見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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第36R “理解するための時間を私にください”

 

 ──それは、初秋のころだったと思います。

 

「なぁ、渡海。オラシオンのことなんだが……」

 

 研修のことで学園内の乾井トレーナーの部屋を訪れた際、僕の件が終わってから乾井トレーナーはそう切り出しました。

 

「オラシオン……彼女がどうかしました?」

「ああ、あいつの今後についてなんだが……基本的にお前に任せる」

 

「……は?」

 

 トレーナーの言ったことが信じられず、僕は呆然としていました。

 今、先生はなんと言ったか。

 たしか、オラシオンを、任せるとか……

 

「い、いや、先生。ちょっと待ってください」

 

 オラシオンは、中等部のころからその才能を評価されていたウマ娘で、当然に期待されている。〈アクルックス(うちのチーム)〉どころか学年のホープと言って過言じゃない。

 そんな彼女が高等部に上がる前に、有力チームのお誘いを蹴って〈アクルックス〉に所属したんだ。今でこそGⅠタイトルを持っているけど、当時は重賞タイトルはGⅢの金杯(西)しかなかったので、陰で色々言われさえもしている。

 だから、その〈アクルックス〉で育ったオラシオンは、手に入れられなかった有力チームを含めて、注目になるのは間違いない。

 

「確認しますけど、オラシオンですよね?」

 

 チームにはデビュー前のウマ娘がオラシオン以外にもう一人いる。

 ロンマンガンという名のウマ娘だけど、彼女の注目度は高くない。麻雀好きという少しクセのあるウマ娘で、少しひねくれたところもあるけど、基本的な性格は素直だ。

 

(……麻雀や賭け事が絡まなければ)

 

 そしてその実力は、本人が“GⅠをとれる器じゃない”と自認している。オラシオンと比べれば話題にすらならない。目立たった成績もなく、十把一絡げにされてしまうような程度のウマ娘なのだ。

 しかし──研修生の僕に任せるのだとしたら、そういう期待の薄いウマ娘で経験を積ませるはず。

 でも、そんな僕の期待を先生は打ち砕いたのです。

 

「ああ、オラシオンだぞ。そっちの方が親しいだろ?」

「そ、それは……そうですけど、でも! 僕には荷が重すぎます。彼女の担当をするのは──」

「もちろん、基本的な指示はオレが出す。それをアイツにやらせるだけでいい。場合によってはオレからの指示だってことを隠してでもな」

「……それは、どういうことですか?」

 

 その奇妙な指示に、僕は思わず首を傾げました。

 担当トレーナーからの指示だということを隠したら、なんの実績もない研修生の僕の指示になってオラシオンは余計に従わないと思うんですが。

 

「この前のスランプでのお前のサポートがよかったからな。さすが、幼なじみなだけはある」

「よしてください先生。あれは、それこそ彼女の性格や家庭の事情を子供のころから知っていたからです。他の人が持っていないものを使ったズルみたいなもので……」

「だからこそだ。だからこそお前にオラシオンのことを任せたいんだよ。彼女と特別な絆があるからこそ、この学園のトレーナーの中でオラシオンから信頼を一番得ているはお前なんだ」

「それは違いますよ。やっぱり一番は、先生じゃ──」

「いや、オレはこれからオラシオンに嫌われることになる」

 

「はい……?」

 

 また突拍子もないことを先生は言い出しました。

 トレーナーは変わった人が多いと聞きますが、他の方もそうなんだろうか?

 

「嫌われるって……なぜです? それはデメリットしかないような気がしますが」

「なぁ、渡海。オレが思うにアイツに必要なのは、“敵”なんだと思う。それも競争相手(ライバル)って意味の敵じゃなくて、文字通りの悪役(エネミー)の、な」

「敵って……どういうことですか?」

「オラシオンは優しすぎるし、優等生すぎる。それがアイツの枷になると判断したんだ」

 

 たしかにオラシオンは身体能力だけでなく学力も優秀な上、規範意識も高くて真面目。絵に描いたような優等生ではあります。

 そして周囲に気配りができて優しいのも間違いない。彼女が敬虔な三女神の信者で神職についているというのも、分かります。

 でもそれは美徳であって、欠点になるとは僕には思えなかった。

 

「この前のスランプで改めて思ったんだが、もしもなにかあった場合、アイツは全部自分のせいだと抱え込むだろ?」

「それは……そうかもしれません」

 

 彼女の真面目さを考えると、結局は自分の未熟さにしてしまう気がする。

 

「目標が達成できなければ努力不足を悔やみ、負傷すれば自分の体の弱さや体調管理の甘さを嘆く。そうやって自分を責めるだろ? だが、明確な叩ける敵がいれば話は違ってくる」

 

 自分のせいだと抱えていたものを、その“敵”のせいだと押しつけられるようになる。

 自身を責め(さいな)んできた矛先を、“敵”の顔写真を貼ったサンドバックに向け、殴り続けて発散すればいい。

 トレーナーはそう言って苦笑しました。

 

「誰かのせいにするという逃げ道が無いと、自分を追いつめていくことになる。だからオレが憎まれ役になって、ガス抜きをする。それだけだ」

「と、トレーナー自らがですか!? それはリスクが高すぎます! 担当ウマ娘との信頼関係が無い状態で育成するということじゃないですか」

「……そのために、お前がいる」

「なッ……」

 

 僕が驚いて言葉を返せない間に、乾井トレーナーは優しい笑みを浮かべていた。

 そしてその狙いを説明し始めたのです。

 

「これは、お前というオラシオンと信頼関係を結んでいる相手がいるからこそできる方法なんだ」

 

 無敗の道を進むことのリスク。そしてそれは優等生で責任感の強いオラシオンは、それを抱え込んでしまう可能性が高い。

 しかしヘイトをトレーナーである自分に向けることで、うまくいかないことに対するストレスをトレーナー本人に向けさせ、オラシオン自身のせいではないと思わせる。

 

「本来なら、担当のオレが嫌われればその下についている研修生も同じように信頼されないだろう。だが渡海、お前は違う。アイツの支えになることができるんだ」

 

 トレーナーはそう言って、僕の両肩を掴みました。

 

「ウチでオラシオンが潰れずに育つかどうか……お前が頼りなんだ」

「先生……」

「そして、これは賭けでもあるけどな。もしオレがオラシオンに愛想を尽かされたら、それで終わりだ。だから、そうなったら……チームから追い出す」

「え?」

「オレを嫌う余りに競走を嫌い、走るのを止めるような事態だけは絶対に避けなければいけないんだ。だからチームを出るなら移籍先もちゃんと決めてやる。東条先輩や六平トレーナー、相生さんだろうが、土下座でもなんでもやってアイツの道を残す──」

 

 そこで僕の肩を掴むトレーナーの手が、グッと力が入った。

 

「──だからそのときには、アイツを頼むからな」

「トレーナー……」

 

 それは乾井トレーナーなりの誠意なのだと思いました。

 元々は僕とオラシオンが押し掛けてチームに入れてもらったというのに、引き受けたからには駄目だった後のことまで面倒を見ようとしてくれている。

 やっぱり乾井トレーナーはいい人だと思いました。

 

(でも先生……それは僕も出て行け、ということですか?)

 

 ここまで、憎まれ役をかって出てまでウマ娘のためを考えているトレーナーの下を離れようだなんて、僕は思いませんよ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そのトレーナーの狙い通り、オラシオンはトレーナーに強い不満を持ち、それをぶつけている。

 そのおかげで彼女が自分を追いつめるほどに根を詰めている様子は無い。

 

(ただ、それがいいのか悪いのか……)

 

 今回の件でも、さっきギャロップダイナさんが責めたように──周囲の結託を責め、それを見破れなかった自分を責めなかったのは、少しトレーナーの策が効き過ぎているんじゃないかとさえ思いました。

 

 でも──

 

「ねぇ、クロ……」

 

 レースが終わって待機していた控え室を出たタイミングで、僕は彼女に話しかけた。

 周囲には誰もない──そう思ったからこそ、そして本音を聞きたかったから、あえてその名前で呼びました。

 

「なんでしょうか?」

「今のチーム……〈アクルックス〉で、大丈夫? 乾井トレーナーが担当で、これからも大丈夫かな?」

「渡海さん……今のチームに不満があるのですか?」

「いや、僕じゃないよ。クロの担当をさせてもらえているし、色々教えてくれるし、ぜんぜん不満はないんだ。でも……キミは違うだろ?」

 

 僕の問いにクロ──オラシオンは、じっと考え込んだ。

 

「確かに、不満はあります……今回の件を考えれば、あの人を信用できるかと言われれば、間違いなく“できない”と答えられますから」

 

 そう、か……オラシオンは、乾井トレーナーをやっぱり信用できなくなったんだね。

 それなら答えは、たぶん決まっている。

 僕は──どうするべきだろう。僕が信頼する乾井トレーナーに下に残るか、それとも僕を信用してくれるクロと共に他のチームへ行くか……

 

「私を計略にかけ負けさせたことは絶対に許せません。でも……」

 

 ふと、オラシオンがつぶやく。

 

「この負けは、取り消せません。だからその負けを糧にするしか、ないじゃないですか」

 

 考え込んでいた彼女は、フッと微笑を浮かべて僕の方を見ました。

 

「もしも感情に任せてこのまま出て行けば、私には“1敗”という瑕疵を帯びたままレースを走るしかありません。そして乾井トレーナーがどういうつもりでそうしたのか、それが本当に私のためになることだったのか、それを確認する(すべ)がなくなってしまいます」

 

 そう僕に言う彼女の姿は、先ほど自分で「信用できない」と言った相手に対する言葉にしては、信頼を感じるように見えて──

 

「なにしろ、《ビックリ箱》ですからね。その中に何が入っていたのか、確認したいと思っているので、私は……チームから離れるつもりはありませんよ。なにより……先輩方には私も、一目置いている方ばかりですから」

 

 そう言って笑みを浮かべた彼女の表情は、どこか悪戯っぽくて──まだ幼かったころの彼女を思いだしていた。

 その無邪気さに、思わずドキッとしたとき──

 

「ねえ、シオン。ちょっといい?」

 

 背後から聞こえた声に、僕は心臓が止まるかと思った。

 てっきり誰もいないと思っていたのに──僕らの後を追ってすぐに部屋から出てきた人がいたようだった。

 振り返ると、肩付近まで伸びたウェーブのかかった髪が特徴的なウマ娘──ロンマンガンが立っている。

 

「ええ、短い時間ならかまいませんが……」

 

 係員から声をかけられて出てきていたものの、ウイニングライブの準備がそこまで喫緊に押しているわけではない。

 オラシオンがそう答えると、ロンマンガンは「そう」と言って──麻雀を打つの時のような鋭い目で、オラシオンを見た。

 

「……あっし、これから真剣(マジ)にクラシック三冠を狙うわ」

「え?」

 

 その突然の宣言に、オラシオンは戸惑った様子だった。

 でも僕にはそれが、ロンマンガンが“目指す”と言ったのを驚いたのではなく、“今まで真剣に目指していなかったの?”という驚きなように見えた。

 

「正直、アンタがいるから無理って最初から諦めてた。だからシニアになってから自分の適正見極めて、それでパイセン達みたいにGⅠの一つでも取れれば満足……なんて思ってた」

「それは……」

「シオンからすれば、『(こころざし)、低っ!』とか思うんでしょうけど、あっしにみたいなウマ娘からすれば、GⅠなんて出走するだけで大事なんだからね?」

 

 オラシオンの心を読んだかのように、苦笑するロンマンガン。

 そして再び真顔になり──

 

「でも思った。そんな甘い気持ちじゃどう頑張ったって勝てるわけ無いわ。裏を返せば負けるのが怖くて、酸っぱい葡萄の理論で逃げてんだから」

「マンガンさん……」

 

 ロンマンガンは不敵な笑みを浮かべて、拳を突き出す。

 

「だからオラシオン、今からあっしもアンタのライバルだから。今は届かなくても……来年の春までには、必ず並んで一緒に走る。そして、競い合ってやる」

「ええ……私も負けないよう、その場所に立てるように全力を尽くします」

 

 ロンマンガンの拳に、オラシオンも握った拳を合わせ──そして2人は笑みを浮かべていました。

 ライバルに火を付けた──それも乾井備丈の教えを受けた〈アクルックス〉のウマ娘となれば、油断できない相手になる。

 それこそ目立たなければ目立たないほど恐ろしい。

 

 ──でも、ともあれ今は、オラシオンに同じチームの中で、全力で切磋琢磨しあえる親友(ライバル)ができたことを喜びたいと思った。

 




◆解説◆

【“理解するための時間を私にください”】
・オラシオン回なので、いつもの通り「馬の祈り」の詩の翻訳からで
  “But give me a chance to understand you.”
から。

嫌われる
・なぜ、乾井トレーナーがオラシオンから嫌われたり、デビュー戦で負けさせようとしたのか、というと原作に元ネタがあるからです。
・デビューを急がなかったのは、砂田調教師が長期的な目で見ていてジュニア期のGⅠさえ眼中になかったからでした。
・それを馬主(?)である和具社長の娘からはかなり不満に持たれていました。(オラシオンが不満を持っているのはそれが元ネタ)
・さらに、デビュー戦では奈良騎手が、あえて馬群に埋もれさせる(=負けさせる)ような戦術さえとっています。
・それらを入れながら、本作なりに理由をつくりつつ、なんとか頑張ったのが本話までで描いたオラシオンのデビュー戦でした。


※次回の更新は6月5日の予定です。  

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