──ダービー当日。
ごった返す
歓喜に思わず耳を動かしながら、私は老齢に達しているその男性に頭を下げる。
「お久しぶりです。御無沙汰しております、和具社長」
「ああ。久しぶりやな、ファーストワグ」
初めてお会いしたときよりもお年を召してたけど、その笑みから感じられる活力は衰えたようには思えません。
それを証明するように、その人は悪戯っぽく笑みを浮かべて私に言いました。
「元気そうでなによりだ。だが、一つ間違えとるぞ」
「え?」
「肩書き。もう社長と違う。
「あ……」
私としたことが、なんというミスを。相手は大恩ある方だというのに……
和具さんは呵々大笑して冗談めかしてくださったけれども、大変に失礼なことをしてしまった。
この方が心血注いで築き上げた会社だったというのに、今では名前を変えて他の会社の資本の下で経営されている。社長という地位を剥奪されたのは忸怩たる思いがあったでしょうに。
「し、失礼しました……」
「気にするな、気にするな。お前と俺の仲やないか。それにそんなに恐縮されたら指摘したこっちが困る。冗談言ったつもりだったのに俺がイヤミな爺さんみたいになってしまうわ」
そう言ってなおも笑ってくださる和具さん。
この目の前の人がまだ社長であり、そして好景気で会社も活況だったころに私のいた孤児院を社会貢献の一環として支援してくださったのが縁だった。
私の身体能力が優秀だったのを目にかけてくださり、中央トレセン学園への入学を支援していただいた。
(学園では、きわめて優秀な成績を収めたとは言えなかったけど……)
46戦6勝。それを含めて33戦で
和具さんにそれを見せたかったんだけど、その夢は後輩達に託している。
その最たる例こそ、今日、私と和具さんが
「忙しいところ、スマンな」
「いいえ、和具さんにとっては“娘”でしょうが、私にとっても大事な“妹”ですからね、彼女は」
そう言って私は微笑み、和具さんを見つめた。
より詳しく言えば──その手にしているものを、じっと見た。
「……ですから、そんな撒き餌を持ってこなくても、ちゃんと来ますよ」
「相変わらず目聡いヤツやな、お前は。とはいえ、何を持って行ったら喜ぶか考えなくていいのは助かるけどな」
私の視線を感じながら、和具さんは自身が持つ小さな箱を苦笑混じりに掲げた。
その中には間違いなくシュークリームが入っている、と私は確信している。
私の大好物を知っているこの人は、現役時代の激励や引退してからこうして会うときは必ず持ってきてくださるのだから。
受け取った箱の中に、想定通りのものが入っているのを確認すると、私は迷わずそれを口に運んだ。
「ここで食うのか?」
「ええ。この人混みで潰されてしまってはかないませんし、それに持っていても邪魔になってしまうでしょ?」
半ば呆れたように和具さんが言うのに答えながら、私が箱の中にあったシュークリームを次々と頬張っていく。
そうして呆然と見られていた私が食べ終えると、和具さんは苦笑を浮かべていた。
「それにしても……」
気を取り直して周囲へと視線を向ける。
トゥインクルシリーズファンからは“お祭り”とさえ呼ばれるダービーというイベントに際し、東京レース場の観客席はごった返していた。
そしてその人混みであふれる周囲を見渡せば──そのほとんどの人が彼女の名前を目にし、耳にし、話題にしている。
「まったく……一目見たときから、タダモノではないとは思うとったが、まさかこんなえらいことになるとはなァ」
「ええ。デビュー戦で負けたときはどうなることかと思いましたけど……」
その名前こそ、私の“妹”にして、和具さんの“娘”であるオラシオン。
ジュニアのGⅠを制し、クラシックレースでも皐月賞を1番人気で制し、さらには今日と同じレース場での開催であるNHK杯さえも制した彼女は不安材料もなく、ダントツの一番人気になっていた。
「いや、あそこで負けを経験させたからこそ今の強さがあるんや。負けを知らずに進んで無敗を気にしすぎたり、逆に他を
「そういう面では運が良かったのか、悪かったのか……」
確かに負けてもタダでは負けなかったという点では運が良かったのかもしれない。
でもやはり、競走ウマ娘にとって“無敗”はステータスになる。
こうしてオラシオンがクラシックレースで活躍すると、やはり“
「運は、良かったやろ。なにしろ
和具さんは冗談めかすように、そしてさも楽しげにそのチーム名を出した。
その気持ちは、分からないでもない。
名門出身でもなく、エリート街道からも外れた道を進んだ私にとっても、名門メジロ家のエースをグランプリの舞台で倒した下克上は、驚きとともに痛快でもあったんだから。
私達のようなウマ娘を支援してくださっている和具さんも同じだったのだろう。
「セントホウヤみたいにならなかったのは、幸いだったと思います」
「一歩間違えれば、そうなっていたかもしれんけどな」
「……そう、ですね」
私の言葉に、和具さんは深刻そうな顔でため息をついた。
それにつられそうになる私。
セントホウヤはジュニア期から無敗だったものの、スプリングステークスでオラシオンと直接対決して負けて以降、すっかりなりを潜めてしまっている。
本来の実力であればオラシオンを脅かす存在になりそうだったのに、今日もその人気はそこまで高くはなかった。
そしてそんなセントホウヤが所属したチームこそ、私が現役時代に所属したチーム〈ポルックス〉だった。
和具さんがその担当トレーナーと懇意にしていたこともあって所属したし、私の後輩もまたそのチームに入った。
「先代のトレーナーだったら、それでも構わなかったともいますが……」
現在の〈ポルックス〉のメイントレーナーは代替わりして、私が面倒を見ていただいたトレーナーはほぼ隠居状態。アドバイザーにはなっているもの後任者は好きなようにやっているらしく、あまりいい話は聞こえてこなかった。
「そうねぇ……ファースト
「うん、ウチもそう思うわぁ~」
「同意します」
──なんて言葉がすぐ側から聞こえ、私は驚きながら声の方を振り向いた。
「あ、あなた達……」
「スプリング、ドリーミィ、それにシルバーやないか。来とったのか?」
私と和具さんが驚いていると、3人のウマ娘はしてやったりと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「やっほ~、姉さん。それに、和具社長……」
「ドリーミィ
「って、シルバー。アンタも十分失礼よ!!」
のんびりとしたドリーミィ。それとは対照的に感情を余り表に出さないシルバー。そしてそんな二人にツッコむ常識人のスプリング。
同じ孤児院で育った、私の後輩ウマ娘達だ。
「あなた達も、オラシオンの応援に?」
「う~ん、本当はそうなんだけど~、建前は違うというか~」
「私達、悲しいことに所属は〈ポルックス〉……」
「そんなわけで一応、セントホウヤの応援ということになってるのよね」
スプリングが「あはは……」と申し訳なさそうに苦笑する。
「でも~、オラシオンが出るし、きっと和具社ちょ……さんが来ると思ったし~」
「
「……えっと、お二人が来てるんじゃないかなと思って、探してたのよ」
相変わらず苦労してフォローしている様子のスプリングがちょっと気の毒に思えて、私も思わず苦笑してしまう。
三人は「もちろん、気持ちはオラシオンを応援してるけど」と付け加える。
「ありがとな、三人とも。そんな無理をしてまでアイツのことを……」
「大丈夫~。今の私達はレース場内をさすらって~」
「チームメンバーとはぐれて」
「チームからはみ出しだってワケ。偶然、知り合いと会ったからそこで応援しても問題なしよ」
「あなた達ねぇ……」
そんな3人の様子に私は思わず笑ってしまう。
「ええやないか、ファースト。この広い観客席で会えたのも奇跡みたいなもんや。せっかくだから一緒に見て、アイツの勝利を祈ろうやないか」
そう私に言った和具さんの顔は──まるで久しぶりに集まった家族に囲まれたかのように、幸せそうだった。
「──大丈夫かい?」
出走時間までまだあるため、控え室で私──オラシオンは待機していました。
そして、つい先程までいたトレーナーがもう一人の出走者であるロンマンガンさんの控え室へと出ていったタイミングで、渡海さんが心配そうに声をかけてきたのです。
「なにが、ですか?」
「隠さなくてもいい。今まで付き合いも長いんだから、僕には分かってるよ」
そう言った渡海さんは──私の脚をチラッと見たのです。
「負傷などしていませんけど?」
「それも分かってる。検査はしっかりしているし、それは心配していない。でも……」
渡海さんは眉根を寄せつつ、真剣な目で私を見てきました。
「疲労は蓄積しているのは間違いない。
「そんなこと、ありません……」
思わず目を逸らしてしまい、私の答えがウソだと彼にはすぐに分かってしまったことでしょう。
彼の指摘通り、NHK杯での疲れがまだ足に残っていました。
もちろん調整も軽めに終始して、マッサージや食事等の考え得ることを全て試して疲労回復に努めたのですが……私の体は100パーセントには遠い状態でした。
「……NHK杯に出た意味はあります。やはり左回りのレースを経験できたのは大きいですから」
「そのせいで本来の力を出せなければ、本末転倒じゃないか」
小さくため息をつく渡海さん。小声で「今更言っても仕方がないけど……」と呟いているのが聞こえてきました。
トレーナーのNHK杯に出走するという方針に、もっとも強固に反対したのは渡海さんです。
だからこそ、反対どころか自ら進んで「出走したい」と言った私に少し呆れているのかもしれません。
「そうでもありませんよ。体が万全ではなくとも、頭の方は万全にできています。左回りの感覚、それに東京レース場の情報……それらを基に今の私の体調と照らし合わせて勝てるレースを組み立てればいいんですから」
左回りの感覚と、本番と同じ東京レース場の情報。それらを実感として得られたのが大きいことに嘘偽りはありません。
決して強がりではなく……
でも渡海さんはそれを聞いて再び小さくため息をつきました。そして改めて私をジッと見てきます。
「ねぇ、クロ……マスコミが言ってたNHK杯に出た理由、“ロンマンガンへの支援”というのは完全に的外れってわけじゃないんだろ?」
「突然、なにを──」
「キミはNHK杯に出れば、万全な体調でダービーを迎えられない可能性は分かっていたはずだ。もちろんNHK杯に出なければ、それはそれで情報面で万全ではない。どっちにしても、もしかすると……負けるかもしれない、そう思っていた」
「……あなたが尊敬してやまない乾井トレーナーはよく『ウマ娘競走に絶対はない』と言っていますからね。私だってどんなレースでも“絶対に勝てる”なんて考えません」
私が言うと、渡海さんは首を横に振ります。
「……だからこそ、だよ。だからこそキミはもしも自分が負けるとしたら、せめてチームメンバーにチャンスを、と思ったんじゃないのかい?」
「違いますよ。ええ。違います……」
そんな渡海さんに私は──苦笑を浮かべて、首を振りました。
「確かに渡海さんの言うとおり、ロンマンガンさんへの支援という気持ちが完全になかったか、と言えばそれは全く無いと否定できません」
「やっぱり……ね」
「でも、違うんです。彼女に機会を与えるなんて、そんな上から目線の、おこがましいものではありません」
私は目を閉じ、チームメイトで同期の、今度のダービーでともに走ることになったウマ娘の顔を思い浮かべました。
肩付近まで伸ばしたウェーブのかかった髪に、気怠げなタレ気味の目と、皮肉気な笑みがトレードマーク。そして、こと麻雀や賭事となると目の色が変わる……そんなウマ娘。
初めて会った──彼女の存在を認識した──のは〈アクルックス〉のチーム部屋でしたが、そのころの彼女は「GⅠをとれるような才能はないから、勝てなくても仕方ない」と斜に構えたところがありました。
正直……そんな彼女が、ダイユウサク先輩に憧れてチームに入ってきた、というのは思うところがありました。
あの人が歩んだ道は、チームに入る前のことだって知己だったミラクルバード先輩から、その努力と苦悩を聞いて知っていましたから。
あの有馬記念にたどり着くまで、どれだけ苦労したか。
あの奇跡の勝利は、あの方とトレーナーが積み重ねた努力の結晶なのです。
その勝利を見て憧れたのは分かります。
でも、「自分には才能はないけど──」と考えている姿勢は、努力を無視して「自分でも勝てる」と言っているように見えましたし、安易な考えだと思っていました。
(でも……彼女は、変わった)
私に対して宣言した「本気でクラシック三冠に挑む」という発言から、彼女は真摯に競走に向き合うようになっていました。
そんな彼女が、ダービーへの出走一歩手前までやってきていたんです。
その努力を間近で見ていたからこそ、チームメイトとして、応援したくなるのも無理はないじゃないですか。
(ううん、違う。私の本音は、それよりもなによりも──)
──生まれ変わった彼女と、戦いたい。
「ロンマンガンさんと競い合いたいと思ったからです。ダービーという大舞台で、本気で挑んでくる彼女と走りたい。それは同情とか安っぽい友情なんかじゃなくて……本気の真剣勝負をしたいんです」
「クロ……」
──あのトレーナーの指導を受け、そしてあのウマ娘が付きっきりになった
「渡海さん、貴方はきっと、ロンマンガンさんの実力では私に到底かなわないと思っているでしょう?」
「それは……」
「あのウマ娘がどこのチームに所属していると思っているんですか? 誰の薫陶を受けたと思っているんですか? 『
私は──まるでギャロップダイナ先輩やトレーナーように──ニヤリと笑みを浮かべて、私は言っていました。
「──そのウマ娘と、私は競いたい。」
有馬記念で見せた先輩のあの驚異的な力を、同じように発揮できる保証なんてまったくありませんけど──それでも私は、彼女と、本気で戦いたいと思ったんです。
「……なるほど、な」
私の吐露を聞いて、渡海さんはなんとも言えない複雑な表情を浮かべていました。
そして苦笑を浮かべ──
「まったく……そんなにしてまで、あの人に自分のことを見て欲しいのかな」
渡海さんはポツリと呟いて、ため息をつきました。
「え……?」
「いや、なんでもない。うん……キミの気持ちは分かったよ。だから──絶対に勝とう、今日のレース」
「ええ、もちろんです」
渡海さんの言葉に、私は力強く頷きました。
「もちろんキミに期待を寄せている和具さんや、夢へ挑戦の最中で走ることさえ奪われた
そこまで言って、渡海さんは視線を上げました。
そこは控え室の天井──さらにその上にある空を見つめるようにして──
「そして、誰よりも……キミがその場所に立つことを、一番喜んでくれているひとのためにも、ね」
「一番、喜んでいる?」
誰のことでしょうか?
直前に渡海さんが挙げた以上に、喜んでくれる人なんて心当たりがありませんが……
「ハナカゲさんだよ。キミの、お母さんの」
「あ……」
そうだ……そうでした。
私が幼いうちに亡くなってしまった、私の母。
記憶の中にその面影はほとんど残ってなくて、数少ない写真の映像のものしかその姿は覚えてないけど……
それでも──私の頭の中の母は、私に向かって微笑んでくれたんです。
(ああ、女神さま達よ。お許しください。今日は……今日だけは、あなた方にではなく別の存在に、私は祈りを捧げます)
私は思わず胸の前で手を組み、目を閉じていました。
亡き母よ、私の走りを照覧あれ……
ううん……違う。私が言いたいのは、そういう言葉じゃない。
お母さん、わたしの走る姿、見守っていて。
私、ぜったいに勝つから。
「なぁ、クロ……今日のレースが終われば、トレーナーはきっと夏休みをくれる。まず間違いなくね。秋のレースに向けて英気を養うために、体を休めるために。だから……報告しにいこう。ダービーに出走したんだ、ってさ」
遠い目をした渡海さんがそう言い、私も同じ気持ちになっていました。
思い浮かぶのは、あの故郷を流れる雄大な川の流れ──渡海さんと初めて会ったあの場所のこと。
それが私にとって、“祈りのウマ娘”としての原風景。
(あの場所に帰って、そして再び祈りを──)
亡き母は今でもあの場所で安らかに眠っている。そこで私は報告をする。
その時に最も良い報告ができるように、私は結果を残さなければならないのです。
(だからこそ、このレース……負けられません)
──そうして私は決意を新たに、控え室を後にした。
「ヘイ、雀ゴロ!」
「え? 何ですか誰ですか? 知らないカエル娘に話しかけられた。ヤダ怖い……」
「アンタなぁ……」
発走時間が迫る中、走路に出たあっしは、観客席の見覚えのあるウマ娘から話しかけられたんですけど──軽くあしらおうとしたら、恨みがましい目で見られました。
やれやれ、まったく何だってのよ。
「で、なんか用?」
「あのねぇ、人がせっかく激励しようと思って声かけたのに、そういう態度はなくない?」
そう言ってこめかみに青筋立てて、応援しにきたんだか怒ってんだかわからなくなってるのは、前走のレースで競った相手のブロンコキッドだった。
同期だから当然、このレースを目指していたんだけど──前走で負けたせいで残念ながらダービーには出走できなかったらしい。
ま、勝負の世界は非情だから仕方ないよね~。
それでも応援しに来てくれるのはありがたいけど……
「あ、ども。ありがとセンキュー。けど、あっしみたいなマイナーウマ娘じゃなくて、別のを応援した方がいいと思うわ。例えばその辺にいる、あんなヤツとか」
え? 態度に感謝が現れてない?
いや~、ほらこういう大舞台に慣れてないし、おまけに親戚とかチームメンバー以外の誰かに応援されるのも不慣れなわけで。
おまけにホラ、〈アクルックス〉の正統派としてはレース前に余り注目されたくないわけでして……思わず近くにいたウマ娘を指してしまった。
あ、でも失敗したわ。コレ──と、思わず親指で指したウマ娘を見て確信した。
「げッ、センコーラリアット……」
「あのねぇ、ロンマンガン。人に話を振って、『げッ』はないでしょ? 『げッ』は──」
「アンタも出てたの? ラリアット」
相手を無視してあっしが言ってやると、彼女は「キー!」と言わんばかりに逆上してきた。
「ちゃんとセレモニーから出てたわよ! あんたもいたでしょ?」
「いや~、ちょっと影が薄いウマ娘には気がつかなかったなぁ」」
「言わせておけば……今日こそあのときの恨み、晴らしてやるんだから!!」
「あのとき? いや、ちょっと覚えてないッスね」
「忘れんじゃないわよ! 皐月賞前に走ったでしょ? 今日こそそのリベンジをしてやるわ!!」
「あのぅ、盛り上がってるところ悪いんだけどさ……今日のレース、あっしなんざにかまけてる余裕、無いと思うけど?」
「……どういう意味よ?」
相変わらずくってかかってくるセンコーラリアットに対し、あっしはサッと指をさして示してあげる。
その指の先は──彼女の登場によって、ワッと一気に盛り上がる
修道服を模した勝負服の、ヴェールから覗く青鹿毛の黒髪。その前髪は白く綺麗な星形の模様が描かれている。
そのウマ娘は観客席の歓声に手を挙げて応じ、それから胸の前で手を組むとスッと膝を付き──祈りを捧げていた。
そんな彼女の姿に、センコーラリアットは思わず「う……」と言葉に詰まってる。
「これまで7戦6勝。で、6連勝中の今日のド本命……よそ見して勝てる相手じゃないんじゃないの?」
「お、オラシオンが何だっていうのさ! アンタに勝つついでに勝ってやるわ!」
「あのねぇ、オラシオンの方があっしよりもどう考えても強いでしょうが。動揺しすぎ」
「そうだぞ、ラリアット。アンタ、オラシオンと走ったことないだろ?」
変なことを言い出したセンコーラリアットに、傍で聞いていたブロンコキッドが口を挟んできた。
ああ、そう言えばこのウマ娘はオラシオンと走っていたっけ。
「マンガンと走ったときは稍重だったから、アタシは勝てなかった」
「ヲイ……」
いきなり事実をねじ曲げてきよった。
だけど、そんなあっしの抗議をブロンコキッドは完全にスルーしてくれた。
「で、オラシオンは雨の降る中での重バ場──不良と判断されてもおかしくないような中だったのに、まるで歯が立たなかった。こっちの独壇場だったはずなのに」
“足に水掻きが付いている”と言われるほどバ場状態が悪くなればなるほど速くなるという特異なウマ娘、ブロンコキッド。
その彼女に不良バ場で勝つのはかなり難しいこと。
良バ場なら十把一絡げのモブウマ娘でしかないが、バ場が荒れれば荒れるほど強くなり、それが不良バ場になれば他が能力を落とすこともあって相対的に一流級の強さを誇るほど。
しかし、そんな彼女にオラシオンは
「つまり、シオンに分からせられてしまった、と」
「言い方……」
あっしの確認に、ブロンコキッドは恨めしく、不満そうに睨んでくる。
それが否定で無いところを見ると、認識は当たってるらしい。
(ま、本番レースで走ってないって意味じゃ、あっしもラリアットと変わらないし)
違うのは、同じチームだからその実力をカンニングできたってこと。
確かにシオンはヤバい。ヤバいくらいに強い。
でも、今のシオンが調子を落としているのを知っているのは──NHK杯に出て疲れがたまっているだろうと予測する者はいても──数少ないはず。
(悪い中でも一流は帳尻合わせてくる、ってダイユウ姐さんが言ってたけど。シオンもそれをやれるのかどうか)
逆に言えば、あっしみたいなのはそこの隙をつく以外にないんだけど。
そう思って当の本人を見る。
彼女は片膝を付いて祈りを捧げ……やがて、組んでいた手を解き、スッと立ち上がる。
そして──
「ッ!」
彼女は、今まであっしが見たことのない表情で、チラッとこっちを見ていた。
練習中にはまったく見たことが無い、余裕のある勝ち気な笑み……のようにも見えたが、不思議とイヤミな感じはしなかった。
(お互い、死力を尽くしましょう)
そんな彼女の声が聞こえたような気がして……自分はそういうガラじゃないんだけど、と思ってつい苦笑してしまう。
「……シオンと正々堂々真っ向勝負なんて、勝てるわけ無いわ」
「じゃあ、どうするつもりよ、アンタは……」
「え?」
どうやら口にでていて、それを聞いたラリアットが訊いてきたらしい。
もちろん御丁寧に教えてやるほど、あっしは親切でも聖人君子でもない。
「ハッ……それを言うわけ無いでしょ? 自分が狙ってる役を始まる前にバラす雀士がいるわけねーのと同じよ」
「なッ……」
絶句するラリアットを見て、思わずニヤッと笑みを浮かべてしまった。
そんなあっしはもちろん、いくつか策は立ててきた。
そのどれが使える状況になるか、それともまったく全部使えずに捨て牌になって負けるか……
(やれること全部やって、それで結果がどうなるか……挑戦させてもらうわよ、シオン)
すでに視線を別に動かしていたオラシオンに向かって、あっしは少しだけ真剣な眼差しを向けた。
いつも垂れ目だの半眼だのと言われてるあっしだけど……こんな目をするのは、麻雀打つときくらいなんだから。
さぁ、シオン……挑ませてもらいますよ。
あとは出たとこ勝負、だけどね。
◆解説◆
【──長い流れ(1)】
・「長い流れ」は小説『優駿』の、オラシオンのダービーが描かれた章のタイトル。
・実は、展開が描かれなかったNHK杯のゴール後の様子が描かれているのも同じ章なのですが、そこはスルーしました。
・(1)となっていますが、実は現時点で書き終わっていないために、何話かかるかわかりません。
・ひょっとしたら2話で終わるかもしれないし、3話で終わるかもしれません。
・2話なら前後編、3話なら前中後編に後で変える予定です。
【ファーストワグ】
・第108話(第二章22話)で登場・解説済みの、オラシオンの姉代わりだったウマ娘。
・すでに中央シリーズからは引退しており、京都の大学に勤めています。
・元ネタが、和具社長の最初の持ち馬だからこういう名前なのですが、おかげで和具社長と血縁関係があるわけでもないのに名前にワグが付いているという変なことになっています。
・偶然の一致、ということで。あまり深く考えないでください。
・なお、その妹分たち3人も同様です。
【スプリング、ドリーミィ、それにシルバー】
・これまた↑と同じくすでに解説済みのオリジナルウマ娘。
・和具さんが支援して中央トレセン学園に入ったウマ娘たちで、それぞれ正式にはスプリングワグ、ドリーミィワグ、シルバーワグという名前です。
・さすがに「
・なお、この三人は今のトレーナーをよく思っていません。その理由は第108話(第二章22話)でのオラシオンの件とは別にあります。
・実は3人以外にもう一人、彼女たちと同じ施設出身のオラシオンの先輩にあたるウマ娘(たぶん、なんとかワグという名前だった)がいたのですが、彼女はレース中に負傷して競走ウマ娘の選手生命を絶たれ、引退して学園を去りました。
・そのときに、彼女に無茶をさせて出走を強行させたのが今のトレーナーであり、おかげで3人は不信感を募らせています。
・ただ、一流どころのウマ娘ではないので、移籍しようにもその先が見つからないだろうと、このチームに留まっていました。
・オラシンオンがチーム〈ポルックス〉に来なくてホッとしていたのは言うまでもありません。
・
・なお、その負傷したウマ娘も、モデルは小説『優駿』に出てきた競走馬。
・物語の最初の方でその存在が語られるのですが、和具社長が所有して最も期待していた競走馬(オラシオンを所有する前)だったのですが、早々に負傷して予後不良になってしまい、それで運がなくなったと思った和具社長は所有馬をすべて売り払って馬主をやめようとしていました。
・そこでオラシオンに出会うわけですが──といっても、オラシオンに会った後に事後的に語られる話ですけど。
・その競走馬の名前が出てこないので、本作でも名称を出せませんでした。
・……なお自分で書いておいてなんですが、個人的には“シルバー”という名前が、『最強出涸らし皇子の暗躍帝位争い 』の主人公を思い出してしまうのです。
【ハナカゲ】
・オラシオンの亡くなった母親。ウマ娘。
・渡海は、幼馴染なので名前やその姿を知っていたのです。
・モデルはやはり小説『優駿』で登場した。競走馬オラシオンの母馬ハナカゲ。
・ウマ娘では、母親とはいえウマ娘はたとえ“母親”と言えどもモデル馬の母にあたる牡馬のウマ娘が本当の母親にあたる──という描写はしません。
・新しめの世代だと母馬が実装してるウマ娘だったり、そのまた親が実装済みだったり……なんてことも起こりますし。
・オグリ世代とかなら、親世代がシービーとか、マルゼンスキーとかなので、その世代ならそこまで矛盾が出ないかもしれませんが、それでも明言されることはありません。
・ただ、オラシオンは『優駿』に登場する架空馬がモデルですし、その母親ももちろん架空馬ですので、あえて実際の母馬のウマ娘として出しました。
・なお、競走馬ハナカゲはエリザベス女王杯で1番人気、3着だったという成績で、ウマ娘も同様の成績を持っています。
・原作では、オラシオンを生んだ後、クラシックレースを迎える前に死んでしまいました。