見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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「さて……」

 皐月賞を間近に迎え、オレはオラシオンの最後の仕上げを見ていた。
 うん。調子は良さそうだ。
 前走のスプリングステークスの疲れは感じられない。
 真面目すぎる彼女の性格から、根を詰めすぎたトレーニングをしかねないところだが渡海が上手くコントロールしてくれたらしく、そういった気配も感じられない。

「おやおや、これはこれは……大本命さんの陣営じゃないッスか」

 声をかけられたオレは振り向き──そして振り返らないで無視すれば良かったと後悔した。
 後ろにいたのは、見覚えのあるトレーナーだった。
 かつて、デビュー2戦目の当日に具合の悪かったダイユウサクを支えたときに絡んできた、チーム〈ポルックス〉のトレーナーだった。

(正直、名前覚えてないんだよな、コイツの……)

 オレは嫌悪感が顔に出てしまうのを隠しきらずに、「どうも」と適当に返事をする。

「スプリングステークスじゃ負けたけど、まだ勝負づけはまだ終わってねーからな?」
「……? えっと、なにが?」

 コイツはなにを言い出したんだろうか?
 スプリングステークスというと……まぁ、オラシオンしか出てないしオラシオンが勝ったからオラシオン関係なんだろうが……いったい何のことだろうか。
 負けたってことはコイツが担当してるウマ娘、つまりは〈ポルックス〉所属のウマ娘がレースに出ていたんだろうが……う~ん、どのウマ娘がそうだったんだ?

「ま、とはいえホウヤの調子は最悪で、食欲落ちて顔色も良くない……皐月賞は参加するだけになると思いますが、よろしく頼んますわ」

 イキってた態度を急変させて、急にそんなことを言い出す。なんだコイツ、情緒不安定なのか?
 とはいえ一つ分かったこともある。あぁ、コイツはセントホウヤのトレーナーだったのか。
 でもなぁ、腹芸をやるにしてもヘタクソ過ぎだぞ。なんかもう、口元とかニヤニヤした笑み浮かべてるし。ウソなのバレバレだろ。

(まったく、〈ポルックス〉の先代も、それくらい教えてやればいいものを)

 半ば呆れつつ、オレは優しくも騙されたフリをしてやった。
 露骨にならないように注意しながら「しめしめ……」と僅かに余裕の笑みを浮かべる──フリをする。
 するとニヤニヤ笑いがさらに強さを増した。
 うん。コイツ、本当にバカだなぁ……あまりに残念な姿にオレは同情さえした。
 先代もコレじゃなくてその先輩に〈カストル〉作らせて独立させず、素直に〈ポルックス〉を継がせればよかったのに。
 いや、まぁ……その人を地方に左遷(トバ)した原因になったのはオレだけどさ。

(セントホウヤも可哀想にな。先代とかマトモな環境下で育ったなら、もっと怖い存在になっただろうに……)

 オレはその場にいないオラシオンのライバルの1人に同情した。
 まぁ、こんなでも昨年のは最優秀(リーディング)チーム争いをするほどだったんだからな。

 ……ま、それも先代と彼が育てたウマ娘のおかげだけど。



第53R いざ、皐月賞へ……

 

「でも、仕方ないよね~」

 

 軽い調子でそう言って、苦笑を浮かべたのはライトカラーだった。

 彼女は私──シャダイカグラの方を見て屈託のない笑みを浮かべてた。

 

「ふと隣見たらカグっちいるし。しかもスタート直後で最後尾付近(ビリらへん)。こっちがビビったわ」

「…………」

 

 私はそれを苦虫を噛み潰したような顔で黙って聞いてるしかない。

 自分でも思ってたわよ。むしろこっちの方がビビってたわよ。

 本当に焦ったし、必死になって走ったし……

 そうやってどうにか1着をとれたけど──そうしたら、世間様は私が“わざと出遅れた”と解釈し始めたようで。

 

(ホント、勘弁してよ……)

 

 あの大舞台で勝利という結果はすごく嬉しいけれど、その中でも唯一の忘れたい部分なのに……

 もちろん、レースの反省としては思い出すけど原因はハッキリしている。自分のメンタルの弱さが招いたものよ。

 だから必要以上に思い出す必要はないというのに──マスコミはそう言うし、評論家も疑うし、おかげでトレーナーはその対応に追われてる。

 しつこく記者が「あれはわざと出遅れたんですよね?」と訊いてくるのに対し、

 

「さぁ、どうでしょうね。ただ、確かなことは彼女(シャダイカグラ)の独断ではない、ということですよ」

 

 ──と言って誤魔化してる。

 おかげで「どういう意味ですか?」「それはトレーナーの指示ということですか?」「奈瀬マジックだったんですか?」なんて記者に問いつめられ、それを見事に煙に巻いているのはスゴいな、と思う。

 実際には……ただ私が出遅れただけだから、胸が痛むけど。

 そうやってトレーナーが注目を集めてくれているのは、ここまで話題になってしまったら故意にせよミスにせよ、私が妙なことで注目を集めてしまうと判断したんだと思う。

 そこには、「トリプルティアラはまだ続く。次に備えるように」という奈瀬トレーナーの言外の言葉が聞こえてくるようだった。

 

「でも気にすることないよ、カグっち。ど~せ、話題になるのは今週……それも半ばくらいまでだし」

「ま、そうですわね……今週末は皐月賞、ですから」

 

 いつの間にか私達の集団に入り込んでいたメジロモントレーがサラッと言い、新聞を眺めている。

 その特集欄には出走する有力ウマ娘の姿が写っていた。

 綺麗に整ったボブカットの黒髪(青鹿毛)に、生真面目な優等生といった雰囲気のウマ娘が一番大きく写っている。

 

「やっぱ本命はオラシオンで決まりっしょ」

「ですわね。デビュー戦こそ負けたものの、その後は負け無しの4連勝。スプリングステークスでデビュー以来負け無しだったセントホウヤさんに土を付け、その実力を見せつけていらっしゃいますから」

「そうね。距離適正に問題も無いし、どんな天候でも不安がない。本当に強いウマ娘……」

 

 モントレーの言葉を聞いて、私は思わずつぶやいていた。

 特に天候──バ場状態に左右されずに実力を発揮できるのはかなりの強み。それを阪神ジュニアとスプリングステークスという大きなレースで証明しているのは大きい。

 競走関係者なら、誰が見ても悪路に不安を抱くことなんてないでしょうね。

 そういうわけで、まったく付け入る隙がない。

 もしも敵として競うことになるのなら、それは巨大で分厚い壁のようにさえ感じてしまうと思う。

 今はトリプルティアラとクラシック三冠という路線のおかげで対戦する機会はほぼ無いでしょうけど……それもクラシックレースが終わればそうは言っていられない。

 対戦する機会は出てくるはず。たとえば年末のグランプリ、有記念とか──

 

「……ねぇ、ピアリス。オラシオンってどんなウマ娘なの?」

「え? えっと……美人さんで、頭が良くて、しっかりしてて……」

「あのねぇ、そういうことじゃなくて……」

 

 不安を感じて思わず尋ねてしまったけど、それに対してオラシオンの美点を指折り数えて話し始めたサンドピアリスには、私も思わず苦笑してしまった。

 でも、そんな彼女が返してきたのは意外な評価だった。

 

「普段は優しくて丁寧だけど、競走になるとものすごく厳しくて怖くなるよ」

「……え?」

 

 私もオラシオンを見かけたことはある。

 学園内で歩いているところとか、ピアリスに用事があって〈アクルックス〉のチーム部屋を訪れたりした時とかに。

 そのときの彼女は今のピアリスの言葉の前半そのものといった印象。才色兼備で心優しく丁寧……以前、シンボリルドルフ会長が生徒会に入って欲しいと勧誘したのも頷けるわ。

 だからこそ、ピアリスの後半の評に関して、ちょっと信じられなかった。

 でも……

 

「うん。わかりみ……」

 

 そう言ったのは、ライトカラー。

 彼女は思い起こすように目を閉じて、うんうんと頷いている。

 

「そう? 私は想像できないけど……」

「わたくしもそうですわね。彼女には名家出身のウマ娘にも引けを取らない振る舞いが──」

 

 私に便乗してそんなことを言い出したメジロモントレーを「む……」と睨む。

 が、彼女は気がついた様子もなく、とうとうと自分の考えを言っていた。

 いや、名家とか関係ないでしょうに。

 それにオラシオンさんって令嬢(風の噂では“元”になったらしいけど)と言っても、養子縁組でなったものらしいから関係ないし。

 

「勝負になると人が変わるタイプっているじゃない? あのウマ娘(ひと)、まさにそれ」

 

 その“勝負モード”を思い出したのか、少し顔色を青ざめてライトカラーが答える。

 それにピアリスもうんうんと頷いているのでその通りなんでしょうね。

 納得しながら「そういうものなのね」と私がつぶやいていると……ふとモントレーが持っていた新聞が再び目に入る。

 一番大きく写っているオラシオンさんに対抗するように、モントレーのようないかにも「お嬢様です!」と言わんばかりに主張したウマ娘が写っている。

 

「モントレーは、こっちの方を応援しているんじゃないの?」

「……セントホウヤさんですか? ええ、まぁ……心情的には応援したい気持ちもありますが」

 

 セントホウヤさんも一族があるようなウマ娘の出身……出身、なんだけど……私の方は逆になんか無性にイラッとするのよね。うん……

 な~んかそこはかとなく……あの有名な“シャダイ家”のウマ娘を思い出すからかしら?

 そもそも家が違うから全然関係ないんだけどね。

 

「確かにスプリングステークスは惜しかったし。オラシオンをあんだけ苦戦させたの、負けたデビュー戦以外なら初めてじゃん?」

 

 ライトカラーが思い出しながら言う。

 うん、確かにそうかもしれない。そう考えると皐月賞で怖いのは、リベンジに燃えるセントホウヤさんってことになるわね。

 

「あ、でも……トレーナーさんは違う()のこと気にしてたよ~?」

「違う()? いったい誰よ?」

 

 ピアリスがトレーナーというのなら、それはオラシオンのトレーナーでもある乾井トレーナーを指すことになる。

 うちの奈瀬トレーナーも「油断ならない」と評価するそのトレーナーはいったい誰を気にしてるのかしら?

 

「えっとね……このウマ娘だよ」

 

 そう言ってピアリスが指したのは、綺麗なセミロングのオラシオンさんや、御嬢様然と整えた髪型のセントホウヤさんとは真逆の──ちょっと乱雑に跳ねた感じの髪を、一部だけ三つ編みに結って纏めただけで他は伸ばしっぱなしの、ワイルドな感じのウマ娘だった。

 その表情も、真面目そうなオラシオンさんや、高飛車──じゃなくて高貴な感じのセントホウヤさんとは明らかに違う、曲者さを漂わせた半眼のような垂れ目。

 えっと……誰かしら?

 

「あれ? ロベっちじゃん。皐月賞出るんだ……」

「知ってるの? カラー」

 

 私の問いに、ライトカラーは頷く。

 

「うん。ロベルトダッシュって()で、先々週くらいに特別を勝ってたけど……まさか中2週で挑戦してくるとは、予想外だわ」

 

 見れば、戦績は……今年の頭にデビューして初勝利。

 でもそこからしばらく空いて、それでさっきカラーが言っていた先々週のレースで勝ってどうにか間に合ったって感じかしら。

 

(う~ん、成績を見る限りだとハッキリ言って警戒するような相手じゃないと思うけど? しかもオラシオン陣営ならなおさらよね)

 

 しかし、それを警戒しているのは曲者《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》こと乾井 備丈トレーナー。

 誰も勝つと予想していないようなウマ娘で、勝利確実と言われた大本命を破った実績を持つその人が警戒するのだから、なにかあるのは間違いない。

 

(どっちかと言えば、ロベルトダッシュ側の人よね。乾井トレーナーは……)

 

 それこそ世間的にはノーマークな彼女の横に乾井トレーナーがいる方が、よほど怖いと思う。

 もしも今回の桜花賞の出走メンバーで、あのトレーナーが不人気のウマ娘と一緒にいたら、本命ウマ娘としては気が気でならなくなったわよ。

 

(それにしても……)

 

 そのトレーナーが警戒するなんて、いったいどんなウマ娘なんだろう。

 私は半信半疑な気持ちで、新聞に小さく写っているそのウマ娘の顔を見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「う~む……」

 

 目前にまで迫った皐月賞。

 確かにオラシオンの仕上がりも順調で、言うこともない。

 ないんだが……

 

「……………………」

 

 オレはトレーナー室の自分のデスクで、席について今までのオラシオンのレース映像を無言で見ていた。

 さっきうなっていたのも、これを見ていたせいである。

 

(確かに、オラシオンは強い……)

 

 直接対決でセントホウヤを破り、皐月賞では一番人気は間違いない。

 まるで先週末の桜花賞のシャダイカグラのように、オラシオンも圧倒的一番人気になるのはほぼ間違いない。

 だが……

 

「──なにを不安がっているのよ、大本命のトレーナーが」

 

 後ろから声をかけてきたのは、この部屋に戻ってきたもう1人の主だった。

 

「どうにも一番人気ってのは不慣れなもんでね」

 

 そう言いつつ苦笑しながら振り返ると、そこには予想通りの人物がいた。

 巽見 涼子。オレのようにトレーナーを真っ直ぐに目指したのではなく別の道へ寄り道したので、オレから見ると“歳上の後輩”になっている相手だった。

 そして今現在は……皐月賞という同じ栄冠を競うライバルでもある。

 

「今まで大本命っていう王者の足下をどう掬ってやろうか、とばかり考えていたからな」

「確かに、そうでしょうね」

 

 巽見もまた、オレの言葉に苦笑を浮かべ返す。

 “皇帝(シンボリルドルフ)”、“現役最強ステイヤー(メジロマックイーン)”、“帝王(トウカイテイオー)”……それらの強敵を相手に、オレはギャロップダイナ、ダイユウサク、レッツゴーターキンというお世辞にもその当時“強い”と言えないようなウマ娘に勝ちを拾わせてきたんだから。

 

「でも、難しく考え過ぎじゃないの?」

「上位力士相手に奇襲で金星稼ぐ曲者が、急に『横綱相撲をやれ』と言われてできるわけないだろ?」

「……それもそうね」

 

 オレの話を聞いてイメージしていたのか、巽見は僅かな間をおいてから納得した。

 

「足下の掬い方を熟知しているんだから、それをされないように気をつけさせればいいじゃないの」

「言われて防げるくらいなら、実力のあるウマ娘なら最初(ハナ)から掬われないさ」

 

 そんな見えている穴を狙っても、“時代を動かす”ようなウマ娘たちでは容易く跳ね返されてしまう。

 時期やタイミング、そのときの本命ウマ娘の調子、そして他の出走メンバー……それらを絡み合い、生じる僅かな隙を付くことで、ようやく道は開かれるんだ。

 シンボリルドルフの時は休養明けで本人が万全ではなかった。

 メジロマックイーンの時は、本人は万全だった。だが、ダイユウサクがそれを上回って実力以上の力を出せる状況が整ったからこそ勝てた。

 トウカイテイオーは、無敗が途切れてメンタルに隙があり、休養明けで勘が鈍っているうえに、周囲も含めて誰かさんが仕掛けた罠にはまって満身創痍だった。

 

「考えつく要因を一々気にしていたら、それこそ胃に穴があくか、頭がおかしくなるかの2択だ」

「なら、絶対的王者らしくドーンと構えてなさいよ」

 

 そう言って巽見は、オレの胸をトンと叩いた。

 

「そうじゃないと倒し甲斐がないわよ」

「お生憎様でした。そういうのはウマ娘に任せてあるし、オレのトレーナーとしての立ち位置も違う。そういうのは奈瀬さん(“王子様”)とか、六平トレーナー(フェアリーゴッドファーザー)東条先輩(〈リギル〉)やその同室のトレーナー(〈スピカ〉)のやり方だろ?」

 

 オレ──《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》のやり方はそうじゃあない。

 

「オラシオンにドーンと目立ってもらって、オレは裏でコソコソと仕掛けてくるのを迎え撃つさ」

「うわ、性格悪っ!」

「お前こそ、考え方が完全に脳筋じゃねーか!」

「なんですってぇ!!」

 

 言い返す巽見の目は、笑っていた。

 そうだ。

 オレとコイツの関係はやっぱりこうでないと、な。

 

「……挑ませてもらうわよ。全力で」

「ああ、もちろん。でもオレ達だって王者じゃない。クラシック三冠に挑む挑戦者だからな」

「そうね。だから……負けないわよ」

「こっちもな」

 

 不適な笑みを浮かべる巽見に、オレもニヤリと笑みを返す。

 そうしてどちらからともなく出した手を握り──正々堂々の勝負の火蓋は切って落とされた。

 

 

 ──だが、オレは思っていた。

 今のオラシオンには足りないものがある、と。

 そしてまったくの勘だったが──このままでは不覚をとりかねない、と感じていた。

 

 しかし、同時に気付いてもいた。

 オラシオンに何が足りないのか──

 それは“時代を創るウマ娘”に必要不可欠なもの──

 正確には“時代を創るウマ娘”が至る()()だが……逆説的に意味は一緒だろう。

 

「“領域(ゾーン)”か……」

 

 巽見と分かれて間もなくオレはつぶやく。

 それを相談できる相手は……一人しかいない。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……で、ボクのところにきたというわけね」

 

 嬉しそうに満面の笑みを浮かべたミラクルバードは、車椅子の上で腕を羽ばたくように激しく上下させて、感情を爆発させていた。

 

「正直、あまりしたくはなかったんだが……」

「えぇ~!? なんでさ!? それってボクが頼りないから?」

「いいや、違う。その話はお前にとってはツラい思い出だろう? それに、今度のレースは皐月賞だからな」

 

 オレは恐る恐る、といった感じになってしまったのはもちろん理由がある。

 車椅子生活を余儀なくされているミラクルバードだが、そうなったのは“ミラクルバード事件”と呼ばれる事故──事故なのに“~事件”と呼ぶのはおかしい気もするが──のせいだ。

 レース中に外にヨレたミラクルバードは、速い速度で上がってきた他のウマ娘と激しく衝突し、地面に頭から落下。その際に打ち所が悪く生死をさまようほどの負傷をしている。

 幸いなことに、一命は取り留めたものの足が動かなくなってしまった。

 そして、その事故の原因というのが……直前にミラクルバードが“領域(ゾーン)”に入りかけたものの失敗した反動でフラついてヨレてしまったせい。

 さらには事故が発生したレースこそ皐月賞だ。

 それらを鑑みて、オレはミラクルバードに相談をすることに抵抗があったのだが……

 

「他のメンバーにはできない話だからな。スマン」

「うん、それは別に構わないけど……でも、他のメンバーにはできないって、どういうこと? ダイナ先輩とかダイユウ先輩は?」

 

 ミラクルバードは「あの二人は違うのかな?」と首を傾げる。

 

「ダイナとダイユウサクに関しては、()()()至ったわけじゃない、というのがオレの見解だ」

「それって、不完全だったってこと?」

 

 半信半疑なミラクルバードにオレは頷いて答えた。

 

「ダイナについては絶対とは言えないが、ダイユウサクについては間違いなく不完全なものだったと言える」

「なんで?」

「アイツ自身の体が、それに適応できていなかったからだ」

 

 確かにあのとき、有記念での最後の直線でダイユウサクが見せた最高の末脚は凄まじかった。

 あの最強ステイヤーであるメジロマックイーンを、長距離(2500m)という相手の土俵にも関わらず上回った一世一代の大駆けである。

 

「以前、他のウマ娘に聞いた話だが……“領域(ゾーン)”というのは誰もが踏み込めるようなものじゃなくて、一部の才能のあるウマ娘にしか、その境地には到達できないもの、だそうだ」

 

 残念ながらダイユウサクはその中の一人ではない。

 それこそさっき列挙した天才達のようなウマ娘でなければ至ることができず、それを完全に制御できているからこそ強いとも言える。

 

「ただし、条件を整ったときに限定的にだが“領域(ゾーン)”に至れるウマ娘もまた存在するんだ」

「え?」

 

 驚いたようにミラクルバードはオレを見た。

 いくつかその候補はオレの頭の中に浮かんでいる。

 例えば──当時すでに“領域”に至っていたと思われるタマモクロスと、その覚醒前と思われるオグリキャップとジャパンカップで死闘を演じた外国のウマ娘。

 彼女の成績を見る限りでは、そこに到達できたのはあのレースだけだったとも思える。

 確実に言えるのはタマモクロスや後のオグリキャップ、さらにはシンボリルドルフ、メジロマックイーンといった面々のように“領域”を自在に使いこなせているようには見えなかったことだ。

 そしてダイユウサクは──さらに言えばレッツゴーターキンも──その『条件が整ったときのみ“領域”に至れる』ウマ娘だったのだと思う。

 ギャロップダイナに関しても、ルドルフを破ったあのレースを考えればそう思えるんだが……その後の安田記念の走りを考えると一概にそうと決めつけられない気もする。

 まぁ、使いこなせていたわけじゃないのは確実だが……

 

「不完全ゆえに、ダイユウサクの場合は制御できずに自分の体の限界を越えてしまったんだろう。前にお前が言ったように、原理的には“火事場の馬鹿力”だったんだとオレも思う」

 

 それを実感しているのは、彼女のその後の成績だった。

 レース後のダイユウサクの脚には確かに負傷はなかった。精密検査をしても異常は出ていない。しかし年が明けての大阪杯や春の天皇賞、高松宮杯ではその末脚は見る影もなく、レースに敗れている、

 負傷していないからこそ、あの“力”を発揮した代償でそうなったのは明らかだった。

 集中力によって完全に制御した状態で体のリミッターを外し、限界以上の力を発揮するものこそ、()()()()領域(ゾーン)”だ。

 その“完全に制御した状態”で無かったゆえに、ダイユウサクは限界を超えてしまい、後遺症を残してしまったのだ。

 

「逆に言えば、過剰に限界を超えたからこそ、ダイユウ先輩はマックイーンに勝てたともいえるんじゃない?」

 

 それ程までにあのメジロマックイーンを真っ向から力でねじ伏せて勝つというのは困難なことだったんだ。

 無茶をしなければ勝てないような強さ──それこそ“時代を創るウマ娘”が持つ実力。

 

「でも……いや、だからこそ! オラシオンが目指すのはダイユウサク(そっち)じゃないんだよ、ミラクルバード」

「先輩じゃない? ってことは──」

「ああ、メジロマックイーン(“時代を創るウマ娘”)の方だ」

 

 ミラクルバードの問いに、オレはキッパリと答えた。

 クラシック三冠を戦い抜き、その後のシニア以上での活躍することを考えれば、やはり目指すべきは後者以外に考えられないんだ。

 

「“あっと驚く”でも“これはビックリ”でも“なんとビックリ”でもない……」

 

 オレが今までサポートした“見えぬ輝き(ダークホース)”なウマ娘たちが掴んだ大金星が脳裏に浮かぶ。

 ただ、それは一人につき一つか二つしかない輝きだった。

 

「勝っても誰も驚かない、GⅠだろうが“勝つのが当然”と言われるほどの王道をアイツは進めるウマ娘なんだ」

 

 シンボリルドルフの七冠のどれが最高か、という論議。

 オグリキャップのレースで“もっとも心に残っている”のは? と訊かれれば最後の有記念と答えるファンは多いだろう。だが“最高のレースは?”と訊かれれば意見は割れるのは間違いない。

 

「そういう話ができるほどのウマ娘に、オラシオンは間違いなくなれる器だ。だが……」

 

 感情を高ぶらせてそこまで言ったオレだったが、力なく視線を落とした。

 彼女がそこまでの才能をもっているのは間違いない。

 だが、本当に過去の“時代を創ってきた”ウマ娘たちのようになるには──

 

「今のアイツには、何かが決定的に欠けている……オレにはそう思えたんだ」

「……なるほどね。それで逆説的に“領域(ゾーン)”の話になるわけだね」

 

 “時代を創るウマ娘”が至るものが“領域”であるなら──そのウマ娘が“領域”に至ることができれば“時代を創るウマ娘”であると言える。 

 

「でもさ、それをボクに相談されても……ハッキリ言って困るよ? ボクは到達できた側じゃないんだし」

 

 ミラクルバード曰く、「踏み込みかけたけど、その感覚の異質さに耐えられずに弾かれた」とのこと。

 しかしオレだってそれは分かっている。ミラクルバードからその話は聞いているんだから。

 

「わかってる。でも、ウチのチームでは少なくとも一番近くまで到達できたのはミラクルバード、お前だ」

「現役時代に声かけてくれた、トレーナーの目に間違いはなかったってことだね?」

 

 まだ〈アクルックス〉結成前に、オレはミラクルバードにスカウトを持ちかけたことがあった。

 残念ながら、ミラクルバードはもう入るチームが決まっていたのでそれに応じてくれることはなかったが。

 それでもあの当時、唯一オレのスカウトをまともに聞いてくれて、「先約があるから、ゴメンね」と申し訳なさそうに断ってくれたのが彼女だった。

 

「そんなミラクルバードだからこそ、感想を聞きたいことがあってな」

「なんのこと?」

「オラシオンの癖は、分かってるよな? レース終盤での……」

「うん。内にヨレるってことだよね? それなら分かってるよ」

 

 もちろん、ミラクルバードが分かっているのをオレも分かっている。

 スプリングステークスのゴール直前で、思わず声を上げているのをオレも聞いていたし、同時に声が出ていたからこそ思いは一緒だった。。

 

「そのこと、トレーナーがオーちゃんにも伝えたんでしょ?」

「ああ。だが、まさかあんな手段を打つとはな」

「うん。実のところ、ボクもドン引きしてるよ……」

 

 顔色悪そうに、「アハハ……」と力なく笑うミラクルバード。

 彼女が呆れるのも無理はない。その対策がなんとも無茶で無謀なものだったと、後で気付いたのだから。

 

「まさか、内ラチすれすれを走ることで、それ以上内側にヨレないようにするなんて、ね」

「一歩間違えれば大惨事だぞ。まったく……」

 

 一方オレは、呆れを通り越して怒りさえ感じていた。

 あまりに自分の体を蔑ろにしている。

 もしもそんなことをお構いなしに悪癖が発動すれば、内ラチに衝突してどんな事態を巻き起こしていたことか。下手をすればミラクルバード事件の再来になっていたところだ。

 ……もちろん、本人の目の前でそんなことは言えないが。

 

「それでトレーナー、その悪癖がどうかしたの?」

 

 問い返したミラクルバードに、オレは心の中でもう一度「スマン」と謝り──話を進めた。

 

「ダイナと話しているときに、“ヨレる”ということで思い至ったんだが……お前の時と一緒じゃないのかと思ってな」

「それって……オーちゃんが“領域(ゾーン)”に入りかけてる、ってこと?」

 

 さすがに今までの前振りがあれば誰だってそれに気付く。

 ミラクルバードは悩むように虚空を見つめつつ、「う~ん、なるほどねぇ……」と眉根を寄せて考え込み、そして答えた。

 

「う、ん……可能性は、ゼロじゃないと思う。うん。でも……“領域(ゾーン)”に至れずに弾かれてるのは、ボクの時よりももっと没頭できていないから、じゃないかな。ほら、オーちゃんがヨレるのはいつも最後の最後だよね?」

 

 ミラクルバードの指摘の通りだった。

 オラシオンがヨレるのは、レースの終盤も終盤。ゴール直前のことが多い。

 それに対してミラクルバードがヨレて衝突したのは、

 

「もっと深く集中できれば、いけるかもしれないってことだよな?」

「でも……そうだね、そのためには短い時間で、より集中するしかないと思う。オーちゃんの、あの無茶苦茶な負けん気が暴走することなく、スッと集中して勝ちへの執念に収束したら──」

「“領域(ゾーン)”へと、至る……か?」

 

 オレの確認に、ミラクルバードは無言で頷いた。

 はっきりと肯定の言葉を口にしなかったのは、絶対にそうなると言い切れるだけの根拠が無かったのだろう。

 だが、彼女の──“領域”まであと一歩のところまで迫れた感覚が、それを理屈ではなく感覚で捉えているように思えた。

 

「だとしたら……」

 

 オレは考えを巡らせた。

 早くスパートをかけて、後ろから追いかけられるような状態ではどうか?

 いや、それだと他のウマ娘が見えずに「負けたくない」という気持ちの行き場がなくなる。

 今までのヨレた展開もそれに近いのではないか?

 だとしたら──

 

「トレーナー?」

 

 ミラクルバードに声をかけられたものの、それすら気が付かないくらいにオレは考えに没頭していた。

 そして一つの結論にたどり着く。

 オラシオンを“領域(ゾーン)”へ至らせるために打てる手段は……

 

 

 ──スパート地点をもっと遅くすること。

 

 

 それがオレのたどり着いた答えだった。

 




◆解説◆

【いざ、皐月賞へ……】
・今回は完全に次への繋ぎの回なのと、ネタ切れのためにオリジナルタイトル。

皐月賞
・GⅠレースであり、八大競走の一つに数えられる大きなレース。
・クラシック世代のGⅠとしては桜花賞に続いて2番目に開催されるレースであり、クラシック三冠の初戦。
・1939年に創設された『横浜農林省賞典四歳呼馬 』というレースが前身。
・戦中の1944年は『農商省賞典四歳』という呼称で能力検定競走として施行。翌年の1945年と1946年は不開催。
・1947年から再開し、名称を『農林省賞典』に変更。1949年からは現在の名称である『皐月賞』になり、中山の開催になりました。
・距離は1950mという謎の中途半端な長さでしたが、翌年から2000メートルに変更し、今に続いています。
・『横浜~』という名称で分かるように、最初は横浜競馬場の1850メートルで開催され、1943年から東京開催になっていました。
・中山で開催されないときは東京で代替開催されています。
・な1984年のグレード制導入でGⅠになり、1995年には指定交流競走になって地方馬にも門戸が開かれ、2002年からは外国産馬が2頭まで出走可能になっています。
東京優駿(日本ダービー)は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ、そして皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われています。


※次回の更新は8月25日の予定です。  

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