしても7秒差というタイムオーバーだったのです。

 




◆解説◆

【二度目のレースは熱の中】
・それだけ見れば、暑い時のレースなのかな、と思えなくもないかな。という思いで付けた今回のタイトル。
・実際には11月ですからね。暑いわけがない。

未勝利戦
・本文中でも説明があったように、1着をとったことがないウマ娘限定のレース。
・ゲーム版ではメイクデビュー戦で負けると、この条件戦で走るしかない。
・現実世界の競馬では──収得賞金が0円の競走馬のみが出走できるという条件戦。
・ダイユウサクの2戦目が11月でしたが──現在(2021年)での未勝利戦のラストは旧4歳相当(現在表記だと3歳。以後の混乱防止のため、あえて旧換算にしました)の夏季開催まで。
・最近(2018年)までは9月まで「出走回数が5回以下」もしくは「前走が中央競馬の平地競走で3着以内」の条件を満たした競走馬が1回だけ出走できる競走が行われていたのですが、2019年に廃止。
・作中で出てくるように、ダイユウサクが現役のころは11月まで開催されていたのが、2001年(馬の年齢計算が変わった年)からそれが10月まで、その後しばらくして10月1週目までとなったり、だんだん短くなった。
・ダイユウサクのころは、11月の福島競馬場は4歳未勝利戦の嵐で、1日12レース中、距離を変えダート・芝を変え、半分の6レースも4歳未勝利戦をやっていたような状況。まさに未勝利馬天国。
・だから栗東所属の関西馬であるダイユウサクがわざわざ福島まで行った(前走は京都)んですね。

アタシの二戦目
・ダイユウサクの第二戦目は1988年11月12日(土)。福島競馬場の第5レースの4歳未勝利戦。今回は前回と異なり芝。距離は1800メートル。
・この時期になると4歳未勝利戦は中央ではほぼ終了で、↑で書いたように福島開催の半分が4歳未勝利戦という状況。
・しかしこれには裏があって……実は、福島の未勝利戦ラッシュは最後の駆け込み需要。12月は4歳未勝利戦はありません。
・5歳になったら? ん? キミはいつまでJRAのスネをかじる気だね? 当然、そんなものはないよ。
・──というわけで11月に勝てなければ格上挑戦するか、地方競馬移籍か、引退するしかない。
・そんな崖っぷちレースだったのです。
・そんな中でダイユウサクは14頭中13番というブービー人気。デビュー戦やあのレースと共通。

エリザベス女王杯(エリジョ)
・学園所属のウマ娘たちの中でこんな愛称がつけられてそう、ということで付けました。
・以前、トリプルティアラの項目で解説しましたが、秋華賞がなかったこの時代は、その代わりを務めた4歳牝馬対象のビッグタイトル。
・現在やゲームでは出走条件も変わっており、それ以上の年齢でも参加できるレースになっています。
・そんなエリザベス女王杯の1988年開催日は11月13日(日)でした。
・シンデレラグレイでも第44話でサクラチヨノオーが掲げた雑誌には、微かに「エリザベス女王杯」の文字と、11月13日という日付っぽいものが確認できる。
・そういうの発見すると書いている側はテンション上がったりします。

眼鏡をかけたウマ娘
・ベルノライトと同じく、スタッフ研修科に所属するウマ娘。
・シンデレラグレイの作中で、転校してきたベルノライトに初日にすごい圧で話しかけてきた3人のうちの一人。
・その中の一人をイメージしていたら、実は三人とも眼鏡をかけていたというオチ。
・初登場コマでは右にいる、黒髪「ござる」口調の太ましいウマ娘です。ぶっちゃけ、3人の誰でもよかったんだけど、真っ先に浮かんだのはこのキャラだった。
・発熱ですので真ん中の医療系(薬学?)ウマ娘が正解だったかもしれませんが、彼女がこのシーンで出てくると明らかに妙な薬を飲まされるパターンになってしまって治ったり、あやしい薬が原因で負けたってなってしまいかねないので。
・ちなみにシンデレラグレイでも3人ともに名前は不明。

《ポルックス》のトレーナー
・おそらくこれ以降の登場がないこのシーン限りのキャラ。なので今後は機会がなさそうなので裏設定を補足説明。
・《ポルックス》から《カストル》が暖簾分けした後にチームのメインのトレーナーになった。
・なので、分離前は《カストル》のトレーナーとは当時のメイントレーナーの姉弟弟子で、ライバル関係にあった模様。
・で、こっちが弟弟子。《カストル》トレーナーは当然、自分が《ポルックス》を引き継ぐと思っていたのだが──
・師匠は彼女の実力をかっていたので「劣った弟子が新チームを作れば弱小チームになってしまう」と思って逆にした。
・でも、それを不満に思った《カストル》トレーナーは、師匠が筆頭トレーナーの間は「兄弟チームでライバルチーム」という関係だったのに、代替わりしてからは徐々に対抗意識が暴走し始めてしまう。
・で、この《ポルックス》トレーナーは師匠の判断通り、実力的に劣る。チャラい上に実力低い。
・そんなわけでトレーナーの実力を見て一流ウマ娘は嫌気がさしてチームを離れ、後続のウマ娘たちには2チームの抗争に嫌気がさしているものも多く、チーム全体として上手くいっているとはいいがたい。
・一方、《カストル》は新チームなので結束は固いが、過剰な対抗意識のせいで攻撃的。それが自チーム内に向けられることも多々あり、ついていけずに辞める者も多く、そのため生き残った者同士の結束が強くなり──と排他的なチームになりつつある。

六平(むさか)さん
・シンデレラグレイに登場する、中央へ行ってからのオグリキャプのトレーナー。フルネームは六平 銀次郎。
・オグリキャップをよく理解しており、その指示で彼女もメキメキと実力を発揮している。
・レース中はベルノライトと一緒にいて解説役になることがほとんど。
・ちなみに、この週はオグリキャップはレースに出ていないので、トレセン学園で練習中かと。

とっくの昔にデビューしていた
・そうなんですよね。ベルノライトって笠松時代にデビュー戦やっていたんですよね。(シンデレラグレイ第7Rの冒頭)
・モデル馬と言われているツインビーのデビュー戦は1987年の10月なので、シナリオ的には1年以上前だったと思われます。
・ベルノライトのモデル馬と言われているツインビーって笠松で45戦10勝しているので、この辺りは深く突っ込むと整合性が取れなくなる危険があります。

レース結果は、殿(しんがり)負け
・史実の結果は先頭から7秒差をつけられた最下位。
・もちろんタイムオーバーで、今回はペナルティをくらいました。
・ただ、初戦を含めたこの2回のタイムオーバーのとき、どちらも発熱していて状態最悪。ろくに実力を発揮できなかった状態だったとか。
・その後から担当になった、当時厩務員をしていた平田修調教師は「どう考えても2回もタイムオーバーをくらう馬じゃない」という感想を持たれたそうです。
・熱を出した状態での出走はこれが元ネタ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。