見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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「どういういことですか? トレーナー」

 ──なんてオラシオンの言葉は聞き飽きた気もする。
 オレはそんなことを考えながら、セミロングの青鹿毛(黒髪)に前髪に綺麗な星形の模様が入ったウマ娘の不満そうな視線を一身に受けていた。

「今回のレースは、スパートのタイミングを遅らせる。コーナーでは仕掛けるな。最後の直線まで我慢しろ」
「それは……でも、そのせいで追いつけなくなったらどうするんですか? 皐月賞ですよ、今度のレースは! 開催地は中山なんですよ!?」
「ああ、分かってる」
「分かってません! 中山の直線が短いのは常識じゃないですか!! その短い直線で、もしも間に合わなければ……」
「もちろんレース展開で仕掛ける場所やタイミングはお前に任せるが、先頭に立つのは最後の最後になるようにするんだ」
「そんなことをする意味がわかりません!! 勝てばいいじゃないですか!!」

 憤然とオレへ抗議するオラシオン。
 その後ろでは渡海が困った顔でオロオロしている。トレーナーであるオレとオラシオンの間で板挟みになっていた。

「スプリングステークスの反省会では有耶無耶になっただろ? お前のヨレる癖についての対策として、できうる限り仕掛けるのを遅くすることで、()()()()()()()()()()()状況を作らないようにしようと考えたんだ」
「ねぇ、トレーナー。でもそれってオーちゃんが追いつくのがぎりぎりになって追いつめられたら、同じことが起きるんじゃないの? 例えばこの前の桜花賞みたいな……」

 オレの立てた作戦に疑問を挟んできたのは、ミラクルバードだった。
 顔の傷を隠す黄色い覆面を付けてもなお整った顔立ちはさすが美人ぞろいのウマ娘といったところ。後ろにピンと流れる縛った髪はまるで鳥の尾羽根のようだ。
 そんな彼女は車椅子に腰掛けたまま、オレへと話しかけている。
 今から数年前の皐月賞で、レース中に他のウマ娘とぶつかる接触事故を起こした彼女は、そのまま派手に転倒して打ち所が悪かったために、未だに彼女の脚は動かない。
 その彼女は今では競走を諦めて、学園では競走ウマ娘をサポートするスタッフ育成科へと転科し、オレのチーム〈アクルックス〉を支えるメンバーの一人になっていた。

「それこそ望むところだ」
「「え?」」

 ミラクルバードと、そしてオラシオンの声が重なる。

「なにを言っているんですか、トレーナー……さっき、いえ前の時もヨレる癖を注意して、それを起こさないようにと」
「ああ、ヨレるなという気持ちに嘘偽りはない。実際に危険だからな」

 抗議するオラシオンにオレはそう答えつつ、チラッとミラクルバードを見る。

「お前がヨレる……それを乗り越えた先にこそ、誰にも負けないウマ娘へと至る可能性があると思っている」
「……正気ですか?」

 訝しがる……のを越えて、狂人を見るような目でオラシオンはオレを見てきた。
 確かに、オレが言っているのは普通に聞けば訳の分からない与太話に聞こえるかもしれない。
 ただの脳内の創作話で、「ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから」と言われてしまいそうなほどだ。
 だが──()()

「《領域(ゾーン)》だ」
「《領域(ゾーン)》……?」
「ああ。“時代を創るウマ娘”が至ると言われている、超集中状態……それにお前は足を踏み入れかけているんだ。今までのお前は、集中力が足りていなかったんだ。過剰な負けん気のせいで、相手を意識しすぎていたんだ」

 それが“走り”への集中を妨げていた。
 だから《領域(ゾーン)》に入ることができず、弾かれ、内へ刺さるようにヨレていた。それがオレのオラシオンの“癖”の見解だ。

(だからより()()()()()()()ことへとオラシオンの意識を没頭させることができれば──)

 それこそこの前の桜花賞でのゴール直前のシャダイカグラのような超集中状態になれば、オラシオンなら至ることができるかもしれない。
 今までのレースでは追い込まれたとしても追われる展開だった。
 もしも追いかけることで自分の走りに没頭できるのなら……

「なにを根拠にそんなことを。非現実的です。そんな眉唾なものが──」

 そんなオレの言葉に対して首を振り、否定しようとするオラシオン。
 だが──

「《領域(ゾーン)》はあるんだよ、オーちゃん!」

 ──強く肯定したのは、ミラクルバードだった。



第55R ──黒い風(2)

 

 ──スタートした皐月賞。

 

 そして同時にどよめきが起こる。

 誰か出遅れたか?

 先週のGⅠ(桜花賞)を思いだし、オレは悪寒が体を走るのを感じた。

 だが、その心配は杞憂だった。オラシオンは出遅れることなく、それどころかむしろ良いにスタートを切っていた。

 そして観衆のどよめきの原因は──

 

「アップショットが先頭!?」

 

 チーム関係者が陣取る観客席最前列の、その後ろの方からそんな声が聞こえてきた。

 ふむ……

 オレは腕を組み、考え込む。たしかアップショットは今まで逃げた経験はなかったはずだ。

 

「奇策に出たか、それとも……」

 

 急遽の思いつきなのか、それとも万全の準備をした上での奇襲なのか、分からない。

 だが普段の、自分が一番得意とする走りを変えて競走をするというのは難しいことだ。

 自分の実力を一番発揮できるからこそ“得意な走り”なのだから。

 ともあれ、そんな意外なアップショットの逃げに、観客席はどよめき……意外な展開が連鎖する。

 

「む……」

 

 別のウマ娘がそれに触発されて、アップショットの前へと出たのだ。

 あれは確か20番のウマ娘で──

 

「……よくない走りだね」

「先頭か?」

 

 隣にいるミラクルバードの評に、彼女を振り向くことなく走るウマ娘達へ視線を向けたまま尋ねた。

 

「うん。自分で上がっていったっていうよりも、場に流されて興奮しちゃった感じかな? たぶん彼女は最後まで保たない……」

 

 ミラクルバードの推測通り、一度は先頭に立ったそのウマ娘は第2コーナーを廻るころには様子が怪しくなり、早々にアップショットへ先頭を明け渡すことになった。

 そうしてレースの大勢(たいせい)が固まってゆく。

 

「セントホウヤは3番手、か……」

 

 逃げるアップショットを追う位置として悪くはないのかもしれない。

 しかしその意識は、先頭のアップショットを追うというものではなく、中段の8番手という良い位置につけて様子をうかがうオラシオンに追いつかれまいと急いているようにさえ見えた。

 オラシオンの中段待機とその位置は普段通り。その展開にはオレもホッとしていた。この後も余計なことが起きないでくれ、と祈りたくなる。

 

「調整失敗の上に余裕がない……セントホウヤは厳しいね」

「ああ。下手にオラシオンに絡まず、素直に下がっていって欲しいところだな」

「え? トレーナー?」

「あ、ああ。すまない……」

 

 オレの口からついて出た言葉に驚いたミラクルバードがこちらを見ていた。

 別にセントホウヤに悪いイメージはないが、そのトレーナーのイメージから往生際悪くなにか妨害じみたことをしでかすんじゃないか、なんてことを考えてしまっていた。

 セントホウヤ自身は高飛車な面はあっても、根は素直な努力家だということは知っている。

 変なことを疑ってすまなかった、とセントホウヤに心の中で謝っておく。

 そうしている間にも、レースは進む……

 

「……でも、ペースが遅いね。ひょっとしたら逃げられちゃうかも」

「初めての逃げとは思えないくらい上手いな、アップショットは」

 

 ここまで無理した様子もなく、自分のペースで逃げているとオレは思った。

 興奮した他のウマ娘にペースを乱されても仕方がないような展開だったが、それを気にせず走っているあたり、かなり冷静だ。

 オラシオンも良い位置で走っているが、あまりにアップショットに気持ちよく逃げさせるのは正直面白くない。

 だが……オラシオンのさらに後ろには、気になるウマ娘がじっと彼女をマークするように走っていた。

 

「巽見のところの、ロベルトダッシュ……」

 

 オラシオンの2バ身後方の位置にいる。

 彼女がなぜその位置にいるのか、そこでなにをしようというのか、その意図はオレには見えていた。

 

「……やっぱり、巽見は気づいていたか」

「え? なんのこと?」

「ロベルトダッシュだ。オラシオンの右後方に付けてやがる」

「うん、そうだね。でも、それがどうしたの?」

 

 ロベルトダッシュも逃げや先行といった前でレースをするタイプのウマ娘じゃない。

 だからそこにいるのは別に不思議はない、ミラクルバードはそう思ったんだろう。

 

「最後の直線で内につけ、オラシオンを追い出すつもりだろう。内にヨレたら進路妨害を取られかねないところで走り、プレッシャーを与え続ける。イヤらしい走り方をする」

 

 だが効果的なのは間違いない。

 そしてオラシオン自身もその狙いに気づいているはずだ。

 後ろから追い上げられれば悪癖が出かねない。今までなら意識せざるを得ないところだが……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「我慢……我慢だ、クロ……」

 

 お世話になっている乾井トレーナーと、サポート科の先輩ウマ娘であるミラクルバードさんと並んで、僕はレースを見守っていた。

 その周辺には、チーム〈アクルックス〉の他のメンバーが共に祈るようにレースを見ている。

 

「ふ~ん、なるほど……ねぇ」

「どうしたのよ、ロンマン?」

「あ、ダイユウ姐さん。いやね、他の人のレースを見るのも結構参考になるな、と思いまして……」

「そう? シオンの走りを見ても、参考にならないんじゃない?」

 

 ダイユウサクさんが自虐的に苦笑して、「アタシらみたいなのとは次元が違いすぎるから」と言うと、オラシオンの同学年のロンマンガンもつられて苦笑する。

 

「ま、そうなんスけどね。だから他のウマ娘の動き見てると、どうやってシオンに対抗しようとしてるのかなんとなく分かるし、それがどれだけ有効になりそうなのかも分かるっていうか……」

「へぇ、ロンちゃんってそんなことまで考えてレース見てるの~? スゴいね!」

 

 二人の会話を聞いていたサンドピアリスさんが屈託のない笑顔を浮かべています。

 

「ちょっと、いろいろ考えさせられることがあったからね。でもピアリス、アンタもあっしと同じ穴のムジナなんだから、ただ見てるんじゃなくて、ちゃんとレースをよく()て色んなことを考えないとダメだぞ?」

「えっと……うん?」

 

 ロンマンガンの言っている意図がよく分からず首を傾げるサンドピアリスを見て、ロンマンガンは丁寧に解説をしてあげていた。

 解説をすることで、自分の理解を確認しようという意図もあるようだけど……ロンマンガンは最近、変わった気がする。

 以前よりも研究熱心になった……というよりも、競走に対する姿勢に真剣味が増した気がする。

 

(間違いなく、クロの影響を受けている)

 

 クロ──オラシオンが祈るだけでなく、瞑想するようにレースのシミュレーションをしており、それを正確に行うために出走するウマ娘達のこともよく調べている、という話をロンマンガンが聞いてから、彼女の意識も変わったように思えた。

 

(もしかしたら……)

 

 そのせいなのか、ロンマンガンの走りが最近よくなって、記録も伸びてきているという話も聞く。

 乾井トレーナーも、「皐月賞は間に合わなかったが、ダービーには挑戦させたい」とハッキリ言うくらいになっていた。

 もしも彼女がダービーに出れば、その制覇を目標にしているオラシオンとは争うことになる。

 

(その実現のためにも──)

 

 皐月賞の成績上位者は、ダービーへの出走権を得ることができる。

 

(その勝利のためにも──)

 

 この皐月賞という大舞台で実力を見せつけ、ライバルを畏怖させることができればそれは精神的プレッシャーを相手に与えることができる。

 

(だからこそ、クロ。今は我慢だ……)

 

 乾井トレーナーからの指示で、今回のレースは仕掛けを遅らせるように言われている。

 それは彼女の集中力を高めるためでもあるが、今までのレースを見てトレーナーはオラシオンの仕掛けが早すぎると思っていたらしい。

 

『まるで最後の直線全部がゴールだと思ってるんじゃないのか?』

 

 ──というくらいに、焦っているように見えたそうだ。

 仕掛けるタイミングを遅らせ、スパートの時間をできるだけ短くする。

 そうすることでより力をより集中させることができて、短時間で爆発的な加速ができるようになる。

 

(それがトレーナー達の言う《領域(ゾーン)》に入る、ってことなんだろうか?)

 

 確かに超常じみた脚力を発揮するウマ娘は、数えるほどしかいないが確かにいる。

 彼女たちのそれをオラシオンも発揮できるようになれば──間違いなく世代の頂点になることができるだろう。

 ただ、不安もある。

 

(爆発的な加速……)

 

 それを聞いて思い浮かべるのは、やはり有記念でのダイユウサクの走り。

 最強ステイヤーを越えたあの走りこそ、まさに超常じみた爆発的な加速だった。

 だが、それを発揮したダイユウサクは……その後のレースで同じ走りどころか、それまでのような走りさえも難しくなっているようだった。

 

(もしも代償を払うようなものであれば、クロにそんなことをさせるわけにいかないけど)

 

 たとえそれが師匠である乾井トレーナーの指示だろうとも、ウマ娘を潰すような走りをさせるわけにはいかなかった。

 乾井トレーナー曰く、「ダイユウサクのは完全なものではなく、条件が重なってできた一過性のもので、無理に発動したからこうなった」「オラシオンなら実力でその境地に達することができるはずで、完全制御した《領域(ゾーン)》であれば後遺症はない」とのこと。

 そう言われても不安だったけど、シンボリルドルフ会長を例に出され、「彼女は何度も結果を残している」と言われれば、“一発屋”と“七冠”を比べて、なるほどと納得できた。

 

(でも、本当にクロにその才能があるのか……)

 

 その証明のためにも、普段をさらに越えた集中力で《領域(ゾーン)》の世界へと踏み込まなければならない。

 

(だから今は、我慢だ!)

 

 四六時中彼女を見ていたからこそ分かる。

 彼女はトレーナーの指示を忠実に守って、前に行きたい気持ちをグッと抑えながら走っている。

 口や態度は素直とは言えないが、それでも乾井トレーナーをオラシオンは信頼している。

 僕の目にはそう見えていた。

 

 ──レースは佳境を迎えようとしていた。

 




◆解説◆

【──黒い風(2)】
・前回参照。

中山の直線が短いのは常識
・主にゲーム版ウマ娘の実況のせい。
・実際には、函館・札幌・小倉・福島といったレッツゴーターキンが馴染んでいた地方の競馬場の方が短かったりします。
・しかしGⅠが開催される中央の競馬場では最短の310メートル。
・でもこれは、京都の内回りと18メートルしか違わないのですが……ただ、中山の直線はそこに急な登り坂があるので、それが差を詰めるのが難しいのに拍車をかけています。
・なお、地方の中でも新潟だけは例外で内回りは359メートル、そして外回りはJRA最長の659メートルを誇ります。

今まで逃げた経験はなかった
・突然出てきたアップショットというウマ娘に、経験云々もなにもないだろ、とお思いかもしれません。
・でも、実際に小説『優駿』で、アップショットは皐月賞でそれまで影も形もなかったのに、いきなり出てくる競走馬なんですよね。
・で、展開も同じように“初めての逃げ”をやるわけでして……


※次回の更新は9月6日の予定です。  

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