──ジュニア世代のウマ娘が、学園内の練習用コースを走る。
彼女の併せの相手もまたジュニア世代だが……ゴールが近づくにつれて引き離されていくのが分かった。
そして、ゴールに設定した地点を通り過ぎた私は、速度を緩め……やがて足を止めて一息ついた。
そんな私の下へ、一人のウマ娘が近寄ってくる。
走り終えて間もない私は、その気配に気がついて頭上の耳をそちらへ向ける。
間違いなく私の方へと近づいてきている。それが分かって厳しい目を向けた。
(慣れ合う気なんて、無い……)
そう思って見つめた相手は──肩すかしを食らうほどのんびりとした表情をした、小学生かと思うほどに小柄なウマ娘だった。
たれ目気味のその瞳は、ほとんど閉じているんじゃないかと思うほどに瞼が下がっており、まとう空気もほんわかしている。
その彼女は──
「スゴい、スゴ~い。さすがカグラちゃんだね~」
パタパタと手を振って、こちらを見ている。
私……シャダイカグラは彼女を一瞥してため息をつき、無視し続ければそのまま手を降り続けない彼女の下へと向かった。
「感心している場合じゃないでしょう? ピアリス。あなたまだ、デビューどころかチームに入ってさえいないじゃない」
「うん。だから、もうデビューして、勝って、さらに勝とうと頑張ってるカグラちゃんは本当にスゴいよ~」
ポワポワとした空気で言う彼女は、本気でそう言っているのだから始末が悪い。
中央トレセン学園では、同じ中等部であり、寮でも同部屋。そんな彼女は私が心配しているというのに、本人は全く気にしていないのだ。
この、サンドピアリスという同居人は、良いところのお嬢様らしく、本当に浮き世離れしているというか──
「ええ。ソエも完全に収まっていますし、再来週のレースに備えていますから。あなたも見ているだけじゃなくて、走りなさい? いいわね?」
「うん、走ってるよ~。チームに所属していないから、なかなか使わせてもらえないけど」
「その狭い枠も、せっかく予約していても他のウマ娘に譲ったりしてるでしょうに……」
「う~ん、なんだか悪い気がしてね~。一生懸命な
「あ・な・た・が、一生懸命やりなさい」
ああ、もう……頭痛がしてくる。
私は思わず沈痛な表情になってこめかみを押さえたわ。
「デビューが遅くなれば、それだけ不利になるのよ? そのためにも早く──」
「でも、クラシックの10月にデビューしたのに、有馬記念まで制したウマ娘も、いるって聞いたけど~?」
「そういう特殊な
人差し指を立てて首を傾げるルームメイトの楽観的な考えは、本当に恐ろしくなってくる。
実際、クラシックの頃までに実績を重ねていてオープン昇格していたウマ娘と、そうでないウマ娘はシニア期に苦労が違う。
(ついでに言えば、そのウマ娘……落第寸前に、悪い噂があったトレーナーと強引に組まされたって話じゃないの)
早く実績を出さないと、冷遇されてそんな仕打ちを受けるってことよ。
そのウマ娘はそこから復活したというのはスゴいと思うけど、それを万人がやろうとしてできるような容易いことじゃないんだから。
「もう……見てるだけじゃなくて、ちゃんと走りなさい。トレーナーに言うから、次は私と併走して」
「やった~、カグラちゃんと走れる~」
万歳して無邪気にはしゃぐピアリス。
とても小柄な彼女がそんな仕草をしていると、まるで子供のようにさえ見えてしまう。
「さっきからジッと見てるあの人にも、カグラちゃんの走りをまた見てもらえるね~」
「えっ!?」
無邪気に顔を向けた彼女の視線を追い──そこに一人の男性トレーナーがじっとこちらを見ているのに気がついた。
え? なんで私を? 私は、もうチームに所属しているというのだから、スカウトしようというわけではないでしょうに。
かといって、デビューして間もない時期。順調な私がチームから抜けるはずもないんだから──
(いったい、なにが目的なのよ?)
鋭い目をそのトレーナーに向けたけど、離れているせいもあるのか気がついた様子もない。
「ねぇ、ピアリス。あの人、いつからいた?」
「えっと……結構前からだよ? 熱心に見てるし、きっとカグラちゃんのファンに違いないよ~」
「……ストーカー……?」
そう言えば、悪い噂のあったあのトレーナーじゃない? あの人。
私は思わず肩を抱きすくめるようにして、体の震えを押さえ込み──私の担当トレーナーに通報した。
「……こんなところで、なにをしているんですか? 乾井トレーナー」
「これはたづなさん……奇遇ですね」
「奇遇なんじゃありません。不審者がいると通報があってきているんですからね」
オレが遠巻きにとあるウマ娘を見ていたら、緑のスーツと帽子がよく似合う理事長秘書の駿川たづなさんがやってきた。
その彼女は、オレの言葉にぷんぷんと怒った後、呆れ気味にため息をついていていた。
「ちなみに……誰からですか?」
「あちらの方からです」
そう言ってたづなさんが指す方を見ると──オレが見ていたウマ娘は、他のウマ娘と併せをやるらしく、そのウマ娘の担当トレーナーとなにやら話をしていた。
そして今、その短い髪のクールな雰囲気をまとった女性がチラッとこちらを見たのが分かった。
「担当してるウマ娘をつけ回すストーカーがいる、と」
「それは誤解ですね……」
思わずオレは苦笑した。
なぜならオレが見ていたウマ娘は、担当が決まらずに困っている、という話なのだから。
(彼女の担当が決まったというのなら、それはそれで問題ないんだけどな)
黒岩理事からの頼み事は無意味なものになり、オレはそれから解放される。
だが……どう考えても違うだろう。
(さっき、あのウマ娘がこっちを睨んでたからな)
目当てのと一緒にいたウマ娘がオレに気がついたんだろう。
しかしストーカーとは、な。
思うところがないわけではないが、昔──ダイユウサクと出会う前の、オレの悪い噂が流れていた最盛期に比べれば、まだマシだ。
「黒岩理事に、頼まれたんですよ。彼女を」
「え? 彼女ってシャダイカグラさん、ではないですよね? ということは……」
「あまり、理事長の頼み事ばかり聞いていると敵を作ることになりますよ、とも言われまして……」
少し皮肉の入ったオレの言葉に、たづなさんはなんとも言えない表情になった。
彼女も一つのチームを頼りすぎるのは悪いことだとは思っているのだろう。しかし頼みやすいチームを頼りにしてしまうのも無理はない。
「彼女のことは理事長も気にされていたので、私たちも助かるのですが……」
「それは聞かなかったことにしますよ。オレは、黒岩理事から頼まれた、それだけです」
ウチのチームが八大レースを2つ取ったという実績を出し始めたことで、理事長にとっては頼みづらい状況になってきているからだ。
弱小チームに融通を聞かせるのは、強力な巨大チームと争うための支援ということでいいわけができる。
だが、ある程度の力を示せば、それは
理事長のおかげで〈
それを承知しているたづなさんは、「くれぐれもよろしくお願いしますね」と、言い残して去っていく。
それがあのウマ娘のことなのか、それとも今回の警告のことなのか、ハッキリさせないまま──
そして……
「──理事長秘書から、警告はしていただいたはずですが?」
「もちろん、聞いてますよ」
指示を終えたトレーナーが、たづなさんが去ったオレの下へとやってきていた。
──奈瀬 文乃。
天才の名を欲しいままにする、若き女性トレーナー。彼女とはあまり話したことはないが、オレと仲のいいトレーナーが彼女と同門にいたことがあり、接点がないわけではなかった。
「警告に従わないと言うことは、彼女を狙っている……というわけですか?」
「なにをおっしゃる」
警戒するように目を細めた彼女に、俺は思わず笑ってしまった。
「そんな畏れ多いことするわけないでしょう? 天下の天才トレーナー……《王子様》からウマ娘を盗み取ろうだなんて」
「こと才能を見抜く“目”について、ボクはキミに脅威さえ感じていますよ、《黒い
「いや、その呼び名、マジで勘弁してください」
食い気味にオレが止めると、奈瀬トレーナーは驚いたように目をパチクリとしていた。
それから気を取り直して──
「では、他に言われている、《
「そっちの方がマシなんで、それでいいです……」
オレがうなだれるように言うと、奈瀬トレーナーは少し楽しげに微笑を浮かべる。
「彼女の才能を見抜いて、下見に来たのかと思いましたよ」
「残念ながら。ウチにも有力なジュニア世代がいるもので、その偵察……です」
「嘘ですね」
はい、アッサリ見抜かれた。
一転して鋭い目を向けて警戒している彼女に、オレは心の中でため息をついた。
この人……それにこの人の親父さんもだけど、
さすが《魔術師》の家系……
「あなたのところのオラシオン……彼女が優れたウマ娘なのは間違いない。しかし今週末にデビュー戦が控えているんですから、あなたがこんなところでこんなことをしている場合ではないのでは?」
「恥ずかしながら、なかなかデビュー戦組まなかったせいでトコトン嫌われていまして。相手にしてもらえないんですよ」
オレが「意外と気が強くて困ってます」と気まずそうに言うと、奈瀬トレーナーは一度驚いたような顔をした。
だが、すぐにフッと不適な笑みを浮かべてこちらを見てくる。
それには騙されませんよ、と言外に言っているように見えた。
「オラシオンはクラシック三冠を狙うのでしょう? 彼女──シャダイカグラはトリプルティアラ路線を目指す予定です。それに、そもそも彼女は中等部ですから」
「いいんですか? そんなことまでオレに喋って」
「隠さなくてもいずれ分かること。それに路線が被る相手もいないじゃないですか。ロンマンガンをチームに入れたのもオラシオンと競わせるためでしょう?」
「……買いかぶり過ぎですよ。うちのチーム、そんなに人気ありませんって」
思わず苦笑してしまったが、奈瀬トレーナーは冷静な目でオレを見ており、信用してくれないようだ。
「オラシオンの路線に関しては……デビュー戦が終わらないと、なんとも言えません。オレには扱いきれずに、箸にも棒にもかからないウマ娘になり果ててしまうかもしれません」
「もしそうなればキミの罪は極めて大きい。あれほどの才能を無駄にしてしまうのだからね」
彼女の冷静だった目が、冷たく厳しい視線へと変わってオレを貫いた。
やっぱりオラシオンの注目度は高い。
そしてそれはプレッシャーでもあるんだよなぁ。
「彼女がうちに入りたいって来たから、受け入れただけなんですけどね……ま、オレも精一杯頑張ってますけど、順調にいっていてもケガで泣くこともありますから」
オレは肩をすくめ、その場で振り返ってコースに背を向けた。
それはこれ以上、ここに残りませんよという意思表示で──奈瀬さんの向こうでは、シャダイカグラの併せのトレーニングが終わっていた。
一緒に走ったウマ娘は……まるで相手になっていなかった。
(なるほど。確かに……)
このレベルのウマ娘だったら、声をかけられないのもやむを得ないだろう。
奈瀬トレーナーも、シャダイカグラに頼まれたからこそ、一緒に走るのを許可したのだろうし。
ということは、〈
ただ、正直……このウマ娘を、オレの敬愛するあのウマ娘が納得するほどに仕上げられるか、不安しかなかった。
(せめてもの救いは、あの人が推薦したウマ娘は当たり外れが大きい、と知られていることだな)
今までも何人かそういうウマ娘はいたそうだが──好成績を残した者もいれば、早々に学園を去った者もいる。
サンドピアリスが、前者であることを願うしかない。
オレはそう思いながら、奈瀬トレーナーに一礼してからその場を去った。
──成績が悪いからこそ《再生工場》の出番になったのだが、当の本人は今のところそれに気がついていなかった。
◆解説◆
【それは”間違いなく”ヤツさ】
・今回のタイトルは、アニメ『スペースコブラ』の主題歌「コブラ」の有名な歌詞「それは紛れもなくヤツさ」から。
・サンドピアリスと言えば、やっぱり「間違いない」ですので、それに変えています。
【シャダイカグラ】
・同名の実在した競走馬を元にした、本作オリジナルのウマ娘。
・元になったのは1986年3月23日生まれの栗毛の牝馬、シャダイカグラ。
・その生涯成績は11戦7勝。
・1988年6月19日に札幌レース場で開催された新馬戦(ダート1000)でデビュー。デビュー戦は2着。
・次の7月3日の札幌開催の新馬戦(同じくダートの1000)で初勝利を挙げたものの、ソエが出ため休養。
・休養明けの10月22日の条件戦(500万下)、京都で開催のりんどう賞で2勝目。なお、このレースから騎乗が柴田正人騎手から武豊騎手に変わっています。
・その後、11月26日に開催のオープン特別、京都3歳ステークスに出走しました。
・その後は、クラシック期には桜花賞、オークス、エリザベス女王杯と牝馬三冠レースに出走。
・しかしエリザベス女王杯のころには脚部不安を抱えており、強い調教ができないほど。
・陣営はエリザベス女王杯を最後に引退して繁殖入りすることを発表。そして、発表通りになりました。
・11戦7勝とは言いましたが、その戦績は最後のレースを除くとすべて2着以内と、極めて優秀な成績を残した競走馬です。
・そのため繁殖牝馬にもなったのですが……その仔たちは6頭いたのですが、成績は奮いませんでした。
【寮でも同部屋】
・サンドピアリスも、シャダイカグラも、所属は栗東でした。
・そのためウマ娘の中央トレセン学園では栗東寮になるので、ルームメイトの設定になっています。
【奈瀬 文乃】
・ご存じ、シンデレラグレイに登場するスーパークリークを担当している天才女性トレーナー。
・そのモデルは改めて言うまでもないのですが、武豊騎手。
・本作で彼女をシャダイカグラの担当にしたのは、スーパークリークが武豊騎手に最初のGⅠを取らせた競走馬なら、シャダイカグラは初の牝馬クラシックのタイトルをもたらし、「ユタカの恋人」と呼ばれるほどに武豊氏と関係の深い競走馬だったからです。
【サンドピアリス】
・改めて解説します。
・同名の実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・1986年生まれの鹿毛の牝馬。
・生涯成績は……18戦3勝。ぇ? 勝ち数少なすぎない?
・その3勝のうちの一つこそ、あまりにも大きな大金星。当時は牝馬三冠の一角だったエリザベス女王杯。
・その1989年のエリザベス女王杯では20頭中20番の最低人気。
・叩き出した単勝430.6倍の配当はエリザベス女王杯どころかGⅠレースとしては最高を誇り、30年以上経った現在でも歴代1位の座は破られていまません。
・ちなみに単勝最高配当の2位は、最近ウマ娘化が発表されたコパノリッキーで、2014年のフェブラリーステークス。
・その倍率は──272.1倍。1位との差を見ていただければピアリスの衝撃の大きさが分かるかと思います。
・なお、その後は
3位 ダイタクヤマト(2000年 スプリンターズS 257.5倍)
4位 ビートブラック(2012年 天皇賞(春) 159.6倍)
5位 ダイユウサク (1991年 有馬記念 137.9倍)
となっています。
・なお上位3位までは最低人気でのGⅠ勝利になっています。
・この下の6位(2021年ジャパンダートダービーのキャッスルトップ)7位(2002年皐月賞のノーリーズン)、8位(2001年中山大障害のユウフヨウホウ)と同じレースが重ならないのも不思議ですね。
・そんなサンドピアリス。今まで何度かこの解説でも名前が出ていますが、名前の意味は「砂の貴婦人」。
・父馬はあのハイセイコーであり、そのために本作では「運命的なものを感じ」てウマ娘のハイセイコーが中央トレセン学園に推薦しています。
・なお、種牡馬としてのハイセイコーは走る馬と走らない馬がハッキリしているので、本作のハイセイコーは密かに「彼女の推薦は当たりはずれが激しい」という評価を受けています。
・本作のサンドピアリスは、初の中等部所属。
・ただ、トレセン学園の中等部と高等部ってよくわからないんですよね。そこで部門分かれてレースをやっているのかどうかも。
・一応、本作では分けているという感じにしようかと。実際、中学生と高校生が走ったら高校生が速くて当たりませですし。
・なぜ中等部にしたかと言うと、サンドピアリスが小柄な馬だったためです。
・出走時の場体重は408~426キロ。これは同じ牝馬で、ウマ娘では飛び級で中等部になるほど小柄扱いのニシノフラワーでさえ420~436キロですので、それ以上に小柄だったピアリスを高等部にするのには無理があると感じたもので。
・性格は名前の「貴婦人」から“良いところの御嬢様で、そのせいで世間知らずなのんびり屋”といった感じです。
・それは彼女の相方になるシャダイカグラが“負けず嫌いで御嬢様育ちに反感を持つ”という性格設定の対になるように設定したためです。