見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──先輩が、天皇賞(秋)を制した。

 それは私……オラシオンにとって、本当に驚きでした。
 学園のすぐ近くの東京レース場での開催なのもあって、私も直接見ていたのですが……それでも信じられませんでした。
 実況の──

『なんとビックリ、レッツゴーターキン!!』

 ──という声と共に、ゴール板を駆け抜けたターキン先輩。
 もちろん私も、チームメイトと共に声援を送っていました。先輩に頑張って欲しい、勝って欲しいという気持ちにウソ偽りはありません。
 でも普段の先輩の姿を見ているからこそ、11番人気という現実を知っているからこそ、この結果は──たとえチームメイトであっても──とても信じられず、唖然としていました。

(あのターキン先輩が……秋の“盾”を?)

 GⅠの中でも特に格上扱いされる八大レース。
 その天皇賞を制覇した者に証として授与される、恩賜の“盾”は競走ウマ娘なら誰もがあこがれるといって過言ではありません。

「た、た、たたたたターキン先輩が! かかかか勝っちまいましたよ!?」
「落ち着きなよ、ロンちゃん。見てたんだからわかるよ」
「で、でででも、でもでもでも……天皇賞ッスよ? 秋の盾ッスよ?」
「出走してるんだから、その可能性は誰にもあるでしょ? レースに勝つウマ娘の条件は、そのレースに出走していること──前にそうトレーナーも……あれ? トレーナー?」
「あ? ああ……」

 我に返ったように返事をしたあの人の姿に、ミラクルバード先輩は「さすがに驚いた?」と明るく笑いました。
 誰も予想してなかった、この結果を導いたのは彼──という見方も可能かもしれません。
 なにしろ去年の年末に同じようなことをしていますし。
 でも──

(ターキン先輩は連敗して悩んでいた中でチームに入ってきましたけど、その前には重賞を連勝していたんです。地力はあったんですから……)

 今日のレースは、逃げたメジロパーマーさんが途中で崩れるほどのハイペースになって、出走メンバーのほとんどがそれに翻弄されたような展開。
 後方待機していたおかげでそれに巻き込まれなかったという幸運に加え、ターキン先輩が本来持っている実力が発揮できれば、それは奇策(マジック)でもなんでもありません。 

(評価されるべきは、最後の直線を一気に駆け抜けて他のウマ娘をゴボウ抜きして、ムービースターさんを寄せ付けなかったターキン先輩の末脚)

 そう……これはあの人の手柄なんかじゃない。
 思わず睨むような厳しい目でその人を見ていました。

「……クロ?」

 小声でそう呼ばれて、私は我に返ります。
 声の方を見れば、心配そうな顔をした渡海さんが、私を見てるのでした。



第32R 乾井備丈は断りたい

 

「……オラシオンさん?」

「え?」

 

 記者の声で我に返り、私は意識を彼女の質問へと戻しました。

 

「ええと……この前の天皇賞、のことですよね?」

「はい。同じチームのレッツゴーターキンさんの勝利でしたが……」

「驚かなかった、と言えば嘘になります。あのレースはクラシック二冠のトウカイテイオーさんや、ダイタクヘリオスさん、メジロパーマーさんといったGⅠを制した先輩方が出走してましたから」

「ええ、そうですよね。それを──“なんとビックリ”の勝利、でしたからね。昨年末の有ではやはりチームの先輩のダイユウサクさんが“これはビックリ”の勝利……世間では、“驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉”なんて言われ始めてますけど──」

 

 それは私も知っています。

 あの日から、ウマッターなんかでトゥインクルシリーズファンから言われはじめていましたから。

 

「──さながら“乾井マジック”とでも言いましょうか……」

「驚きでもなんでもありませんよ」

 

 笑顔を浮かべて話す記者を遮るように私が言うと、その人は「え?」と驚いた表情になりました。

 

「二人の先輩方は実力を発揮しただけです。そしてどちらもハイペースで前でレースをしたウマ娘たちよりも待機していた側が有利でした」

「そ、そうでしたね。そういう意味では、今回の天皇賞も、去年の有記念も似たような展開ではありました……」

「本命だったメジロマックイーンさんやトウカイテイオーさんが不利な側にいて、先輩方は有利な側になった。それだけです。トレーナーがレース展開を左右できるわけではありませんから」

 

 私が言うと、記者さんは「あはは……」と困惑顔で苦笑しています。

 

「つ、つまり……勝つべくして勝った、ということでしょうか?」

「そういう展開になっただけです。そしてそうなった時に勝つだけの実力を、ダイユウサク先輩もターキン先輩も持っていた……あの勝利は誰かが起こした“奇跡”ではない、ということです」

「は、はぁ……では、オラシオンさん自身はいよいよデビュー戦を迎えるわけですが、そこではどのようなレース展開を?」

「どんな展開になろうとも、自分の実力を発揮する……それだけです」

 

 ええ、誰かさんがデビュー戦を遅らせたおかげで、私は同年代ではかなわないほどの時計を出せるほどになりました。

 この時期までメイクデビュー戦に出てこなかったようなウマ娘たちになど、負ける道理がありません。

 そう思っていると──練習用コースの側で取材を受けていた私に気がついた乾井トレーナーが、こちらへと歩いてきました。

 ……勝手に取材を受けているのが、気にくわないのでしょうかね。

 

「──そうすれば、勝利は揺るがない、と?」

「他のウマ娘(方達)に譲る気はありません。走るからには、勝つだけです」

 

 トレーナーを気にしながら私が答えると、記者の方は「すごい自信ですね」と笑顔を浮かべています。

 それにトレーナーが「スミマセン。そろそろ……」と声をかけ、「わかりました、ありがとうございました」と答えてから一礼して、記者の方は離れていきました。

 取材が終わり、私は一息ついて──

 

「……ふぅ」

「オラシオン、今度のデビュー戦のことだが……」

 

 話しかけてきたトレーナーをチラッと一瞥し、私はその言葉を遮るように──

 

「全力で走って、勝ってきます」

 

 それだけ答えて、私はメニュー通りのトレーニングへと戻りました。

 記録などの資料を手にしながら、渡海さんの指摘や助言に耳を傾けながら練習用のコースを何度も走り──視界の片隅では、腕を組んで立っているトレーナーの姿を捉えていました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ……ど~も。今、時代の波に乗っているんじゃないか、と思われるチーム所属のウマ娘、ロンマンガンです。

 この前の天皇賞(秋)(アキテン)を、レッツゴーターキン先輩が想定外に制覇したもんだから一躍話題になっている我らが〈アクルックス〉なんですが……

 

「……え? なんでこんな空気になってんの?」

 

 そのチーム部屋は、妙に空気がピリついてたりするんですけど。

 ジュニアクラスかつ所属歴も短いというチーム内ヒエラルキー最底辺のあっしは、それにビクつくことしかできません。

 そんな張りつめた空気の中──

 

「あの、バード先輩? なんでこんなことに……」

「分かってて言ってるよね? ロンちゃん」

 

 チーム〈アクルックス〉の部屋で、ミラクルバード先輩にあっしが話しかけると、苦笑気味に答えてくれました。

 彼女がチラ見してるのは──部屋の中で腕を組んでカミナリを周囲にまき散らさんとばかりに不機嫌そうに立っている、我らがチームリーダーの姿。

 

「いや、もちろんあの空気中のチリを片っ端から叩き落すプラズマ空気洗浄機には気づいてますけど。それがなんで、ああなっているのかな、と思いまして──」

「……んなの、決まってんだろ」

 

 答えはバード先輩ではないところからやってきた。

 イスに腰掛けて斜めに傾け、脚を机に乗せんばかりの勢いでくつろいでる御様子のギャロップダイナ先輩でした。

 ──え? この空気の中で、この人ここまでリラックスしてんの?

 その証拠に妙にニヤついているように見えるし──

 

「大観衆の面前で、ターキンがトレーナー……ビジョウのヤツにハグしたからだろ」

 

 ──ピクッ、とダイユウパイセンの肩が動いた。

 それを横目で見ながら、ダイナ先輩は浮かべていたニヤリとした笑みの口端をさらに上げる。

 

「それも、熱烈なヤツだったからな。それが気に食わねえんだとさ」

「うっさいわね! 違うわよ」

「じゃあ、どんな理由で気が立ってんだよ?」

「それは……今年になって一勝もできていない自分の成績を見つめて──負けてられない、そう思っただけよ」

「次走の予定も立ってないのにか?」

「く……」

 

 痛いところをつかれて言葉に詰まる先輩。

 歳上で口も達者なダイナ先輩にかなうわけがないのに。

 

「大舞台であげた大金星なんだから、ちょっとトレーナーに抱きつくくらい許してやれよ。ったく、ケツの穴が小さい──」

「……下品な言い方しないで」

「へぇへぇ。お尻のお穴がお可愛らしいことで……」

「──ッ!」

 

 キッと睨むダイユウ先輩に対し、悪びれもしないダイナ先輩。

 あ~あ~、ダイナ先輩、完全にからかいモードに入ってるじゃん。

 こうなったらダイユウ先輩がムキになったところで逆効果。ますますからかわれるだけなのに……

 

「あれ? これも気に入らない? じゃあ小さいアナ──」

「黙んなさいッ!!」

 

 顔を真っ赤にして遮ったダイユウ先輩。

 いや、ダイナ先輩……いくらトレーナーいないからって、それを言おうとするのはウマ娘──乙女としてどうよ?

 

「ねぇ、ロンちゃん……」

 

 え? なに、バードパイセン。このカオスな状況にあなたも入ろうって言うんじゃないでしょうね?

 そういえばバード先輩も、乾井(イヌ)トレのこと──

 

「ダイナ先輩が言おうとした言葉、どういう意味?」

「な──ッ!?」

 

 いや、あっしにそれを言わせようとするとか、この人やべーわ。

 あっしだって口調はこんなだし、そりゃあ“走る雀ゴロ”なんて言われてますが、花も恥じらう乙女なワケで……言えるわけねえでしょうがッ!!

 

「と、ともかく──天皇賞(秋)(アキテン)も終わったし、次はシオンのデビュー戦ッスね」

 

 もうわざとらしいとかそういうのを超越して、強引な力業で話題を変えた。

 これ以上、この話をしてたらヤバみしかないし。

 

「おぉ、今度の週末だよな?」

「うん。京都で芝1200のメイクデビュー戦

「1200? ちょっと短くない?」

 

 うん。どうにか先輩方は無事にこっちの話に食いついてきてくれた模様。

 いや~、どうなることかと思ったわ。

 

「しかし、大丈夫かね。シオンのヤツ……」

「ダイナ先輩が気にしてるの、コレ?」

 

 少し呆れ気味にボヤいたギャロップダイナ先輩を見て、ミラクルバード先輩が車椅子の上から、視線を机の上に置かれたスポーツ新聞へと向けた。

 自然とあっしらの視線も集まるわけで……

 

「ああ。まぁ、それも心配の一つだけどな」

 

 ため息混じりにダイナ先輩も見たその記事には──

 

『期待の新人オラシオン、はやくも勝利宣言!』

『他のウマ娘は眼中に無し、興味は自身の勝利のみ──』

 

 なんて見出しが載ってる。

 あちゃ~、シオン……なんでそんなこと新聞記者に言ってんのよ?

 

「これは……よくないわね」

「だなぁ。他を挑発しすぎだろ」

 

 顔をしかめたダイユウ先輩の言葉にダイナ先輩も同意する。

 それにバード先輩は苦笑して──

 

「ちょっと作為的なものも感じるけどね。オーちゃんはそういうこと言う()じゃないし……」

「コン助はシオンと付き合いが長いからそう思うんでしょうけど、この記事を読んだ人はそう思わないわよ? 確実に……」

 

 記事の中のオラシオンは、驚くほどに挑発的だった。

 勝てて当然。負けるはずがない。

 そう言わんばかりの彼女の言葉には、さすがに違和感を感じる。

 

「なんスか、これ……シオンがホントにこんなこと言ったとは──」

「それだけ〈アクルックス(うち)〉が注目されてるってことさ。余所から妬まれるくらいにな」

「……え?」

 

 思わずダイナ先輩を見ると、「気に食わねえ」と言わんばかりに露骨に顔をしかめていらっしゃる。

 

「ターキンの天皇賞(秋)(アキテン)制覇を面白く思ってねえヤツらでもいるんだろ? 予想もしてなかった連中は、特にな」

「大正義の大本命を倒しちゃったわけだしね。悪役扱いされるのも無理もないかも……ね、ダイユウ先輩?」

「まぁね。アタシの時も、本人の知らないところでちょっかい仕掛けてくるのもいたし」

 

 そう言えば、有記念直前まで、マックイーン先輩には妙な取り巻きがいたって話は聞いたことがある。

 降着騒動でショック受けてた先輩に、言葉巧みに取り入って……ってな感じで。

 

「ともかく、アタシもシオンがこんなことを言うとは思ってないけど、だからこそマスコミに注意した方がいいって言った方がいいんじゃない?」

「あたしもそう思う……もっともあいつがキチンと忠告を聞くなら、だけどな」

 

 心配そうなダイユウ先輩に対し、ダイナ先輩の表情は厳しい。

 あきれとあきらめ、それに怒りさえ入ってるように見える。

 

「デビュー時期が遅れてナーバスになってるんだと思うよ? オーちゃんは本当なら真面目で素直な()だし……」

「本当か? あれで結構、負けん気が強いと思うけどな」

 

 バード先輩のフォローに懐疑的なダイナ先輩。

 

「ま、あの態度を許してるビジョウもちょっとおかしいけどな」

「……そういえば、トレーナーどうしたのかしら? 遅いけど……」

「ああ、今日は来ないよ?」

「えぇ!?」

 

 あっけらかんと言ったバード先輩の言葉に一番大きく反応したのは、やっぱりダイユウ先輩。

 ……ちなみにターキン先輩は、レース直後の休養中で部屋にさえ来てなかったりするけど。

 

「うん。夕方から出かける予定があるから、よろしく頼むって言われてたんだけど……」

「予定ですって? 出かけるって、誰と──」

「そこまで聞いてないよ~」

「オイオイ、ダンナでもないんだから……いや、たとえそうだとしても束縛しすぎだろ?」

 

 ムキになるダイユウ先輩をからかうようにダイナ先輩がニヤニヤしながらなだめ──

 オラシオンは結局、チームの部屋にも顔を出さなかった。

 ま、渡海パイセンがついてるから、大丈夫だとは思うけど──デビュー戦間近だし、大丈夫かなぁ……

 

「なんか、すき焼き食べにいくとか……」

「だ・か・らッ! 誰と、よ!? 巽見さんじゃないでしょうね?」

「知らないよ~。そこまで聞いてないもん」

 

 ──トレーナー、割とマジで、すき焼き食ってる場合じゃないッスよ?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 11月にもなると、日が暮れるのもだいぶ早くなる。

 少し前なら普通に明るかった午後6時過ぎでも、日が沈んでる……なんて具合に、だ。

 幸いなことに、トレセン学園では夜間照明施設もあるから、練習を早く切り上げる必要はないんだが、それでも視界の感覚が本番とはかなり異質なものになるから、あまり積極的に走らせたくはない。

 

(──大井とかの地方(ローカル)シリーズみたいに、夜間のレースがあるなら別だけどな)

 

 すっかり暗くなった外の光景を考えながらオレは──屋内の和室に座していた。

 目の前にはすき焼き鍋と、そこで煮立ったすき焼き

 そしてその向こうには──

 

「もう、食べ頃だと思いますよ?」

「はあ……では、いただきます……」

 

 眼鏡をかけ、真面目な顔でそう言った相手に、オレは戸惑いながら答え、箸を伸ばした。

 ……慣れない。

 というか、この人と食事とか初めてだし……

 そもそも、オレ、なんでこの人と食事してんの?

 

「あの、黒岩理事……今日は、どのような御用件で?」

 

 そう。

 オレの目の前にいるのは〈アクルックス〉設立から無理難題をふっかけられてきた相手、URAの幹部にしてトレセン学園の理事の一人、黒岩理事だった。

 さすがにこれまでがこれまでだけに、この人と面と向かって対するのは緊張感がある。

 ……しかもそれがマンツーマンだとなおさらだ。

 

「別に……ただ、秋の天皇賞を制したウマ娘のトレーナーの功を(ねぎら)いたい、それだけですよ」

 

 いや、ウソだろそれ。オレは信じないね。

 この人、天皇賞のあと、毎回毎回その勝利トレーナーを食事に招待してんの?

 ってことは、去年はプレクラスニーのトレーナー……あの常にグラサンかけてた付き人とか子分とか言われそうな人とマンツーで食事したってこと?

 

(……絵面、おかしすぎるわ)

 

 その光景を想像しながら、オレはともかく箸を進めることにした。

 なんにしてもこの食事に罪はない。

 さらに言えば、ここは高級料理店──オレが来ようとして考える選択肢の範囲にかすりもしないようなお店だ。

 だから、さすがにその名に恥じないくらいにメチャクチャ美味いしな。

 

「ま、こちらとしては滅多にない機会だからありがたいけど……」

「私だって、毎日のようにこういう場所で食事しているわけではありませんよ」

「──ッ!?」

 

 小声で呟つぶやいたつもりの独り言だったが、黒岩理事には聞こえていたらしい。

 さすがに焦るわ……

 

「だからこの場は特別な席、というのは理解して欲しい」

「……ええ。ですから、御用向きをお聞きしたんですけど」

 

 そう返しながら……心の中ではウンザリしていた。

 こういう腹のさぐり合いみたいなのはイヤなんだよな。それがレースについてのことなら俄然やる気になってくるが、明らかに違うし……

 

「ともあれ……天皇賞制覇、おめでとうございます。乾井トレーナー」

「ありがとうございます──と言いたいところですけど、あれはオレじゃなくてターキン、彼女の手柄ですよ。オレはその手伝いをしただけですし、さらに言えば彼女の基礎をつくった前野さんの功績です。オレなんて……」

 

 一から共に歩んできたのならともかく、産休ということで引き継いだオレがそこまで誉められるのは、全部お膳立てされていたようでなんとも収まりが悪く、むずかゆい気分になってしまう。

 

「ともあれ、これでレッツゴーターキンも結果を残し、これからは多少、手が掛からなくなる……」

「これで自信がついて、小心者なところがなくなるといいんですがね」

「そして、ダイユウサクは実質的に走っていない──」

「えっと……」

「ギャロップダイナもまた(しか)り……違いますか?」

「………………それは、そう……ですね」

 

 もう、なんかイヤな予感しかしないんだが──

 オレが密かに冷や汗を流し始めたそのとき、黒岩理事はテーブルの下の鞄から、スッと資料を出した。

 

「…………」

 

 ほら来た。

 やっぱり天皇賞(秋)の労いとか嘘っぱちじゃないか。

 受け取りたくねぇ……と心の底から思ったが、オレ、食べちまってるしなぁ。

 それにこの空気の中、食い続けることも席を立つことも、もちろんできないし。

 オレは恐る恐る、その資料に手を伸ばす。

 

「チームに多少、余裕ができた……という解釈で間違いありませんね?」

「……否定したいですけど、間違いありません」

 

 否定したところで、この人に弁舌で勝てるとは思えないからな。いろいろと言われて認めざるを得なくなるだけだから、最初から白旗揚げていた方が楽だ。

 すき焼きも食っちまってるし。

 

「生じた余裕で、一人……担当を増やして欲しいのです」

「そのウマ娘、状況は?」

「未出走のジュニア──」

 

 資料にまで伸びた手を、オレはピタリと止めた。

 

「年が明ければクラシックですが──」

「無理です」

 

 オレは資料から手を離し、即座に断っていた。

 

「ウチはオラシオンにロンマンガンと、現ジュニア世代を二人抱えています。さらにもう一人となればレースでかち合う可能性が格段にあがる。切磋琢磨というわけにもいかなくなる……」

 

 クラシック期になり、もしもそこで順調に好成績を重ねて重賞を競えば、それはチームとしては勝つ確率があがるだろう。

 だが、ウマ娘個人となれば手の内を知られた者を相手に競うことになるし──これは願望に近いものになってしまうが──場合によっては勝利を分け合うことになり、そうなれば個人成績を落とすことになる。

 二人ならまだしも、三人になれば単純にライバルとして競わせるのも複雑になってくくる部分もある。

 

「なんなら今回の食事、理事の分もオレが全部払います。それで断らせてください」

 

 幸いなことに、直前にターキンが天皇賞を制していて懐が暖かいからな。一度の食事代くらいどうともなる。

 このリスクを避けられるなら安いもの──

 

「……話を、最後まで聞いてもらえませんか?」

「聞くまでもありませんよ。こっちは同じ年代に3人も抱えるわけにはいかないという理由は変わりません。それに……オレは有力ウマ娘(オラシオン)をまだデビューもさせられていないトレーナーですよ?」

 

 自虐的に苦笑する。

 が、黒岩理事は眉一つ動かさずに返してきた。

 

「考えあってのことでしょう? デビューが早ければいいと言うものではありません。不必要に多く走らせ続けるのも……短絡過ぎです」

「セントホウヤのような?」

 

 そう返してみたが、やはり顔色は微動だにしなかった。

 オラシオン達の同学年で、話題になるほどの実力を持つセントホウヤ。彼女は早々とデビューして、これまでにすでに3戦を終えて全勝している。

 だが──ハッキリ言ってしまえば、この時期にそこまで走って実績を重ねる必要性は、彼女のキャリアには必要ない。

 12月に開催されるジュニア限定のGⅠレースへの出走条件は満たしているし、クラシック期への備えにしても十分すぎて過剰なくらいだ。

 

「……さぁ? 理事である私が特定のチームを批判するわけにはいきませんからね。まぁ、あのチームの先代は不本意でしょうね」

 

 澄まし顔で言う黒岩理事。

 セントホウヤの所属チームは、オレにとっては因縁のある相手といえる〈ポルックス〉。

 そこから分離した兄弟チームの〈カストル〉が消滅する件にオレは関わっていたし、そのせいで一度は引退した先代が復帰してメイントレーナーになっていた。

 今では、再び弟子のトレーナーに主導権を譲ってオブザーバー的な立場になったらしいが……本人はともかく弟子の方はあまり良い印象はない。

 

(あのときも、絡んできたしなぁ……)

 

 ダイユウサクと初めて会った日のことを思い出す。言葉を交わしたのはそのときくらいだが。

 そして、旧〈カストル〉メンバーを吸収しただけあって、チームの成績は悪くない。

 それどころか最優秀(リーディング)チームを視野に入れられるほどらしく、そのためにセントホウヤを過剰に出走させている……オレにはそう見えていたし、だから先代も怒ったのだろう。

 

「考えがあるからこそ、あなたは彼女のデビュー戦で()()()()()()()()。それもマスコミを使ってまで……違いますか?」

「さぁね。そもそも(いち)トレーナーごときじゃあ、マスコミ様を動かすことなんてできませんし、できても大したことじゃありませんよ。過大評価じゃないですか?」

 

 眼を鋭く細めて指摘してきた黒岩理事。

 ホント、どこまで見通してくるんだか。無論、オラシオンのためでもあるし、それが結果的にはURAのためにもなるんだから、勘弁してほしいわ。

 オレがとぼけると「まぁ、いいでしょう」と、その件については引き下がる。

 できれば、この件全体のことを諦めて、後は食事だけ──って具合にして欲しいんだが……

 

「そのように思慮深いあなただからこそ、任せたいのですよ。そのウマ娘、じつはとあるURAのVIPからの強い推薦で学園に入ったんですが……正直な話、伸び悩んでいましてね」

「VIP?」

 

 うわぁ……そんなの余計に関わりたくないわ。

 ダイユウサクの場合、“あの方”との血縁だったけど遠かったし、ほとんど口出しもなかったから意識したことがなかったけど。

 それが強い推薦な上に、伸び悩んでいるとなれば……そのVIPが口出ししてくる可能性、高いだろ?

 理事長とか黒岩理事(この人)、“あの方”ならともかく、他の理事とかVIPへの印象は、正直言ってよくないし。

 

「理事ではありませんし、今はそこまでURAに深く関わっていません。政治家として人とウマ娘の架け橋になるのに忙しい方ですから──」

「は……?」

 

 え? いや、その人──その方って、まさか……

 

「ええ。たぶんあなたが考えている人ですよ。国民的アイドルウマ娘として一大ブームを起こしたあの方、です」

「ハイセイコー……さん、ですか?」

 

 黒岩理事は黙ったままで、肯定する事はなかった。

 だが、否定もしなかった。

 彼女の立場──政治家という公平さをなによりも求められることが、一人のウマ娘に肩入れして学園に推薦する、というのを公にするわけにはいかないのだろう。

 

「その方が運命的なものを感じて、学園に推薦してきたんですが、現状なかなかうまくいっていない。チームもトレーナーも決まらず……そこでキミ(再生工場)の出番というわけです」

「オレはそんな大層なものじゃありません」

「ダートでしか勝てない条件ウマ娘を八大レースに勝たせて“皇帝”に涙を流させ、デビュー2戦タイムオーバーするような劣等生で“最強ステイヤー”から有を勝ち取り、八連敗で消沈していた気弱なウマ娘を立て直して前年の年度代表から秋の“盾”を奪わせて……十分な実績だと思いますがね」

 

 半ば呆れたように列挙する黒岩理事。

 だがその反応は予想済み──

 

「良いところだけ出さないでくださいよ。オレの悪い噂、御存じでしょう? パーシングの件を」

「それは誤解と理事長や東条クンが一生懸命否定していたじゃないですか。URAの正式な報告にもある──」

「ウマ娘の間では、一時は事実として流布していたものです。そう簡単には……」

「それを覆すほどの功績を残したのもキミです。今のレッツゴーターキンやダイユウサクを見て、噂を信じるウマ娘がいますか?」

「それは……」

「確かに実力不足で未出走での重賞出走は糾弾されるべきもの。しかし乱暴された噂が事実無根なのは、ギャロップダイナが戻ってきたことが雄弁に語っています」

 

 うぅ……くそッ、“黒い噂作戦”もダメか。

 VIP、それも政治家となればそういう週刊誌が好きそうなネタを回避すると思ったんだが、この調子だと全力で記事をつぶす方になっているようだ。

 正直に言えば“あの人の推すウマ娘”というのは心惹かれるが、それではオラシオンとロンマンガンに対してあまりに不誠実すぎる。

 

「そんなに悪名を気にするのなら……そうですね、今後はあなたのことを〈アクルックス〉と〈ミモザ〉のある星座から“黒い南十字星(サザンクロス)”とでも呼びましょうか?」

「マジで勘弁してください」

 

 オレは半ば土下座するように頭を下げた。

 うん、その呼び方はいろいろマズい。

 

「それに……(くだん)のレッツゴーターキンに関して、谷川岳ステークスでのウイニングライブの件を忘れたわけではありませんよね?」

「うぅ……」

 

 そうだよ。あの時ターキン、久しぶりの勝利すぎてダイユウサクに続く号泣ライブやってたんだ。

 その時は、コンテンツ部門の管理してる黒岩理事(この人)が妙に静かだと思って内心不安になったんだが、借りになってたってことかよ。

 えぇと……他に、こういう借財はもう無いだろうな?

 この人相手に借りとか、割と本気でもうイヤだぞ。

 

「あとは……聞けば、彼女(ハイセイコー)の熱狂的なファンだったそうじゃないか、乾井クン」

「く……」

 

 そこまでバレてんのかよ。

 オレが引き受けざるを得ない状況を作り出した上、オレが引き受ける理由まで付け加えるとか、追い込みすぎだろ

 覚悟を決めて顔を上げ、その資料に再び手を伸ばし──掴んだ。

 

「──担当してもらえる、そうとって構わないね?」

 

 ここまで追い詰めておいて……と、心の内を苦渋で一杯にしながらそれを手元に寄せ──そして見る。

 写真の顔は、育ちの良さそうなお嬢さんといった感じだった。

 目つきというか顔つきというか、どこかのんびりとしたようにさえ見える。

 そして無言のオレは、その名前を見た。

 

「……ダートが得意な先達が最近になってチームに入っているのもキミのところを選んだ理由の一つだよ。()()()()()()()()()、他の二人とは路線も重複しない……そもそも中等部なので、その心配はありませんよ」

 

 

 ──サンドピアリス

 

 

 ダートを走るために生まれてきたような名前が、彼女の名前だった。




◆解説◆

【乾井備丈は断りたい】
・正直、長かったので2つに分けるか迷いました。
・でも2つに分けると、後半のトレーナーの話だけになってしまうので、2部の導入と含めて一つのままの方がいいと思い、そのままにしました。
・そして今回ののタイトルは『かぐや様は告らせたい』風で──
・黒岩理事との頭脳戦……ではなく一方的にやり込められただけですけど。

メイクデビュー戦
・オラシオンは非実在馬ですので、もちろん原作で出走したレースも架空のもの。
・そんな原作では1200メートルという言及しかなく、どこの競馬場かさえも言及されていません。
・ただ、オラシオンは栗東所属だったのでおそらく京都だったのだと思います。
・そして出走日も11月という漠然とした指定しかありませんでした。
・オラシオンは阪神3歳ステークスに出走する描写があり、それまでにデビューを含めて2戦走っていますので、11月中に走る必要があったのでなるべく早く、ということで11月8日になりました。
・実は……ライバルが翌日にオープン特別に出走しているという描写があるので、土曜日に京都で1200の新馬戦があったその前週(11月1日にいちょうステークスが開催)の方が合っていたのですが、新馬戦の開催は土曜日……10月31日となるため、「11月の出走」という原作とズレてしまい、11月8日に決定しました。
・曜日も、原作を意識すれば土曜日になるのですが、そうなると1200の新馬はダートでした。芝とダートの言及はなかったのですが、雰囲気的に芝、かな……というわけで日曜の芝になったわけで。

すき焼き
・なんの料理でもよかったんですけど、『グラゼニ』の代理人ダーティー桜塚がモップス球団幹部との会談ですき焼きを食べていたので、すき焼きにしました。

黒い南十字星(サザンクロス)
・「黒いサザンクロス」は『オーバーマン キングゲイナー』に登場するもう一人の主人公、ゲイン=ビジョウの異名。
・狙撃による暗殺を得意とする彼の、標的に十字を描いて撃ち込むところがその異名の由来。
・一方、恒星アクルックスとミモザはどちらもみなみじゅうじ座を構成する5つの星の1つで、その両方のチームで大本命を目立たないところから堕としたことを含めて、「黒い南十字星」と呼んだのでしょう。

サンドピアリス
・本章の主人公、最後の一人……サインドピアリスでした。
・元になったモデルの競走馬は1986年生まれですので、ダイユウサクとレッツゴーターキンの間に入る年代なのですが、第二章からはウマ娘時空にすると言っていましたので、彼女が主役となる物語がここから始まります。
・幸いなことに、牝馬のサンドピアリスと、牡馬路線のオラシオン達の話は交わりませんので、逆にこのタイミングでないとピアリスを出すのは無理と判断して、ここでの登場となりました。
・……え? 前回出てきたウマ娘? あぁ……ミスリード用、ですよ?


※次回の更新は5月24日の予定です。  

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