見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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「ロベルトダッシュ、貴方が注意すべきなのはオラシオンだというのは、100人に聞けば100人がそうと答えるわ」
「当然や、そんなの」

 ダービーを前にしたトレーニングの最中、担当の巽見 涼子トレーナーはウチにそんなことを言ってきた。
 もちろん、そんなことは分かっとる。
 デビュー2戦目から負け無しの連勝中、おまけに阪神ジュニアも、皐月賞は本番と前哨戦含めて、さらには前走のNHK杯まで含めてすべて圧勝。ド本命間違いなしや。
 コレに警戒しないアホウなんか存在するはずがない。
 唯一の泣き所は、NHK杯に出走したせいで前走との間隔が中二週と近いことくらい。

「オラシオンが勝ったところで、誰も“吃驚(ビックリ)”なんてせんわ。〈アクルックス〉らしくもない。どんな突拍子もないことをしてくるか分からないのがあのチームやろ?」
「違うわよ」

 肩をすくめながら言ったウチの言葉に、涼子さんはキッパリと否定した。

「あのチームは、奇襲が得意なんじゃないのよ。金杯でも有記念でもダイユウサクは作戦を変えたりしていない。いつも通りの走りをして、いつも以上の実力を発揮して勝ってるだけ」
「いや、せやけど、レッツゴーターキンの秋の天皇賞(アキテン)は……」
「あのレースで奇策を仕掛けたのは、2着だったムービースターよ」

 涼子さんの言う通り、今まで後方でのレースばかりのムービースターが「前でレースをする」と宣言したせいで、確かに他のウマ娘達は動揺して、その結果がアレや。
 むしろ、レッツゴーターキンはその言葉にも、異常なハイペースにも動じなかったからこそ、最後の大外一気の末脚を発揮できたと言える。

「あの気弱そうな先輩が、よくもまぁ、マイペースに走れたもんや」
「そこよ、ロベ」
「……え?」

 涼子さんの指摘が予想外で、思わずトレーナーの方を見る。

「強いて言えば、それをさせた……あの豆腐メンタルのレッツゴーターキンに自分を見失わせずに走らせられたのが、あの“乾井(いぬい) 備丈(まさたけ)”という〈アクルックス〉のトレーナーの力なのよ」
「ってことはなんです? 《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の本当の力は、“思いもかけない奇策(マジック)”じゃなくて、むしろ()()()()()()()()()()()()ってことだとでも?」

 ウチの疑問に、涼子さんは複雑そうな表情で小首を傾げる。

「ちょっと違うわね。“ここぞという場面で、奇策に頼ることなく、実力以上の力を発揮させる”ってところかしら?」
「実力以上の力って……そんなん、オラシオンでやられたら勝ち目無いわ」
「じゃあ、あきらめる?」

 お手上げとばかりに両手を挙げると、涼子さんは挑発するように笑みを浮かべて訊いてきた。
 そないな質問、答えなんて決まっとるわ!

「んなわけないわ。走る前から諦めてたら勝てるもんも勝てなくなる。それに……涼子さんだって、負けてへんしな」
「私が?」
「ああ。コスモ先輩がオークス取れたのは、間違いなく涼子さんのおかげだって、本人から聞きましたわ」
「そんなこと……あれはコスモがキチンと実力を発揮できたからよ。その後に結果を残せなかったのは、私のせいだけど……」
「謙遜も、過ぎると美徳やなくて毒になるで、涼子さん。少なくともウチは、ダービーに挑戦できるまでに育て上げてくれたアンタには感謝しとるんやから」

 そう言うと、涼子さんは珍しく照れ笑いをした。

 ……乾井トレーナーは、こんな可愛い後輩トレーナーのどこが不満なんやろな?
 同じ部屋に長時間いて、惚れへんなんておかしいやろ。



第65R ──長い流れ(3)

 

「なッ……」

 

 ダービーはスタート直後から波乱尽くめやった。

 前走の皐月賞で“意外の逃げ”を打って2着に食い込んだアップショット。彼女は今回は最初から逃げ宣言をしていたんや。

 けど……出遅れるという大失敗を犯した。オマケにその善戦のせいで警戒され、なかなか前に出られへん様子。

 

「たとえ出られても、前回と違ってここで足を使わせられたら、厳しいで」

 

 スムーズにスタートして、ノーマークなためにスルスルと前に出られた皐月賞と今回ではなにもかもが違う。

 そうやってアップショットがまごついている間に──まるで前走(皐月賞)の彼女のように抜け出したウマ娘がいたのだ。

 

「なんやて!? ロンマンガン……やと!?」

 

 これには度肝を抜かれた。ハッキリ言って完全に想定外や。

 そもそもロンマンガンというウマ娘は、あまり印象に残ってない。

 確かに、日本ダービーのレース前セレモニーの会見で「上手いことしゃべるヤツがおるわ」くらいには思うとった。

 けど、その走りはと言えば……彼女は皐月賞に出走してもいなければ、その前哨戦(トライアル)にも出てないからよく分からん。

 ついでに言えばダービー(このレース)のトライアルにも出とらん。積み上げた成績と、あとは周囲の成績やらなんやらを加味した“運”でここへのキップを掴み取ったウマ娘や。

 

(ハッキリ言って印象はチーム〈アクルックス〉所属のウマ娘ってだけ。走りについては、よう分からん……)

 

 学園生活では“走る雀ゴロ”の異名を持つほどの麻雀狂いで、その腕前はプロ級じゃないか、と密かに噂されている。

 おかげで賭事が好きなはずのウマ娘からは「勝てないと分かり切ってる勝負は賭事にならねえ」と麻雀での勝負は避けられているほど。

 

(“走る”ことよりも“麻雀”の方が目の色が変わる……なんて話、この場じゃあ何にも役に立たんわ!!)

 

 あぁ、頭抱えたいわ。情報少なすぎる。

 その彼女の数少ない話題に上ったレースの一つが、皐月賞前に彼女が勝ったそれ。

 中山で開催されたそれに出走していたメンバーの中には、今日のレース(ダービー)にも出走しとるセンコーラリアットと、その時に勝てば皐月賞にも出られたのもあって終盤の進路妨害を巡って一悶着あったこと。

 

(あとは、ダービー出走へのキップを手にした、京都でのレースくらいやけど……確かどっちも逃げじゃなかったはずや)

 

 逃げていれば、センコーラリアットとは喧嘩にはなってないだろう。

 だとすれば──

 

(これは意表を突いた“奇策”? けど、こんなん皐月賞のアップショットの二番煎じやないか)

 

 同時に、涼子さんが言っていた言葉が思い出される。

 ロンマンガンもまたオラシオンと同じ〈アクルックス〉のウマ娘や。しかし──

 

「“奇策”に頼るのは、〈アクルックス〉の流儀に反するやろ……」

 

 そんなことで世間様を“吃驚(びっくり)”させるのは明らかに作戦ミスや。

 あの時、涼子さんが言っていたのは「あの人は、普段使わない“奇策”で驚かせるような走りはさせないわ。“できない”ことをさせれば結果が伴わないのは分かり切ってるはずだから」と言うとった。

 

「逃げるはずのアップショットが行かへんから、代わりに行けるとでも思ったんか?」

 

 そんな展開で、ロンマンガンはつい“懸かって”前に出た。ウチはそう判断した。

 ゆえに、放っとけばいずれ潰れる。

 コイツがどんなに前に行こうとも、関係ない。そんなことよりも──

 

「注意すべきは、オラシオンや……」

 

 そのオラシオンの位置は、前から5、6番目といういつものポジション。

 そしてウチは──皐月賞と同じように、彼女のすぐ後ろでピタリとマークしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……なに、あれ? 先輩の指示?」

 

 だとすれば不可解だわ、と私──巽見 涼子は思っていた。

 出遅れた逃げ宣言のアップショットを見て、その役目を代わるかのように先頭に立ったウマ娘がいた。

 別に、そのこと自体はおかしいわけでも何でもない。私が確認しているデータ上でも“逃げ”で勝った経験のあるウマ娘は他にもいたんだし。

 でも……

 

「ロンマンガンが、“逃げ”るだなんて……」

 

 先頭を切るのはロンマンガンというウマ娘。

 今回の競走(ダービー)でもっとも注目を集めているのはオラシオンで間違いない。二番目は私が担当しているロベルトダッシュで、その次がスプリングステークスでオラシオンに負けるまでは無敗で世代最強の呼び声も高かったセントホウヤ。

 さらには皐月賞で2着に入ったアップショット……といった面子までなら、オラシオン人気で中央(トゥインクル)シリーズで興味を持ったファンでも知っている。実際、先日に見た昼間の情報番組の特集でもその辺りまでは紹介してた。

 彼女たちは皆、皐月賞での結果でこのダービーへの出走権を得たメンバーでもある。

 そして、もちろん他のダービーのトライアルレースで出走権を得たウマ娘も出走している。

 

(例えば、センコーラリアット……)

 

 今は集団の中で待機している彼女は、皐月賞の直前のレースに勝てずにそこへ出走できなかった。

 その悔しさをバネに、別のトライアルレースで結果を出してこの大舞台へとたどり着いている。

 そんなセンコーラリアットが皐月賞へ出る夢を打ち砕いたウマ娘こそ、今先頭に立っているロンマンガン。

 

「だから、弱いウマ娘なんかじゃないわ。でも……」

 

 そもそも弱いウマ娘であれば、このダービーの舞台には立てない。

 確かにトライアルレースで優先出走権を勝ち取ってきたウマ娘ではないけど、重ねた戦績と、優先出走以外という枠をくぐり抜ける運も持ち合わせている。

 だけど、その戦績には──

 

「彼女には“逃げ”ての勝利は無い」

 

 ほとんど話題にもなっていなかった彼女の戦績をじっくりと調べて把握してしたのなんて、彼女の担当を除けば私くらいかもしれない。

 でもその“担当”こそ、私がロンマンガンというウマ娘を警戒させる最大の要因だった。

 

「先輩……《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》らしくもない……そんな“奇襲”を使うだなんて」

 

 逃げウマ娘でもないロンマンガンに、この大舞台の本番で逃げさせるだなんて、本当にあの人らしくなかった。

 あの人が世間を“びっくり”させるのは結果であって、その過程はその異名とは裏腹に堅実な走り方をさせている。

 

「さらに言えば、あのチームには“逃げ”を得意にしていたウマ娘もいない」

 

 “皇帝を泣かせた”ギャロップダイナも、同じく秋の天皇賞を制したレッツゴーターキンも、中段から後方に待機して末脚で勝負するウマ娘だった。

 私が担当していたコスモドリームの従姉妹のダイユウサクはオールラウンダー気味で先行から中段待機の走り方をしていたけど、“逃げ”をこなしていた記憶はない。

 負傷してサポート要員としてチームに所属しているミラクルバードでさえ違う。

 

(もっとも、もし彼女が逃げウマ娘だったら、今みたいなことになっていなかったかもしれないけど)

 

 彼女が4戦4勝で挑んだ皐月賞で起こった接触事故。

 二番手集団にいた彼女が外へヨレて、抜こうと上がってきた他のウマ娘と激しくぶつかり……結果、下半身不随となって競走の道を諦めざるをえなくなっている。

 逃げの脚質だったら、その事件は起こりえなかったでしょうね。

 

「だとすると……」

 

 このロンマンガンの“逃げ”にはどんな意味があるのか。

 いくつか思いついた中で有力なのは、同じチームのオラシオンに対する援護の可能性。

 圧倒的一番人気で、ライバル達の注目と警戒を一身に集めるオラシオン。

 先行から中段での位置で待機するのが彼女の走り方であり、レースの中心に位置するその走り方は当然、多数の目を集めることになる。

 しかし、前回と同じようにアップショットが逃げたのなら──2着という皐月賞の結果を踏まえれば、当然に他のウマ娘達は警戒せざるをえなくなる。

 確かにそんなアップショットをものともしなかったオラシオンの強さは、どのウマ娘でも怖い。

 でも、逃げるウマ娘を放置して好きに走らせてしまうと……もしもオラシオンが間に合わなければ、という疑念も生まれる。

 ましてアップショットは皐月賞ではオラシオンに次ぐ2着。オラシオンだけでなく、アップショットにも勝たなければダービーウマ娘の栄冠は勝ち取れない。

 

(そのアップショットがスタートに失敗して、逃げられなくなった)

 

 たとえそこから逃げの位置につけたとしても、そこまでに使う脚を考えれば、皐月賞での脅威は格段に落ちる。

 やはり警戒すべきはオラシオン──となる場面で、まるで皐月賞を彷彿とさせる場面が現れたら、他のウマ娘はどう思うだろうか?

 

(警戒するわ。普通なら……)

 

 そうなれば、オラシオンに対するその分だけ警戒は薄れる。

 さらには先頭に立ったウマ娘──ロンマンガンが主導権を握れば、オラシオンがやりやすいペースにすることもできるから、アップショットに逃げられた状況以上にその負担は減る。

 ──と、ここまで考えたものの、私はそれを否定する。否定したかった。

 

「らしくない。全っ然、先輩らしくないわ。そんなやり方……」

 

 あの乾井 備丈というトレーナーが、そんな一人のウマ娘を犠牲にして、別のウマ娘を勝たせるような作戦を立てるだろうか?

 確かにチームとして見れば、それは正解かもしれない。それほどまでに私達トレーナーにとっては“ダービーを取らせた”という成果は大きなものであるのも確かだし。

 だがそれは、やはり今まで私が見てきた“乾井 備丈”というトレーナーのやり方に大きく反する。

 私がふと思い浮かべたのは、あの時──彼がまだ正トレーナーでさえなく、研修生だったころ──の記憶だった。

 

 彼が付いていたトレーナーから一人のウマ娘を担当するように言われ、ある大一番を迎えようとしていた時の話だけど……その頃から付き合いのあった私は彼から「手伝ってほしい」と言われ、何の気なしに了承した。

 でも、詳細を聞いて唖然とした。思わず「正気?」と訊いたほどだった。

 それに対して彼は──

 

「当たり前だろ。出走するウマ娘が勝利を目指して何が悪い? むしろ勝利を目指さない理由があるのか?」

 

 ──と、真剣な顔で聞き返してきた。

 私は、到底信じられなかった。

 その大一番こそ、国内最高峰のGⅠレースであり八大競走の一つ、天皇賞(秋)(アキテン)

 出走するメンバーが強敵ぞろいなのは当然だけど……当時の絶対無敵の王者である《皇帝》シンボリルドルフの名前がそこにあった。

 対する彼の担当は、その一つ上の世代でありながら、未だにオープンクラスになっておらず、それまでも勝利はダートでしかないウマ娘。

 いや、私だけでなく、この状況を見れば誰もが思うでしょうね。「勝てるはずがない」と。

 そんな絶望的な中で、自分のウマ娘が“盾”の栄冠を掴むのを本気で信じていたからこそ──あの奇跡は起きたのよ。

 

「……その先輩が、たとえチームメンバーに勝たせるためとはいえ、自分の担当しているウマ娘に“夢を諦めてサポートに徹しろ”なんて言うはずがないわ」

 

 中央の全てのトレーナーがダービーに憧れるように、いえそれ以上に、ウマ娘達はダービー制覇を夢見る。

 トリプルティアラへの道を進んだ者ならともかく──と言いたいところだけど、それでもダービーへと挑戦したウマ娘もいたくらいだわ。

 確かに、ダービーという一生に一度、そのタイミングでしか立てない舞台へ出走するだけでも夢や目標にするウマ娘もいるでしょうね。

 でも──その舞台に立って満足するウマ娘に、「なんで勝利を目指さないんだ?」と訊くのが乾井 備丈というトレーナーであるはず。

 確かに今までの〈アクルックス〉のレースで、「勝たなくてもいい」と言っていたときもある。

 けれど、自分のウマ娘を“負けさせる”レースをさせたのは、私が知る限り一度しかない。

 

(今のチームを作る前の、彼の最大の失敗で、最大の汚点になったあの弥生賞……)

 

 そんなことをまた繰り返すはずがないし、ロンマンガン自身が望んだとしてもそのことがあったからこそ、絶対にさせるわけがない。

 そう思えば……この考えは、根本的に間違えていると言わざるを得ない。

 

「だとしたら、ロンマンガンの“逃げ”はなぜ……」

 

 握った拳を唇にあてながら、考え込む。

 私がそうして考えを巡らせている間にもレースは進み、ロンマンガンと後続の間はどんどん開いていく。

 もはや“大逃げ”と言っていいほどにその差は開いていた。

 

「妥当な流れね。他のウマ娘達は、みんなオラシオンを警戒して動けないんだから。たとえ皐月賞の展開がチラついたとしてもね」

 

 そう、たとえ一人が大逃げしても、他のウマ娘達は彼女への警戒を止めるわけにはいかないのよ。

 それほどまでにオラシオンという存在は大きく、重い。

 しかも経験の無いロンマンガンがあそこまでの大逃げをすれば放っておいたところで、どうせ潰れる──それが出走メンバーだけでなく、見ている者も含めた総意だわ。

 

(だから今のロンマンガンの走りは、オラシオンへの支援にさえならない……?)

 

 ……いや、違う。

 その考えは今さっき否定したばかりじゃないの。

 彼ならロンマンガンにそんなことはさせるはずがない。仮に自発的に彼女自身が発案したとしても、それを許さないはずよ。

 じゃあ、彼女の走りの意味は何?

 

「雰囲気に飲まれて“かかった”? いえ、そういう性格のウマ娘でもないわね……」

 

 先輩とトレーナー部屋が同じせいで、私は幸いなことにロンマンガンというウマ娘の素の性格もよく知っている。

 確かに一見すると不真面目で真剣味にかけるところはある。

 でもここぞというときの勝負掛けの集中力はかなりのものなのよ。そしてその勝負掛かった時は冷静さを失うことはない、生粋の賭博師(ギャンブラー)気質。

 だからこそ、それも()()()()()

 でもそんな性格を考えれば、一つの可能性が見えてくる。

 

「……賭博師(ギャンブラー)だからこそ、一か八かの“奇策”に手を出したってところかしらね」

 

 実際、今の状況()()を見れば、悪くない展開になっているわ。

 大本命の絶対的強者であるオラシオンを警戒するあまりに、他の誰も彼女を追いかけることができないでいる。

 ゆえに、好きなだけ自分のペースで走ることができていて、後続とは大差がついていた。

 

「オラシオンが追いかけないのは、やっぱり体調が万全ではないってことよね」

 

 ウチのロベをはじめ、セントホウヤやアップショットといった皐月賞で煮え湯を飲まされた面々が避けたNHK杯に出走したツケは、やっぱり軽くはなかったみたい。

 ついた大差に観客席(スタンド)ではどよめきさえ起こり始めているくらいだもの。

 このまま逃げ切られてしまうのでは、と思う一方で、でも逃げウマ娘でないロンマンガンだからペース配分ができていないに違いないという確信も──

 

「……待って」

 

 ロンマンガンに“逃げ”は、()()()()

 本当に、そうなの?

 私は何か致命的なことを見落としている、そんな直感があった。

 必死で頭を働かせる。

 そして──答えは、私とロベの会話の中にあった。

 

「ダイユウサクも、レッツゴーターキンも……作戦を変えたりしていない。いつも通りの走りをして、いつも以上の実力を発揮して勝ってるだけ」

 

 そうだ。あの先輩は……担当のウマ娘に“できないことはやらせない”はず。

 ということは──その考えに至り、私は戦慄する。

 

「ロンマンガンは、“逃げ”の走りが……できる、ってこと?」

 

 その考えを基にレースの現状を見て、愕然とした。

 大差を付けて走るロンマンガンの姿は、完全に大逃げを打ったウマ娘のそれ──昨年の有記念の光景が脳裏に浮かぶ。

 あのレースを勝ったのは、途中までダイタクヘリオスと共に大逃げをして、そのまま逃げ切った──メジロパーマー。

 

「ッ……なんで、こんなことに気づかなかったのよ、私は……」

 

 悔しくて仕方がなかった。

 なぜ、乾井トレーナーはロンマンガンをダイユウサクと組ませたのか。そこにまで考えが至り、自分の浅慮に情けなくなる。

 

「ロンマンガンは、これと言った強みがないウマ娘……でも、強いていえばなんでも無難にこなせることが強み」

 

 器用貧乏と言えばけっして良いイメージじゃないわ。

 でも、どんな状況にも対応できる器用さが特徴ということもである。

 それを生かすには──トップランクを邁進した他のウマ娘と違って数多くのレースを経験し、様々な走り方で勝利をもぎ取ってきたオールラウンダーの経験は大きな糧になるはず。

 

「それに磨きをかけていたとしたら、彼女が何枚もの“切り札”を持つことを武器にしたウマ娘だったとしたら……」

 

 手元の牌と場(レースの状況)を読んで狙う役(作戦)を変えられる──そんな麻雀の基本のような、多くの引き出しを持って臨機応変に走り方を変えられるウマ娘。

 それがロンマンガンだったとしたら……当然、“逃げ”の脚質さえも武器(モノ)にしていてもおかしくは、無い。

 

 

『ご覧ください! 向こう正面でこの差! これだけの差が付きました!

 大逃げです! ロンマンガンの大逃げだ!!』

 

 

 ロンマンガンと他のウマ娘の距離は、もはや危険なほどに開きに開いていた。

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──ロンマンガンのダービー出走が決まる少し前のころ

 

 

「あの……パイセン。この前アップショットに“意外の逃げ”を先にやられちまったワケですけど、どう思います?」

「どう思うって……どういうことよ?」

 

 皐月賞直後のトレーニングで、あっしはダイユウサク先輩に尋ねたんだけど、パイセンは訝しがるような目でこっちを見てきた。

 質問に質問で返すな! って言いたいところだけど、まぁ、確かに自分でも思うけど漠然としすぎてて答えようがないわコレ。

 

「偶然にも、あっしも()()してたワケじゃないっすか。それを皐月賞でやられたわけで。もしもダービーに出られて、そこであっしがやったとしたら……二番煎じみたいにならないですかね?」

「まぁ……そう思うかもしれないわね」

 

 腕を組み、ちょっと考え込んでからダイユウサク先輩はそう答えた。

 ですよね~。

 

「あ~、やっぱりそうか~。ってことはコレ、奇襲にも何にもならないし、使えねーってことッスね」

()()()?」

 

 頭を抱えて嘆いたあっしだったけど……先輩は心底不思議そうにこっちを見ていた。

 それに思わず困惑してしまうと、先輩は言った。

 

「例えばアップショットがダービーでも同じ手を使ったなら、それはもう奇襲にはならないわよ? でも、アンタが使う分には十分奇襲になるでしょ?」

「え……? でもアップショットがやったんだから、みんな警戒してると思いますけど」

「それは“アップショットの逃げ”を警戒してるわけでしょ? 他に想定外のウマ娘が逃げれば十分に意表はつけるんじゃないの? 例えば……もしもシオンが“逃げ”たらアップショットの二番煎じだと思う?」

「あ……」

 

 盲点というか、完全に失念してたわ。

 自分がされる側に置き換えてみれば、確かにすでに“逃げ”があると分かっている()()()()()()()()()()()が逃げるよりも、想定外の相手に逃げられる方が余程動揺するのは明らかだった。

 

「それにね、ロンマン。アンタは今まで使ってこなかっただけで、きちんと練習して鍛え上げていたじゃないの。自信持ちなさいよ」

「それは……そうですけど」

「むしろ逆にやりやすくなったわよ。“アップショットの走りを見て()()()”って思ってもらえれば、油断してもらえるわ」

「ああ、確かに。アップショットについて行くにしても、相手が逃げない状況で一人旅な状況になっても、『どうせできないのに無理しやがって』と思ってもらえる、と」

 

 ま、アップショットが逃げたらあっしは逃げるつもりないけどね。

 シオンに負けたとはいえ、皐月賞の出走メンバーで他に負けなかった見事な“逃げ”に張り合えるかといえば、自信はない。

 それにアップショットが逃げたら、周囲は当然に警戒して“逃げ”を勝たせない走りをするわけで。

 その状況下であえて逃げで挑むのはあっしにとって見えている地雷を踏みに行くようなものだから。

 

「〈アクルックス(ウチ)〉の『ビックリ』っていうのは意表をつくことじゃないのよ。想定外のことを起こすことこそ、“ビックリの〈アクルックス〉”なんだから。アタシも、ターキンも、走り自体は“奇策”を使った訳じゃないわ」

 

 う~ん、この人が言うと説得力が違うわ。

 なにしろ有記念で世間様を“ビックリ”させたウマ娘。

 でも確かに言われてみれば、ダイユウ姐さんもターキン先輩もその末脚こそ驚異的だったけど、走り自体はオーソドックスな中段や後方での競走そのもの。

 

「だから、アンタのそれにもっともっと磨きをかけないといけない。『できないことはしない』というのがトレーナーの教えだし。“できてる”レベルにまでもっていかないと。でも〈アクルックス(ウチ)〉には“逃げ”を得意にしてるメンバーはいないから……」

 

 そう言ってパイセンは不意に横を振り向いた。

 そこへ──

 

「ウェーイ! タユウ、元気してる?」

 

 満面の笑顔を浮かべ、底抜けの明るさと共に一人のウマ娘がやってきた。

 そんな彼女にダイユウ姐さんは苦笑混じりの笑みを浮かべる。

 

「ボチボチってところかしら。でも、今日は来てくれてありがとう」

「なッ……」

 

 なん、だと……

 2人が会話するその光景に思わず絶句してしまう、あっし。

 そんなことに気付いてない様子で2人は話してる。

 

「ホントはズッ友のパマちんも連れてきたかったんだけど、都合つかなくてさ~」

「大丈夫よ。アナタだけでも助かるわ。それになんといっても彼女は連覇がかかっているんだもの。宝塚連覇と、春秋グランプリの3連覇。しかもそれにマックイーンが出てくるとなれば、なおさらね」

「あ~、そっか。で、その前のグランプリ制覇がタユウだもんね~。しかもマックイーンに勝ってるし」

「ま、まぁね」

 

 

 そんなヘリオス先輩の言葉に謙遜して恥ずかしがるような顔になり、ダイユウサク先輩はこっちを見た。

 

「色んな脚質で走ったアタシだけど、“逃げ”は最初のころに少しだけやったくらいしか経験なくて教える自信もないから、特別コーチを呼んだのよ。ダイタクヘリオス……知ってるわよね?」

「よろ~。ウチとタユウとお嬢は、名前がダイで始まる繋がりのダイシンユウ(大親友)だし!」

「……は?」

 

 いや、そりゃあ知ってますよ?

 ヘリオス先輩のことは。なにしろGⅠのマイルチャンピオンシップをはじめとして他にも重賞を制してるし、ターキン先輩がとった秋の天皇賞(アキテン)にも出てたし。

 でも、まさかそんな繋がりがあるなんて予想外だわ。

 だって、ダイユウ姐さんってコミュ障で友達少ないって、トレーナーとかバードパイセンが──

 

「……なにか言いたそうね、ロンマン」

「いえ、滅相もない」

 

 あっしが慌てて首を横に振ると、ダイユウ姐さんはあっしに向けていたジト目をやめて、笑みを浮かべる。

 

「さぁ、覚悟しなさいよロンマン。アンタが温存して“隠していた爪”、シニアGⅠクラスの逃げの専門家(スペシャリスト)と一緒に研ごうじゃないの」

 

 そう言ってパイセンが浮かべた笑みは──まるで悪巧みをする子供のようで、トレーナーがよく浮かべるそれにソックリだった。

 




◆解説◆

【──長い流れ(3)】
・「長い流れ」については前々話参照。
・なお、今回の最後の部分を「あれ? 読んだことある」という方。スミマセン、前話のアップ時にはそこに掲載されていた部分です。
・その後、午後5時前に差し替えを行い、今回の話に移動していました。
・そのため前話のその部分は、セントホウヤ視点の別のシーンに変わっていますので、よろしければどうぞ。
・差し替えた理由は、ロンマンガンの逃げのネタ晴らしが少し早すぎたと判断したためです。

おかしい
・主に、巽見トレーナーの酒癖の悪さが原因かと思います。

賭事が好きなはずのウマ娘
・名前は出しませんでしたが、ウマ娘時空になっていて時代関係なく登場することになっている本章なのでナカヤマフェスタのことかと思われます。
・リスクのある勝負こそ好む彼女ですが、ロンマンガンとは何度か麻雀勝負をすでにしており、“ガチ”なのを知っているのでリスクのある勝負以前の話と思っている、という設定になっています。
・それほどまでに麻雀ガチ勢で、かなりの腕前を誇るロンマンガンですが、ダイユウサクだけは一緒に麻雀を絶対にやりたがりません。
・以前、お遊びでやっていたら、とんでもない豪運で“大三元(ダイサンゲン)”を連発され、真剣にやっても勝てなかったためです。曰く「“腕”関係なく“運”だけで勝たれたらどうしようもない」。

別のトライアルレースで結果を出して
・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』組のセンコーラリアットはダービーのトライアルレースの青葉賞に出走しています。
・ただし原作ではその結果は不明。『Sire Line ─父の血筋─ 』では競馬新聞に書かれた穴馬特集の記事が小さなコマにあり「青葉賞で見どころあり!」という見出しがついていたので、おそらく青葉賞で勝っておらず、しかし優先出走権は得た、といったところでしょうか。
・そのため本作ではそのような戦績になっています。
・ちなみに青葉賞の優先出走権は、2009年以前は3着まで(それ以降は2着までになりましたが)得られていたので、作品の時期的に3着以内に入っていたと思われます。
・なお、『じゃじゃ馬~』ではなく現実世界では、青葉賞で優先出走権を得てダービーに出走した競走馬の中で優勝した馬は、2022年現在いません。
・しかし原作でのセンコーラリアットは……


※次回の更新は11月5日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時30分となります。

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