見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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 ──エリザベス女王杯の出走メンバーが発表されたその日、シャダイカグラは目が点になった。


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 桜花賞を勝ち、オークスでも結果を残し、ローズステークスを勝ったんだから、自分の名前がそこにあるのは疑っていなかったわ。
 その自分の名前が無い──わけじゃない。まずはそれを確認しないと、と思って真っ先にしっかりと出走表にあるのを見たもの。
 8枠20番。20人で走るから、私よりも外には誰もいない最大外。
 ハッキリ言って不利だけど、2400も距離があれば取り返すことはいくらでもできるわ。
 中途半端に真ん中になって囲まれるよりは、片側に誰もいないのはいっそ割り切って走れるし。
 そんなことを考えつつ、気になる相手の名前を探す。
 今年の“樫の女王”──私と最後まで競ってその座を掴んだライトカラー。
 桜花賞もオークスも結果を出せなかったものの、秋になって気炎を上げているメジロモントレー。
 そんな親しい好敵手(ライバル)達の名前を見て、密かに闘志を燃やす。
 特にカラーには負けられない。オークスのリベンジをしないと。
 それ以外のメンバーももちろん強敵ぞろいだけど。
 とりあえず、1番から名前を見て……1番の()はオークスとローズステークスで見かけたような気がする。
 2番は見たことないわね。
 3番のレディゴシップはオークスでは結果が出なかったけど、秋は今まで3戦1着1回2着2回。しかもクイーンステークスでモントレーにわずかにクビ差と調子を上げてるのは間違いない。要注意ね。

(特に、彼女とあと一人には負けたくないのよね、個人的に……)

 4番は……名前間違ってない? “ズ”が足りないような気がするけど。
 5番シンエイロータス。桜花賞にもオークスにも出てない彼女だけど、春にデビューして夏前の初勝利から3連勝、そして前走のローズステークスでは私のすぐ後の2着。この夏で急速に力を付けた強敵よ。よく注意しないとね。
 そして6番はサンドピアリス──

「……ん?」

 あれ?なんかやたらと見覚えのある名前を見た気がしたけど。
 …………なにこれ?

(ちょっと待って……)

 一度目を閉じ、そして深呼吸をする。
 大きく息を吸い、そして吐く。
 そのままこめかみを押さえ──

(うん。私……疲れてるのよ、きっと)

 最近の自分の疲弊は自覚してる。
 エリザベス女王杯を前に鍛錬を積まないといけない。
 でも脚への不安から、思うようにトレーニングができない。
 そんなジレンマで焦る気持ちは露わだったみたいで、トレーナーからも「焦れば全てが終わりになる」と諭されたこともあるわ。
 そうして肉体的にも精神的にも疲労のピークだったから……()()()()()()()()()()()()()のよ。うん。
 ダメね。こんな状態じゃ、レース本番で実力を発揮することなんて──

「──って、見間違いじゃなくてちゃんとあるぅぅぅぅッッ!?」
「ど、どうしたの、カグラちゃん?」

 目を開き、あらためて出走表を見た私の目には、しっかりと“6番サンドピアリス”の名前が書いてあるのが映ってた。
 思わずあげた私の声に、ルームメイトが驚いた様子でこっちを見ている。
 そう、その──サンドピアリス本人よ。

「どうしたのはこっちのセリフよ!! いったいどうしたって言うのよ、ピアリス!!」
「え? なにが……?」
「なにって決まってるでしょ、コレよコレ!!」

 私は出走表が書かれた紙を彼女に向かって突き出して、それをバシバシと手で叩く。
 不思議そうに小首を傾げたピアリスは、眉根を寄せながらそれをじっと見つめ──

「エリザベス女王杯?」
「そうよ! ピアリス、あなたいつの間に……ううん、あなたの最近のレース結果って──」
「えっと……ダートの自己条件戦で3連敗中、だよ?」

 申し訳なさそうに「あはは……」と力なく苦笑するピアリス。
 ええ、それは私も知ってるわ。
 去年、なかなかチームに入れなくてデビューも遅れた彼女。
 私と同じトリプルティアラ路線に進むと言っていたけど、レースで勝ってはいたものの条件戦だけ。重賞で結果を残していない彼女は、桜花賞もオークスも出られなかった。
 秋になって、得意だったダート戦でも勝ててない。

(それが──なんで?)

 そう思う私の疑問も、無理もないことだと思うんだけど。
 春に比べて成績が落ちているのは明白だもの。
 それに聞いた話だと、春の結果を踏まえて、芝のレースでは勝てないから──

「ダート路線に専念のはずじゃなかったの?」
「う~ん……ダメでもともとで試しに出走登録したら、運が良いことに抽選で通っちゃって……」

 相変わらず力なく苦笑するピアリス。
 でも……それでもダートの条件戦は毎週どこかで開催されているでしょうに。
 言ってしまえば、ピアリスがエリザベス女王杯に出走するなんて無謀にしか思えなかった。
 重賞の経験はあるけどそこで勝ったことはない。それどころか芝で勝ったことがない。
 おまけに2400という距離も彼女にとっては長いように感じる。今まで走ったことないでしょ? こんな距離……

(なんで、そこまでして……)

 私がそう思ったとき、ピアリスの表情が苦笑から不安げなものへと変わるのが分かった。
 そしてどこか……申し訳なさそうで、悲しそうで。

「ぁ……」

 思い至り、思わず声が出た。
 それでもどうにか声を抑えることができたのは不幸中の幸い。

(なんでエリザベス女王杯に出走してきたか、って……全部、私のせいじゃないの)

 中央(トゥインクル)シリーズの舞台で一緒に走ろう、と私は彼女に言った。
 私の桜花賞(走り)を見て、彼女も目指すと言った。
 そして──私は、エリザベス女王杯で引退すると、彼女に打ち明けた。

(私のために……私と一緒のレースで走るために、彼女は無理を通してでもエントリーしてきたんじゃない! それを私は……)

 彼女の心意気に、グッとくるものがあった。
 このレースにかける思いもあって、思わず感極まりかけるけど──それで涙を流すわけにはいかないわ。
 私は気持ちをこらえて、笑顔を向ける。

「ええ、わかったわ。私も……最後に一緒のレースで走れて嬉しいわ。ありがとね」

 私が言うと、ピアリスの顔はパッと晴れ渡り、満面の笑顔で「うん!」と心地よい返事をしてくれた。
 ああ、私は……幸せ者ね。
 自分の脚の弱さを恨めしく思ったけど、最後のレースでこんな嬉しいサプライズを用意してくれたんだから。

(だからこそ……絶対に、負けられない)

 共に走る彼女(ピアリス)に、私の最後の姿(レース)を一生忘れないよう、その瞳に焼き付けさせるためにも、ね。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ──その出走表にある名前に戸惑ったのは、シャダイカグラだけではなかった。

「なぁ、このウマ娘……誰だ?」
「サンドピアリス? 知らない子ですね」
「出走するだけあって確かに勝ってるレースあるけど……でも全部ダートの条件戦じゃない?」
「いや待て、所属チームよく見ろ。あの〈アクルックス〉だぞ?」
「ゲェ──ッ! じゃあワンチャンある可能性も……」
「待て待て、冷静になれよ。直近の3戦がダートの条件戦で、しかも8着、9着、6着だぞ? いくらなんでもあり得ないって」
「そうそう。いくら“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”とはいえ、ダイユウサクもターキンも、その前に一応は重賞勝ってたんだぞ。きっと思い出出走だろ」
「だよなぁ。“ビックリ箱”もさすがにネタ切れか……」


 等々。
 世間の人々は、その見慣れぬ名前に首をひねりながらも──気に留めることはなかったのである。


 だから……まさかあんなことになるなんて、このときは想像もしなかったのです。




第3R メジロモントレーは気に食わない

 

 ──そしてレース当日。

 

 担当ウマ娘がエリザベス女王杯への出走するは初めての経験だった。それどころかトリプルティアラのレースに出たことはない。

 クラシックレースへの出走はオラシオンとロンマンガンのおかげで経験していたが、やはりまた違った雰囲気がある。

 

「……なんで、そんなに顔色悪いのよ」

 

 オレの隣に立つウマ娘が、怪訝そうな顔で見上げて、そんなことを訊いてきた。

 ダイユウサクだった。

 開催地が京都なのでチーム全員で来るつもりはなかった。特に先週、大舞台を終えたばかりの二人──オラシオンとロンマンガンは学園で休ませようと思ったんだが、全員が頑として「絶対見に行く」と譲らなかったので今回はチーム総出ということになった。

 だから、ダイユウサクもいるわけで、実際──彼女の言うとおりオレの顔色は良くなかったと思う。

 そういう自覚はあった。

 だが、ダイユウサクはその理由を勘違いしていた。

 

「ピアリスが不安なのはわかるけど……」

「違う。いや……違わなくもないが、たぶんお前が考えているのとはちょっと理由が違う」

 

 出走するチームの所属ウマ娘、サンドピアリス。

 確かに彼女の成績は、これまで見事だったとは言い難い。2勝あげているが、いずれもダート戦だし、しかも春レースの結果だ。

 現在4連敗中で、秋レースは3戦全敗。しかも得意にしていたはずのダート戦で、だ。

 そしてエリザベス女王杯はもちろん芝のレース。ピアリスが勝ったことがない芝である。

 かつ距離も2400。今までのピアリスの最長レースは5月に走った芝のGⅢ重賞で、2000メートル。ここまで長いレースは走った経験がない。

 良い材料が見つからないどころか、探せば不安材料しか出てこない。

 そんなピアリスに対し、オレはレース前に──

 

『一人でも二人でもいいから、抜かしてこい』

 

 ──と送り出している。

 無論、出走する以上は誰でも万に一つの勝機がある──というのがオレの持論だし、諦めているわけでもない。

 しかし、その成績は出走メンバーから一段以上劣っているように見えるのは無理もないこととで、ピアリスはいわば()()()()ウマ娘になってしまっているのだ。

 それを証明するように……今日の人気は、20人中20番目。

 

「最下位人気、か。実績と直近の成績考えれば妥当だとは思うが……でも、あの時のダイナやダイユウサクの人気でさえ最下位(ビリ)ではなかったもんな」

「「下から二番目(ブービー)で悪かったな!!」わね!!」

 

 無意識に言っていた独り言に、語尾の違う二つの怒声が返ってくる。

 見れば、あからさまに不機嫌なギャロップダイナとダイユウサクがこっちを睨んでいた。

 

「同じ大一番でも先週は一番人気、今週は最下位だなんて。スッゴい極端だよね」

 

 そう言って苦笑するのは車椅子のウマ娘、ミラクルバードである。

 彼女は現役の時には低い人気で走るなんてことなかったから、完全に他人事といった様子だった。

 

「オイ、ビジョウ……それでビビって顔色悪い、なんてまさかそんな情けない理由じゃねえよな? 天下をあっと驚かせる“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”サマがよ」

 

 不満げな目をジト目、そして嘲笑へと変えてオレを見てくるギャロップダイナ。

 そしてコロコロと変わる表情は、昔を懐かしむような遠い目になった。

 

「あたしの時はもっと堂々としてただろ? 本気であの最強ウマ娘(ルドルフ)相手に勝ちを考えてたってのにさ」

「ああ、そうだな……」

 

 ダイナの時は──無我夢中だったからな。

 立場もサブトレーナーでさえない研修生だったし、負けて失うものも無いから一矢報いてやる、という気持ちだった。

 なにより、恐れを知らない若さ……というよりは未熟さが大きかった。

 

(だが、今回は違う)

 

 オレは正トレーナーだし、チーム〈アクルックス〉を背負う立場だ。

 だからこそ──責任の重さが違う。

 このトリプルティアラの一角であり、クラシックGⅠの最後(トリ)を飾る大レースに()()()()()()()を出してしまうことが、どれほど重いことか。

 それこそオレの顔色が悪い──胃が痛くて仕方ない理由だった。

 

(オレには、その前科があるからな)

 

 GⅠでこそないが、クラシックレースの前哨戦という大舞台に場違いな出走をさせて大失敗している。

 そしてそれからドン底を味わって、トレーナーを辞める寸前までいった。

 そんな心的外傷(トラウマ)がオレの胃を痛めているのだ。

 

(いや、オレが叩かれるのはまだいい)

 

 なにしろ“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”なんて言われるくらいだから、低人気には慣れている。

 もしもピアリスが──さっき挙げたような悪条件を揃えた彼女が、この大舞台で大敗を喫したとしても世間では「不発だった」という程度の評価だろう。

 しかしピアリス本人はどうだ?

 大勢の観衆の注目が集まる中での圧倒的な惨敗は、いくら明るく元気な彼女とはいえ、それこそ心的外傷(トラウマ)になりかねない。

 

(あのときと……パーシングと同じように、競走がイヤになって、走るのをやめてしまうかもしれない)

 

 今は、走るのが好きだという気持ちを取り戻した彼女だが、その人生から“競走”を奪ってしまったのはオレの罪だ。

 そして、それを繰り返すわけにはいかない。

 たとえサンドピアリス本人が望んだレースだったとしても、やっぱりオレは止めるべきだったんじゃないか──

 

「──アタシはピアリスの気持ち、分かるわ」

「え?」

 

 考えにふけっていたオレは、ふと隣からの声で思わず振り向いていた。

 それまでじっとオレを見ていた様子の彼女──ダイユウサクは、オレの視線が向けられると微笑んでから、走路(ターフ)へと視線を向けて遠い目になる。

 

「シャダイカグラはピアリスのルームメイトなんでしょ? 自分よりもずっと先にいるその存在に追いつきたい。同じレースを走って……勝負したい。それは私も同じだったから」

 

 ダイユウサクにとってその存在はコスモドリームだった。

 ルームメイトで従妹である彼女は、サンドピアリスとシャダイカグラ以上に近しい関係だったことだろう。

 そしてコスモドリームもまた、トリプルティアラの一冠──オークスを制したウマ娘。

 

「アタシも格上挑戦した高松宮杯でコスモと競走(はし)ったけど、夢だったそれを叶えられたのは本当に良かったと思ってる。たとえあのレースで最下位になっていたとしても……きっと走らなきゃよかったなんて思わないわ」

「ダイユウサク……」

「だから、安心なさい。ピアリスは、どんな結果でも後悔なんてしないわよ。むしろ出られなかった方が後悔したはずなんだから。これが……シャダイカグラの引退レース(ラストラン)なんだもの」

 

 そう、シャダイカグラはこのレースを最後に引退するのを発表している。

 脚に不安がある──と言われているが、それでも彼女に有終の美を飾って欲しいというファンの声援を受けて、これまでのトリプルティアラのレースと同じように一番人気になっていた。

 

「確かに……その通りですね。抽選で選ばれたのも三女神様が与え賜うたの御慈悲なのかもしれません」

 

 黒髪(青鹿毛)が風になびくのを押さえながら、走路を見つめてオラシオンが言う。

 神職者らしいその言葉の後に、彼女は祈りの言葉を囁いて、胸の前で手を組んでいた。

 

「ピアリスさんの望みが、無事に叶えられますように……」

 

 その祈りは──秋風に乗って高い天へと吸い込まれていった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あのような方が、クラシックレースに出てくるなど……」

 

 発走時間が迫り、走路に出たわたくし──メジロモントレーはそのウマ娘を見ながらひどく心がささくれ立つのを感じておりました。

 なぜなら場違いなウマ娘が神聖であるべきGⅠの走路(ターフ)に紛れ込んでいるのですから。

 クラシック三冠とトリプルティアラに路線が別れこそすれども、どちらも世代最強を競うというのがクラシックレース。

 このレースに出走するメンバーには、当然に品格というものが問われますわ。

 それこそ、これまでの間に積み重ねた勝利や実績がこのレースへの出走に足りうるものか、ということ。

 

「2勝を挙げているといっても、ダートの条件戦(砂場遊び)ではお話になりませんわ。しかもそこでさえも勝てなくなっているというのに」

 

 思わず冷ややかな目を6番の彼女へ向けてしまうのも無理はないかと思いますわ。その程度の成績で、この大舞台に上がってきたのですから。

 このような場に出てくるなんて、貴婦人(ピアリス)どころかとんだ“灰かぶり”ではありませんか。

 大方……どうせ出走できたのも大物VIPの圧力でしょう?

 

(存じていますわよ、貴方の背後には()()元国民的アイドルウマ娘がいることくらい)

 

 名門メジロ家のウマ娘として、そんな()()を使って出てきたようなウマ娘に負けるわけにはまいりません。

 我がメジロ家は確かにウマ娘競走の大家ではありますが、その中でも競い合っているのです。

 だからこそ、この中央トレセン学園でもトップクラスの実力者を幾人も排出しているのですわ。

 

「それにしても……おのれ、乾井 備丈(まさたけ)

 

 そのウマ娘は自分のトレーナーのところへと行き、何事か話しています。

 ちらっと「一人でも二人でも抜かしてこい」等と言っていたのが聞こえましたが……その傍らのウマ娘共々、思わず睨んでしまいましたわ。

 

(あのウマ娘も、VIPである親戚コネを使って有記念に出走し、我がメジロ家が掴むはずだった栄光をかすめ取った……)

 

 そう、本来であれば票も集まらずに出走していないはずのウマ娘。

 それがまさか、あのような……

 無論、彼女が苦労して歩んだ道を否定や罵倒するつもりはありませんわ。

 しかし、そのような反則じみた手を使うなど……なんと汚いトレーナーなのでしょう。

 そして、それに飽きたらず今回も同じように──

 

(貴方に恨みはありませんわ、ピアリスさん。むしろ、あのトレーナーにいいように使われていることには憐憫の情さえ抱いております)

 

 わたくしのライバルたるシャダイカグラのルームメイトである彼女のことは、性格も知っております。

 朗らかで素直なその性格を、あの性悪で世間を騒がせることしか考えてない悪質トレーナー(テロリスト)に悪用されているのでしょう。

 そのことには心から同情いたします。だって……貴方のような弱いウマ娘が、こんな場違いなレースに出走することになったのですから。

 

「あのトレーナーが担当したという例のウマ娘のように……結果に心が打ちのめされてしまわないかが気がかりですが……」

 

 とはいえ、そのようなトレーナーに当たってしまった運の悪さを悲しむしかありませんわ。

 競走は厳しいものであり“強い”ウマ娘しか生き残っていけない厳しい世界なのです。そしてその“強さ”とは速い等の身体的なものだけではなく、困難や苦難にぶつかっても挫けないという精神的なものも併せたものなのですから。

 もしも今回のことで心が折れるようでは……この道をあきらめた方が本人のためかもしれませんわね。

 

「それに……わたくしとて、今日のレースはそのようなことを気にかける余裕も御座いませんわ」

 

 深呼吸をして、平静を取り戻す。

 このような些事を気にして心を取り乱しているようでは、勝てる相手ではありませんもの。

 今から挑む──シャダイカグラというウマ娘は。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ウチ──ライトカラーにとっても、このエリザベス女王杯はマジでノドから手がでるほど欲しい栄冠。

 なんで? って……ウチの世間での評価は低く、今日の人気もイマイチだったからよ。

 いや、ちょっと待って。なんでマジでこんなに低い?

 仮にもオークスウマ娘よ? 今年の『樫の女王』よ?

 

(それがなんで、7番人気!?)

 

 確かにカグっちの人気に負けるのは分かる。

 桜花賞ウマ娘だし、ウチもオークスではなんとかギリギリ勝てたんだし。

 脚部不安が噂されててもラストランなんだから、当然応援したくなるわ。

 まぁ……モンっちに負けるのは、ギリ分からなくもない。

 名門メジロ家の令嬢だし? 春も人気高かった上に秋でも結果残してるし。

 けどさ、ならウチが3番人気でよくない?

 誰よ、カッティングエッジって? 

 確かに去年デビュー3連勝して、春を棒に振っての復帰戦4着とまずまずみたいだし。

 でもさ、なんかおっかないウマ娘なんだけど……三白眼でやたらと目つきが怖くて、しかも不機嫌そうにやたらと睨んでくるし。

 怒ってるのかと思って訊くと、「キレてないッスよ」って返してくるのが持ちネタ……みんなあの目で睨まれて、恐怖に屈してるせいで人気が上がってない?

 反則じゃん、そんなの! 圧力に屈しちゃダメ!!

 

(って、こっち睨んできてるし)

 

 怖い目つきでこっちをジッと見て……完全にキレてるじゃん。ヤバ……

 で、彼女だけじゃなく他にもウチより人気集めてんのが沢山いるし。

 3連勝でローズステークスに出走して2着のシンエイロータス。

 オークスの後から調子を上げてるレディゴシップ。

 そのオークスではウチとカグっちの後で3着だったヤンゲストシチー

 

(……みんな同い年なんだから一番若い(ヤンゲスト)とかないし)

 

 まぁ、とにかく……ウチの人気はその後くらいで真ん中よりやや上といったところ。

 それが意味することは──

 

『オークスはフロック(まぐれ)

 

 つまりは世間のみんながそう思ってるってワケ。

 確かに……それまでの戦績も、そこからの戦績も、どっちも優れてるなんて言えないけど。

 でもね、あのオークスでカグっちとゴール直前まで競った。

 そして、勝った。

 それは紛れもなくウチ──ライトカラーがしたことだし、その結果こそ自信になってる。

 だから……負けられない。

 絶対に勝たないといけない。

 これ以上、あのレースを“まぐれ”と言われないために。

 “樫の女王”の名を、ウチに負けたカグっち自身を貶めないためにも。

 

 両手で挟み込むように、自分の頬をパンと叩いて──視線を上げる。

 そしてふと──そこに一人のウマ娘が視界に入った。

 周囲のウマ娘達が──ウチも含めて──勝利(栄冠)を求めて目をギラつかせてる中で、彼女だけは場違いなくらいに雰囲気が違ってた。

 だから目立ったんだろうけど……この大舞台に、目を輝かせながら周囲を見てる。

 

「ピアリス……」

 

 サンドピアリス。

 ウチもよく知る、カグっちのルームメイト。

 トリプルティアラ路線を志望していたけど、春は出てこられなかった彼女の実績は、お世辞にも良いとは言えない。

 周囲の評価はウチ以上に低く、実力不足と見られてしまって最下位人気になってた。

 

(気持ちは……分かるわ)

 

 それでも彼女が出てきたのは、きっとシャダイカグラと走りたいから。

 このレースが最後と宣言してるカグっちと走るには、このレースに出走するしかないし。

 世間の“思い出作り”というのはある意味あってるかも。

 でもウチは、それを責めたりバカにするなんてできない。

 競争相手(ライバル)であると同時に、中央(トゥインクル)シリーズで活躍するという同じ夢を抱いて努力してきた親友とその舞台で走りたいという一念は理解できる。

 

(それで、どうにか滑り込んででも出走してきたのはヤバい。抽選を見事に抜けてくるあたり、その運もヤバい)

 

 端から見れば場違いなんでしょうけど、ウチはそう思ってない。

 だからピアリス……一生懸命走りなよ?

 ウチも、全力で走るからさ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 目の前にあるスタート用のゲート。

 その前で私──シャダイカグラは目を閉じていた。

 

(今のところ、痛みは──無い)

 

 前走のローズステークスでもなんともなかったし、おかげで勝ってこのレースに臨むことができたわ。

 そしてもうあと一レース。これさえ終われば、それで済むんだから。

 トリプルティアラの最後のレース。

 桜花賞をとり、オークスではギリギリ届かなかった。

 だから最後に、最後の一つをどうしても掴みたい。

 

(私が、中央(トゥインクル)シリーズを走った証として……)

 

 目を開ける。

 私とオークスで最後に競い、そして“樫の女王”になったウマ娘の姿があった。

 同じくオークスで競った名門メジロ家のウマ娘の姿もある。

 他にも桜花賞やオークス、前走のローズステークスで競ったウマ娘達がゲートへと入っていき、集中力を高めている。

 そして──その、どのレースでも見ることのなかったウマ娘がいた。

 

「うん! うん……」

 

 少し興奮気味で──でも緊張感無く、楽しんでいる様子で、彼女はゲートへと入る。

 でも私がトレセン学園で過ごす中で最も目にし、話をし、間近で接してきたウマ娘──サンドピアリス。

 

(最後の最後で、あなたと同じレースを走れるなんて……ね)

 

 思い出として最高の舞台(シチュエーション)よね。

 だからこそ、私は……最高の結果を残してみせる。

 今までたった一人しか成し遂げていないトリプルティアラの完全制覇という偉業に並ぶことはできないけど、それに限りなく近づいたウマ娘になってみせる。

 

(だからこそ──私の脚よ、最後まで……三女神様よ……)

 

 ──そう思ったとき、係員からゲートへと促された。

 気がつけば、他のウマ娘達は全員入っていて、私が最後の一人になってる。

 

(そんなことに気がつかないほど、不安になっているのかしら)

 

 そう、思わず神頼みをしてしまうほどに。

 正直な心境を言ってしまうと、胸の前で手を組んで祈りたいくらいだけど……そんなことをしたら、「まるで祈りのウマ娘(オラシオン)」なんて言われるわ。

 もちろん、彼女の実力は圧倒的だし認めるところだけど……だからこそ、彼女の二番煎じにはなりたくないのよ。

 それでこのレースに勝ったとしても()()()()()をしたおかげ、なんて言われるのは御免だわ。

 

(あと、たった2400メートルだけもってくれればいいのよ)

 

 そうすれば──私は、勝てる。

 そう……()()()()()()()()()”になんて頼る必要なんてないのよ。

 勝利とは努力の結果なんだから。

 そして私の競走人生をかけてきた研鑽は、そんな神や奇跡に頼るような脆弱なものなんかじゃないんだから。

 

(神様に祈るなんて……弱気になっていた証拠よ)

 

 そんな心構えじゃ、勝てる競走(レース)も勝てなくなるわ。

 もちろん“祈りのウマ娘”を揶揄しているんじゃないわよ? あれは彼女のルーティーンでもあるんだし。

 私みたいな敬虔でもないウマ娘が祈るのとはワケが違う。

 

(私は──実力で栄冠を掴みにいく。実力を出せば、結果は自ずとついてくる)

 

 その自信は、ある。

 奈瀬トレーナーに鍛えてもらった私なら、絶対に掴めるはずよ。

 

 そして、私はゲートへと踏み入れ──神にすがることなく自分の足で立ち、スタートを待った。

 

 

 

 そして間もなく……ゲートが開き、エリザベス女王杯は始まった。

 

 

 




◆解説◆

【メジロモントレーは気に食わない】
・彼女が不満なのは、やっぱりピアリスのことであり、それ以上に気に食わないのは乾井トレーナーのこと。

1番の()
・シャダイカグラが出走した1989年開催の第14回エリザベス女王杯。
・その馬番1番だったのはシルビアワン。1988年11月にデビューしてオークス前までに2勝しオークスに出走するも結果は10着。
・ローズステークスにも出走していますが7着。
・ただ、秋はその前も勝っておらず……勝利はオークス前の2つだけでエリザベス女王杯に出走しています。
・それもダート戦のみ……と、オークスに出ているところは違いますが、まるで誰かのようです。

2番
・史実2番はグローリーアゲン。
・前年秋にデビューして勝利を飾っていますが、2戦目は翌年の9月10日の条件戦と春レースを棒に振ってます。
・そのレースも勝って2戦2勝でローズステークスに挑むも4着。その後の条件戦を勝利して、勝利は条件戦だけな物の4戦3勝でエリザベス女王杯に出走しています。
・馬名は8文字(最大9文字まで)なのに、なんで「アゲイン」じゃないんだろう? と思ったのですが、「アゲン」は馬主さんの冠名だった模様。
・1967年生まれのトライアゲンが最初に付けられた「アゲン」で、2020年生まれのフューチャーアゲンをはじめ、今年(2022年)のSTV賞を制したフォワードアゲン等がおり、長く馬主を続けられているようです。

3番のレディゴシップ
・オークスで7着だった以降、夏の条件戦で2着、1着と好成績を残してクイーンステークス2着という成績で出走。
・人気も5番人気と、なかなか上の方でした。
・エリザベス女王杯後は、次走を含めてオープン特別を3勝。重賞中山牝馬(GⅢ)で4着、中山記念(GⅡ)で2着という成績を残して、1990年の9月に引退しました。
・本作のシャダイカグラがどうして対抗意識を燃やしているのかと言えば、元ネタ競走馬が社台ファーム生産のノーザンテースト産駒で、馬主は社台レースホースという完全な社台グループの馬なため。
・“あと一人”──12番カッティングエッジと合わせて、どちらも社台グループの競走馬が元ネタなので、本作では“名門シャダイのウマ娘”ということで非シャダイのシャダイカグラは目の色を変えてます。

4番
・馬番4番だったのはラブオンリーユー。
・ええ、最近の競馬を知ってる人だと「え?」と思わず思ってしまう名前です。
・というのも2016年生まれで、2019年のオークス馬という有名なラヴ()オンリーユーがいますからね。
・一方、このラブオンリーユーは前年9月デビューで4月の未勝利戦と5月の条件戦で勝ち、ローズステークスは6着。エリザベス女王杯まで12戦も走っていました。
・その後はオープンに昇格できず、一度だけ障害を走ったりしながら90年の8月に引退しています。
・なお、ラブとラヴズは血統的にも馬主的にも関係はありません。
・ちなみにエリザベス女王杯の実況を担当した杉本アナの「ラブオンリーユー」の名前の読み方が個人的なツボにはまっていて大好きです。

5番シンエイロータス
・直前までの成績は作中の通り。
・その好走から、本番では史実でシャダイカグラ、メジロモントレー、カッティングエッジに次ぐ4番人気でした。
・そして史実で大波乱となったレースの中で、上位人気馬の中では唯一、掲示板を確保した馬でもありました。
・他は20頭中、真ん中以下人気の馬ばかりでしたので。

大舞台
・もちろん菊花賞のこと。
・本作ではオラシオンやそのライバルたちが出たレースになっていますが、89年の菊花賞を制したのはバンブービギン。
・1番人気が制した固いレースでした。
・5月から活躍し始めた馬だったのですが菊花賞で引退しており、ついでに言うとダービー馬のウィナーズサークルも菊花賞を最後に引退。皐月賞のドクタースパートはその後サッパリ……と、86年生まれの競走馬が一人も公式ウマ娘になっていないのを示すように、活躍できていません。

カッティングエッジ
・同名の競走馬を元にした本作オリジナルのウマ娘。
・その名前や実況で「キレ者」と言われたりしていたので、いつも怒っているキレキャラ……のように勘違いされている、という設定です。
・その原因が目のせいになっているのは、『オーバーロード』のネイア・バラハのオマージュです。

ヤンゲストシチー
・前年にデビューしていたヤンゲストシチーは、11月末の5戦目(ちなみにデビューは10月頭。走らせすぎ……)で初勝利。
・そこから3連勝していて、その3つ目はチューリップ賞と桜花賞に向けて万全でしたが、結果は9着。
・オークスでは3着に入ってエリザベス女王杯の前のサファイヤステークスでは2着になっています。
・なお、3番人気だったシンエイロータス以下、レディゴシップは4番人気、ヤンゲストシチーは5番人気という順で名前を並べました。
・なおヤンゲストシチーは、エリザベス女王杯後は牝馬系の重賞を中心に出走しますが、その後に1着はなく、結局最後の勝利はチューリップ賞でした。
・ちなみに名前のヤンゲストは、母のヤングシチーからかと思われます。


※次回の更新は12月23日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時35分となります。
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