見えぬ輝きの最南星《アクルックス》   作:ヤットキ 夕一

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──2──

 

「ふふふ……6月の札幌のレースは、本当に笑ってしまいました」

「うるせえなぁ。仕方ねえだろ、靴が脱げちまったんだから」

 

 もちろん途中でそれに気付いたが、履き直してるヒマなんてもちろん無かった。

 で、構わずそのまま全力で走って──1着で駆け抜けたんだが結果は反則で無効。

 

「そういうお嬢は、久しぶりに勝利してたもんな」

「え~? そんなことありませんよ。その前に勝ったのは3月だったんですし……」

「ああ、そっちが久しぶりだったんだっけな。1年4ヶ月ぶりだったか?」

「……あら? そんなに間があいていたかしら?」

「あのなぁ、自分のことなんだからしっかり把握しておけよ。まさか次に出走するレースがわからない、とか言うなよ?」

「え? えぇと……」

「本気で分からねえのかよ、お嬢……」

 

 眉根を寄せて悩むお嬢の姿にあたしは思わず苦笑する。

 

「スワンステークス、だろ?」

「ああ。そうでした~。たしかそのような名前のレースで、開催日は……」

「10月27日。あたしの走る秋の天皇賞(アキテン)と同じ日」

「え? あら……そうなの? でも、同じ日なら直接応援が──」

「あのなぁ、お嬢。スワンステークスが開催されるのは京都だぞ?」

「そうなの? でも天皇賞が開催されるのも確か京都じゃなかったかしら~?」

「それは春の天皇賞(ハルテン)。秋の開催は東京。しっかりしてくれよ……」

「あら、まぁ……それじゃあダイナさんの走る姿を見て応援することはできないのね。残念だわ……」

 

 本気でしゅんとしょげるお嬢の姿に、あたしは再び苦笑してしまう。

 

「そうだな。あたしも……お嬢の勝つ姿が見れないのは残念だ」

「私だって、あなたの勝つ姿、直接見たかったのに~」

 

 そう言って頬を膨らませるお嬢だが……いや、ちょっと待て。

 

「オイオイ。今までのあたしの説明、聞いてなかったのかよ。一緒に走るのはシンボリルドルフと、その周りもとんでもないヤツらばかりだぞ? あたしの勝ちなんて──」

「でも……あの“研修生”さんは、諦めていないんでしょう?」

 

 そう言ってクスクスと微笑むシャダイソフィア。

 ったく、どこで盗み聞いていたんだか。

 

(そうなんだよ、あいつ……何を勘違いしてんだか、勝つつもりなんだよな)

 

 天皇賞(秋)(アキテン)への出走を聞かされたときはノセられて同意しちまったけど、後々になってよく考えればやっぱり勝ち目はねえのがよく分かる。

 というかあの時、周囲にお嬢いなかったよな?

 にもかかわらずそれが分かるってのは……あたし以上にあいつとお嬢の絆があるように思えて、なんだか面白くねえんだよな。

 

 ……あ? もちろんお嬢のことを心配して、だぞ?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 トレーナー候補の私がトレセン学園の敷地内にいるのは当然のことよ。

 でもそんな私──巽見 涼子が、今この場にいるのは、完全に成り行きだった。

 

「……正気ですか?」

 

 私は思わずそう訊いていた。

 不思議と縁のある先輩──乾井 備丈(まさたけ)から、「研修中に現役ウマ娘の面倒見てるんだが手伝ってくれないか?」と言われたので、この経験は自分の糧にもなると思って了承した。

 それもGⅠレースへの調整の手伝いと聞けば、間違いなく貴重な経験になると思うのは当然でしょう?

 なのに……私はさっきの言葉を言いながら、こめかみを押さえて沈痛そうな表情を浮かべることになってる。

 これはいったいどういうこと?

 

「話が違います。私は経験を積ませてくれるために呼ばれたんだと思いました」

 

 だって、先輩が担当してるというウマ娘の成績を見れば、明らかに“思い出出走”だと思うわ。

 だというのに、この人は──

 

「それが()()()勝ちを狙っていくだなんて……」

「あ? そんなの当然だろ。なぁ、チュン太郎……?」

 

 そう言って笑みを浮かべた先輩が向けた視線の先には、私と同じように手伝いに駆り出された同期生──先輩から見れば後輩──の朱雀井が、やっぱり戸惑いの表情を浮かべてる。

 その反応を見れば、彼も私と同じように考えていたのは明らかだった。

 そんな私達の反応に見かねた様子で、件のウマ娘が口を開く。

 

「なぁ、研修生。お前の後輩が言うように、やっぱ勝つとか無理だろ? 現実的に考えて……」

 

 私達と同じように立っていた、先輩が面倒を見るウマ娘──たしかギャロップダイナって名前だったかしら──が居心地悪そうに苦笑しながらそう言った。

 

(こうして見ると、先輩だけが浮き足立って「勝つ」と言っているみたいね)

 

 私は心の中で呆れに近いため息をついた。

 

(その根拠のない前向きが、どれだけ指導される側を傷つけるか……この先輩はちっともわかっていない)

 

 私はスポーツインストラクターの資格を持ち、私自身も武道に打ち込んである程度の結果を残している。

 そんな体育会系だからこそ「努力は報われる」という信条を持っている──と思われがち。

 

(でも、だからこそ私は知ってる。スポーツの世界に存在するトップクラスとそうでない者の間に圧倒的な“嘆きの壁”があることを)

 

 大学時代まで剣道に打ち込んだ私は、競走と剣道と競技こそ違えどその存在を嫌と言うほどに思い知らされたんだから。

 全国大会出場と全国大会制覇の常連とでは天と地の差ほどもの差があるわけで……

 同じ全国大会出場者でも、格が違う。

 その格上相手に対してはどんなにあらがおうとも太刀打ちはできなかった。それを経験として知っているのよ

 

(……少なくとも私は勝つことができなかった)

 

 そういう人を相手に所属校同士の団体戦で勝ったことはある。

 でもその時だって直接対決で負けたのを他の人の試合結果で勝てたというだけ。それを“勝った”だなんてとても言えないわ。

 そういう()()を知っているからこそ先輩のいう夢は、私には実現不能な絵空事にしか思えなかった。

 生まれ持った才──と言うのはもちろんその人に対する侮辱だと分かってる。努力があったからこその実力なんだから。

 でもそのスタート地点が違っていたら? そう思わざるをえないような天才を相手にして、その差を見せつけられてきたのよ。

 だって……私だって必死に努力して、真剣に打ち込んで来たんできたのに、それでも届かなかったのよ。

 

(どんなに頑張っても届かない相手はいる。それ以上、どうしろっていうの?)

 

 そんな現役時代の経験を、目の前にいるウマ娘にも当てはめて考えてしまう。

 

(シンボリルドルフは間違いなく天才だわ。対してギャロップダイナも中央トレセン学園に入れたんだから実力はあるのは間違いないけど……でも、今回の出走だって運に恵まれて出場できたようなものなんだから)

 

 その差は歴然だった。

 無敗の三冠ウマ娘にして現在はたった1敗しかしていない五冠ウマ娘。

 そんなのを相手に勝つ? それこそ同等の才能でもなければ不可能だし、彼女にそれがあったらとっくにオープン昇格してるでしょ?

 彼女だってその自覚があるから──

 

「走る前から諦めるのか? らしくないぞ、ギャロップダイナ」

 

 苦笑していたウマ娘──ギャロップダイナに声をかける先輩。

 そんな彼に対してギャロップダイナは苦笑をやめ、真剣な面持ちになって返す。

 

「そう言うけどな、予定してた府中ステークスじゃないんだぞ。GⅠだぞGⅠ。それもかつての八大レース、秋の天皇賞だからな?」

 

 無論、彼女は自分の立場を理解してる。夢を見て地に足が着いていない先輩に現実を教えようとしているように私には見えた。

 でも先輩は、態度を変える様子はない。

 

「どんなレースだろうと関係ないさ。走るからには勝利を目指していいはずだろ? 無敗のウマ娘だろうがなんだろうが、ゲートに入れば立場は誰も一緒だ。()()()()()()()()()でしかない」

「……そうは言うけど、無茶な理屈だろそれ」

 

 ついに呆れたような表情を浮かべるギャロップダイナ。

 そんな彼女に対して、先輩は不満そうな顔になる。

 

「オイオイ、弱気すぎるぞ。どうしたんだ、お前らしくもない」

「お前こそ、強気過ぎんだろ研修生」

「シンボリルドルフだけスタート地点が違うわけじゃないだろ? お前だって条件ウマ娘だからって、箱根駅伝の学連選抜みたいにどんなに頑張っても参考記録になるわけじゃない。1番入線すれば当然、1着として扱われるんだ」

 

 そう言って笑みを浮かべる先輩。

 

「せっかく走るんだから狙おうじゃないか。“皇帝”サマと違ってこっちは負けても失う物も無いんだから」

 

 そのウマ娘はどんなレースだろうと“勝って当然”と世間では思われてる。

 だからこその大本命。史上初の“天皇賞春秋制覇”は彼女だとはやくも新聞(マスコミ)は騒いでいる。

 かたや誰からも期待されていない──これは私もこの時知らなかったけど、彼女の正式な担当トレーナーさえも別のウマ娘のレースを見に行くことになっていた──ウマ娘。

 そんな彼女は下を向いてうつむきながらガリガリと頭を掻いて……それから上げた顔はニヤリと悪い顔で笑みを浮かべていた。

 

「ったく好き勝手言ってくれるよな、研修生。ああ、わかったよ。その口車、乗ってやろうじゃねぇか」

 

 そんな笑みにつられるように、彼もまたニヤリと笑みを浮かべる。

 そのウマ娘は彼に対し、初めてそう呼んだ。

 

「これから頼むぜ、相棒」

 

 差し出されたその手を先輩は握りしめ、そして「ああ」と力強く頷く。

 それを傍らの朱雀井はクイッと眼鏡のブリッジを押し上げつつ、興味深そうに見て笑みを浮かべていた。

 

 そんな彼らを──私は、複雑な思いで見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうして、心を一つにした3人が行動を開始した。

 先輩はウマ娘──ギャロップダイナに指示を出してコースを走らせ、一方で朱雀井は「情報を集めてきますよ」と言ってフラッとこの場を去った。

 根が真面目で、かつ凝り性な彼のことだからきっとキッチリ偵察してくるんでしょうけど……

 で、私はと言えば、ギャロップダイナが離れたタイミングで先輩に話しかけていた。

 

「……焚き付け過ぎじゃないですか?」

「出走するだけで十分。ケガ無く無事で帰ってこい、ってアイツに言えと?」

 

 後ろから声をかけた私に、彼は振り返りもせずにそう言った。

 

「安易に『勝てる』とか『勝て』と言うのはやめた方がいい、と言ってるんです」

 

 その言葉が彼女をどれだけ傷つけ、追いつめると思ってるの?

 それを想像できる私は、少なからず先輩の行動にイラついていた。

 スポーツに人生を──少なくとも10代という大事な時期を捧げた私達の気持ちを、そうしていない先輩になんて分からないでしょう?

 その言葉は、あまりにも無責任にしか見えなかったから……

 

「──今回の出走、オレだって本当は反対だ」

「え……?」

 

 直前までは茶化すような態度だった先輩の口調が、明らかに変わっていた。

 それに戸惑う私を置いて、先輩はさらに続ける。

 

「あいつを任されてから今まで地道にやってきたつもりだ。時間こそかかっているが、少しずつ結果も出てきてる。おかげでオープンクラスが目の前にまでこぎつけた。だからこそ本音を言えば、今までのペースでコツコツと着実に経験と実績を積み重ねたかったさ」

「なら、なんで──」

 

 その理由は、薄々分かってる。

 先輩はあくまで研修生であり、トレーナー……チームを背負って立つメインはおろかサブトレーナーの立場でさえないんだもの。

 案の定、彼は小さく──私から隠すようにため息をついて答えた。

 

「おやっさんだよ。シンボリルドルフに挑む一部の気概ある連中以外は出走メンバーが寂しいことになりかねないらしくてな。そのルドルフを担当してるセンパイの手前、うちから誰も出さないってわけにはいかない、だそうだ」

 

 同じトレーナーを師に仰ぎ、すでに独立している先達がルドルフの担当らしい。

 そんな彼女への手向けとして、師匠として一人くらいはレースに出走させようということだそうだ。

 でも、そんな理由での出走なら他人事ながら私だって腹が立ってくる。トレーナー同士の面子のせいでウマ娘が蔑ろにされているように見えて仕方ない。

 まして出走するのが実力や実績が足りているウマ娘ならともかく、今のギャロップダイナは実績が圧倒的に足りてないんだから。

 

「でも、それならなにも彼女じゃなくてもいいんじゃないの?」

「うちのチームだって他と一緒さ。こんな()()()()()()()に、有望なウマ娘を出して自信喪失させるわけにはいかない」

 

 先輩はそう言うと「やっと調子が上がってきたシャダイソフィアを挑ませて、歯車を狂わせるわけにはいかないし」と付け加えた。

 ギャロップダイナの親友だという彼女は、秋の天皇賞を避けて同じ日に京都開催のレースに出るとのこと。

 そして、先輩やそのチームの人が『おやっさん』と呼ぶチームのメイントレーナーはシャダイソフィアについて京都に行くらしい。

 それを聞いて私は完全に憤った。あまりにもあのウマ娘──ギャロップダイナが可哀想だ、と。

 そして同時に思い、それを言葉にする。

 

「なら、余計にここで頑張る必要なんて無いわ! 勝ちをねらいに行かなくても、トレーナーだって“思い出出走”のつもりなんでしょう?」

 

 それに対し先輩は──振り返って笑みを浮かべる。

 怒っていた私にとってその表情は、まるで頭から冷や水をかけられたようだった。

 

「せっかく出走できるんだぞ? 勝ちを目指さない理由はないだろ?」

「な……だから、それが無責任だと言うのよ! 勝てるレースならともかく、そんな相手じゃないでしょ!?」

 

 思わず強く言った私に対し、彼は──

 

「聞いた話なんだが……昔、とある県立高校の野球部の監督に、ある大学生が訊いたそうだ。『甲子園を狙ってないんですか?』ってな」

 

 視線を私から、遠くを走るギャロップダイナに移して、話し始めた。

 突然変わった話に付いていけず、思わず黙った私に構わず続ける。

 

「で、その監督は目指してないと答えた。そういうレベルじゃないからってな」

 

 それは私にとって頷ける話だった。

 高校の運動部全てが日本一を目標にしているわけじゃない。

 硬式野球の甲子園。サッカーの天皇杯。ラグビーでの花園……その他、インターハイとか全国大会に出場できるのは、競技人口から見れば本当にごくわずかでしかないんだから。

 本気で目指す人は強豪校に入るんだし。

 

「だが、その大学生は『目指すべきだ』と言ったそうだ」

「逆よ! その大学生の方がおかしいわ」

 

 反射的に私はそう言っていた。

 実際に競技するのは高校生達。彼らに無理な目標を押しつけるのは正しいとは思えない。

 

「『せっかく高校で野球をやっているのに、目標にしないのは()()()()()()()()』って言ったんだとさ」

 

 そんな私に対してそう言った先輩は──再びニヤリと笑みを浮かべたような気がして、その一方でその目は純粋に輝いているようにも見えた。

 同時に私もハッとしていた。その大学生は選手達のことをしっかり考えていたんだ、と。

 学生時代をスポーツに捧げた私は、それを終えたせいで忘れていたものがあったのかもしれない。

 それは……高みを目指して努力することへの楽しさ。目標を達成したときの高揚感。

 いずれも上を見上げていなければ味わえない感覚だけど──私はいつのまにかそれをやめてしまっていたみたいね。

 まぁ、だからこそ……選手を引退したんだけど。

 

「それをきっかけにその監督は甲子園を目指した。そして……高校時代から有名で(のち)にプロ野球で誰もが知るような選手を2人も擁した名門校を破って優勝させたんだ」

「え……?」

「そして、その監督はスカウトされて別の高校に移り、その高校を甲子園に何度も出場させるだけじゃなく優勝もさせた。そうしてその高校からは多くのプロ野球選手が生まれることになったんだ」

 

 その話は確かにすごい、と思う。

 だけど──私は「でも」と思った。それはたまたま恵まれていただけじゃないの? と。

 無名校が有名校に勝つことは、それはあるでしょ。でもそれは運がよかっただけかもしれないし。

 

「なぁ、巽見……誤解がないように言うが、オレは別にその高校と同じようにギャロップダイナなら強敵を倒せると思ってるんじゃないんだ」

 

 先輩は「オレが名監督と同じなわけがないしな」と自虐的に苦笑する。

 もちろんそれに同意することも否定することもできない。まだ研修生な先輩が将来どんなトレーナーになるかわからないんだから。

 

「指導者側にいるオレたち(トレーナー)が、最初から『勝てない』と諦めるのは間違いじゃないかとオレは思うんだ。もしその監督が“勝ちを目指さないのは選手が可哀想”という考えに至れなかったら、最初(ハナ)っから諦めたままだったら……その監督と会うこともなくプロ野球選手になれなかった人もいたかもしれない。本当なら()()()()()()()()()()のにな」

 

 その考えはわからなくもない。

 一流アスリートには優れた指導者との運命的な出会いというものが確かにある。だからもしもその出会いがなければ結果が違っていたかもしれないという“if”はあるでしょうね。

 

「そう考えたら、簡単に可能性を捨てるのは“もったいない”と思わないか? 出走するからにはたとえ僅かでも勝つ可能性はあるのに」

 

 その考えこそ素人的と思って、つい睨んでしまう。

 実力差という厳然たるものが存在する以上は、勝負の世界ではそんなことはないのよ。

 そんな思いが先輩にも伝わったらしく、彼はからかうように笑みを浮かべて言った。

 

「オレとお前、当然にお前の方が足が速いけど……競走したらオレが勝つ可能性だってあるだろ。例えばお前がスタートで()けたりすれば」

「そ、そんな都合の良い話……」

「でも、あり得ない話じゃないだろ? たとえ距離が長くても、お前がその拍子に怪我をしたとしたら? それでオレを追いかけるどころじゃなくなってたらオレの勝ちだ」

 

 ヒトの何倍もの速度で走れるウマ娘は当然に体が強いけど、それでも転んだりケガをすることはある。

 だから先輩の言うことは間違いじゃない。

 間違いじゃないけど……納得はしがたい。

 

「だから……オレ達トレーナーが諦めちまうわけにはいかないだろ?」

 

 先輩はそう言って再び視線を彼女に向けて──

 

「たとえアイツが勝てる可能性が限りなくゼロに近くても、な」

「あ……」

 

 先輩は、現実が見えてないワケじゃない。

 でも諦めるわけにはいかなかったんだ。たとえ僅かでも可能性を掴ませるために最大限の努力をしようとしているだけ。

 そのためにはまず……本人がやる気にならないといけない。だからこそ『勝ち』を口にしていたんだ。

 

「オレとアイツ、それに朱雀井(チュン太郎)もだが……勝ちを拾うためにきっと暴走しがちになって無茶をすると思う。だからお前がオレ達のブレーキ役になってくれ。オレ達がバカなことをしそうになってたらインストラクター視線で遠慮なく止めて欲しい。これ以降を考えて、アイツの体に負担にならないように」

 

 絶望的でも諦めずに勝利を目指す──それがトレーナーとしての先輩の矜持。

 そしてそのための手段として私を選んだのなら……

 

「わかったわ。そういうことなら遠慮なくいくわよ」

 

 私は全力を以て、それをサポートしましょう。

 

 ……で、案の定、このあとでいろいろ無茶なトレーニングを始めようとするバカ2人──じゃなかった3人を止めるのに私は忙しくなるのだった。

 




◆解説◆

6月の札幌のレース
・札幌日経賞のこと。ギャロップダイナが出たのは1985年6月9日に開催のレース。
・初のGⅠ挑戦になった安田記念の次走で、1800のダート戦。
・なお、スタート直後に落馬。
・落馬の扱いはウマ娘だと本当に困るのですが、今回は本作のコスモドリームの例と同じように靴が脱げた判定になりました。
・なお、史実のこのレースでギャロップダイナは空馬なものの1馬身半の差をつけて1番入線しています。
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