見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──時は5月になっていた。

 4月から5月にかけてあったのは、4月の末にロンマンガンが勝利を飾ってダービーへの登録ができるようになり、それを済ませたことくらいだ。
 あとはそのトライアルレースの結果や抽選次第、ということになるが、ロンマンガンにもダービーへの道は残されている。
 他の二人──オラシオンとサンドピアリスについてはゴールデンウィークの末日である日曜日にレースがあった。
 オラシオンはNHK杯。
 そしてサンドピアリスは同じ日に京都で開催されるクラシック特別だった。


 そして、結局は予定通りにNHK杯に出走したオラシオンは──人気のままに1着でゴール板の前を駆け抜けたのだった。



第60R “その日の“競走(レース)”が終わったら──”

 

 GⅡとはいえ観客の数は多く、盛り上がる東京レース場。

 その歓声にゴール直後の私──オラシオンは速度を落として走りながら、手を振って応えました。

 応援してもらえることは、本当にありがたいことです。

 一番人気は、自分に期待してくれているということでもあるしそれに応えなければならないという使命感を強く感じます。

 なにより、最近は“誰かの思いを受けて走る”ということが、私にとっての天命のように思えているからでした。

 そうして、私の勝利を願ってくださった皆さんに対し、お礼を返すのは当然のこと。

 私が観客席に一礼すると、さらにワッと一段と大きな歓声が巻きおこりました。

 

「次のダービーでも、これに応えないと……」

 

 場所こそ同じですが、今度はGⅠレース。

 しかも八大競走の一角であり、一生に一度しか挑戦できず、競走ウマ娘全ての憧れと言っても過言ではないレース。

 

 ──日本ダービー

 

 もちろん私もその例に違わず、このレースを目標に今まできたのですから。

 不謹慎ではありますけど、今日のこのレースに出走したのも、次への試金石という側面も強いものでした。

 東京レース場や、左回りという未経験だったものを“レース本番”で体験させるため。

 トレーナーはそう考えていたようです。

 そして私も──

 

(“領域(ゾーン)”……今回もまた、同じ感覚に踏みいることができました)

 

 おそらく皐月賞の前にトレーナーやミラクルバード先輩がいっていた、普通の感覚とは明らかに異なる超集中状態。

 皐月賞で至ったその感覚に、再度挑戦する──私としては、こちらの意味合いの方が大きかったのです。

 そして無事にその目的は果たすことができました。

 

(セントホウヤもアップショットも、ロベルトダッシュもいませんでしたが……それでも、できたのは収穫です)

 

 強敵との競い合いという状況がなければできないという恐れもあったのですが、今日のレースには彼女たちはいませんでした。

 ダービーへの切符を得ている彼女たちはこのレースに出走しなかったため、ライバル不在ということになり──私は逆にその状況を利用したのです。

 

(トレーナーさんの話では、本当に上位(トップ)のウマ娘は、これを自在に使いこなしてくる、ということですからね)

 

 もっとも、その時に彼が挙げた名前は《皇帝(シンボリルドルフ)》やら《白い稲妻(タマモクロス)》やら《怪物(オグリキャップ)》といったとんでもない実績を持つ先輩や、現役でも《最強ステイヤー(メジロマックイーン)》みたいな恐ろしい強さを持つ方達ばかりでしたけど。

 

「これで準備は万端……」

 

 ダービーに向けて、最高の武器が使()()()ことが確認できた私は、さらに自信をを強くして「これなら勝てる」という確信に近いものを感じていたのです。

 

 

 ──誤算が生じ始めていたことに気づくこともなく。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「やっぱり、戸惑いはあったようだね。クロ……」

 

 NHK杯をオラシオンが制し、場内が熱気に包まれるのとは対照的に僕は冷静に彼女が歓声に応えて手を振る様子を見ていた。

 結果を見れば、2着を3バ身も離した圧勝。

 しかし、レースの前半から中盤にかけては初めてのコース、初めての左回りへの不慣れさによるものか、まごつきが見て取れたのだ。

 それでも中段に位置していたオラシオンは徐々に位置を上げて、最後の直線でグンと加速して先頭に立ち、そのまま他を寄せ付けずにゴールしている。

 

「NHK杯に出走させたトレーナー(先生)の差配は間違ってなかった……」

 

 正直な話、オラシオンをNHK杯へ出走させることは反対だった。

 それを先生──乾井トレーナーにも意見として言っていたんだ。

 かといって無碍に却下されたわけでもなかったけど……その反応を見る限り、先生にも迷いはあったんだと思う。

 学園同科の先輩であるミラクルバードさんを入れた3人によるチーム内での意見交換で僕は反対の立場をとった。

 なぜなら──

 

『オラシオンを走らせすぎです』

 

 昨年の11月にデビューして、12月の阪神ジュニアステークス。

 今年の1月のシンザン記念。

 2月に出走はなかったものの、3月にはスプリングステークス。

 そして4月に皐月賞。

 5月には今回のNHK杯に加え、本番であるダービーが待ち受けている。

 

『特にスプリングステークスからの連戦を考えたら、他の陣営と同じようにNHK杯は避けるべきだと思います』

『ああ。オレもそれは分かっている。けどなぁ……』

 

 悩ましげに頭を掻く乾井トレーナーの姿に、その苦悩がよく分かった。

 本音を言えば、先生もやっぱり休ませたかったのだと思ってる。

 

『オラシオンがダイナとかダイユウサクみたいな性格だったら、それで構わなかったんだ』

 

 先生が気にしたのはクロ──オラシオンの性格だった。

 根が真面目、と先生は評している。しかしレースにかける情熱は他のウマ娘の比ではない、とも。

 真面目ということは真摯であり、そこにレースへの情熱が加われば周囲が見えないほどに没頭してしまうことになる。

 それゆえにことレースに関することなら些細なことも気になってしまうし、本番のレースまでにイメージトレーニングを大事にして何度も繰り返している。

 

『東京レース場で本番のレース経験がなければ、やはり情報の精度が落ちると思わないか?』

 

 細かいことを気にしない〈アクルックス〉所属の2人のウマ娘──かたや豪放な性格がその原因のギャロップダイナさん、かたや他への無関心が原因のダイユウサクさん──なら、初めての環境への適応力は高いだろう。

 実際、ダイユウサクさんは初めての中山で有記念を制しているし。

 しかし細かい性格をしているウマ娘はそれで集中を欠く可能性もあった。

 

(その辺りは、気が小さかったターキンさんに近いかもしれない)

 

 去年まで所属していたレッツゴーターキンさんは、些細なことに驚いてビクッとするほどだった。

 それには先生も苦労していたけど、でもその経験があったからこそオラシオンの性格を気にすることができたのだと思う。

 結局は、先生が気にしたその懸念から、NHK杯への出走は決まった。

 なにより、確認したオラシオンが「走りたい」と言ったのが大きい。

 ただ、やはり気になるのである。

 

(やっぱり、体への負担は大きかったと思う)

 

 もちろん怪我を含めて、走り方におかしなところがあったわけではない。

 しかしデビューからここまでレースがなかったのは2月のみで、とくにスプリングステークスと皐月賞は強いライバルの存在もあって過酷なレースが続いた。

 その疲れが体に残っていないはずがないのだ。

 確かに今日のNHK杯は彼女たちが避けたために、連勝中の大本命オラシオンに対抗する者が不在のレースだった。

 まだ出走を確定させられずダービーへの優先出走権を求めたウマ娘達が()()となってオラシオンの連勝を阻めるか、というのが見所と言われてしまっていたほどだ。

 

(でも、逆に言えば今日のレース、もしもセントホウヤ達が出走していたら危なかったかもしれない)

 

 スプリングステークスであと一歩のところまで追い込んできたセントホウヤ。

 皐月賞では先頭に立ち、オラシオン以外には抜かれなかったアップショット。

 同じく皐月賞では不気味な存在感を出していたロベルトダッシュ。

 もしも彼女たちが出ていたら、不慣れな状態でまごついたオラシオンの隙を見逃さなかっただろう。

 

(苦戦したなら、クロはもっと無理をしていたはず)

 

 体への負担が最小限で済んだという面では、彼女たち全員がそろってNHK杯を回避してくれたのは助かった。

 だが、それはそれで、余裕を持って体調を整えられた彼女たちと中2週というスケジュールで戦わなければならないという不安が出てくる。

 だからこそ──

 

(……もう、いいんじゃないか

 

 自分の心の中に、ほんの少しなものの、そういった気持ちがあるのを意識できた。

 オラシオンはここまで7戦6勝。

 その中でGⅠとGⅡを2勝ずつしている。たとえダービーを取らずとも立派な戦績だ。

 

(もう走らせたくない。もういい。もう充分だ……)

 

 僕は自分の頭の中に奇妙な狼狽と、不吉な予兆がもたげてきているのを感じていた。

 ここまで走り詰めな上に、さらなる無理をするであろうダービー。

 彼女(オラシオン)の体はそれに耐えきれるだろうか? ゴールまで保つだろうか?

 NHK杯を回避しなかったことで、余計に不安が膨らむのだ。

 

(もしかしたら……)

 

 実力が十分に発揮できずに苦戦し、先生やミラクルバードさんの言う“領域(ゾーン)”へと至れなかった場合、それまで出ていた彼女の悪癖である“ヨレ”が出てしまうのではないか。

 もしそこへ、レース中に鎬を削っていたライバルが突っ込んできたら……

 

(ミラクルバード事件の二の舞に、なんてこともありうる)

 

 それよりももっと単純に、ゴールまでの間に彼女の脚が限界を超えて耐えきれなくなったとしたら──脳裏には今まで見てきた様々なウマ娘の姿が()ぎる。

 例えば、ダイユウサクさんの有記念の前週開催だった、スプリングステークスでのケイエスミラクルのような……

 それらのシーンを思い出して、思わず身震いしてしまう。

 

(確かにウマ娘競走(レース)では脚の怪我はつきものと言えるけど……)

 

 それが身近なウマ娘──幼なじみであるクロに襲いかかるのは、とても恐ろしいことだった。

 怪我で苦しむ姿を見たくない。

 もしも、ミラクルバードさんのように体が不自由になってしまったら。

 それらの懸念を考えると、ダービーへの出走が怖くなってきたのだ。

 

(ダービー制覇は、クロの夢だから……)

 

 いや、彼女のものだけではない。

 彼女の養父の夢もかかっている。

 ダービー制覇の栄誉は、トレーナーにとっても大きいものなのも間違いない。

 三冠を期待されたものの走れなくなってしまった旧知のウマ娘(ミラクルバード)の果たせなかった夢も背負っている。

 それだけじゃない。顔も知らぬ大勢のファン達がオラシオンのダービー制覇に、クラシックレースの二冠めに期待をかけているのである。

 そしてそれに続いて秋のもう一つも制し、新たな三冠ウマ娘の誕生を。

 

(それでも、僕は……)

 

 それを承知し、理解していても──競走ウマ娘“オラシオン”ではなく、幼なじみの“クロ”の身を案じてしまうのだった。

 だが、もちろん……ダービーに向かって動く大きな歯車を、ちっぽけな自分のワガママで止められるはずもない。

 

(僕にできることは、彼女自身の体調を最大限に気遣って……あとは無事を祈ることしか、ない)

 

 彼女の気性を考えれば、勝利のために体を顧みないことは明らかだった。

 そんな自身にさえ気にかけてもらえない体を少しでも回復させて、万全に近づけて本番を迎えさせる。

 そうして無事にゴールさせる。

 

 ……それこそ僕に与えられた使命だろう。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 一方、京都はどうなったかといえば──

 

 スタート前の走路でウォーミングアップをしているピアリスに、柵を越えたギャロップダイナが話しかけていた。

 

「どうだピアリス、調子は?」

「うん、いいよー! でも、なんかみんなピリピリしてる感じだけど……」

「ああ、そいつは仕方ねえな。ダービーへの出走を賭けてるヤツもいるし」

「え? そうなの? じゃあこれに勝ったらわたしも、オークスに出られる?」

「そいつはちょっと間に合わねえな。オークスまでは中一週だからなぁ」

 

 そう言って目を輝かせるサンドピアリスに、ギャロップダイナは苦笑するしかなかった。

 ただでさえ、今日開催されるNHK杯とダービーの間隔が短いので、オラシオンを走らせるか迷ったくらいである。ダービーの前の週に開催されるオークスに間に合わないのは明らかだった。

 その証拠に、今回のレースに出走しているメンバーで、トリプルティアラ志望のウマ娘はピアリスの他は一人しかいない。

 

「なぁ、ピアリス……今日のレース、結果は気にしなくていいからな」

「え……? どういうこと?」

「順位を気にせずに、楽しんで走ってこい。このレース場の、芝のコースを目一杯楽しんで……しっかり心に刻んでこい。コースの一切合切を、な」

「へ?」

 

 いつの間にか──ギャロップダイナの目は、優しげな笑みから真剣なものへと変わっていた。

 

「まだ、トリプルティアラへの夢は捨ててないんだよな?」

「うん。もちろん! カグラちゃんやカラーちゃん、モンちゃんと一緒に走りたいもん」

 

 彼女の挙げたシャダイカグラ、ライトカラー、メジロモントレーはいずれもオークスに出走する予定のウマ娘。

 彼女たちの中に入り、一緒にレースを走りたいというのは素直な憧れなのだろう。

 そして、サンドピアリスはもう何をどうしてもオークスには間に合わない。

 だったら……

 

「それなら今日の経験は必ず宝になる。だから何位でもかまわねえ。ただこの舞台をしっかりと心に刻むんだ」

「……? えっと……よく、わからないんだけど……」

 

 困惑して見上げてくるピアリスを、ダイナは彼女の頭に手を乗せて少し乱暴に撫でてやる。

 

「今はわからなくていい。しっかりと隅々まで記憶して来るんだ。あとで今日の競走(こと)を鮮明に思い出せるくらいにな」

「うん。わかった」

 

 笑顔で素直にうなずくサンドピアリス。

 彼女は目にはまったく疑いの目がない。自分に全幅の信頼を置いてくれているから──とは思うのだが、そのあまりの素直さに不安を感じないわけではなかった。

 

(駆け引きをやらせるのはまだ難しいな。だからこそ……今日は走るだけでいいんだ)

 

 そんなダイナの意を汲んだように、サンドピアリスは他のウマ娘の影響を避けるかのように前に位置して走った。

 そうして道中は2番手を維持していたが……最後には他のウマ娘に追いつかれて8着という結果。

 またしても芝では結果が出せなかったわけだが……それでもギャロップダイナは満足げにうなずいていた。

 

 

 ──なぜなら彼女の目的は、達成できていたのだから。

 




◆解説◆

【“その日の“競走(レース)”が終わったら──”】
・今回のタイトル、久しぶりに『馬の祈り』という詩の翻訳から
・原文は、“And when the day’s work is done,(その日の“仕事”が終わったら、)”からで──
  “Provide me with a clean shelter, a clean dry bed(安心できるして休める住処と、)
  And a stall wide enough for me to lie down in comfort;(きれいな乾いたわらの寝床をください)
・──と繋がります。
・ウマ娘の“仕事”と言えば競走なので、そのように変更しています。
・今回の話は、どちらもその後の重要なレースにつながることになる話ですので、このようなタイトルになりました。

1着でゴール板の前を駆け抜けた
・え? あっさり決着つけ過ぎ?
・いやいや、小説『優駿』でもこのNHK杯のレース描写が全くなく、いきなりゴール直後から始まるんです。
・そういうわけで、どういう展開で勝ったのもよくわからない上に、出走メンバーもここまで物語に登場したライバルの姿はなく、掘り下げる必要はないと判断して、本作でも同様にスルーしました。

ケイエスミラクルのような
・ここではケイエスミラクルではなく、別の名前を出そうと思ったんです。
・例に出そうと思ったのは、同じ年にダイユウサクが走った大阪杯に出走して負傷したメルシーアトラの予定だったんですが……
・大阪杯のころは、まだオラシオンと渡海の二人はチームに入る前だったんですよね。
・そんなわけでメルシーアトラの印象は渡海にとって薄いものになってしまっていたはずで、それよりも別チームとはいえGⅠレースでの事故でしたのでケイエスミラクルを採用しています。

他は一人
・サンドピアリスが出走した第35回京都4歳特別は17頭立てでした。
・その中で牝馬だったのはサンドピアリスとサンフラワーマミーのみ。
・そんなサンフラワーマミーは、このレースでは16着と結果を残せませんでしたが、その後の夏レースにも出走し続けて9月終盤の条件戦で勝利。
・その後はローズステークス、エリザベス女王杯に出走しています。


※次回の更新は10月6日の予定です。  

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