見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

133 / 198
第49R ──春雷(後編)

 

 出走が間近に迫り、私はゲートの前にいました。

 天気は相変わらずの雨。

 バ場は不良の発表があり、今までのレース経験の中ではもっとも悪い状態になっているようです。

 

(悪くなると私の走り方では不利になってしまう)

 

 低い姿勢でのスパートは、バ場が悪くなればスリップの危険が上がってしまうことになりかねません。

 確かにオグリキャップ先輩達から教わった方法で対策できたのは阪神ジュニアステークスで証明済みではありますが……

 

(でも、ここまで悪い状況でも役に立つのかは未知数です)

 

 バ場が悪ければ悪いほど実力を発揮すると言われているウマ娘を相手に、その独壇場で勝てた。

 しかし、今日のバ場状態でもその走りができるかどうかはわかりません。

 そして今日の相手は、その時のウマ娘よりもあきらかな強敵。その判断を誤れば間違いなく負けてしまうでしょう。

 

「セントホウヤ……」

 

 去年の夏にデビューして、順調に勝利を重ねたウマ娘。

 私がデビューさせてもらえずにやきもきしている間に、デビューから3度の勝利を重ねていた、高い実力を誇る相手です。

 

『今のオラシオンを倒せるのは、わたくし以外におりませんわ!』

 

 今回のレースを前にしたインタビューでそう答えていました。

 確かに今回のメンバーを見れば、警戒するべきは彼女のみ、と言えるかもしれません。

 

(無敗でクラシック路線へと挑戦する彼女に対し、私はデビュー戦で1敗しています)

 

 だからこそ、今日のレースで“私は絶対に負けられない”という気持ちがふつふつとわき上がってきて……

 

(あ、れ……? ひょっとしてトレーナーさんが言っていたのは、このことでしょうか?)

 

 ふと我に返り、異常なまでに対抗心を燃やしていたのに気がつきました。

 冷静に考えれば、すでに1敗である私は無敗を気負う必要はなく、ただ皐月賞への切符を手に入れればいいこと。もちろん勝利するにこしたことはありませんが。

 逆に言えば、相手の無敗を意識する必要なんて無いはずですし、過剰に闘志を燃やすところではないはず。

 

「ひょっとして、私の負けん気……強すぎ?」

 

 トレーナーの言っていたことが胸に突き刺さり、私は自分でも驚きました。

 

(レース直前に平常心を取り戻さないと……)

 

 私は再び胸の前で手を組み、芝にひざまずきました。

 そして目を閉じ──

 

(女神方よ照覧あれ。信徒の走りを。そして、ここからクラシック三冠へ挑む私の道を──)

 

 私は乱れた心を再び集中させるため、精神を統一しながら三女神へと祈りを捧げました。

 そうして祈りを捧げる私の背後で──稲光と、そして激しい雷音が轟きました。

 

「うおぅッ!!」

 

 ………なにか、とてもウマ()として発してはいけない悲鳴が響いたようです。

 

「ピカッとなった! すごいピカッて光った!! 音もピシャアアアンって!」

 

 そしてそのままなにやら騒いでいるのが一人いるようで……

 祈りを終えた私の耳に聞こえてきたその声に、半ば呆れながらそちらを見ると……

 

「……え?」

 

 セントホウヤが、さっきまでの強者感が見る影もなくなって、雷の音に大騒ぎしているのでした。

 

 ──おかげで、皆のゲート入りが少し遅くなりました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 雨中のレースとなったスプリングステークス。

 それも直前に雷が鳴るほどに荒れた天気は、強い雨をもたらしている。

 

「阪神ジュニアの時以上だな、これは」

「だね……」

 

 車椅子に黄色い覆面がトレードマークのウマ娘、ミラクルバードは今日もその時と同じように、覆面と同色の黄色いレインコートを着ていた。

 

「大丈夫? トレーナー」

「オラシオンのことか?」

「ううん。その姿勢、きつくない?」

 

 ミラクルバードがそう訊いてきたのは、彼女に傘を差し出したオレが彼女の頭の高さにあわせるようにして腰を低くしていたからだ。

 今日のような強い雨はオレが立っていたのではさしている意味がほとんどなくなってしまうと思ってのことだったが……

 

「そんなことはないさ。それに一番きついのは、こんな雨の中で走ってるオラシオンだろ」

「そう、だよね……」

 

 今日はグレードレースとはいえGⅠではないので、勝負服でのレースではない。

 しかし5番手から6番手を走っているオラシオンが着ている体操服は、前の走者が跳ね上げる泥を浴び、泥まみれの様相を呈していた。

 もちろん服だけじゃない。ボブカットの綺麗な黒髪(青鹿毛)も泥に汚れているし、遠くを走る彼女の顔をハッキリと見ることができれば、その顔さえも泥がかかって汚れているのが見えたことだろう。

 

「でも大丈夫なの? トレーナー」

「なにがだ?」

「阪神ジュニアの時に、オーちゃんのスパートは雨だと難しくなるっていってたじゃない?」

 

 姿勢を低くして走るスパートは、バ場状態が悪い──というよりは地面の摩擦係数が下がれば下がるほどに、足が滑る危険が通常の走り方に比べて跳ね上がる。

 阪神ジュニアステークスはその難点を克服した走りを見せたオラシオンだが、今回のバ場の悪さはその上をいくのは明らかだ。

 

「こんな状態で、あのウマ娘(ブロンコキッド)と当たらなくてよかったな」

 

 足に水掻きが付いている──そう揶揄されるほどの彼女を相手にしていたら、普段以上の力を発揮する彼女に対し、オラシオンは不利な上にスパートも封じられてしまい、苦戦するのは免れなかった。

 そして幸いなことに、今日の出走メンバーの中に彼女の名前は無い。

 

「あの走りを出すかどうかは、オラシオンの判断に任せている。アイツのことだからできるのにやらない、ということはないだろうが……」

 

 不安はむしろ、負けん気が勝って“無理にやってしまう”ことの方だ。

 だからこそ、さっきクギを刺しておいたというのもある。

 

「その辺りは、オーちゃんなら落ち着いて判断できると思うけど?」

「余裕があれば、な」

 

 まさに阪神ジュニアステークスの時のようであれば、オレも不安は感じない。

 だが余裕の無かったシンザン記念のような状況になれば──オラシオンは冷静さを失って、言い方は悪いが“狂ったように”あがく可能性がある。

 

(それが()()()くらいならまだマシだが……)

 

 走るオラシオンを見ていたオレは、チラッとだけすぐ近くにあったミラクルバードの顔を見た。

 後頭部で一纏めにした栗毛の髪は、小鳥の尾羽根のようにシュッと纏まっていて……覆面こそ付けているものの、ウマ娘特有の整った顔立ちに改めて気づいたオレは少しだけ驚く。

 そんなことに気づかず、オラシオンを応援し続けているミラクルバード。

 彼女が、車椅子生活を余儀なくされたのは……競争(レース)中の事故だ。

 それこそレースでコーナーの最中に外へヨレるという想定外の動きをしたために、後ろから上がってきたウマ娘と激しく衝突してしまい、吹っ飛ぶほどの転倒をしてしまった。

 

(ウマ娘の走る速度は自動車並み……)

 

 その速度で走る二人が正面衝突ではないにしてもぶつかった。その衝撃はそれこそ自動車事故にも勝るとも劣らないものになる。

 いくらウマ娘がヒトに比べてその力に見合うほど頑丈とはいえど、生身だ。

 吹っ飛んだミラクルバードは、頭から地面に落ちた。

 そして打ち所が悪かった彼女は、緊急搬送されて数日間生死をさまようほどだったのだが……どうにか持ち直し、こうして元気に生きている。

 

(だが、彼女はそれ以来、自分の足で走ることができなくなった)

 

 走るどころか、事故から何年も経った今でも立つことさえ厳しい。

 病院に通ってリハビリを続けているのだが、足は思うように動かないらしい。

 

(もしもオラシオンがヨレて、他のウマ娘とぶつかったら。それでミラクルバードのようなことになったら……)

 

 イヤな予感が頭をよぎる。

 奇しくも、このスプリングステークスはミラクルバードが事故にあった皐月賞の前哨戦だ。

 

「ああッ!!」

 

 ミラクルバードが声をあげ、彼女の顔を見て考えにふけっていたオレは我に返った。

 

「ど、どうした?」

「どうしたもこうしたもないよ! オーちゃん、内に入りすぎだよ。前が開かなかったらどうするのさ!」

 

 レースに視線を戻せば、泥まみれで走る集団は第4コーナーにさしかかろうとしていた。

 相変わらず5番手から6番手といった位置のオラシオンは内におり、抜け出せない状況になっていた。

 

 だが──そこで好機が訪れる。

 

 そして気が付かされた。

 オラシオンは、これを狙っていたんだ、と。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 第4コーナー手前まで、私は5、6番手の位置で最内を走っていました。

 今回のレース、周囲のマークはもちろん高い人気のウマ娘になっていたのだと思います。

 そして──

 

「……セントホウヤのマークは、早々に外れた」

 

 スタート前の雷に驚いて、興奮してしまったセントホウヤは冷静さを失ってしまっていました。

 レース前だというのに余計な体力を使うその有様に、他のウマ娘たちは心の中でほくそ笑んでいたことでしょうね。

 そのせいで、私への警戒がより強くなったのでしょう。

 

「前は完全に塞がれている……」

 

 抜け出そうにも最内に押し込まれた私に、抜け出す道などあるはずがありません。

 でも──

 

「機会は……必ず来る」

 

 まったく根拠のない、まるで勘のようなものでしたが──複数人がそれぞれの思惑で走って、少しも隙が生じないということは現実的にありえません。

 だからこそ私はその時を待ちました。

 おりからの強い雨で不良となったバ場。

 今日開催されたこれまでのレースによって荒れている第4コーナーの最内を、前のウマ娘たちは嫌って外へと進路を取り──

 

「そこッ!!」

 

 そして私は、外へと膨らんだ他のウマ娘たちが()()()()()()()()()()道へと進路を取った。

 今までの大雨とこれまでのレースを走ったウマ娘たちによって作り出された、荒れに荒れている──“最悪の花道”

 

「この道こそ、私の勝利へ至る道(ウィニングロード)ッ!!」

 

 私は足に力をグッと込める。

 大量の雨水と数多のウマ娘の足によってかき回された走路は、土は泥となり果てていました。

 そしてそれに覆われた踏み潰された芝は、水分と共にそこを走るウマ娘の足を滑らせようと牙をむいてくる。

 そんな危険きわまりない(トラップ)が無数に敷き詰められた、地雷原のようなそこを──私は駆け抜けたのです。

 

「「「なッ!?」」」

 

 私と違ってその悪路を嫌って進路を外へ向けた、前を走るウマ娘たち。

 まさか行くはずがない、と思って見ていた後方のウマ娘たち。

 そしてなにより──そのレースを見ていた観客や出走ウマ娘のトレーナー達。

 それらが泥飛沫をあげながらそこを走る私に、「まさか」と驚愕する。

 

「無茶だよ、オーちゃん!! そこは」

 

 私に聞こえるはずのない、敬愛する先輩の声が聞こえた気がしました。

 でも──私はそれに心の中で答える。

 

(無茶じゃ、ないッ!!)

 

 悪路へ踏み入れた私は姿勢を低くする。

 だけど……普段のスパートのように体を前傾させはしませんでした。

 もしもそうすれば、待っているのは間違いなく足を滑らせて、そのまま無様に転倒するでしょう。

 過剰に体を傾けることなく重心を落とすことで、足を滑らせない走りを意識し、私は速度を落とすことなく走る。

 そしてさらに、同時に意識するのは“足”の使い方。

 

(掴むように……泳ぐように……)

 

 それはオグリキャップ先輩達から学んだ、足をとられないようにするための足の動かし方でした。

 阪神ジュニアステークスで、重バ場でのスパートに使えると有効性を立証したことでさらに磨きをかけていたその走法。

 低い姿勢での前傾走法と切り離して使うそれは、他のウマ娘ではまともに走れないほどのこんな悪路を走破する大きな武器となったのです。

 

「バカなッ!?」

 

 外へ回った誰かが発した言葉。

 それを聞きながら──私は内ラチを沿うように走る。

 確かに普段の私のスパートよりも速度は出ていません。

 それでも彼女達に負けず劣らず速度を出し、なおかつ彼女達が外を回っている分、最後の直線ではそれが大きな差となって現れていました。

 

「このままッ──!!」

 

 相変わらずの荒れたバ場で、いつものスパートが使えないのがもどかしい。

 それを感じながらも私には、後続に絶対的な差を付けたという感触があった。

 

(これで、皐月賞に──)

 

 迫るゴール板を目で捉え、私の気持ちがゆるみかけた、その時──

 

 

 

 ──ゾワッと悪寒が体を駆け抜けた。

 

 

 

「ッ!!」

 

 それは──大外のさらに外から迫っていたのです。

 この悪天候の中で開催されたレースの中で、何度もウマ娘達が走った──それは最内を避けたウマ娘達が走ったのも大なり小なり同じ──走路の中で、ただ一つ誰も走らなかった外ラチ沿いというコース。

 誰にも荒らされていないその場所を、猛然と駆け上がってくるのは──

 

「──セントホウヤ!!」

 

 やっぱりきましたか、という思いが真っ先に浮かびました。

 彼女がスタート前に終わってしまうようなウマ娘ではないことは、その雰囲気から分かっていました。

 そんな彼女が、“オラシオン()を倒すのはセントホウヤ(自分)だ”と宣言していたのですから。

 

「オラシオォォンッ!! 負けま、せんわああぁぁぁぁぁッ!!」

 

 迫る彼女の声と気配。

 思わず体を前傾させて、こちらもスパートをかけたい衝動にかられます。

 でも、それは罠──相変わらず荒れている私が走っているコースでそれをやれば、待っているのは間違いなく破滅であり自滅。

 

(我慢……我慢、我慢。我慢ッ! 我慢ッ!!)

 

 内ラチすれすれの最内を走る私から、外ラチすれすれという距離をもってしても感じるその迫る気配に、私は焦燥感さえ感じていました。

 見えているゴール板。

 そこまで先頭というこの座を死守しなくては……

 なによりも、絶対に──

 

(負けたく、ないッ!!)

 

 その一念に、私の頭は完全に染められ──

 

「「ダメだッ、シオン!!」オーちゃん!!」

「──ッ!?」

 

 一瞬、頭の中が真っ白になりかけ──それを聞き覚えのある声で我に返って──気が付けば、私はゴール板の前を駆け抜けていました。

 それを理解して、私は即座に電光掲示板へと視線を向けます。

 

「………………」

 

 そこに数字はまだ、1着と2着を示す箇所に数字は出ていませんでした。

 おそらく写真判定になっているようです。最内と最外という極端な位置だったために分かりづらかったのかもしれません。

 そして意外と早く、その結果は表示され──

 

「……勝った」

 

 1着は、オラシオン。

 そして2着にセントホウヤ。

 

 ──アタマ差というその結果に、雨のスタンドに悲喜こもごもの歓声が響きわたったのでした。

 




◆解説◆

【──春雷(後編)】
・タイトルの元ネタは前編にて。
・そんなわけで今回はタイトルネタが無いので近況(?)を。
・最近……というか少し前になりますが、運営様から指導をもらいまして、必須タグに“クロスオーバー”が追加されていました。
・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』とか『優駿』の競走馬を出していたのですが、ウマ娘化したことですっかり失念していました。
・でも……最初に登場したのは『優駿』のミラクルバードですが、最初に名前が出たのは第22話。本格参戦は第32話あたりから、と結構前だったんですよね。
・今までホントにスミマセンでした。

雷の音に大騒ぎ
・これ、原作『優駿』のとおりだったりします。
・出走前にセントホウヤが雷に驚いて出走時間が遅れるというハプニングがありました。
・結構、サラッと流されているんですけどね。

結果
・『優駿』で描かれたスプリングステークスの結果は、内ラチぎりぎりの最内を通ったオラシオンが1着、外ラチすれすれの最外を通ったセントホウヤが届かずに2着という結果でした。
・そんなわけで、本番の皐月賞やその後のダービーでのセントホウヤとの対決が楽しみに……となるはずなのですが、実際にはなりません。
・原作での以後のセントホウヤは、騎乗している騎手が意地の悪く汚いことをする悪役なためにライバルという地位にはなれませんでした。
・そんなわけで、原作でのセントホウヤの活躍はここ(スプリングステークス)まで。


※次回の更新は8月1日の予定です。  

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。