見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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「……ここは………………」

 目を覚ましたアタシの視界に映ったのは、白い天井だった。
 トレセン学園栗東寮の自室とは明らかに異なるその天井に、思わずつぶやいたアタシに──

「…………やっと、目が覚めましたのね」

 聞き覚えのある、不機嫌そうな声が応える。
 アタシは体を起こそうとしたが、なかなか力が入らずに失敗する。
 それを見ていた声の主は、イライラした様子で自分のツインテールの髪をかきあげた。

「ああ、もう! アナタ、熱があるんだから、出来もしないのに無理するんじゃありませんわよ!!」
「……サンキョウ、セッツ…………」

 その顔に見覚えがあった。
 ことあるごとにアタシにキツくあたってくる相手、サンキョウセッツだった。
 今日はその言葉の切れ味がどこか鈍いのは、アタシの体調に気を使ってのことなのかしら?

「アタシ……レースは…………」
「あら? 結果が知りたいの? あんな無惨な結果なのに──」

 相変わらずイラついた様子で、彼女はアタシを見下ろす。
 そして、鼻で笑いながら冷酷な事実を告げた。

「おめでとうございますわね。前回と同じぶっちぎりの殿(しんがり)で、7秒タイムオーバーですわ。でも、よかったじゃありませんか。前回よりも差が6秒も縮まっていますわよ」

 パチパチと軽く手を叩くサンキョウセッツ。
 ……やっぱり、意地悪だわ。この娘。
 しかし、その手を止めた彼女は真剣な──本気で怒ってアタシを睨んできた。

「……アナタ、こんな体調でレースに出てくるなんて、いったいどういうつもりですの?」

 発熱のことを言っているのかしら?
 アタシが小首を傾げると──

「レース直後にぶっ倒れたのですわよ!? 医務室に運んで測ってみればあんな体温で………ことの深刻さがわかってるのかしら!?」

 憤然として声を荒げた彼女は、アタシに詰め寄った。

「もしもまだゴールする前、レースの真っ最中に意識を失って倒れたら、どれだけ危険だったことか──」

 ウマ娘の全力疾走は自動車並み。そんな速度で無防備に転倒、なんてことになれば骨折で済めば良い方で、倒れ方次第で命の危険さえあったと思う。
 勢い込んで言った彼女だったけど、ふとなにかに気がついて、「コホン」と咳払いをした。

「──勘違いなさらないで。アナタがどうなろうと、別に関係ありませんし、私も何の痛痒も感じません。けれど、その転倒に他のウマ娘が巻き込まれでもしたら、とんでもない大惨事になっていましたのよッ!!」

 その危険さに気づいて、アタシは顔を青ざめていた。

「チームの仲間があのレースを走っていましたの。もしも彼女を巻き込むようなことになっていたら……あなたのこと、絶対に許しませんでしたわよ!」

 そう言ってアタシを睨むサンキョウセッツ。
 彼女の怒りは十分に理解できた。

「……ゴメン、なさい…………」

 だからこそ、アタシは素直に謝った。すると──サンキョウセッツは少し戸惑った様子だった。

「……あ、あら。いつになく殊勝な様子じゃありませんか。しかし、だからといって許されることではありませんわよ!」

 そう言って調子を取り戻すと、再びプンスカと怒り出す。

「そもそも、なんなのですのチーム《カストル》は。メンバーが出走しているのにチームは誰も来ていないなんて」
「────ッ!」

 思わず体を強ばらせるアタシ。
 でも、セッツはそれに気がついていない様子だった。

「そんなだから、何の関係もない、まぁぁぁぁぁったく無関係な私が、ただ同級生だというだけでアナタの面倒を見る羽目になったのですから……本当に、本当に迷惑な話ですわ」

 不快そうに顔をゆがめ、「フン」とそっぽを向くサンキョウセッツ。
 それから足音を立てながら医務室の出入口へと向かい──

「──まだ、最終レースが終わるまでに時間はあるから、それまでせいぜい休むことですわね」

 最後にそう言い残し、部屋を出ていく。
 それを見届けるのと同時に──アタシにも猛烈な眠気が襲いかかってきて、それに抵抗することはできなかった。



第11R 大追跡→ レース場までは何マイル?

 

 ──その日、オレはとあるウマ娘が気になっていた。

 

 

 トレーナー室へ向かっていたオレが見かけたそのウマ娘。

 彼女は、ある他のトレーナーが使っている部屋の扉の前で、こちらに背を向けて呆然と立ち尽くしていた。

 

「どうした? 大丈夫か?」

 

 声をかけると、悪い顔色をこちらへと向けてきた。

 同時に崩れ落ち掛けたその体を──

 

「──っと、危ない!」

 

 オレは慌てて支えた。

 それで気がついたのだが──

 

(コイツ、熱があるんじゃないのか……?)

 

 触れたときに明らかに高い体温を感じた。

 運動直後で暖まっている、という様子ではない。

 オレが改めてそのウマ娘の顔を見て──

 

「キミ、ひょっとして熱が……」

 

 ──と、言ったとき、扉が開いて女が出てきた。

 彼女はオレと同じように、この学園に所属するトレーナー。

 だが、オレを卑下するように見下して──

 

「なんだ、あなたなの。いいわね、お暇そうで。それも呑気にウマ娘と仲良く──」

 

 などと言い放った。

 その言葉に、オレは自分の胸がチクリと痛む。今のオレは担当しているウマ娘のいない状態だからだ。

 その目はすぐにオレから興味が離れ、オレが支えているウマ娘へと移り──驚愕の表情へと変わった。

 

「だ、ダイユウサク……あなた、まさか…………」

 

 明らかに様子がおかしい。

 オレに向けてきた高慢な威圧感は消え去ってしまっている。

 その女トレーナーは冷静を装いながら、オレが支えているウマ娘に厳しい目を向ける。

 

「──チームの部屋に行くわよ。アナタ、これから福島でしょ」

「え? あ……ハイ…………」

 

 その言葉に反射的に答えるウマ娘の態度には、オレは違和感さえ感じた。

 なんだろう。まるでロボットのような、自分で考える力が落ちているような……

 ──って、いや待て。ちょっと待った。

 それよりも大事なことがある。

 この女……このウマ娘の体調異変に気がついていないのか?

 正直な話、オレは扉の前に立つ後ろ姿しか見えなかったから気がつくのが遅れたが、顔色を見れば調子が悪いのは一目瞭然だぞ。

 そして今のこのトレーナーの言葉。これから福島って……コイツをレースに出させるつもりか!?

 

「私が面倒を見ているウマ娘がお世話になったみたいで、そのことはお礼を言うわ」

 

 そう言った女トレーナーを、オレは止めようと思った。

 だが──

 

「──今、福島って……その()………」

「これ以上は、チームや私の仕事の話。口出ししないでくれるかしら?」

 

 ──それを言われると部外者は何も口を挟めない。

 そうしてオレは、そのウマ娘とトレーナーの後ろ姿を見ていることしかできなかった。

 

(……だけど)

 

 その姿を見て、オレは思う。

 けっして調子がいいとは思えないその顔は悲しげに俯き──

 どこか足をかばう様に歩く姿も、今からレースを走るとは思えず──

 

 ──あの悲愴さが漂うウマ娘がとにかく気になった。

 

 アイツがどうなるか、見届けなければ気が済まない。

 その衝動にオレが頭を悩ませていると──

 

「あれ? どうしたんスか。こんなところで。担当のいないアンタはこの部屋に用事なんて──」

「あ? 悪い。聞いてなかった。この部屋への用事もたった今なくなったから安心しろ」

 

 鬱陶しくも声をかけてきた、そのチャラいトレーナーを睥睨する。

 オレが言い返して睨んだだけで気圧された様子の相手。

 先達が作り上げたチームのおかげでデカい顔してるだけで、トレーナーとして大したこともないヤツだ。

 オレは早々にそいつから興味を失い、さっきのウマ娘のことを考えながらその場から離れる。

 目指しているのは愛車のところだ。

 これから向かうのは──福島レース場。

 

(あのウマ娘の走る姿を見届けに行ってやる!!)

 

 思えば、あのウマ娘がもう気になって仕方なかったんだろう。

 オレはそう心に誓って愛車の二輪に跨り──エンジンをかけ、アクセルをふかした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──が、オレが着いたころには、福島での本日の最後のレースが終わっていた。

 

 

 うん。言いたいことはわかるが、ちょっと聞いてくれ。

 いや、だって府中から福島だよ?

 しかも福島レース場って意外とデカい福島県の北寄りにあるのな。後から調べてみたら300キロもあったんだぞ? 間に合わなくても仕方ないじゃあないか。そう思わないか?

 オレも休憩やら食事やらトイレやらに寄ったし、給油もしなければならかったからそのロスもあった。

 ……途中でオレも、間に合わないんじゃないかと思ったけど、さすがに北関東から福島県を何時間も走り続けているうちに、退くに退けなくなっちまった。

 なんか、「アイツの走りを見届けないと」という謎の使命感に突き動かされて衝動的に来ちまったしなぁ。

 ──というか、アイツって第何レースで走るのかさえ知らなかったし。

 

(まぁ、間に合わなかったのは残念だが、ツーリングみたいなもんだったと思えば……)

 

 オレは止まったままの愛車にまたがりながら、そう思い──とりあえず、この場にきた記念にトイレにでも行ってやろうとエンジンを停めた。

 そうしてレース場の中へと入った。

 これ見よがしにトレーナー免許を見せつけて、わざわざ関係者のみのところに入り込んでやった。

 それから用を足したオレが「さぁ、帰るか」とトイレを後にしつつ、今日の宿を探すのを気にしながら廊下を歩いていると──

 

「いや、困ったな……」

 

 制服を着た警備員らしき人が、ある部屋の前で立ち尽くしているのが、なぜか妙に気になった。

 ふと見れば──そこは「医務室」の前。

 

「最終レースのウイニングライブ前に医者は帰っちまったし、かといってこのままってわけにも絶対いかねえし、どうしたもんか……」

 

 頭を抱えそうなその人のことが妙に気になった。

 で、オレは──よせばいいのにその人に話しかけてしまった。

 

「なにかあったんです?」

「あ、ああ……えっとアンタは……トレーナーかい?」

「え、ええ。まあ……一応…………」

 

 思わず目をそらしながら言う。今のオレにとっては、一人前のトレーナー扱いされるのはちょっと酷だった。

 だけど、相手はそれを気にした様子もなく、「それは助かる」と興奮した様子で、それを目にしては今さら違うと否定もできなかった。

 オレは内心で──

 

(今は担当ウマ娘が一人もいなくとも、その免許を見せてこの場に入ってきたわけだし、それを主張しても問題無いだろ)

 

 ──と、考えて自分を納得させる。

 すると、相手は事情を話し始めた。

 

「ちょうどよかった。レース直後に体調を崩したウマ娘がいて、医務室で休ませていたんだが……まだ起きなくて困っていたんだ。おまけに関係者は誰もいないときてる……」

 

 なるほど、それは困るだろう。

 だが、それ以上に気になるのは──

 

「関係者が──誰もいない?」

 

 オレの問いに、警備員は半ば呆れた様子で頷いた。

 

「ああ、そうなんだ。チームには所属している様子なんだが、応援もいなければ同行者の一人もいない。それどころかいるべきトレーナーさえも帰っちまったのか、姿が見えない」

 

 その状況に「薄情なチームメイトたちだよ」と言った警備員はトレーナーもチームメイトも体調を崩した彼女を残して帰ってしまったのと勘違いしているようだ。

 トレーナーは間違いなく、チームメイトは十中八九──このレース場に最初から来ていない。そうオレは思っていた。

 おそらく件のウマ娘は──

 

「倒れた彼女に駆け寄ったウマ娘がいてな。彼女が面倒を見ていたんだが……聞けば別のチーム所属で特に仲がいいわけでもない、自チームのメンバーの面倒を見ないといけないから、とその娘も最終レースを待たずに去っちまった」

 

 さすがにここまでの状況になると、警備員はそのウマ娘を気の毒に思い、感情を移入したらしい。

 その辺り、オレはこの人に共感を感じなくもない。

 

「全レースとウイニングライブまで終われば、ここも閉めなきゃいかん。もちろん医務室に残すわけにはいかないから困っていたんだが……」

 

 そこまで説明したところで、警備員の背後にあった医務室のドアが、ガチャと遠慮がちに音を立てつつ、ゆっくりと開いた。

 

「おお、アンタ……大丈夫かい?」

 

 驚いた警備員に対し、現れたそのウマ娘は、顔色優れぬその顔で頷いた。

 ウマ娘では鹿毛と呼ばれる茶髪は長く、それを後ろに流しているのでおでこが目立つ。

 走ったままの姿なのだろう。体操服姿なせいで浮かび上がる体のラインはともかく、手足は同世代のウマ娘に比べると細いように見えた。

 そんな彼女の顔には──見覚えがあった。

 

(やっぱり、そうか……)

 

 体調不良で倒れたと聞いた辺りから「ひょっとしたら」くらいに思ったが、トレーナーがいなかったり同行者がいないと聞いてほぼ確信していた。

 

「ダイユウサクさん……でいいんだよね? 第5レースに出走していた……」

「……はい」

 

 返事をしながらしゅんとする彼女。その耳もしょげるように伏せられる。

 その反応を見るに、レース結果も倒れる前に自覚していたのだろう。一方、オレはレース場に到着してから調べたから知っている。

 彼女はそのレースで最下位だった。

 だが、今の顔色はそれを悲嘆しているのを差し引いても、余りに悪かった。

 

(このまま帰すのも、危険だな)

 

 朝見た悲愴さと今回のレース結果、そして今の酷い顔色がオレに不安を抱かせた。

 はたしてここからトレセン学園までたどり着くことができるだろうか。

 なにより、彼女は一人だ。

 

「わかった。オレが彼女の面倒見ますよ」

「「──え?」」

 

 警備員とウマ娘。二人が驚いた様子でオレを見た。

 

「ここから学園までは遠い。彼女がキチンとたどり着けるように、手配しますから」

「おお、それは助かる……」

 

 警備員もここまで関わったので気になるのだろう。

 そして心配もしていたに違いない。安心した様子で表情を崩していた。

 オレはそのウマ娘を振り返る。

 

「……無理をさせるつもりはまったくないからな。安心しろ」

 

 朝、オレに会ったということさえ覚えているかどうか。

 たとえ覚えていたとしても、どこの誰かわからないようなオレの言葉に、「はい……」と力なく頷く彼女。

 それにはさすがに──

 

(オイオイ、無防備すぎるだろ)

 

 と、不安を感じなくもなかった。

 

 

 そしてオレは身支度を整えさせた彼女とともにレース場を出て、トレセン学園に帰る──ことはできなかった。

 彼女の顔色が悪すぎて、何時間もの電車移動にさえ耐えられるかどうか不安だったからだ。

 ウマ娘のトレーナー稼業を志してそれを叶えたオレでも、さすがにウマ娘一人を背負いながら電車に乗るようなことにはなりたくなかったし、なにより帰るのを強行するのはあまりに可哀想に思えたからだ。

 もちろん一人で帰らせるのは論外。学園にたどり着けると思えないし、どこにたどり着くか分かったもんじゃない。

 

(この近くで一泊するしかないが……)

 

 そこで困ったのが──オレの懐具合だ。

 正直、ビジネスホテルだろうが部屋を二つとるのは不可能。

 そうしてオレが下した決断は──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「……あ、東条先輩ですか?」

「ええ、そうだけど……電話をかけてくるなんて珍しいわね」

 

 オレは諸々の手続きを済ませ──先輩トレーナーに電話していた。

 厳しい女性の先輩トレーナーだけど、その分、オレたちのような後輩トレーナーや担当ウマ娘の面倒見がよくて頼りになる人だ。

 今回の案件で頼るには最適だった。

 

「実は今、福島にいまして……」

「福島? なんでそんなところに……農業でも始めるつもり?」

「あの……いくら仕事ないからって、“ナントカ村”とか始めませんから」

 

 訝しがる東条ハナという先輩に、オレはここに来るまでの、そして福島のレース場でウマ娘一人を預かることになった経緯を説明した。

 

「……事情は分かったわ。福島に向かうなんて非論理的な衝動なんかは全く理解できないけど、体調不良のウマ娘を保護したのはよくやってくれたわ」

 

 そう言いながら、電話の向こうで彼女が少しイラついていて、その感情を押し殺しているのが察せられた。

 無論、オレのことにイラついているのではなく、そのウマ娘が所属しているチームとそのトレーナーに憤っているのだろう。

 

「ただ、問題が……」

「問題? いったいどうしたの?」

「いや、先輩も知っていると思いますけど、今のオレって金がないもんですから……宿泊費が足りなくて──」

 

 一瞬の沈黙。

 そして直後、ハナさんの焦った声が飛んできた。

 

「アナタまさかッ!? そのウマ娘と──」

 

「ち、違います違います!!」

 

 相手の勘違いに気がついたオレは慌てて否定する。

 

「本当に、そうでしょうね? 金がないのを理由に、一つの部屋に泊まろうだなんて──」

「あのねぇ、ハナ先輩。もしそうだったら、わざわざこうして先輩に電話する訳ないじゃないですか」

 

 オレが言うと、相手も理解したようで──

 

「う……それも確かにそうね。わかったわ。貴方のことを信じる。で、それならなんでわざわざ連絡してきたわけ?」

「一つは状況説明の担保です。なにしろオレは──あんなウワサが流れちまってる身ですから」

 

 オレが茶化すように苦笑混じりに言うと──先輩は真剣な様子で返してきた。

 

「……まだ、気にしているの?」

「オレじゃなくて周囲が、ですよ。そうでなければ今も担当ウマ娘無し、なんてことになってやしませんからね。そもそもハナ先輩だってさっき疑ったのはそれがあったからじゃ──」

「──本気で怒るわよ。貴方に関する噂が違うと確信していなければ、庇っていなかったし、今も最初から電話に出てないわ」

「……スミマセン。ありがとう、ございます…………」

 

 うん。今のはオレが圧倒的に悪かった。

 結果的にまるで相手の信用を試すようなことをしちまったし。

 

「……いいわ。気にしないで。で、他の理由は?」

「明日の朝になっても体調が戻らなかった場合には学園に連絡するよう、彼女には言いましたので、その対応をお願いしたくて──」

 

 オレがとった対応は、とりあえずそのウマ娘をビジネスホテルに宿泊させ、オレはそのまま東京へ帰ることだった。

 一部屋分の宿泊代しか捻出できないし、それにここまでバイクで来たんだから、オレが電車で帰ったらまた取りに来なければならなくなる。

 彼女には、とりあえず今日は一泊はゆっくり休み、明日起きたら体調を確認して帰れそうなら帰ること。無理そうなら学園に連絡して迎えを出してもらうなり対応してもらうように、と説明した。

 

「──了解。学園側……そうね、駿川(はやかわ)秘書あたりにつないでおくわ」

「たづなさんに? それなら、こうしてウマ娘を助け、抜かりない手続きをしたのはオレだと名前を出して説明を──」

「──今、忙しいから切るわね」

 

 ………………。

 

 信じられねえ。本当に切りやがった、あの先輩。

 まぁ、伝えるべきことは伝えたから、構わないと言えば構わないけど──

 それにしたって、多少は後輩の恋路の応援くらいしてくれたって構わないんじゃないだろうか。

 

「……ま、帰るか」

 

 オレは彼女を宿泊させたビジネスホテルから歩いて福島レース場に戻る途中だったわけで──その駐車場に停まっている愛車を見て、ホッとすると同時に「さて……」と気合いを入れる。

 赤くスマートな車体。

 ともすれば、まるで郵便屋さんのように見えなくもないそのバイクは──CT125・ハンターカブ

 そいつに跨がったオレは、東京目指して福島を後にするのだった。

 

 

 到着したのは約8時間後。

 そう──125CCは高速道路を走れないのだ。




◆解説◆

【レース場までは何マイル?】
・今回のタイトルは『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の第1話タイトル、『戦場までは何マイル?』から。
・府中から福島レース場までだいたい186マイルくらいみたいです。

ぶっ倒れたのですわよ
・などと乱暴なお上品ではない言葉を使うサンキョウセッツ。ちょっと彼女についてまとめたいと思います。
・シンザンというすごいウマ娘が出たその家はウマ娘の中で一躍名門の仲間入りしました。
・「シンザン」の名前が入っている彼女の母親はその血を誇る性格をしていましたが、メジロ家のような家とは違って新興名門なので伝統はありません。
・だからサンキョウセッツのお嬢様言葉は時々あやしくなります。
・一方で彼女はそこまで家を鼻にかけるようなプライドの高い性格ではありませんでした。
・同じくシンザンにつながるウマ娘の同級生がいると聞いて、トレセン学園への入学を楽しみにしていました。
・その血筋にふさわしい実力を持った者──シヨノロマンの存在に喜び、励みにしました。
・しかしその一方で、実力を伴わない者──ダイユウサクには失望を覚え、ガッカリしてしまいます。
・それでもそこまで悪感情を抱いていなかったのですが、血縁意識が強くプライドの高い彼女の母親が「シンザンと直接血のつながりもないのに」とダイユウサクを目の敵にし、「アレにだけは負けるな」と、優秀なシヨノロマンをやっかみながらやたら厳しくセッツにあたります。
・釣られる形で彼女もダイユウサクに厳しい目を向けますが……ツンデレ根が優しい彼女は、心の奥では体の弱いダイユサクを心配しています。
・辛く当たるのも心配しているからなのです。
・そんな素直になれない、ちょっとポンコツな令嬢なのでした。
・実際、ダイユウサクには、そのチームメイトの方がヒドいことを言ってます。

オレ
・この章──ひいてはこの作品の主人公の一人であるトレーナー。
・現在、とある理由でウマ娘たちに避けられてしまい、担当しているウマ娘がいない状況です。
・以前、担当していたウマ娘がいたのですが──未勝利のまま引退してしまい、彼自身も未勝利トレーナーのまま。
・ちなみに趣味はツーリング。
・自動車並みの速度で走るウマ娘の気持ちと、風を切る感覚を理解したいとバイクに乗り始めたのがきっかけ。

東条先輩
・アニメ版ウマ娘に出てきた、チーム《リギル》のトレーナー・東条ハナ。
・基本的にシンデレラグレイを準拠している本作ですけど、あえての登場となりました。
・このシーンの主役である男性トレーナーの先輩にあたり、見習い時代は同じチームに所属していたので、今回のように相談する相手でもあります。
・彼女にとって同僚であるアニメ版の“トレーナー”こと《スピカ》のトレーナーも、彼から見ると先輩になります。
・そんな感じで、シンデレラグレイとアニメ、ゲームのごちゃ混ぜの世界だったのです。

ナントカ村
・福島には、アイドルが農業を始めた、今は誰も立ち入れぬ伝説の村があるらしい。
・市町村区分では“町”ですけどね、あそこ。

駿川(はやかわ)秘書
・トレセン学園理事長秘書の駿川たづな。
・緑色の帽子を被り、スーツを着た彼女は、アニメ、ゲーム、シンデレラグレイの全てに登場。ウマ娘でも共通して登場するのは限られる中、それ以外のサブキャラで全部登場しているのは珍しい。
・その割には秘書をしている先の学園理事長──秋川やよいはゲームでしか出てこない。
・この二人、頭に帽子を被っているので頭頂部が隠れており、そのせいで耳が見えないので、「実はウマ娘ではないか」と言われている。
・理事長こと秋川やよいは髪のメッシュと頭の上に乗せた猫からノーザンテースト、駿川たづなはその誕生日と服の色(緑の上着と黒タイツ)からトキノミノルではないか、という噂。
・それを知ってか知らずか、“オレ”ことトレーナーはたづなさんを意識している模様。

CT125・ハンターカブ
・世界一走っている原動機付の乗り物ことホンダのスーパーカブ。それをベースにカスタムし、オフロード仕様にしたハンターカブ。
・その“ハンターカブ”の歴史は意外と古く、海外向けに1980年代から輸出を。81年から国内販売を開始。(CT110)
・国内向けは83年に早々と販売を終えたが、海外向けには2012年モデルまで販売。
・その後は、同コンセプトを引き継いでクロスカブ(CC110)を2013年に発売。
・そして2020年にクロスカブを残しつつもCT125ハンターカブが発売された。
・シンデレラグレイの世界は「1990年ころ」を意識しているそうなのですが──これはCT125ですので、2020年に発売されたハンターカブです。
・愛車がこれになったのは作者の趣味で、乗りたいバイクだから。
・同じ理由でCT110ではなく、CT125が採用されています。あと、イメージのしやすさ。
・クロスカブはメーターが完全にカブだけど、これは変更されているのがまたいい。
・なお、別の候補としては同じくホンダのバイク、ADV150も候補に挙がりました。
・これはスクーター型なものの、アドベンチャータイプでちょっと違うのがまたいい。荷物も乗るし大好きなバイクなんです。
・ただ、これを採用できなかった理由は──

125CCは高速道路を走れない
・125CCバイクは原付二種というカテゴリーになり、二人乗りもできるのですが──高速道路(自動車専用道路)は走れません。
・なのでトレーナーは東北自動車道を通ることなく、延々と国道4号を走ったのだと思われます。行きも帰りも。
・いや、早く着き過ぎたらサンキョウセッツの出番が無くなっちゃうじゃないですか?
・──そんなわけで、ADV150が採用されなかったのがこの理由。
・ADV150はその名の通り150CCなので中型自動二輪に分類され、高速道路を走れます。
・そうすると大幅に到着時間が早くなってしまうので。
・ちなみにダイユウサクが走ったレースは史実通りに11時40分にスタートしてます。
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