「──お前、あたしが出番のときに笑ってただろ?」
天皇賞のセレモニーが終わるやいなや、やってきた不機嫌そうなウマ娘にオレは絡まれた。
ムスッとしたその顔を見るとさらに笑いそうになったが、どうにか堪える。
これ以上は本気でヘソを曲げなかねいからな。
案の定、不満そうに口を尖らせながらオレへ文句を言ってきた。
「ああしろって言ったのはお前だぞ!? そうでなければあんな態度……」
「悪い悪い。指示通りにやってくれて感謝してるよ」
そう言ってオレは彼女──ギャロップダイナをなだめる。
今週末に行われるGⅠレース、秋の天皇賞。そこに出走するウマ娘の集うセレモニーでオレはギャロップダイナにある指示を出していた。
それは──
「無難な回答にばかりしてくれたおかげで、悪目立ちも含めて他の陣営からは目を付けられなかっただろ。目論見は成功、ってところだな」
「ケッ、おかげでクソつまんねえことしか言えなくてこっちはストレスだ。あんなコメント、テレビ局はもちろんマニアックな専門誌の記者でさえ取り上げねえよ」
「それが狙いだからな」
──格上挑戦なので精一杯頑張る。
──このような格式の高いレースに出走できて光栄。
──まして周囲のレベルの高いウマ娘達と肩を並べて走れるだけでも栄誉。
等々……これ以上ないくらいに“思い出出走”をアピールさせたのだ。
「とにかく目立たない、それこそが作戦なんだから」
「あ~、お前の同級生だったか? 眼鏡のあいつが考えた作戦なんだろ?」
歳はそうだがここでの歴はオレの方が一年だけ先輩だけどな。
まぁ、とにかくアイツ──
同い年で同じようにトレーナーを目指すことになったオレ達だったが、難関と言われているトレーナー試験に何の因果かオレの方が一年ほど早く合格した。だからオレの方が先輩ということになってる。
だがオレよりよほど真面目にトレーナーを目指していたアイツが立てた作戦は、確かに理にかなっているように思えた。
『──ギャロップダイナが勝つには、ノーマークから不意を付いてのラッキーパンチに賭けるしかない』
だからこそ「こっちは出られるだけで満足です。勝負をフッ掛けません」と人畜無害のフリをしていれば、十把一絡げのモブウマ娘と思ってくれるのは間違いない。
「けど、少し気にしすぎじゃねえのか? あたしみたいな落ちこぼれ、
「逆に言えば、少しでも警戒されれば簡単に潰されちまう相手ばかりってことだろ。念には念を入れておいて損はないしな」
「ったく、行儀よく振る舞うなんて慣れてねえから、本当に疲れちまうわ」
「……アレで行儀よかったのか?」
受け答えを思い出し、思わず笑いそうになりながらオレが言うと、ギャロップダイナは睨みつけてきた。
「アァ? 当たり前に決まってんだろ?」
「ただ無愛想なヤツにしか見えなかったけどな」
苦笑しながらオレが言うと、彼女はさらに眉をつり上げる。
必要最低限の答えしかしなかったギャロップダイナ。おかげでボロが出なかったし、いかにも『こういう場は不慣れです』という感じだったから成功していたけどな。
しかし、まさかアレがこいつにとって最大限の“品行方正”のつもりだったのかと思うと笑いがこみ上げてくる。
「ビジョウ、テメぇ……」
「え?」
ん? いつの間にかギャロップダイナめ。呼び方が変わってるな。
おやっさんに任されて以降、ずっと“研修生”呼びだったのに。
「チュン太郎がオレのこと
「うっせぇ! お前こそあたしのことを長ったらしく“ギャロップダイナ”“ギャロップダイナ”っていつまでよそよそしく呼んでんだよ! お前の後輩達は“ダイナ”って言ってんのによ」
「あれ? ギャロップダイナさん……ひょっとしてオレにそう呼ばれたかった?」
「ふざけんな!」
怒号と共に、割と本気の蹴りがオレに向かって飛んできた。
巽見みたいに武道に打ち込んできたわけでもないオレは、それをまともに喰らうしかなく──
(秋の天皇賞……)
その当日、ゲートに入った私──シンボリルドルフは集中を高めようとしていたものの、つい雑念が頭に浮かぶのを止められないでいた。
(春の天皇賞以来の出走……レースの勘が戻っていない証かもしれないな)
かといってそれを押し込めて無理にやろうとしたところで却って集中できなくなるものだ。
むしろ思考を巡らせて気持ちを落ち着かせた方がいい。私はそう判断した。
(前のレースになる春の天皇賞を制した私がこれに勝てば、史上初の“天皇賞春秋制覇”、か……)
今まで誰も成し遂げていない記録だが、それには理由があった。
それは
私が目標にしてきた偉大なる先達たちには春秋問わずに“盾”を手にした方々もおられるが、それを2つ手にした方はいないのはそれが理由。
(その枷がなくなったからできるようになったからこその初の栄誉というのは、正直複雑な気分ではあるが……)
その強さを見れば、制覇した後も出走できたなら必ず盾を手にしていたであろうと思う方は何人もいる。
それを差し置いて、と思うのは我が儘だろうか。
(トレーナーなら……)
きっと「そんなこと、恥じる必要なんて無いわ。自分が成したことを誇りなさい」と言うことだろう。
セレモニーで記者達を前に「ウマ娘競走に絶対は無くともルドルフに絶対はある」とまで言った私のトレーナーなら、間違いなく──
(そういえば……)
レース前に行われた催し物では、出走するウマ娘達が挨拶をしている。
無論、私も出席しているし、そこで他のウマ娘達の様子を見ている。そして注意すべき相手を確認していた。
その中で……一人だけ、格上挑戦の“条件ウマ娘”がいたのが引っかかっていた。
(でもそれは“格上挑戦”だからではないし、彼女の実力から警戒すべきと思ったわけでもない……)
彼女は、いかにも
その姿は警戒に値するものではなかったし、記憶していた経歴もそれを物語っている。GⅠは初ではないが結果を残しているとは言い難いものだったのだ。
でも──彼女が言った最後のコメント
『このような強豪の皆さんに混じって走れるだけでも栄誉です』
その瞬間に彼女の口の端が、ほんの僅かに──ニヤリと口を歪めたように見えたのだ。
本当に瞬間的なことだったので、私の見間違いかもしれない。
実際、あの場での彼女の殊勝な態度を見ればそれが当然だと思った。
(考え過ぎか……やはり久しぶりのレースということで必要以上に気を回しているのかもしれないな)
気にしなくていいような相手に勝手に心揺さぶられて自滅するようでは、あそこまで言ってくれたトレーナーに申し訳が立たない。
私は彼女のためにも勝たなければならないと思い、遠くにいるはずのトレーナーに目を向ける。
(いた……)
彼女はなにやら若い男から挨拶を受けている様子だった。
(そういえば、彼女の師匠が担当しているウマ娘も出走するとか……)
といっても、その師匠は他の担当ウマ娘が出走する関係でセレモニーには出席したものの今日は東京にいないとトレーナーが仰っていた。
その代理のトレーナーが彼女に挨拶にきたのだろう、と二人の様子からなんとなく察する。
そんな若い男性トレーナーを見て──
「……なんだ?」
私は思わずつぶやいていた。
妙な居心地の悪さを感じてのことだった。
まるで身近に悪戯が仕掛けられているような、不安に満たない程の落ち着かない気持ちになる。
彼を見いていると、そんな油断なら無いようなものを感じる気がして──
──その彼が、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
それはおそらくトレーナーとの会話の中で出たものだろう。
しかしその表情は……あの“条件ウマ娘”が浮かべたように見えた笑みに重なった気がした。
(なんだ、今の感覚は……)
妙な動揺は私をひどく落ち着かなくさせていた。
レース直前だというのに、集中しきれないのもあって焦燥感のようなものを感じる。
──その直後、ゲートが開いてレースが始まる。
いくら心が乱れていても、それで出遅れるような私ではない!
だが……
「……くッ!」
踏み出した一歩目は、私の思い描くそれとは明らかに違っていた。
私は、スタートで
(やべえな、やっぱり……)
ゲートから飛び出したあたし──ギャロップダイナ。
出遅れることなくスタートを切れたことに内心ホッとする。
そしてその直後にコーナーが待ち受けているせいで内が窮屈になりがちな東京芝2000のコースを気にしつつ、大本命の姿を探した。
そしてその姿を見つけたときのあたしの素直な感想が、今のそれ。
(オイオイ、もうとんでもなく前にいるじゃねーか)
彼女がなびかせる長い髪や、緑色の勝負服は否が応でも目に入る。
その姿がだいぶ先を走ってることに少なからず焦りを感じていた。
(アレより前を走って、しかもそのまま先にゴールしたってのか? カツラギのヤツあり得ねえだろ……)
あたしは心の中で呆れかえっていた。
今まででたった一人だけ、シンボリルドルフに土を付けたウマ娘がいる。
その名はカツラギエース。去年のジャパンカップで彼女は逃げ切って勝ったのだ。
もちろん2000メートルの今回とジャパンカップじゃ距離が違うからペースも違うだろうが、それにしたってマイルじゃねえんだぞ?
(ここで離されてたら、追いつけねえ)
ただでさえあたしは落ちこぼれで、実力はこの中では一番下なんだ。ついて行かなければ勝てるわけがない。
足に力を込め、先行してるヤツらを追いかけようとして──ふと、頭にあいつの言葉が
『できないことは絶対にするな』
──それは、トレーニング中にあの研修生が言った言葉だった。
「ルドルフに勝つには、彼女よりも前でレースをするしかない」
そう言いながら眼鏡を押し上げたのは、あの研修生が連れてきた後輩の男だった。
「彼女に勝つには、彼女の唯一の敗戦を参考にするべきだ」
そう主張した眼鏡の後輩クンは、去年のジャパンカップのカツラギエースの話をし始める。
ま、確かに唯一の勝利を参考にするのは分かる。
だが、あたしはカツラギじゃねえんだぞ? 同じことをやれって言われてもな……
「キミが乗り気じゃないのは分かる。しかしルドルフと末脚勝負をして勝機があると思うのかい?」
「絶対負けねえ、って言いたいところだが……ま、無理だな」
あたしにとっては苦々しい顔でそう答えるのが精一杯だった。
気持ちだけで勝てるような相手じゃないのは百も承知。
で、ルドルフのレースはイヤと言うほど目の前の
「だから、レース終盤で少なくとも彼女の前にいなければ勝てない」
その理論は分かる。
追いつけないんだから前にいなけりゃ勝てるわけがない。そりゃそうだ。
だが……もっと大きな問題がある。
それはあたしがそもそも前でレースできるかどうかって話。
あたしは露骨に表情に出ていたらしく、目の前の候補生は察して何か言おうとし──
「それでも、前に出て──」
「いや。それは違うぞ、チュン太郎」
そこへ割り込むように研修生が口を挟んできた。
今まで黙っていたそいつの急な反応に、あたしはもちろん後輩クンも驚いたように彼を見た。
いつになく真剣な表情で、彼はキッパリと言う。
「前でのレースは駄目だ」
「ビジョウ……キミだって分かっているだろ? 末脚勝負で“皇帝”に勝てるはずがない。その後ろでレースをすれば追いつけないままゴールすることになる。それが見えていないはずがない」
「だけどギャロップダイナの持ち味は終盤での追い込みだ」
「その利点がルドルフに及ばないからこそ、前でレースしなければならないと言っているんだ」
眼鏡の後輩にしては珍しく感情を高ぶらせて反論していた。
もちろん自分の実力なんざわかっちゃいるが、こうも悪し様に言われれば面白くねえんだが……その辺りの気遣いに欠けるな、こいつ。
(この調子じゃ、将来トレーナーになったときに付いたウマ娘は苦労するだろうな。お気の毒様……)
そうしてあたしが密かにイラついていると──研修生は真剣な面持ちで問いただした。
「自分の得手を捨てて勝てるような相手か? シンボリルドルフというウマ娘は」
その言葉で眼鏡クンは冷水をかけられたように黙り込んだ。
だが、それでも反論しようとしているようにあたしには見えた。
そこへ──
「いいか、チュン太郎。お前の作戦は、オレは悪手だと思う」
「なぜだい? ルドルフの唯一の敗戦は“逃げ切られた”ものだ。誰も彼女を追い抜いて勝てた者はいない」
「シンボリルドルフの問題じゃないんだ。ギャロップダイナが“前でレースをする”という無理をするのが問題なんだ」
「それしか勝機がないとしても?」
「ああ、当然だ。できないことはするべきじゃない。なぜなら──
今度こそ、眼鏡クンは絶句した。
あたしもまた、なにも言えなかった。「できない」と断言されるのはおもしろくないところだが、反論の余地はない。まさにあたし自身が自分でそう思ってたんだから。
だから──心のどこかで、こいつがそう言ってくれたのを喜んでいた。
「得意な作戦で最善を尽くしてもまず勝てないような相手に対して、不得意な作戦で戦えば余計に勝てるわけがないだろ」
真面目な表情をフッとゆるめ、苦笑を浮かべてそう言った研修生。
そんな彼に対し、眼鏡の後輩は──天を仰ぐように上を向き、そしてふぅと息を吐き出す。
「あぁ……すまない、ビジョウ。僕は自分を見失っていたようだ」
大仰なその仕草にあたしは呆気にとられた。
いや、芝居じゃあるまいし、こんな反応するヤツいるのか?
なんて思いながら見ていたんだが……それを気にした様子もなく、彼は研修生の方を見て、晴れ渡ったような笑顔を浮かべた。
「確かにキミの言うとおりだ。未だ条件クラスをくすぶっているようなウマ娘が、慣れぬ作戦で“皇帝”を出し抜くなんてマネができるはずがない。それができるようなら昇格しているだろうからな!」
「オイお前、あたしにケンカ売ってるよな? そうだよな?」
思わず掴みかかろうとしたあたしの前に、慌てて研修生が割り込んで止めてきた。
止めんな、研修生。とりあえずそいつ一発ブン殴らせろ!
(あの後輩、いつかあとでブン殴る……)
あのときのことを思い出し、同時にあのムカッ
だけど、必死の形相であたしとあいつの間に入った研修生──ビジョウの顔を思い出して「フッ」と笑みがこぼれちまった。
(ああ……そうだよな、ビジョウ。できないことはすんな。それがお前の指示だったな)
焦りかけていた心がスッと落ち着くのを感じる。
まともにやっても勝てない絶対的な強者が相手だぞ。小細工が通じるようなタマじゃねえ。
あたしにできるのは──
そんな
そしてふと、レース直前にあいつと別れる寸前のことを思い出した。
それまであたしに「走る前から諦めるな」と発破をかけ続けていた研修生──
「なぁ、ダイナ。楽しんでこいよ?」
思わず「はぁ?」と怪訝な表情になっちまった。
そんなあたしにあいつは苦笑を浮かべて反論する。
「あのなぁ……このレースに“勝つ”って話、言い出したのはお前だろ? ビジョウ」
「せっかく大舞台に出走するのに『負けてもいい』なんて言えるか?」
そう言ったヤツは苦笑を再び笑みへと変え──
「どんな結果でもお前の相棒のシャダイソフィアに笑って話ができるように、楽しんで走れよ。あとは無事にゴールしてくれれば……少なくともオレはそれでいいさ」
「スタート前だっていうのに、急にヌルいこと言ってんじゃねーよ」
正直な話、拍子抜けした感は否めなかった。
だが……『シンボリルドルフに勝て』というよりは遥かに『楽しんで走る』ことの方があたしにとっては
(ったく、言うことをコロコロ変えんじゃねーよ)
──だけどそのおかげで、心がどこか軽くなったのは間違いなかった。
ま、やれるだけのことはやってやろうじゃねえか。
──その予兆は静かに起こり始めていた。
躓き出遅れた“皇帝”。
取り返そうとする彼女と、負けまいとする
それらの要素が絡み合い、レースはハイペースで展開していく……