見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──午後の授業が終わり、放課後。

 トレセン学園の敷地内のとある場所で、来るべき大レースへと共に出走する二人のウマ娘は、バッタリ出くわした。
 とはいえ同い年で見知っている二人である。その場で和やかに会話をしていた……

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「こうしてテイオーと直接対決するのも久しぶりよね。ウチのチームメンバーとは何度か対戦してるみたいだけど」
「うん、そうだね。えっと、ネイチャのチームメイトって、イクノディクタスとかそうだったっけ?」
「そ。春のテイオーの復帰戦、大阪杯で当たってたわよね」
「うん……そうだね。なんだか結構前のことみたいで、懐かしく思っちゃうな。半年くらいしか経ってないのに……」

 ボクの心が、少しだけモヤッとした。
 うん。理由は分かってる。あのときは、ボクはまだ“無敗のウマ娘”だった。
 会長でも達成できなかった、今までの歴史でもほんの数人しか達成していない“生涯無敗”。
 なんでも、シンボリルドルフ(会長)が目標にしてたシンザンってウマ娘(ひと)でさえ、できなかったんだって。

『ああ、あの方はそういうことに興味がなかったそうだから。気難しくて本番以外は全然走ろうとしないから、仕方なくレースに出走して調整していた、なんて話もあるくらいで──』

 会長はそう言って苦笑いしてたけど。

(クラシック三冠の達成……それをボクはできなかった)

 その代わりといったらなんだけど、会長も、会長が尊敬するそのウマ娘も、できなかった“生涯無敗”という新たな夢が、ボクの目標だったのに──

 ──春の天皇賞

 そこでボクは……負けちゃった。
 あの長距離のレースで、ボクはマックイーンに完敗した。
 それどころじゃない、他のウマ娘にも先着を許して……

「テイオー? どうしたの?」
「……え? なにが?」
「いや、なんかボーッと考え込んでたから」

 気が付けばのぞき込むようにしているナイスネイチャの顔が目の前にあった。

「なんでもないよ? 久しぶりのレースに向けて、がんばらなきゃって思ってただけ」

 ボクはあわてて「あはは……」と笑ってごまかした。
 その久しぶりというほどに空いた前走のことを思い出していたんだから。
 去年の秋……骨折からの復帰が間に合わなくて、菊花賞を見ていることしかできなかったボクが、あらためて目指したものは、そこで消え去っちゃった。

(でも、まだ1敗。会長の生涯成績は2敗……三冠ウマ娘も無敗でもなくなったボクがカイチョーに誉めてもらうには、それを越えるしかない。だから、もう……絶対に負けられないんだ!)

 その上で、“七冠”という大きな壁に挑戦する。
 菊花賞を逃したボクはまだGⅠを2勝しかしてない。会長に並ぶにもあと5勝、超えるのには6勝しないと。
 そして会長の七冠は、クラシック三冠に加えて二度の有記念とジャパンカップ、そして春の天皇賞。
 天皇賞(秋)(今度のレース)をとってない。だから──

「今回のレース、絶対に負けられない……」

 1敗を守るためにも。会長の背中を追うためにも。
 確かに菊花賞みたいに一回きりしか挑めないわけじゃないけど、七冠に挑むのにここで足踏みしている暇なんてないんだ。

「でも、大丈夫? それこそ春の天皇賞以来なんでしょう? そこから天皇賞(秋)(アキテン)だなんて、ぶっつけ本番じゃない」
「ふふ~ん、ネイチャもボクの心配をするなんて、ずいぶん余裕あるんじゃない?」
「な……純粋に心配しているだけよ。せっかく同じレースで勝負できるのに、テイオーが万全じゃなかった、なんて言われたくないし」
「あはは……大丈夫、大丈夫。カイチョーだって、春の天皇賞の後に間を挟まないで秋の天皇賞に出てたんだから!」
「え? でも、それって──」

 ボクの言葉に、ネイチャが戸惑った様子を見せた──そのときだった。

「Hé! Hé! お嬢ちゃん、それはあまりいい例えとじゃないと思うぜ?」
「……え?」

 横から聞こえた、乱暴な口調の声。
 それに思わず振り向くと──目つきの鋭い、長めの髪を頭の後ろで縛って一纏めにして流しているウマ娘が、呆れたような苦笑を浮かべてこっちを見ていた。

「“皇帝”サンの信奉者みたいだけど、あん時のアイツ……負けてるからな?」
「そ、そんなの、知ってるよ! でもボクは勝って、カイチョーを越えるんだから」

 会長を揶揄するようなその言葉に、ボクはムッとしながら答えると──そのウマ娘は急に「ハハハッ!」と顔に片手を当てながら天を仰いで大爆笑した。
 むぅ……ホントに、なんなのこのウマ娘(ヒト)
 ボクは心がささくれ立っていくのを自覚しながら、そのウマ娘をにらむ。

「ハハ……(わり)ぃ、悪ぃ。別にあんたを揶揄しようってわけじゃあないんだ。その言葉に驚いて、つい……な」

 笑うのをやめた彼女は、悪意がないのを示すように片手を振って、ボクに苦笑を向けてくる。
 でも、そんなことでボクの心は収まらないんだから。
 そんなウマ娘を「む~ッ」と睨んでいたら、彼女は力が抜けたような、ヘラッとした笑みを浮かべてボクの方へと近づいてきた。
 害を及ぼさないことを示すように、両手を軽くあげて近づいてくる仕草は、どこかおどけているようにも見えたけど──彼女は、ボクのところにまでくると、ポンと肩に手を乗せてきた。
 ……あれ? この人、どこかで──

「アイツを越えようっていう心意気、嫌いじゃないぜ」

 ボクが、どこで見たのか思い出そうとしたんだけど──まるで邪魔をするかのように、なれなれしくズイッと顔を近づけてきた。

天皇賞(秋)(アキテン)、出走するんだろ? ならセンパイからアドバイスだ。色々と気をつけるんだぞ?」
「え? うん……?」
「近年、荒れているって言うから、今年もそうなるかもな。一昨年は“怪物”が体調崩してまるでダメ。で、去年は斜行してゴール後に最下位になった間抜けがいたらしい」
「なッ……」

 ボクが絶句する中、そのウマ娘は豪快に笑ってた。
 去年の斜行──マックイーンのことだというのはすぐに分かった。そして彼女がその後に苦しんだのは十分に知ってる。

(それを、バカにするなんて……)

 ボクはキッとにらみつけて、肩に置かれていた手を払う。

「マックイーンは、間抜けなんかじゃない!!」
「あ? いやいやいや……7バ身も離して楽勝できる実力持ってんだから普通にやれば勝てたのに、斜行(余計なこと)して最下位(ケツ)になったんだぞ?」
「そ、それは……」
「そんなウマ娘(ヤツ)なんて、他に言いようがないだろ」
「ッ!! バカにするなッ! マックイーンは、スゴいウマ娘なんだ!」
「あ~、あたしもそいつは認めるさ。あの大舞台であの大差……しかも有記念の結果を見れば、2番入線だって遅いわけじゃねえのは分かるからな。速いのは間違いないし、大したウマ娘だ……だが、焦ってあんなことをするなんて、とんだ()()()だって話さ」
「くッ! この──」

 堪忍袋はもう限界だった。
 ボクは握りしめていた拳を開いて、そのウマ娘へ掴みかかろうと──

「ちょっと、ストップストップ~! 落ち着いて、テイオーちゃん」

 ──そんな一触即発な状況のところに、長い髪をなびかせて他のウマ娘が入ってきた。
 彼女はボクとそのウマ娘との間に割り込むように入る。そしてそのまま、ボクに絡んできたウマ娘をジト目で睨んだ。
 一方で、そのウマ娘は──

「おぉ、マルさん! 久しぶりだな。元気してたか?」
「元気とかそれ以前に……アナタねぇ、呼び出したんだから、ちゃんとそこに留まってなさい。オマケに問題まで起こしかけて」
「悪ぃ、悪ぃ。こういうお嬢ちゃん達を見たら、ちょっと、からかいたくなっちまってな」

 そう言って悪びれも無く笑うそのウマ娘。
 間に入ったのは、マルゼンスキー先輩だった。どうやら先輩はこのウマ娘のこと、知ってるみたいだけど──
 そんなマルゼンスキー先輩は、呆れた様子でそのウマ娘を見ている。

「そもそも、なんで私に連絡入れてくるのよ? 他にいるでしょう? 同期生だってまだ残ってるんだし」
「シービーはフラッと出かけるからアテにできないんだよ。その点、あんたなら十中八九、会長と一緒だから間違いないと思ってな。万が一にもバッタリ出くわす、なんて事態は避けたいし」
「会長と会いたくないって……いったい何をしでかして帰って来たの?」
「い~や、向こうじゃ品行方正にふるまってたぜ? Bonjour(ボンジュール)やらMerci Beaucoup(メルシー・ボークー)ってな具合にな」

 そう言って豪快に笑うウマ娘。
 とてもじゃないけど、“品行方正”ってイメージがわかないよ。

「会いたくないのは会長の方だろ。気が付かない内にあたしがスッと現れるのはなおさら、な」
「あのねぇ……そう思うならちゃんと連絡してきなさい。会長も連絡が無いのを気にしてたのよ?」

 マルゼンスキーさんは不満そうな顔をしてから、ボクとネイチャを振り返った。

「ゴメンね。このウマ娘(ひと)、口と性格と素行は悪いんだけど、それ以外はまとも……まとも?」
「いや、本人(あたし)に訊くなよ、それを」
「う~ん……だって、こうして戻ってくるなり、いきなり後輩に絡んでグダ巻いてるのは、“まとも”とは言わないじゃない?」
「わざわざそう言って反省うながしてくるから、やっぱマルさんは怖いよな……」

 大げさに肩をすくめてため息をつくそのウマ娘。
 それを見てマルゼンスキー先輩は、ボクらに向かって「ほらね? 悪いウマ娘(ひと)じゃないでしょ?」と苦笑した。
 それから、再びそのウマ娘の方を見て──

「ほら、お目当ての場所にさっさと行くわよ。私だって暇じゃないんだから……」
「へいへい、ありがとうございます、マルさん。なにしろすっかり変わっちまって、全然道が分からねぇ……」
「そんなに変わってないわよ。多少……理事長が無茶言って建てた施設が増えたくらいで」

 (くだん)のウマ娘は、はマルゼンスキーさんと話しながら、この場から去っていこうとしていた。
 そして、ふと気付いたかのように──

「じゃあな、“皇帝”越えを目指すお嬢ちゃん。()()として、応援してるぜ……」

 けっして振り返ることなく、一度片手を大きく振ってから離れていくその背中を、ボクは黙って見送った。
 正直、マックイーンのこともあるし、言われっぱなしなのは面白くなかった。
 でも喧嘩がしたいわけじゃないし、このまま話していたら、きっとそうなっちゃうと思う。
 それにここで喧嘩を始めたら、マルゼンスキー先輩の顔をつぶすことになっちゃうもんね。
 でも、面白くない……そんなボクの気持ちを察してか、ナイスネイチャが心配そうに声をかけてきた。

「テイオー……気にする必要、ないからね? ああいうひねくれたウマ娘って、意外と多いし」
「大丈夫だよ、ネイチャ。ボクは全力で天皇賞(秋)(アキテン)に挑むだけだから」

 そう、会長と同じシチュエーションで挑むんだから、勝って会長ができなかったことをやってやるんだ。
 そう決意したボク──だったけど、どうにもさっきのウマ娘のことが、咽の奥に刺さった魚の骨みたいに、気になって仕方なかった。

 どっかで見たことが、あったような……



第26R Let's returning! 風が叫んだ 嵐を呼んだ

 

 放課後になって、私はチームの部屋へとやってきました。

 もちろんトレーニングもありますし、なにより昼休みにトレーナーから言われた次のレースのことを、チームメンバーに相談したかった、というのもあります。

 なにしろ、そのレースの経験がある先輩もいましたし。

 でも…………

 

「あ、あの……先輩? あの方、どちら様、でしょうか……?」

「知らないわよ。アンタが来る前に突然、『ビジョウ、いる?』とか言って入ってきたんだから」

「ビジョウ? いったい、誰のこと、でしょうか……?」

 

 私は恐る恐る、その方──チーム部屋にいる、二人の部外者の一人を見ました。

 長めの髪を無造作に頭の後ろで縛って一まとめにしているそのウマ娘さんは、暇を持て余していらっしゃる御様子。

 つまらなさを隠そうともせず、ドカッと椅子を傾けながら、一緒にきたらしいもう一人の部外者──マルゼンスキーさんと、なにやら話をしています。

 

(ああ、あの椅子……私の椅子なのに……)

 

 彼女のお尻の下には、私が持ってきたお気に入りの座布団が挟まっていました。

 それが気になって、何度かチラチラと見ていると──そのウマ娘の鋭い目と合ってしまいました。

 

「あん?」

「ひ、ひぃッ!!」

 

 あわてて周囲を見渡しますが……最近は私の行動への対策なのか、この部屋にダンボールが無くなってしまっているように思えます。

 それ以外の逃げ場所を探して、私は慌てて──

 

「落ち着きなよ、ターキン」

 

 部屋にいた車椅子のウマ娘──ミラクルバードさんが、苦笑を浮かべて言ってきました。

 でも、あんなおっかなそうなウマ娘と同じ部屋にいるなんて……落ち着けるわけ、無い。

 再び彼女を盗み見ると……

 

「あいつ、なにキョドってんだ?」

「あなたのせいでしょうに……」

 

 ──なんてまたマルゼンスキーさんとなにやら話しています。

 マルゼンスキーさん。落ち着いた大人な雰囲気に憧れていたんですけど……こんな怖いウマ娘(ひと)連れてくるなんて、幻滅です。

 

「うぅ……あの方、ここをナワバリにするためにきたんでしょうか……」

「ナワバリって……」

「ナワバリじゃなければ、たまり場……きっと、私たち追い出されて……」

「パイセン、ビビりすぎ。ここ、チームの部屋ッスよ? あっしらが追い出されるワケないじゃないですか」

「で、でもでも……チームに入れろよ、とか言われて名前だけ入れて、私たちは追い出されて使えなくなるかも……」

「もう、ターキンってば……」

 

 私のロンマンガンさんへの反論に、ミラクルバード先輩が苦笑を浮かべます。

 

「考え過ぎだよ、ターキン。冷静になりなよ」

「コン助の言う通りよ。ここはアタシ達のチームの部屋なんだから」

「じゃあパイセン、あの方に話しかけて事情をきいてきてくれません?」

「なッ……ああいうアウトローは、アンタの担当でしょ? “走る雀ゴロ”なんて言われているんだから」

「いやいや……アレ、アウトローじゃなくてインハイでしょ。なんなら頭付近のビーンボール。そんな危険球、さすがに無理ッス。普通に乱闘始まるわ……」

 

 呆れながらもオドオドした様子で返すロンマンガンさん。

 

「ロンちゃんもダイユウ先輩も、みんな落ち着いて……あのウマ娘(ひと)、“ビジョウ”って人を探してたんでしょ?」

「でも、ウチのチームに“びじょう”なんて人……いませんし」

「そんなことないよ。ねえ、ダイユウ先輩?」

「え? えっと確か……朱雀井(すじゃくい)トレーナーが、ウチのをそう呼んでいたっけ」

 

 朱雀井トレーナーといえば、私の同期のダイイチルビーさんのトレーナーさんだったはずです。

 

「と、ということは……チーム〈アンタレス〉の関係者?」

「あそこ、ソロチームだったわよ。たしか」

「あのトレーナーとあっしらのトレーナー、学生時代からの付き合いだって言ってたから、そのころの知り合いじゃないんスかね?」

「え? でもそれだとかなり前からの──」

 

 私、ダイユウサク先輩、ロンマンガンさん、ミラクルバードさんが話していると、出入口のドアが「ガチャッ」と音を立てて開きました。

 思わず私はビクッとしてそちらを振り向き──

 

「お? ちゃんと集まって……ないか。オラシオンはまた──」

「おぉ~!! ビジョウ~!!」

 

 入ってきた乾井トレーナーの言葉を遮って、大きな歓声があがりました。

 それに私はまたビクッと驚いて振り向くと──さっきの悪い目つきを一変させて歓喜の笑みを浮かべたウマ娘さんがいました。

 さすがにそれに、トレーナーさんも気がついて……その顔を見て、驚愕し、そしてこちらも笑みを浮かべます。

 

「え……ダイナ? ダイナだよな!? ダイナじゃないか!!」

「当たり前だろ、あたしがそれ以外の何に見えるってんだよ?」

 

 トレーナーさんにダイナと呼ばれたウマ娘は、一気に距離を詰め──

 

「Ça fait un moment. mon(モン) chéri(シェリ)……」

 

 ──と呟いて、トレーナーさんに抱きついて抱擁を交わし……

 

「わ……」

 

 その光景に、私は驚いて思わず声を出してしまったのですが──それで終わりではありませんでした。

 彼女はそのまま顔をドレーナーさんの顔に寄せ──頬にキスをしたんです。

 

(え? ふええぇぇぇ~~!?)

 

 そんな光景に驚愕していたのですが──ふと、悪寒を感じてビクッと体が震えました。

 いったいなにごとでしょうか。まだ10月ですし、こんな体が震えるほど寒くなるなんて……なんて首を傾げながら、なにげなく隣を見ると──

 

「ひ、ヒィッ!!」

 

 なにか黒いオーラを出しながらトレーナーを見つめる、恐ろしい先輩がいました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ちょ、ちょっとアンタ! なにしてんのよ!!」

 

 我に返ったアタシは、思わず大きな声を出していた。

 さすがにそれに気付いたトレーナーは驚き、そして抱き合っていたウマ娘は──悪びれもせず、こちらを見てニヤリと笑う。

 

「おやおや~、こんなの欧州じゃあ、挨拶みてぇなもんだったけどなぁ……」

「なにが欧州よ! ここは日本よ! 公衆の面前でこんなことして、なんて破廉恥な……」

「オイオイ、風紀委員か? なら悪かったなぁ、目の前で風紀乱しちまって……じゃ、公衆の面前じゃないところにいって、続きやるかビジョウ」

「なッ!?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながらトレーナーを見るそのウマ娘に、思わず絶句する。

 な、なによ続きって……

 

「ダイナ、からかうな……お前の悪いクセは相変わらずだな」

「ハッ……あんたのそういうつれいない態度も、変わってないけどな」

 

 そう言って、“ダイナ”と呼ばれたウマ娘はやっとトレーナーから離れる。

 アタシが知らないうちに自分の体をわなわなと震わせていると、後ろでコソコソと話している声が聞こえてきた。

 

「あの……モン・シェリって、たしかフランス語……でしたっけ?」

「うん。たしか“愛しい人”とか、そんな意味じゃなかった?」

「え? 乾井(イヌ)トレとあのウマ娘、どんな関係?」

「欧州って言ってましたし、えっと、フランスから来た……のでしょうか?」

「あ、ボクわかった。トレーナーが昔、実は巴里(パリ)に一年間留学していて、その時に所属していた平和を守る秘密部隊の仲間だよ、きっと。いい感じになったのに置いてきちゃったから、ついに追いかけてきて──」

「──どこの大神一郎だッ!」

 

 聞こえていたらしいトレーナーが思わず大きな声でツッコむ。

 そして「オレは留学なんてしてねぇよ」と付け加えつつ、面倒そうに頭をガシガシと搔いて──アタシたちに彼女を紹介した。

 

「あのなぁ……こいつはギャロップダイナ。その名前はお前らも知ってるだろ?」

「誰よ。知らないわ」

 

 聞いたこともないわよ、そんな名前。

 と、アタシの記憶には無かったんだけど……

 

「えッ!? このウマ娘(ひと)が、あの……」

「知ってるの? コン助」

「うん。というか……なんでダイユウ先輩知らないの?」

「そんなこと言われても、知らないものは知らないとしか……」

 

 アタシが口籠もると、ミラクルバード(コン助)は小さくため息をつき──

 

「ギャロップダイナ。異名は『“皇帝”を泣かせたウマ娘』──」

 

 は?

 “皇帝”って……生徒会長のことでしょ?

 あの人を泣かせた? どういうこと?

 

「あのシンボリルドルフ(“皇帝”)に勝った、トゥインクルシリーズではたった二人しかいないウマ娘の一人だよ」

「え……?」

 

 アタシが驚いて彼女を見ると──「やっと気付いたか」とそのウマ娘はニヤリと笑みを浮かべた。




◆解説◆

【Let's returning! 風が叫んだ 嵐を呼んだ】
・“returning”は「帰国」という意味であり、“帰参”でもあり、“復帰”でもあります。
・「風が叫んだ 嵐を呼んだ」は、戦隊シリーズ『科学戦隊()()()マン』の同名の主題歌の歌詞から。

直接対決
・ナイスネイチャとトウカイテイオーが直接対決したのは生涯で4度。
・有馬記念(92年、93年)で2回、そして今回のモデルになる92年の天皇賞(秋)、あとはその前の91年若駒ステークス。
・ですので、この時点では若駒ステークス以来、1年半近く前ということになります。
・そしてその間、テイオーは2度も骨折していたりしますが……
・なお若駒ステークスは無敗のころだったのでテイオーが勝ってますが、ネイチャは……やっぱり3着。

アウトローじゃなくてインハイ
・野球用語で、投球コースについてのことでアウトローは外角低め、インハイは内角高め。
・外角低めは打者から遠く一番打ちにくいとされており、それと対照的な位置の内角高めは苦手にしている打者もいる一方で、得意にしている打者もいるという得手不得手のハッキリしているコース。
・外角低めで凡打や空振りを狙うのに、インハイで体を起こすのにも使われます。
・しかしインハイは打者近くの高めで場所的に打者の頭部付近でもあり、投げ損じて頭部にいくことも。
・頭に当たれば危険球であり、一発退場になります。危険球=ビーンボール。
・もちろん打者に喧嘩を売るようなもので、乱闘の原因になったります。
・……ま、グリップエンドに当たったのに頭抑えて痛がって、危険球判定させて投手退場にするような選手もいましたが。
・ちなみに最初にダイユウサクが言ったのは「outlaw(アウトロー)」で“無法者”の意味で、野球用語ではありません。

大神一郎
・ゲーム『サクラ大戦』の1~4の主人公のこと。
・大規模な霊的障害から帝都・東京を守る帝国華撃団に所属し、主力部隊である花組の隊長。
・初期は少尉でしたが、その後は活躍のおかげで昇任していき──その最中、功績で、フランスの巴里(パリ)に留学することに。
・そこで今度は帝国華撃団のフランス版、巴里華撃団の花組の隊長となって霊的障害と戦い……というのが「3」の話。
・その最後で日本に帰国し、「4」ではそこで良い仲になった隊員(ヒロイン)がやってくる、というお話。
・これ、モデルはフランスとドイツの違いはあれども森鴎外の小説「舞姫」をベースにしているそうです。
・そしてその「舞姫」が森鴎外の体験を元にしているらしいのですが……決して褒められたような内容じゃない気がするのですが。
・ほぼスキャンダルみたいなのを元に小説書くとか、転んでもただでは起きないというか……

ギャロップダイナ
・実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・モデル馬は1980年生まれの鹿毛の牡馬。同世代には公式ウマ娘化している三冠馬、ミスターシービーがいる。
・その最も有名なレースは、やはり“皇帝”シンボリルドルフを破った1985年の天皇賞(秋)。
・誰もが予想していなかった“ダートでしか勝てない条件馬”が最後の直線で見せた末脚による大外一気の大勝利に思わず出た、「あっと驚くギャロップダイナ」という実況は有名。
・ただ、この「あっと驚く」と「これはビックリ」は混同されて言われたりしてますけど。(「あっと驚くダイユウサク」と誤用されているのを見たことがあります)
・13番人気でのレコード勝ちの大金星、というのはダイユウサクを思い起こさせますけどね。
・しかしギャロップダイナは『世紀の一発屋』という異名は持っていません。翌年の重賞の東京新聞杯や、GⅠの安田記念を制しているからです。
・それで分かるように、適性距離もマイル~中距離だったようですね。
・そして引退レースとなった86年の有馬記念では11番人気でしたが、ダイナガリバーの2着に入って同馬主の縁で一緒に記念撮影して、レースから去りました。
・本作のウマ娘は、茶髪(鹿毛)の髪を首の上付近で纏めた髪型で、目つきの鋭いという外見になっています。
・これは「当時は不遇だったダートレースを主戦場にしていた」「条件馬での下克上」「気性が荒かった」というエピソードによるアウトローの印象から、イメージキャラを『BLACK LAGOON』のレヴィことレベッカ・リーにしているからです。一人称が「あたし」なのもその影響。
・なお欧州帰りでフランス語を話しているのは、フランス留学をしていたから。
・これはモデル馬が1986年の8~9月にフランス遠征をしたことから。なお結果は12着(13頭中)、10着(14頭中)と惨敗……
・本作のウマ娘はジングレではなくウマ娘時空に入っていますので、史実をネタにしながらも史実通りではなく、フランスに長期留学していました。
・「Ça fait un moment.」というセリフは「お久しぶりね」という意味。
・なお、ポッと出の思い付きで出したわけではなく……第二章が始まって間もなく出すのと設定を考え付いていたものです。
・今まで本作や『たった二人の南赤星《アンタレス》』でその存在を匂わせてました。

『“皇帝”を泣かせたウマ娘』
・これは、天皇賞(秋)の敗戦後に、シンボリルドルフが厩舎で涙を流した、というエピソードを元にしたもの。
・ほとんど勝利を確信したところで、よくわからんダート主戦場の条件馬に勝利を掻っ攫われたら、そりゃあ悔し涙も出ますよ。


※次回の更新は5月6日の予定です。  

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