少し昔──といっても4、5年前の話──のことだが、当時の
……そう、4、5年前までは。
それを、たった一人の“国民的アイドルウマ娘”が変えてしまったのだ。
確かに、彼女の前にも最初の国民的なトップアイドルのウマ娘は存在している。
彼女は絶大な人気を誇ってウマ娘
しかしそれでも彼女の場合は南関東シリーズ出身なこともあるし、なにより都合によって中央に所属できないために、注目を集めながらも中央への移籍を待っていたという感は否めない。
しかし2代目は違う。
地方の笠松から始まり、そして中央で頂点に立ったそのウマ娘の
「私も……オグリ先輩のように……」
カサマツトレセン学園所属のウマ娘──ベッスルエースは黒鹿毛の髪をなびかせて走る。
在籍していたということで、もはや学園では伝説的扱いのオグリキャップ。
カサマツでは彼女に憧れないウマ娘はいないし、たとえ中央トレセン学園に入れなかったからといって、ここで腐るようなウマ娘は少数派になっていた。
彼女はわかりやすく、カサマツトレセン学園所属のウマ娘たちに希望を見せたのだから。
しかし──
(私だって、現実が見えていないような、バカじゃない!!)
入学からデビューを経て
例え
ジュニア期に12戦11勝という成績は凡人はもちろん、並の天才程度が残せるような記録ではないのだから。
──自分はオグリキャップではない
彼女の登場以来、中央にはいけずとも夢と希望と……少しだけの
──中央への移籍なんて夢のまた夢。
──そう無い話だからこそ、伝説になる。
それを実感させられ、強制的に悟らせられる地方のウマ娘たち。
ベッスルエースも、それを理解している“普通の”
(でも! それでも──ッ!!)
だが、彼女の所属するカサマツトレセン学園には意地があった。
“あの”オグリキャップの後輩である、という矜持──“カサマツ魂”ともいうべきものがあった。
(今日の私の人気は三番人気。しかも一番人気だって……)
元
ならば──
「中央の連中に、一泡吹かせてやるッ!」
中央所属のウマ娘と走る機会はそう多いわけじゃない。
だからこそ今回のメンバーのレベルの低さにはガッカリしたが──それならそれで中央の連中を叩き潰して目にもの見せてやるだけだ。
それこそ──
今回のレースは、中央と地方の交流戦でした。
中央所属のウマ娘の一人である私──レッツゴーターキンは、後方から中段といった位置でレースをしていました。
今日のレースで三番人気になっているベッスルエースさんは一つ前の集団。彼女の後ろ姿はその黒鹿毛と共に、ハッキリと捉えています。
一方、二番人気で私と同じ中央所属のワンダーレッスルさんは、もっと前の方で“逃げ”ているようです。
そして、私の横には──
(この
鹿毛の髪で、後ろ髪をバッサリと切った髪型のウマ娘──今回の一番人気、ロングシンホニーさんが走っていました。
彼女の情報は、数日前にトレーナーさんから聞かされていました。
『……今回のレースで注意するウマ娘の一人だ』
そう言って名前を出されたのがロングシンホニーさん。
『地方所属だからって
そういうウマ娘だからこそ、プライドがあり、負けられないという気迫が全然違う、とトレーナーさんは警告していました。
中央所属のウマ娘が、途中で地方所属へと変わる理由の主なものは──成績不振。
(レースで勝てなくて……それでも諦めずに走り続けたいって思うからこそ……)
勝てないことで諦めて、競走界を去るウマ娘は多い。
でも……そこで諦められないウマ娘たちは、中央という舞台からは降りても
たとえ環境が悪くなるのが分かっていても、それでも──
走りたい。
競いたい。
そして誰よりも速く走りたい。
──それがウマ娘という存在なんですから。
(この
もしも乾井トレーナーさんが引き継ぐのを断ったら──
他にも引き受けてくれる人がいなければ──
そこで私が現役を続けようとしたら、きっとそうなっていたと思います。
(私くらいの年代で、引き受けてくれるトレーナーさんがいなければ……他の学園所属のトレーナーさんを捜すしかないんですから)
だからもしも、前回の最下位という結果から私がさらに敗走を繰り返せば──乾井トレーナーから愛想を尽かされるか、中央トレセン学園から見放されれば、待っている未来でもあります。
だから隣で走る彼女の姿が、私に重なって見えて仕方がありません。
そして、だからこそ──
「負けられ、ないッ!!」
不幸や負けを重ね続けて……あり得た過去とあり得る未来の自分の姿だと思えば──
そして今の自分と彼女が競れば競るほど──その思いがますます強くなっていくのです。
『お前よりも一つ上の世代だけど、それでもダービーや菊花賞に出たほどの実力はあるからな』
菊花賞では6着。ダービーでは5着という、掲示板に乗るほどの結果を残した彼女。
オープンクラスにこそ至らなかったけれど、それでもその直前にまで上り詰めているんです。
そこまでの力があった
それでも──
「私だって、勝たなければ……負け続けたら……」
待っているのは、中央を去るという現実。
そしてそれは、〈
トレーナーさんの──
ダイユウサクさんの──
ミラクルバードさんの──
オラシオンさんの──
ロンマンガンさんの──
渡海さんの──
みんなの顔が、私の頭をよぎりました。
そんなみんなと会えなくなる……
「そんなの、絶対に……イヤですッ!!」
こんなダメダメな私を受け入れてくれた〈
「なッ!?」
隣のウマ娘がグンと加速して、ロングシンホニーが驚き、目を見開く。
慌てて「遅れまい」と加速をかけるが──ワンテンポ遅れた加速は、2人の距離差を生んでいた。
そして、レッツゴーターキンとロングシンホニーの前に位置していたウマ娘──ベッスルエースは後ろから迫る気配に気がついた。
「むッ!?」
彼女もまた、負けじと加速する。
ロングシンホニーと違って前に位置していた彼女は、レッツゴーターキンの見事な末脚にも反応が間に合い、お互いに競って前へと順位を押し上げていく。
「この
レッツゴーターキンは、横に並んで自分と併走する黒鹿毛のウマ娘をチラッと見た。
見覚えのないウマ娘だった。
中央所属のターキンに見覚えがないのは、彼女は中央トレセン学園にいたことがないから。
「
高いハードルを越えて中央トレセン学園に入学したウマ娘として──
その学園内でのハイレベルな競争に揉まれ──
「私はッ、絶対に……負けられませんッ!!」
レッツゴーターキンの速度がさらに上がる。
そんな彼女の末脚に──
「かはッ──!!」
食らいついていったベッスルエースが限界を迎える。
対照的にターキンは──
「かあああぁぁぁぁぁぁッ!!」
雄叫びを上げるように叫び、最後に引き離すターキン。
ついていけないベッスルエース。
ロングシンホニーも後ろから追い上げることはかなわない。
だが…………前にはもう一人、いた。
序盤から前方でレースを展開し、そのまま下がることなく走り続けたウマ娘が、ターキンの前を走っていたのだ。
その人影に追いつくことはできず──ゴール板を駆け抜ける。
結果──テレビ愛知賞で、レッツゴーターキンは2着となった。
「うわあああぁぁぁぁぁん!!」
ゴールしたレッツゴーターキンは、走りを止めてからうつむいたまま動かなかった。
それを不審に思って、オレが駆け寄ったら──彼女は飛びついきた。
さすがに驚いて飛び退こうとしたが、間に合わなかった。
その胸に顔を埋め、大きな声で泣き始め──冒頭の泣き声、というわけだ。
「あああぁぁぁぁぁぁん!!」
いや、あの……ターキンさんや。ちょっとどころじゃなく、オレ、恥ずかしいんですけど。
周囲の注目、メチャクチャ集めまくってるしな。
でもまぁ……悔しいのは、わかるぞ。
「オレも……悔しかったからな」
泣きじゃくるターキンの頭の上に、ポンと手を乗せる。
惜しかった。
1着だったヤツの動きを気にしなければ、見事な差しだった。
現役の地方ウマ娘や、先日まで中央で活躍していたウマ娘を相手に、十二分に強さを見せつけられたんだ。
お前の実力は──けっして低くなんか無いぞ、ターキン。
「ごめんなさい、トレーナーさん。私、今回も、勝てなくて……」
「謝るな。オレに謝る必要なんて無いから……同じ位置にいたヤツにも、一つ前の集団にも、後方から追い上げてきたヤツにも、そいつらには全部、負けなかったんだからな」
むしろ謝らなければいけないのは、オレの方だ。
前で逃げたウマ娘を、オレはターキンに気を付けるようにとはアドバイスしていなかった。
もしも、そのウマ娘にもオレが言及していれば──ターキンの仕掛けのタイミングは変わっていただろうし、そうすれば届いたかもしれない。
でも……それはもう、遅すぎる後悔だ。
だから──
「お前は謝る必要はないから──存分に悔しがれ。そして……」
次は、さらに上を目指そう。
たとえ今日は負けようとも、それを前へと進む糧にするために。
な、レッツゴーターキン。
──そうして、泣きやむまで待ち、どうにか落ち着いたターキン。
冷静になってから泣きじゃくったことが恥ずかしくなったらしく、顔を真っ赤にしてぴゅーとばかりにターフから去っていった。
それを苦笑しながら見送り──ウイニングライブでは見事な笑顔を見せていて、オレはホッとした。
2着という結果は、けっして悪いものじゃないんだ。
好結果を重ねて自信をつけていく──オレが考えたプランはとりあえず順調な一歩を踏み出せた。
──ただ一つ誤算があったとしたら……レース後に目立ちすぎたことだった。
そう、ここは……中京レース場。
アイツの地元で目立ったのは──完全な悪手だった。
「あの、乾井トレーナー……」
ターキンが去ってすぐ、背後からかけられた声にオレは思わず振り返った。
◆解説◆
【Let's go ahead! 呑み込まれる前に……】
・“ahead”は「前へ」という意味。
・当初は「飲み込まれぬように」だったのですが、ふと『蒼穹のファフナー』主題歌「shangri-La」の歌詞が浮かびまして、それを採用して「吞み込まれる前に」へ変更しました。
・ターキンも立ち止まれば、引退・移籍というものが待っているくらいの世代になっていますからね。
【
・これは現実ではなく、漫画『シンデレラグレイ』の1話の描写から。
・その後の地方のトレセン学園の話も、『シンデレラグレイ』での描写を参考にして、中央のことを「君達は知らなくていいです」と言う教師がいることを考えてのことでした。
・なお、その教師が黒板に書いた
【最初の国民的なトップアイドルのウマ娘】
・今まで何度となく言及していますが、もちろんハイセイコーのこと。
・ハイセイコーは1972年に地方競馬の大井競馬場でデビューしました。
・これは馬主が中央の馬主権がなかったため。↑の説明の補正にもなるのですが、現実ではその当時、中央と大井競馬の実力には、預託金がより安い割には賞金のさがそれほどないこともあって、差はほとんどなかったそうです。
・なお、入厩時既に中央競馬移籍は約束されていたとも言われており、本作ではその説を採用しています。
・また大井でのデビュー戦の一か月前にデビューする予定だったものの、他の馬が出走回避してレース不成立でデビューできなかった、というウマ娘にしても伝説となるようなエピソードがあります。
・大人気を誇って歴史を変えたハイセイコーも、どうにかウマ娘化しませんかね。
【ベッスルエース】
・同名の実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・競走馬べッスルエースは1988年生まれの黒鹿毛の牡馬。
・笠松を主戦場にして東海地区で主に出走。
・中央のレースに出走したのは、92年のテレビ愛知賞のみ。
・正直、いい成績を残した競走馬というほどではなかったのですが、笠松所属ということで“オグリキャップの後輩”という立ち位置のウマ娘を出したくて、登場願いました。
【2着】
・このレースを制したのはワンダーレッスル。本文中でチラッとだけ(2番人気だった、という指摘のみ)名前が出てます。
・92年のワンダーレッスルの調子は良く、休養明けの3月は2着2回、4月には連勝して5月の勝ちを入れて3連勝。降級制度で500万以下に下がっていたところから一気に駆け上がります。
・6月の1500万以下の条件戦では5位、そしてこのテレビ愛知賞の勝利でオープンクラスになるのですが……その活躍もここまで。
・以後は勝利に恵まれず、同年11月のドンカスターステークスを最後に去っています。
・あともう一回……出てくるかも。