見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──そうしてダービーが始まったそのころ、遠く離れた地でそのレースの中継を見守る、一人のウマ娘がいた。


「あの、その……ごめんなさい。社長さん、忙しい時間なのに……」
「構わんよ。アンタこそこのレースを見なかったら、仕事が手に付かないだろうしねぇ。そんな状態じゃ、どんなドジをされるかわかったもんじゃない」

 社長さん──私のことを働かせてくれている牧場の主たるその人が笑うと、一緒にテレビを見ていた従業員のみなさんがドッと笑いました。

「うぅ……そんなぁ」

 私がそんな風に見られていただなんて。
 そんなドジなウマ娘じゃないと思うんですけど……確かに、臆病な私は些細なことでオドオドしているかもしれませんけど。

「悲しい顔しなさんな、嬢ちゃん!」
「そうそう。社長はあんたのファンだったんだから。あんたが来てくれて、ここで働いてくれてるのが、なによりも嬉しいくせに、からかってんのさ」
「まるで好きな子に意地悪する小学生みたいにな!」

 従業員さん達はそう言って、さらにドッと笑います。
 それを聞いた社長さんは慌てて否定しますが、その笑いという火に油を注いでいるだけにしか見えません。
 もちろん、私は社長さんが意地悪な人だなんて思ってません。
 この辺りで路頭に迷い、困っていた私を見かねて声をかけてくださり──それからこうして牧場でお世話になっているんですから。

「ほら! レース、始まっちまったぞ。今年の日本ダービーが。後輩も出てるんだろ?」
「は、はい……3番と、10番の……」
「10番? 10番って確か、圧倒的一番人気で大本命のウマ娘じゃなかったか?」
「ああ、確か皐月賞も圧倒的な強さで勝ったっていう──」
「ええ、オラシオンさんです……」

 私がつい申し訳なさそうに言うと、周囲は「おぉ……」と騒ぎ始めてしまいました。

「で……ひょっとして、もう一人出てんのかい?」
「そうなんです。ロンマンガンさんというのですが……」
「ロンマンガン? まるで麻雀みてえな名前だな」

 そんな誰かのつぶやきを聞いて、数人が笑いだしていました。
 そうしている間に、発走時間になり──今年の日本ダービーは始まっていました。
 ゲートが開いて、ウマ娘(後輩たち)が走り始めます。
 一人だけ出遅れた()がいて……そして、スルスルと前に抜け出していったウマ娘が一人。
 そんな彼女は──

「あれ? 実況が名前言ってたけど、この先頭走ってんのが後輩さんかい?」
「え、えっと……そう、です。たぶん……」
「たぶん、ってなんでそんなに自信なさげなのさ? ほんの数ヶ月前だろ? 学園にいたのは」
「そうですけど、でも私がいたころと違うといいますか……」

 あれ? 彼女、本当にロンマンガンさんでしょうか? 他に似たような名前の()はいなかったと思うんですけど。
 でも、なんで……先頭走って後続に大差を付けてるのでしょう?


 ──ロンマンガンさんって、逃げウマ娘でしたっけ?


 私──レッツゴーターキンは、お世話になっている牧場の事務室でテレビ中継を見ながら、思わず首を傾げていました。




第66R ──長い流れ(4)

 

「なるほど……」

 

 2位以下に大差を付けて先頭を走っているロンマンガン。

 遠く、小さくなったその姿を見て私──オラシオンは思わずそう言ってしまいました。

 盛大に離された2位集団の前の方には、本来であれば逃げていたアップショットの姿もあります。

 逃げ宣言をしていたにも関わらず、出遅れた彼女はロンマンガンを追いかけて──ということはせずに、先行の位置を走っています。

 

(出遅れたせいでここまでくるのでさえ脚を使ってしまっている。ロンマンガンをさらに追いかけて追いついても、もはや脚が残ってない状態になると判断したのでしょう)

 

 後続を引き離した一人旅になり、もはや“大逃げ”という状態になっているロンマンガン。

 しかし冷静に考えれば、このダービーという同世代きっての実力者が集まるレースで、“逃げ”の実績がないロンマンガンがそんな走りをしたところで、2400のこのレースを逃げきれるはずがない、と考えるのは妥当だと言えます。

 ましてそれが、前回のレースで似たような展開をしかけたアップショット自身なら、その難しさもわかっているでしょうし。

 それでも無理して前の方に位置したのは、その矜持のせいとも言えます。

 

「それにしても、ダイユウサク先輩といろいろなことを試していたのは知っていましたが、まさか逃げの研究までしていたなんて……」

 

 ロンマンガンは自分のことを過小評価しているウマ娘でした。

 だからこそ、至った結論が“どんな状況にも対応できる臨機応変(オールマイティ)ウマ娘”というわけでしょう。

 一つのことに特化しても他にかなわないと判断し、強さでの真っ向勝負ではなく相手の弱点を突く。そこに勝機を見出したのは自己分析の末というのはわかります。

 でも、それは──逆を言えば、専門家(スペシャリスト)と比すればその能力は一段劣り、かなわないということでもあるのですから。

 

(もしも先頭が、出遅れなかったアップショットだったら……状況は厳しかったでしょう)

 

 皐月賞で見たアップショットの走りは、間違いなく“逃げウマ娘”のそれでした。

 今までは先行だったのを、完全に切り替えてきたのだと思います。

 だから、その彼女がもしも大逃げをしていたのだとしたら──私はとっくに追い上げていましたし、そうなれば思わしくない体調の下で、体力を余計に消耗するという事態になっていたことになります。

 

専門家(スペシャリスト)ではない以上、付け入る隙は必ずある)

 

 ダービーの距離は決して短くない2400メートル。

 この2400という距離を逃げ切るスタミナが、ロンマンガンに果たしてあるかどうか……私には疑問でした。

 だから他のウマ娘が一人でも彼女を追いかければ、その目論見は(つい)えるように見えていましたし、そんな危険な手段だと思っていたのです。

 でも──

 

「……確かに、良い手ですね」

 

 誰一人として彼女を追いかけないこの状況に、私は思わず再びつぶやいていました。

 抜け出している先頭を除けば、団子状態ともいうべき展開。

 そんな状況で私は集団の中に身を置いていました。

 私の二バ身後方には、ロベルトダッシュがいる。

 そしてその内側にはセントホウヤもいる。

 彼女たち2人だけではなく──周囲のウマ娘たち全員から感じる、私への警戒。

 

(私を警戒し、そして自分はどうせ逃げきれないと思われている……だからこその大逃げ)

 

 そして差が付いて、一人旅になった今では完全に自分のペースで自由に走れているはず。

 そんな状況は、ハッキリ言って面白くありません。

 

「大本命を警戒するあまりに、大逃げするウマ娘にまんまと逃げられるだなんて、まるで昨年末の有記念……」

 

 あのレースで、本命の1番人気だったトウカイテイオーさんは調子を落としていたそうな。

 そこまで一緒だんなんて、なんと皮肉なものでしょうね。

 思わず自虐的に笑みを浮かべかけ──

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 あのレースを制したのはメジロパーマーさん。ですが、途中まで一緒に大逃げをしていたのはダイタクヘリオスさん。

 そのヘリオスさんは、その前の年のマイルチャンピオンシップやスワンステークスで一緒に走った縁で、ヘリオスさんに話しかけられて──あの先輩にしては珍しく──交友関係が存在するそうな。

 

「ダイユウサク先輩を通じて“逃げ”の専門家(ダイタクヘリオス)から指導を受けていたのなら、今回の作戦をとるのもわかります。でも……」

 

 ──それでも、やはり専門家(スペシャリスト)の“逃げ”と比較すれば、やはり甘いところがあります。

 例えば──ペース配分。

 

(アップショットに、今の時点で、今の差を付けられていたら今日の私では追いつかなかったでしょう。でも……ロンマンガン相手なら違います!)

 

 その詰めの甘さに気づいたのか、それとも皐月賞の自分と姿を合わせて負けん気を刺激されたのか──アップショットがペースを上げました。

 それに併せて、私もペースを上げる。

 

「──ッ!」

 

 3コーナーの手前で、レースは動き出し始めたのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……ここが正念場だぞ、ロンマンガン」

 

 オレは思わずつぶやいていた。

 担当するウマ娘が同じレースに出走するというのは初めての経験だった。

 しかもそれが中央(トゥインクル)シリーズでも最高峰レースの一つ、日本ダービーだというのだから、こっちとしては戸惑いしかない。

 そのレースの大本命がウチのチームメンバーの一人であり、そして目下のところ先頭で大逃げしているのが、もう一人のメンバーである。

 その大逃げを許していた状況が、変わりつつあった。

 

「アップショットか……」

「本来なら逃げていたのは彼女だったもんね。怖いと言えば怖いかもしれない」

「いや、出遅れたせいでここまで脚を使いすぎている。アップショットは脅威じゃない」

 

 隣で一緒に見ていたミラクルバードにオレが答えると、それが正しかったことを証明するようにアップショットの行き足にあやしさが見え始めた。

 そして集団はジリジリと先頭に迫っていく。それでも2番手はまだアップショットだった。

 先頭は依然、ロンマンガン。

 一方、本命のオラシオンは集団の中にいる。その中では、後方にいたセントホウヤがオラシオンに並びかけて、外は5、6人が一団となって先行集団に取り付く。

 

「オラシオン、まだだぞ……」

「うん。府中の直線は500もある。まだ焦ることないよ、オーちゃん。我慢我慢……」

 

 祈るようにつぶやくオレ達。

 それが通じたのか、3コーナーでは我慢していたオラシオンだったが──そこを廻ったところで、ついにセントホウヤがオラシオンの前に出る。

 そこで──オラシオンの目の色が変わった。

 

「マズいな」

「うん。早すぎるよ……」

 

 セントホウヤに負けじとペースを上げたオラシオンは、その外に並ぶ。

 そのまま4コーナーを廻り──位置を下げてきたアップショットの外を通って横に並ぶ。

 その瞬間──

 

「「あッ!」」

 

 声を上げたオレ達の目の前で、外へ膨らんだアップショットとオラシオンの肩がぶつかった。

 マズい、とオレは思った。直前に同じ言葉をつい口に出していたが、それとは比にならない。ペース配分と接触では意味合いが全然違う。

 だが、オレの心配をよそにオラシオンは抜群の体幹と恵まれた筋力で、崩れかけた体勢を立て直していた。位置的にもほんの少し外にはじかれた程度だった。

 思ったよりも接触の衝撃は小さかったらしい。不幸中の幸いだ。

 

「……気持ちも切れてないね」

「当たり前だ。あれだけ負けん気の強いウマ娘が、こんな程度でやる気なくすわけ無いだろ」

 

 場面は最後の直線へと入っていた。

 先頭はロンマンガン。

 そして──その後方には、猛然と追い上げるオラシオンが迫っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……ったく、最後に上り坂用意しとくなんて性格悪いわ。このレース場」

 

 思わず愚痴が口をついて出る。

 ま、そうは言ってもそういうレース場多いけどさ。

 つまり、きっとレース場設計する設計士は何奴(どいつ)此奴(こいつ)も性格悪いってこと。

 走る方の身にもなれっての、マジで。

 

「後ろから来るのが、アレなんだし。ホント、気が滅入るわ~」

 

 この坂さえなければ、もう少し希望が持てるんだけどさ。

 東京レース場の、最後の直線にそびえる坂。

 ここまで一人旅で、そりゃあ自分のペースで走れましたよ? 競う相手がいないから張り合う必要もなかったんだから。

 だからって、無理せずに走ったわけじゃないんだから。

 後ろにいる面子(メンツ)を考えたら、のんびり走ってたらあっという間に追いつかれて“逃げ”じゃなくなる。

 ほぼ無視されて大差を付けたけど、それだってセーフティリードなんかじゃない。

 現に──

 

「マンガン!!」

 

 先頭切って追い上げてくるのは、やっぱりあのウマ娘だった。

 

「シオンッ!!」

 

 追い上げてくる彼女の気迫に気圧されないように、あっしは精一杯の声で応じる。

 上り坂なのもあって、その差はグングンと詰められていく。

 でも……こういうのは、あっしのキャラじゃないんだけど──

 

「ド根性~ッ!!」

 

 死力を振り絞り、坂を駆け上がる。

 く~ッ!! ホント、マジでキツい!

 さっきも思ったけど、やっぱりこのコース考えたヤツ、絶対性格悪いわ。

 ウマ娘にこっぴどくフられたとか、ウマ娘に特別に恨みがあるとか、そうじゃなければこんなコース考えないわ。普通。

 

「カアアァァァァーッ!!」

「くうぅぅぅぅぅーッ!!」

 

 頂上まであと少し、というところでシオンが横に並ぶ。

 あっしにできるのは、死力を尽くして粘ることのみ!!

 

「この、バケモノめッ!! あの差を詰めてくるなんて──」

「貴方こそ、あれだけ脚を使ったハズなのに、こんなに粘るなんて──」

 

 横に並ばれ、思わず口からでたあっしの嘆きに、驚くべきことにシオンが応じた。

 チラッと、一瞬だけ横に視線を向ける。

 そこには──オラシオンの苦しげな顔があった。

 

(シオンだって、苦しいんだ。苦しいのは、自分だけじゃない!!)

 

 以前のままなら──ダービーやクラシック三冠を()()()()()()()と最初から諦めていたのなら、シオンに負けても当然と思っていた。

 でも、今は──

 

(あの日から、あっしだって努力してきた。シオンにも負けないくらいに頑張ってきたって自負はある! 彼女の近くでその姿を見てきたんだから!!)

 

 ──だからこそ、絶対に……負けたくないッ!!

 

 歯を食いしばり、腕を懸命に振る。

 重くさえ感じる自分の足を、持ち上げて振り下ろし──それを全力で繰り返す。

 最も身近にいた、最も強いウマ娘。

 それと、鎬を削るような全力の勝負ができているんだ。

 

「……いつものシオンなら、とっくに抜かれている」

 

 皐月賞で、そしてNHK杯で見た彼女の走り。

 乾井トレーナー(イヌトレ)や、バード先輩(パイセン)が話していた“領域(ゾーン)”と呼ばれる境地をオラシオンはまだ使っていない。

 いや、万全じゃない今の体調では使()()()()んだ。

 

「アレが出せないなら、まだ勝負になるはず──」

 

 こうなったらあとは我慢比べ。

 坂を上りきって、そこからゴール板まで──意地でも絶対に抜かせるわけにはいかない。

 才能の無いあっしでも、あんな反則じみた末脚がなければ──

 

「ハアアアァァァァァァァ!!」

「ッ!?」

 

 シオンの気合いの声が耳に飛び込んでくる。

 そして──真横に並んだオラシオンの姿が、前へとズレていく。

 くぅッ! その“領域(ゾーン)”とやらを使わなくても、ここまで力を出せるっての?

 チート使わなくても強いとか、どんだけ存在そのものがチートなんだよ!

 ふざけんな! イヤになるわ、マジで……

 

「クッソォォォ!!」

 

 勝負の天秤が完全にオラシオンに傾いたのを自覚したあっしは、思わず叫んでた。

 そして、オラシオンがその声に反応するようにチラッとこちらを見て──その目が驚き、一瞬で警戒の色を帯びる

 

「──ッ!!」

「そこや!! オラシオン!!」

 

 なッ!?

 オラシオンの外を走るあっしの耳に、その声は反対側から聞こえていた。

 彼女を気にする余りに無警戒になっていた大外。

 そこを一気に駆け上がってきていたウマ娘──ロベルトダッシュが、あっしら2人に並ばんと、迫ってきていたのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ロンマンガンが、今まで大逃げをしたとは思えないほどの粘りに、私は正直驚かされました。

 彼女は“逃げ”を得意としていなかったという認識だったし、それを隠しながらここまで見事なものに昇華させていたことには、敬意さえ覚えます。

 

(でも──)

 

 それでも、やっぱり彼女は“逃げの専門家(スペシャリスト)”ではないんです。

 もしもそれが、たった一つの武器を磨いてきたような専門家(スペシャリスト)の走りだったら、万全でない今日の私ではきっと負けていたでしょう。

 詰めの甘さの残る、まだ荒削りなその“逃げ”では、私に勝ち目はあるんです!!

 

「ハアアアァァァァァァァ!!」

 

 私の末脚は、まだ伸びる。

 その確信と共にさらに力を振り絞ると、真横にいたロンマンガンの姿が遅れていくのが見えました。

 

(これで──)

 

 ──勝てる。

 そう確信した瞬間、彼女の向こう──大外を上がってくる影が目に入ったのです。

 

「そこや!! オラシオン!!」

 

 上がってくるそのウマ娘は、ロベルトダッシュ。

 その姿を見てハッとした私は、自分がロンマンガンとの競り合いに夢中になり過ぎて、視野が狭くなっていたことに気づかされたのです。

 大外のロベルトダッシュだけでなく、他のウマ娘達が距離を詰めてくるのを感じました。

 その中に──内側の後方に、セントホウヤが追い上げてくるのも感じていました。

 

「──ッ!」

 

 残りはわずか。でも、このままだと追いつかれてしまうかもしれない。

 急に広がった意識の中で、自分が危機的状況にいるのを思い知らされた、私は──決意しました。

 皐月賞で初めて体験したその感覚。

 それをさらにNHK杯で自分のものとしたという自負はあります。

 でも──絶好調からはほど遠い今の私の体調で、果たしてその“領域(ゾーン)”へと踏み入ることができるのか。

 

 ──でも、躊躇は一瞬でした。

 

「やるしか、ないッ!!」

 

 使わないに越したことはないと思っていました。それで勝てるのなら危険な橋を渡る必要はない、と。

 それは激しく体力を使い、体への負担が大きいのです。

 でも、ロベルトダッシュに追いつかれるわけにはいかない。内からくるセントホウヤにも。

 それ以外のどのウマ娘にも、私は負けられない。

 自分が背負っているもののためにも。

 私に思い(祈り)を託してくれている人達のためにも。

 そして、たった今まで競っていたロンマンガン(仲間でライバル)のためにも──私は“領域(ゾーン)”へと踏み込むしかない!

 

「三女神よ、照覧あれ──」

 

 祈りの聖句を唱えつつ精神を集中させ、私はグッと体勢を低くして力強く踏み込み──

 

「……っ!?」

 

 そこで私は想定外の事態に見舞われたのです。

 皐月賞で掴み、NHK杯で試したはずのその感覚に没入することができず、私は戸惑うことしかできませんでした。

 

(なんで!? この大事なときに──)

 

 激しく動揺し、一瞬で千々(ちぢ)に乱れる集中していたはずの私の心。

 その直後──“領域(ゾーン)”へと至れなかった反動ともいうべき違和感が、私に襲いかかってきたのです。

 

「くッ──」

 

 脱力感に襲われて、私はバランスを崩しかけました。

 それは今までにも何度か味わった感覚でした。

 かつてトレーナーをはじめ、私の走りを見ていた方達が“悪癖”と捉えていたものでした。

 

 

 ──そしてそれは、かつて皐月賞で初めて“領域(ゾーン)”へと踏み入りかけたミラクルバード先輩が戸惑い、自ら拒絶してしまったがために起こったこと──

 

 

 死力を尽くして走る私は、その勢いのままに──内側へと()()()のでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ロンマンガンを抑えて、先頭に立ったオラシオン。

 大外から迫るロベルトダッシュ。

 そして後方から他のウマ娘達が迫ってくる。

 そんな中、オラシオン(オーちゃん)は普段スパートをかける時のように、低い姿勢での走りになった。

 そして、力強く足を踏み込み──

 

「なッ!?」

 

 その光景を見て思わず声を出した瞬間から、まるでボク──ミラクルバードの意識はスローモーションのように一連の動きを捉えていた。

 いつもならそれで爆発的に加速するはずのオーちゃんは、まるで何かに弾かれたかのように、内へと()()()

 そして、そのヨレた方には、そのすぐ後ろに別のウマ娘が迫ってるのが、ボクには見えていた。

 

 ──セントホウヤ。

 

 オーちゃんの勢いが弱いのを見て、好機と判断をした彼女は、今年になって負け続けているその宿敵を破らんと猛然と追い上げていたんだ。

 そんな彼女の進路上へと、思いっきり出てしまったことになる。

 

(マズい! ダメだッ!!)

 

 進路妨害ももちろんだけど、それ以上にボクの頭を支配したのは、自分自身の皐月賞の悪夢だった。

 その時の光景と、目の前の光景が──重なる。

 

 ──ゆっくりと流れる光景の中で、進路が横へ流れるオラシオン。

 ──強く踏み込んでグンとそこへ迫るセントホウヤ。

 ──二つの影が引き寄せられるように近づいていく。

 

 そんな光景にボクは、いてもたってもいられなかった。

 真っ先に浮かび、そしてそれしかボクにはできなかったのは、人智を越える力にすがることだった。

 

(三女神様ッ!! ボクのことなんてどうなってもいい! オーちゃんがボクみたいになんてならないように──お願いしますッ! どうか、どうかッ……!!)

 

 もう祈りにさえなっていない。

 でも焦る気持ちと、オーちゃんと、そしてセントホウヤがこのままだと大変なことになってしまうという焦り。

 もしも2人が衝突したら、今の勢いだと大変なことになっちゃうのは間違いない!

 

「オーちゃんッ!!」

 

 親友の……もっとも親しい後輩の危機に、思わず──ボクは思わず大声とともに立ち上がっていた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 自分の体が内側へとヨレたのは、ハッキリ自覚がありました。

 ヨレた原因は、足の力のバランスが崩れてしまっているせい。

 その崩れたバランスを自力ではどうしようもなく──内側へと踏み込んでしまった足。

 そして──後ろから急速に気配が迫っているのに気が付いたのはその時でした。

 自分でも危ないとわかったのですが、“領域(ゾーン)”へ踏み込めなかった反動なのか、立て直すだけの力が体には入らず──

 

「オーちゃんッ!!」

 

 ──その時、大歓声の中で聞こえるはずのないその声が、ハッキリと私の耳に届きました。

 いえ、耳というよりも、私の魂に触れたのです。

 

「──ッ!!」

 

 スローモーションのように流れていた景色でしたが、その声はそれを破るように私の体に一瞬で力をみなぎらせたのです。

 力を取り戻した私の体は、失いかけていたバランスを取り戻し、一歩だけ内側にヨレた体勢を素早く取り戻していました。

 そして落ち掛けていたペースがグンと上がる。私は息を吹き返して再加速していた。

 まるでその声に込められた祈りが、私の体に力を取り戻させる奇跡を起こしたかのようでした。

 

「なんやてッ!?」

 

 大外で迫っていたはずのロベルトダッシュが思わずあげた声が、ハッキリと聞こえました。

 彼女に追いつかれ、並ばれかけたはずでしたが、私が再び前へと出たのがわかりました。

 そして、そんな私に再び追いつくための余力はロベルトダッシュには残っておらず──距離も無かったのです。

 

 

 かくして(オラシオン)は先頭でゴール板の前を駆け抜けたのでした。

 

 

 ──でも本当の正念場は、これからだったのです。

 電光掲示板に数字はなく、“審議”を知らせる表示が点灯していたのですから。




◆解説◆

【──長い流れ(4)】
・「長い流れ」については前々々話参照。
・(5)までの到達が決定し、優駿編クライマックスのレースに相応しく連続タイトルの最長になりました。
・ちなみに、これをアップした最近GⅠ、2022年の天皇賞(秋)では奇遇にも大逃げした馬(パンサラッサ)が、最後に1番人気(イクイノックス)が差して勝利という結果でした。
・もちろん狙ったわけではなく、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』のレース展開がまさにそうだっただけ(ロンマンガンの大逃げ&逆転負け)です。

3番と、10番
・それぞれの原作通りの馬番です。
・ロンマンガンは3番で、オラシオンは10番でした。被らなくてよかった。
・なお、他に原作でわかるのはアルデバラン(本作では出てないけど)の12番と、センコーラリアットの18番くらいです。
・『優駿』組もオラシオン以外は原作では馬番はほぼ出てきません。

大逃げ
・2番手以下を大きく引き離しての逃げ。2番手と一緒に大逃げするときもあるけど。
・圧倒的な差をつくり、そのマージンを使ってレースを制するのですが、その分、圧倒的なスピードとスタミナが要求されます。
・そのため、使うのはそもそも逃げを得意としている馬や、大逃げそのものを得意とする(ツインターボのような)場合。
・気性のせいで抑えが利かないために“大逃げになってしまう”馬もおり、それはウマ娘になっても変わらず、今回のロンマンガンの大逃げは高揚感からそうなったと他のウマ娘達は思っています。
・“大逃げ”といえばツインターボや、メジロパーマー、サイレンススズカといった有名馬も多いですが、私の一番好きな大逃げレースはやっぱり2009年のエリザベス女王杯でのクィーンスプマンテ。
・テイエムプリキュアとの“ふたり”での大逃げで制したのは本当に見事でした。他がブエナビスタを警戒しすぎたせいだけど。

臨機応変(オールマイティ)
・読み切り作品で脚光を浴びたロンマンガンですが、本編の方はほとんどレース描写が無いので、どんな脚質を得意としているのかの描写はほぼ有りません。
・菊花賞での描写もレース中はなく、ゲート入りに手こずったくらいで、どの位置にいたのかもわからないレベル。
・唯一はやはり『Sire Line ─父の血筋─』での日本ダービーだけなのですが、そこでは本作と同じように大逃げ。
・それが初めての逃げでしたし、その後も菊花賞でも前3頭の中に入っていないことから、明らかに逃げていません。
・そんな感じで、ロンマンガンは謎が多く、どんな脚質を得意にしているのかわからなかったので、逆に「どんな走り方でも走れる」ウマ娘という設定になりました。
・もちろん「どんな走り方でも()()()」ウマ娘ではありません。
・普通は↑で解説したように、逃げ馬でもなければ大逃げなんてできないんですけど……

接触
・小説『優駿』では、ダービーで走行中にオラシオンはアップショットと衝突しています。
・これはそれの再現。
・心理描写こそありませんが、彼女が終盤で冷静さを欠いた遠因でもあります。

駆け上がってきていたウマ娘
・今回のダービー、小説『優駿』と『Sire Line ─父の血筋─(じゃじゃ馬グルーミン★UP!)』のハイブリッドになっている、という説明はすでにしていますが──メンバー等の大筋は『優駿』がベースになっています。
・ですので大外からロベルトダッシュがあがってきたのは『優駿』と同じ。
・一方、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』での最終版の展開はといえば、その前の大逃げしたロンマンガンと競うという本作でのオラシオンの役目になったのは、やはりそっちでの圧倒的一番人気だったアルデバランでした。
・そしてその死闘を制し、最後に勝ったと思ったアルデバランの騎手・竹岡一人が手を挙げた瞬間──大外からきたセンコーラリアットが抜いて勝利しています。
・そんなわけで、ここでのロベルトダッシュは『じゃじゃ馬~』でのセンコーラリアットの役でもあるのです。
・本作ではセンコーラリアットも走ってるはずなんですが、主役はオラシオンですのでロベルトダッシュがその役目に就きました。
・……ラリアットがその役目だと勝っちゃうしね。


※次回の更新は11月11日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時32分となります。

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