──菊花賞から、時は遡る。
夏休み。
一般的な学校と同じように、トレセン学園でも使われる言葉だが、意味合いは少しだけ違っていた。
もちろん教育機関的な役割のある学園だから、授業が休みになる期間は他とほぼ一緒である。
しかし……ウマ娘
一般的には春も秋もシーズンの最後のレースは
それが終われば夏シーズンとなり、その過酷な気象条件を鑑みて……なのかは定かではないが、ともかく夏は重賞レースが極端に減る。
7月頭のころもすでにそうだが、8月にもなるとさらに顕著だ。
そして、それを補うようにジュニア期のウマ娘達によるメイクデビュー戦が始まるのだ。
デビューを迎えるウマ娘達にとっては晴れの舞台の始まりであり、そこへ照準を向けて頑張っている。
──無論、間に合わずにデビューが秋にズレ込んだり、ジュニアではなくクラシック期に入ってからとなるウマ娘達も珍しいわけではない。
まぁ、クラシック期の秋──同期が秋の天皇賞で盾を競っている時にデビューするようなウマ娘もいたわけだが。
閑話休題。ともあれ、夏である。
重賞レースがめっきり減ったクラシックやシニアの先輩ウマ娘達も、もちろんただ休んでいるだけではない。そんな怠惰な夏休みを過ごせば他と差が付くのは歴然……等というフレーズは、まるで受験勉強の夏期講習の宣伝のようでもあるが、それが事実だった。
学業が休みなのを利用して強化合宿を張ったり、少ないとはいえ主に遠隔地で開催される大きなレースへ挑戦して武者修行をしたり、と。
このように夏は、秋に控える重賞の数々を狙って、さらに実力を鍛えるための季節でもあるのだ。
そうして秋を迎え、ウマ娘は春に比べて大きく成長して帰ってくる。
──はず、なのだが……
第1R サンドピアリスは勝てない……
「……勝てないな」
その結果を見て、自分のトレーナー室のデスクでオレは思わず言っていた。
8月までの夏休み期間はとっくに終わり、それが過ぎてもなお暑さが続いた9月も過ぎて、涼しさを感じるようになった10月も終わりを迎えようとしている
まさに秋という過ごしやすい気候から冬へ向かおうと気温が下がりつつある、そんな時期である。
だから──もちろんクラシック二冠を達成し、残る一つに向かって邁進中のオラシオンのことではないし、同じレースに挑もうとしているロンマンガンのことでもない。
どちらも秋になって休養が明けてから、レースには勝っている。ついでに言えばオラシオンは負けてさえいない。
では、誰のことかと言えば──
「まぁまぁ……落ち着けよ、ビジョウ。ピアリスも頑張っているがちょっとだけ結果が付いてきていないだけさ」
そう言いながらオレの背中をバシバシと叩き、豪快に笑い飛ばしているのはギャロップダイナ。
一番付き合いの古く、気心の知れた相手ならではのリアクションだが……彼女が面倒を見ているサンドピアリスこそ、オレが言った「勝てない」ウマ娘だった。
「そうは言っても、秋に入って三連敗だぞ?」
9月に1戦、10月に2戦走って勝ちは無し。
ついでに言えば、春のレースの最後も負けているので現在のところ四連敗中ということになる。
思うように結果が出ていないというのに楽観的なダイナに向けて、オレはついジト目を向けてしまっていた。
サンドピアリスもクラシック期ではあるが、他の二人と違ってクラシック重賞戦線を走り続けているというわけではない。春にはその前哨戦を走らせたこともあったが、結果がでなかった。
まぁ、
実績ではそれがより顕著だった。
今までダートを走れば好走。今までの勝利はすべてダート戦のものだ。
対照的に芝を走ると結果が出ない。
(それが春レースだったんだけどな……)
オレはピアリスを秋になってダート戦に専念させて走らせているが、そんな春の結果を見れば当然の反応だろう。きっと他のトレーナーだってそうしているはず。
ところが、夏を経て秋になったら、そのダート戦も勝てなくなってしまったのだ。
「9月のレースは休養明けで感覚が戻っていなかった、というのならまだわかる」
もちろん皆が皆、休養明けは勝てないというわけじゃあない。
しかしレース間隔が空けば勝負勘は鈍るし、それを取り戻すのは実戦以外ではなかなか難しいのも確かだ。
一般レースを調整代わりに使っていたという、その成績からいまや超VIPの
(ま、〈
ギャロップダイナはその顕著な例だ。あの“皇帝”サマがぶっつけ本番で天皇賞(秋)に挑んだおかげでスタートで躓いて勝負のアヤが狂った。それがなければさすがに勝てなかったのは間違いない。
レッツゴーターキンだって、確かに道中の異常なハイペースはあったが、もしも準備万端でトウカイテイオーが臨んでいれば精神的に余裕があってもっと冷静なレース運びができたかもしれない。そうなればペースに乱されずに勝っていたかもしれない。
そして、ダイユウサクの時はといえば………………そういう事情はないな、うん。
(アイツ、マックイーンによく勝てたよな)
思い出し、しみじみと思ってしまった。
そんなアイツの勝ったときの勇姿を思い出して浸っていたが……いや、そういう場合じゃない、と我に返る。
そういえばダイユウサクもまた、長期休養の明けは成績が良くなかったイメージだった。
しかしそれだって1、2回走れば勝てずとも手応えみたいなものは感じていたさ。
だがピアリスは三連敗の負け方も良くない。
「しかも結果は8着、9着、6着……お世辞にも良い結果とは言えないからな?」
「2戦目から3戦目は尻上がりに順位は上がってるだろ。いい兆候だぜ?」
「せめて最後が
「あと1つだろうが。ケチケチすんな」
そう言って豪快に笑うダイナ。だがオレは彼女に同調することはできなかった。
負けるにしても善戦したものの惜しくも逃した、とかなら仕方がない。だが現実は惜しくもなんともない。完全な負けだし、一時は先頭に立ったという状況もない。
走りが良くなってきているという印象も、あまり感じられないのも問題だ。
「……まるで、勝ち方を忘れちまったみたいなんだよな」
もっと言えば、ダートでの走り方を忘れているようにも見える。
なにしろレースでのピアリスの走りには手を抜いている様子はまったくないし、性格的にもそうすることは考えられない。むしろダービーでのチームメイト二人の走りに感化された様子も見受けられるくらいだ。
こうも結果が出ないと夏の鍛錬をサボったのではないか、という疑いも出てくるんだが……オレは再びジト目をダイナに向けた。
「何か、企んでないか? お前」
「ハァ? んなわけ無いだろ。それに何かってなんだよ?」
「ちょっと小耳に挟んだ話なんだが、夏の間にピアリスを芝で走らせていた……なんて姿が見られているみたいなんだが?」
「……誰情報だよそれ。そんなもん事実無根さ。大方、ウチのチーム内を混乱させようとして嘘を──」
「奈瀬さんに言われたんだよ。“クラシック三冠では足りませんか?”ってな。訳分からなかったから詳しく聞いてみたら、芝コースをピアリスが走っているのを見たと言っている」
オレが食い気味に言うと、ダイナは黙り込む。
その反応を確認してからジッと見ると、やがてダイナは肩をすくめた。
「Hé、Hé……誤解だぜ、ビジョウ。確かにあたしはピアリスを芝を走らせた。だが、それはあくまで試しに走らせたりとか、雨後にダート走って脚への負担やらケガのリスクを避けるために芝で走らせたり、そういうのが理由だ。それ以上でも以下でもない」
「……お前が推してきた、直近2戦のダートの条件戦が京都レース場開催なのも、か?」
「当然にして偶然だ。ダート戦も
肩をすくめたまま、頭を横に振って「やれやれだぜ」と言っているダイナは、もう見るからに怪しい。
かといって……ここで問いつめても絶対に白状しないだろう。
それになにを企んでいるのか、大体の予想は付いている。
(トリプルティアラの最後の一つへの出走、だろうな)
その路線への出走をピアリスが望んでいたのはもちろん知っているし、春はその夢が叶わなかった。
それもトライアルやら本戦に抽選で外れて出られなかったとかではなく、純粋に実績不足、力不足が理由だ。
「ダイナ、お前がピアリスの夢の後押しをしたいというのは分かる」
「なんのことか分からねえが、とりあえず礼は言っとく」
あくまでとぼけるダイナ。
「で、オレ達トレーナーもまた、ウマ娘の夢を叶えるためにいるわけだ」
「おう。それなら──」
「それと同時に、現実を見せるのもまたオレ達の仕事なわけだ」
オレがそう続けると、なにか言おうとしていたダイナは黙り込んだ。
そして睨むようにオレをジッと見ている。
「
「冷静になれ、ダイナ。今のピアリスの成績で……出走できると思うのか? エリザベス女王杯に」
剣呑な空気をまとい始めたギャロップダイナに、オレは冷酷なまでの事実を突きつけて頭を冷やしてもらう以外になかった。
本気で怒ったウマ娘には、ヒトでは太刀打ちできないし。
「確かにアイツは春に勝利して実績を稼いでいる。だがダートだ。しかもそのダートさえ秋になって成績が落ちているんだ。出走できるわけがない」
「あたしの
諭すようにオレが言うと、彼女はそう返してきた。
随分と懐かしい呼び方をしてきたな、と思った。
あのころはダイナがそう呼んできた時期もあった。ちょうどあのレースに挑もうとしていたころだったな。
「お前のときは、出走が
それはオレだけじゃない。“フェアリー・ゴッド・ファーザー”だろうが“魔術師”だろうが、どんな優秀な
「……エリ女にピアリスを出せれば、いいんだろ?」
「それが可能なら、な」
オレだって鈍感じゃない。ピアリスがエリザベス女王杯に出たがっていることくらい気が付いている。
トライアルレースで勝てとは言わなくとも、せめて秋に全勝……少なくとも1勝に加えて入賞くらいしてくれれば、出走の希望は持てたんだが。
出走が絶望である以上は、それよりも自己条件のレースに出て実績を重ねた方が良いと思っている。そこで立て直して経験を重ねれば、GⅠを含めた重賞レースへの道が開くかもしれない。
ピアリスが一緒に走りたいと思っている相手──同期生のシャダイカグラやライトカラーだと思われる──とはそこで対戦する機会はあるだろう。
「夢を追うのを急ぐあまりに勝利から遠ざかったのは、本末転倒だ」
「ッ……」
今にして思えば、夏休みにオレを旅行に行かせたのも、その後のオラシオンとロンマンガンの面倒を見るのに忙しいだろうからとピアリスの面倒見を買って出たのも、ダート路線に専念させると言ったオレの想定から外す為だったんだろう。
夏に芝の技術を上げるためにダートを疎かにしたツケが、秋になって顕れてしまったに過ぎない。
こうなると、このあとのダートの条件戦でも結果を出せるかどうか……
(ギャロップダイナのしたことは、結果的にはピアリスの足を引っ張った)
──少なくともこのときのオレは、そう思っていた。
◆解説◆
【The HorseGirl’s Miracle】
・直訳すると“あるウマ娘の奇跡”。
・第二章の続章ということで、第二章のタイトル『A HorseGirl’s Prayer』と対になるものにしました。
【サンドピアリスは勝てない……】
・エリザベス女王杯前の秋のピアリスの結果は3連敗。
・本章のタイトルは「(ウマ娘名)は~ない」で統一する予定です。
【結果】
・サンドピアリスは春(5月)に芝のGⅢ(史実では毎日放送京都4歳特別)へ出走したあと、そこから休養に入って復帰したのは9月後半に開催されたダートの条件戦、秋分特別。
・それを含めてそこから自己条件のレースを3戦出ています。
・史実では1989年9月9月23日に秋分特別、10月7日と10月28日に4歳以上900万以下のレース。
・そのいずれもダートの1800という共通点があります。
・春はデビュー戦含めてダートでは2戦2勝だったのですが、結果は8着、9着、6着と奮いません。
・なお、9月23日と10月7日のレースでは道中2番手という前でのレースをしていたのを、10月28日のレースでは道中8番手という中段での展開に変えていました。
・以後、前でのレースをしなくなるので、ここで適性を見つけたという感じでしょうか。
【京都レース場開催】
・↑で挙げた4歳以上900万の条件戦は、史実では京都競馬場での開催。
・話に組み込みやすかったので、ダイナがわざと選んだというように変えています。
・少しでも京都レース場に慣れるため……って、ダート走ってたら走るコースそのものが違うじゃん! というツッコミはやめてください。(笑)
・ちなみに秋分特別は阪神での開催です。
【限られてる】
・重賞ならともかく、条件戦ならそんなことないんですよね。
・現に10月7日の東京第12Rで距離が1700なものの同条件の条件戦が、10月28日も同様の距離の同条件戦があったりします。
・なお、東京と京都以外に福島もレース開催しているんですが、10月になって未勝利戦天国になっており、あっても400万の条件戦でした。