見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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第35R “師よ、我が人生を奪うというのですか”

 

「──“負けないレース”にしたくなかったからだ」

 

 私のデビュー戦が11月という晩秋にまで遅らせた理由について、“隠し事無し”の“本音”で話すと言ったトレーナーは、そう言いました。

 直前に、ギャロップダイナ先輩に言われて頭が冷えた私でしたが、さすがにそれには思うところが出てこようというものです。

 

「…………え?」

 

 聞き間違いかもしれない、という思いもあって私は戸惑いの方が大きかったのかもしれません。

 でも──

 

「夏前にあった家庭の事情で調子を落としていたから、夏のデビューは考えていなかった。だから秋以降になって()()()()()()()()()レースを探していたが、お前が強すぎるせいで、見つからなかった──」

 

 ガタンッ! という音が部屋の中に響く。

 私は思わずトレーナーの胸ぐらをつかんでいた。

 

「シオンッ!!」

 

 真っ先に動いて、私の腕を掴んだのはダイユウサク先輩。

 少し離れて立っていたはずなのに腕を掴まれたのには驚きましたが──

 

「……オラシオン。トレーナーから手を、離しなさい」

 

 私達には滅多に怒らない先輩が、静かに怒っている姿はまさに本気の怒りであるのが分かります。

 でも、本気で怒っているというのは私も同じです。

 ダイユウサク先輩の言葉を無視して、私は力を込め──呼応するようにダイユウサク先輩が掴んでいる手の力も強くなりました。

 

「ダイユウサク、離せ」

「でも……」

「いい。離せ」

 

 短い言葉でトレーナーに促され、ダイユウサクさんは渋々といった様子で私の腕を掴んでいた手を離しました。

 不満そうな表情を浮かべつつ、元の場所には戻らずにすぐに対処できる今の場所に立っています。

 

「トレーナー、今の話では私が負けるように仕組んだ、と聞こえましたが?」

 

 怒りをどうにか抑えながら私が静かに尋ねると、彼は首を横に振りました。

 

「確実に勝ててしまうようなレースでデビューさせたくなかった、というだけだ」

「同じではないですか!!」

 

 思わずカッとなり、胸ぐらを掴んでいた手に力が籠もる。

 私の大きな声にターキン先輩が「ひッ」と悲鳴を上げて身を縮め、ダイユウサク先輩が再び動こうとするのが分かりました。

 その先輩が動かなかったのは、私がそれ以上動かなかったから。

 腕に力を込めたけど──刺すような視線が二つ向けられ、私はそれ以上動けなかったのです。

 ギャロップダイナ先輩と……そして、ロンマンガンさんでした。

 

「……シオン。とりあえず話、聞こ? デビュー戦の話なら、あっしにも関わることだし」

 

 普段とは明らかに違っていた刺すような視線。

 冷静にそう言った彼女は、さらに続けます。

 

「でもね。最近のアンタのトレーナーに対する態度、あっしもかなり頭にキてんだよね。ま……先輩方も、なによりトレーナー本人が何も言わないから我慢してたけど」

 

 ロンマンガンさんは、ダイユウサク先輩にあこがれてチームに入っていますが、それは乾井トレーナーの手腕にあこがれていたということでもあり、絶対の信頼を寄せています。

 彼女の言葉には冷静になれ、という助言であると同時に、これ以上やるなら敵として見る、という宣言。

 私は頭を冷やし、幾分冷静になってからトレーナーに同じ言葉を投げかけました。

 

「……同じ、ではないですか。それは」

「お前を絶対に負けさせるつもりはなかったんだ。強くなりすぎたお前が、負ける可能性が出ればそれでよかった」

 

 そこまで言うと沈痛そうな表情で首を横に振るトレーナー。

 

「でも、お前と互角以上の実力を持つ新人は現れなかった。しかしこれ以上は待てない。だからオレは──マスコミにお前の発言で煽ってもらったんだ」

 

「「「「──え?」」」」

 

 私以外のところから、驚きの声が出た。

 先輩方に、ロンマンガンさんまで、呆気にとられた様子でトレーナーを見ています。

 しかし私もそれは同じことで……

 

「じゃあ、あの新聞に出てた見出しって……トレーナーがやらせたの?」

「そうだ。そうして他の出走するウマ娘にオラシオンを敵視させ、共通の敵として認識させた」

 

 ミラクルバードさんの問いに、トレーナーは首肯しながら答えました。

 

「一人では勝てなくとも束になってかかれば……さすがに出走メンバーが申し合わせて手を組んでくるようなことはないだろうが、それでも“一人の強敵に対抗する”という図式になれば、実力差が覆せるかもしれないと考えた」

 

 そんなトレーナーの言葉に私は──思わず握る手に力が籠もりました。

 震えそうになる、私の手。

 しかし相反するように、私は顔を下げて──そして言わずにいられませんでした。

 

「……トレーナーの役目は、担当ウマ娘を勝利に導くことのはずです。それに、反しているじゃないですか。私を、裏切っているじゃないですか……」

「違う!」

 

 こみ上げた悔しさで涙が出そうになる私の言葉を、トレーナーは強く否定します。

 

「オレは、お前を裏切ってなんかいないんだ。それだけは……信じてくれ」

「じゃあ、どうして……」

 

 私の問いに彼は、真摯な表情で答えました。

 

「“負けは終わりじゃない”……お前にそれを教えたかったんだ」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》。

 

 ある程度実績を残し始めたトレーナーは、いつの間にか異名が付けられる。

 2度──事情通や関係者なら3度と思うだろうが──の予想外の大金星に“驚かされた”ことで付けられたオレの異名だろうが、密かに心に刺さっている部分もある。

 それはオレのトレーナーデビュー戦とも言うべきレースのこと。

 正トレーナーとなって初めて担当したウマ娘が、初めて走ったレース──弥生賞。

 

 そう、弥生賞だ。重賞……それもGⅡの。

 

 未勝利どころか未出走のウマ娘がそこでデビューという事態に、ウマ娘競走のファンは“驚かされた”だろう。

 しかしその結果は、惨憺たるもの。あまりに劣悪な“ビックリ箱(悪ふざけ)”だとオレは非難を浴びた。

 断っておくが、たとえ《ビックリ箱》とか呼ばれても、オレは最近の大金星も含めて“驚かせようとして”やっているわけじゃない。

 あの時だって、世間を驚かせてやろうとか、そういうつもりなんて微塵もなかったんだ。

 

 あれはオレが──彼女を、追いつめた結果だっただけだ。

 

 オレがトレーナーとして初めて担当して勝手に舞い上がり、“国民的アイドルウマ娘”になれる逸材と期待をかけたウマ娘、パーシング。

 その彼女はオレが期待しすぎたせいで──()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「彼女はオレの過剰な期待に応えようとして、それがプレッシャーになって……レースに負けられないと自分を追い込んでいった。その結果が──」

「パーシング事件、か? あの、重賞がデビュー戦になっちまったっていう」

 

 トレーナーの独白にそう言ったのは、ギャロップダイナさん。

 当時は留学中だったはずなのに、よくご存じで──とも思ったのですが、乾井トレーナーが絡んでいたので知っていたのでしょう。

 彼女は若干、呆れたような口調で返します。

 

「アレは、楽して重賞挑戦して、あわよくばクラシックレースに……なんて色気出して我が儘言ったあいつ……パーシングの自業自得だろ。ビジョウは何も──」

「いいや、違う。負けを怖がらせてデビューを躊躇わせ、そしてもっとも酷い負けを経験させて──彼女の心を折ってしまった。オレの責任だ」

 

 周囲の期待に応えたいという気持ちは私も同じ。

 勝たなければならない、というプレッシャーはありましたし、最初のレースでそれに応えられなかったショックは、今の私にはよくわかるのです。

 

「あの時の未熟なオレも思っていたさ。“勝たなければ意味がない”、“負けたら何も得られない”……いや、あれ以降だってそうだった。あの後の、誰の担当にもなれない状態でも思っていた」

 

 そう言って悔しそうに目を閉じるトレーナー。

 

「競走に勝利以外で得られるものなんて無い。あんな酷い“負け”をさせたから、こんなことになった。だからもう誰もあんな目に遭わせるわけにはいかない。レースに勝たせないといけない……ってな。でも──」

 

 そこまで言うと自虐的な笑みを浮かべながら、トレーナーは視線を一人のウマ娘に向けました。

 その視線の先には……

 

「──コイツのおかげで、思い知らされたんだ。“負けの価値”を」

 

 それを向けられたダイユウサクさんは、「ふん」と無関心そうにそっぽを向きます。

 

「2度の惨敗で競走を諦めようとしていたダイユウサクの姿が、アイツを思い出させたのかもしれないな」

 

 ダイユウサクさんは2敗した時点で、地方(ローカル)シリーズのトレセン学園に転校する話が出たり、本人はそもそも辞めようと思っていたというのは以前に聞いたことがありました。

 

「だからオレは、ダイユウサクをせめて一勝でも勝たせたい。競走を悪い思い出だけで終わらせたくない──そう思ったんだ」

「……あのときは“誰にも負けないウマ娘にする”って言われた気がしたんだけど?」

 

 ダイユウサクさんにジト目を向けられ、苦笑するトレーナー。

 

「そうとでも言わないと、お前あの時、諦めて学園から去ってただろ?」

「ふん……」

 

 そう返されて、図星だったのかダイユウサクさんは再びそっぽを向きました。

 それを見ていたギャロップダイナさんがつまらなそうに呟きます。

 

「……ホンット、おめでたいな、お前。夢見がちにしても信じたのかよそれ。2度走って2度ともタイムオーバーしてたのに」

「な──ッ!?」

 

 バッと振り返り、くってかかろうとしたダイユウサクさんでしたが、トレーナーさんが私に話しているのを思いだし、またダイナさんがからかうようにニヤケた笑いを浮かべていたので思いとどまったようです。

 グッとこらえてダイナ先輩を睨みつけるダイユウサクさんに苦笑してから、話を続けます。

 

「……それから、いろいろと頑張ったさ。初勝利まで3戦、2度のレースで勝てなかった理由を探した。“負けたら終わり”じゃない。負けから価値(勝ち)を見いだしたい……必死にその対策を試行錯誤して──そして、勝てた。そこで思い出したんだよ」

 

 トレーナーは、今度はギャロップダイナさんの方を見ました。

 その視線に珍しくきょとんとした顔になるダイナさん。

 

「ダイナを担当した研修生時代をな。勝つために色々考え、ダートで勝った負けたで一喜一憂してた、あのころを……」

「ああ、最高だったな。お互い知識も経験もねえから、途方もないことを試したり……」

 

 ニヤリと笑みを浮かべるダイナ先輩。

 

「ルドルフに勝ってからは先生がメインで見るようになって、言われた通りにしていたから、いつの間にか忘れていたあのころの感覚を思い出した。そして、それでいんんだってなった。負けたら次に生かす。負けレースこそ反省すべき点が多く存在する。だから──」

 

 突然、トレーナーから視線を向けられ、レッツゴーターキンさんは戸惑ったように驚きました。

 

「えぇ!? な、なんでしょうか……」

「ターキン。連敗中のお前が来たときも、それを脱した後に負けたときも、それを無駄にしないように努力したつもりだ」

「うぅ……はい……ありがとうございます。私も、トレーナーさんのその気持ちは、わかってました」

 

 神妙にうなずくターキンさんを背に、トレーナーは改めて私の方を向きます。

 

「“無敗のウマ娘”はもちろん偉業だし、その価値は計り知れない。それを目指し、“負け”を恐れ、全力で努力して“最強”となるのはもちろん意味がある。だが……オレはその“脆さ”を危うく思っている」

「脆さ、ですか?」

「ああ。無敗は当然ながら一つの負けも許されない。でも、全てのレースを万全の仕上がりで迎え、万全の体調で挑めるなんてことは、無い」

 

 調整のミスもあれば、レース前までの体調に左右されて遅れが出ることもある。

 些細なことでメンタルに支障をきたすことだってあります。

 現に私も、夏前に養父のことが気がかりになって調子を落とした時期がありました。

 

「無敗を続けるのは高い実力だけじゃなく、どんな状況でもそれを発揮して逆境をものともしない強固な自信が求められるだろう。だが、その自信は……一つの負けで、欠ける」

 

 過去のウマ娘たちを思い出すように、トレーナーは遠い目をしました。

 

「初代の国民的アイドルウマ娘は、地方から積み重ねた連勝が途絶えると、明らかに調子が落ちた。“あの方(シンザン)”が強かったのは“無敗”という記録にこだわらない性格だったから、とも言われている。ルドルフが本当にスゴいのは、カツラギエースやダイナに負けても折れることなく七冠を達成したことだ。そして、この前の天皇賞(秋)(アキテン)……」

 

 その言葉に、ターキン先輩が耳をピクッとさせます。

 

「もしもトウカイテイオーが春の天皇賞で負けず、自信を失っていなかったら……ムービースターの策にはまらなかっただろう」

「え? あ、あのぅ……という、ことは……」

「良かったなぁ、ターキン。そしたらお前、負けてたってことだ」

「そんなぁ……」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべるダイナ先輩に、泣きそうな顔になるターキン先輩。

 それを後目に、トレーナーは話を続けます。

 

「負けを避けるのに懸命になっていたウマ娘が、いざ負けた時にそれを糧にするのは本当に難しい」

「そのために、私を負けさせようと? 無敗でなくさせるために」

「……半分は、当たりだ」

 

 私の問いにトレーナーさんは頷きました。

 しかし、味方のはずのトレーナーが自分を負けさせようとしていたということを聞けば、当然におもしろいはずがありません。

 私が鋭い目をトレーナーに向けましたが、彼は真摯な目で見返してきました。

 

「言ったろ? 負ける()()()()()()レースにした、って。もしもお前があの逆境を跳ね除けて勝ったら……オレは覚悟を決めて、お前とともに無敗路線を進むつもりだった」

「うわ、メンドくさ……なら最初から言ってやればよかっただろ? そうすれば優等生もこんなにこじらせて、あんたを嫌うことなかったのに」

「……あのなぁ、ダイナ。オラシオンに“負けてもいい”なんて言えるわけ無いだろ? こんなに真面目に、競走に熱意を持ってるヤツ相手に、そんないい加減なことはできなかったんだよ」

 

 ダイナ先輩にそう答えて──トレーナーは私の方を見ました。

 

「正直、ここにいるメンバーを見て分かるように、オレには負けから学ぶのを放棄して“無敗”を突き進ませる自信はなかった。だからこそ全力で負けさせにいく必要があった……オラシオン、すまなかった」

 

 そう言ってトレーナーは、私に頭を下げました。

 

「トレーナー……」

 

 もしかしてこの人は、本当に私のことを真摯に考えてくれていたのでは?

 少しだけ……ほんの少しだけですが、トレーナーに対する認識を改めました。

 でもまだ、心の底から信用するには早い気がしましたから。

 

「想像でしかないが、負けられないプレッシャーと戦いながら走るのは本当につらいと思う。それは“競走(レース)”が怖くなることになるかもしれない。そしてそんな中で競走を続けるのは、あまりにかわいそうだ。うちのチームは、どんなに負けようが走るのが好きなヤツしかいないからな」

 

 トレーナーはダイユウサク先輩、レッツゴーターキン先輩、そしてギャロップダイナ先輩を見ました。

 ターキン先輩はともかく、他のお二人はそう言われて、微妙な表情になっていましたが。

 それに気が付いたトレーナーは、ニヤリと笑みを浮かべてダイナ先輩を見ます。

 

「ダイナになら平気で言えたんだけどな。次のレース、ちょっと負けて来いよって」

「ハッ、そんなこと言われたら、あたしは意地でも勝つね。ぜってー思い通りになってやらねえ。第一、わざと負けるとか気に食わねえ」

「あのころだったら芝走らせれば負けたけどな」

「なッ!? ビジョウ、お前!」

 

 くってかかるダイナ先輩に、それから逃げようとするトレーナー。

 そうか……もしも無敗を続けていて意識している状況だと、こんなことをチームで話すことも無理になる。

 

(緊張感のある空気というのも必要だと思います。でも……)

 

 負けを糧にする──負けても負けても前を見続ける気概こそ、私が選んだチーム〈アクルックス〉の魂。

 ダイユウサクさんと乾井トレーナーの絆はそうして育まれたのだと、気づかされました。

 その絆に、私は惹かれたというのに……

 

 ──それからまもなく、係員さんがウィニングライブの準備のために私を呼びにきたので、話はそこまでとなりました。

 




◆解説◆

【“師よ、我が人生を奪うというのですか”】
・オラシオン回なので、いつもの通り「馬の祈り」の詩の翻訳から
  “But do thee my master take my life”
から。
・直訳では「しかし我が主よ、我が命を奪おうというのか」となり、単語の意味を変えました
・でもこの直訳も意訳も、これは詩の流れから見ると明らかな誤訳です。
・この前の段が第22話で使った、
   “Do not turn me out to starve or freeze(私を、飢えたり凍えさせたりしないで下さい),”
   “Or sell me to a cruel owner(残酷な飼い主に売り払わないでください)
で、それが、
   “To be slowly tortured and starved to death.(じわじわと痛めつけ、そして飢えて死なせ)
を挟んで今回のタイトルの元ネタへとつながるわけで、“master(あるじ)”は売り払った先の新しい飼い主を指すと捉えるのが正しいでしょう。
・ですから、タイトルのものとは全然意味合いが違いますね。
・この“誤訳”もオラシオンと乾井のすれ違いの象徴、という意味でもあります。


※次回の更新は6月2日の予定です。  

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