トレーナー殿は私にピース……というかVサインを突きつけてきました。
なるほど。これは私に勝利を約束してくださる、という意味ですね。
などと考えているとトレーナー殿は説明を続けます。
「一つは……お前が憧れたダイタクヘリオスと同じ道。彼女のようにいろんな距離のレースに出走する」
な、なんと……
もちろん決まっているじゃないですか!
憧れのダイタクヘリオスさんと同じ道を歩めるなんて、理想以外の何物でもありません。
私は迷わずに──
「も、もちろんそれで──」
「しかし断言する。この道を行けば
「え……?」
思わず絶句してしまいます。
トレーナー殿が告げた言葉の内容もさることながら、その真剣な彼の目に驚かされて。
そしてそれが、この“
夢の実現を否定される、その非情な言葉に言葉を失っていました。
「さっき、サンドピアリスに2400で全然かなわなかったな?」
「そ、それはそうですけど……でも、ピアリス先輩は2400の重賞で結果を残しているじゃないですか。そんな
「違う。アイツが結果を出しているのは、
「と言いますと?」
私が浮かべた疑問に、トレーナーはすぐに答えてくれました。
「アイツは
「……はい?」
思わず呆気にとられる。
え? そんなことあります?
そんな
極端にしても、あまりにもやりすぎではないでしょうか。
「エリザベス女王杯で彼女の“憧れ”と競いたい。そのためだけに彼女は自ら進んでそうなった。そのレースへの思いに自分の競走全てを賭ける価値を見たんだろう。そしてそうしなければその“天才”と並ぶことは絶対にできなかった……」
「才能の差、ですか?」
私の問いに、トレーナー殿は曖昧にうなずく。
ハッキリと断言はできないけど、否定できないといったところですかね。
「クラシックレースだからな。サンドピアリスが真っ当に育って挑むには時間がなかった。それにその憧れた対象はエリザベス女王杯での引退を表明していた。だからこそその一戦にかけるしかなかったんだ」
「そ、それは……事情はわかります。わかりますけど……」
それでも、選んだその余りに極端な手は、私には悪手にしか思えませんでした。
「サンドピアリスが得意にしているバ場はダートだ。そのせいか、芝への適性は標準的な
「でも、エリザベス女王杯はもちろん芝……」
「そうだ」
私の言葉にうなずくトレーナー殿。
「その明らかな弱点を補うために2400という距離に走りを徹底的に合わせ、京都レース場のコースが夢に鮮明に出てくるほどにその情報を頭に叩き込んだ。レースは幸運……といっていいかどうか、ハプニングもあって彼女は勝つことができた。しかしその代償に極端な条件を背負ったウマ娘になってしまったというわけだ」
「う~ん……良かったような、悪かったような……?」
思わず首を傾げてしまいますが……しかしトレーナー殿は私に厳しい視線を向けているような?
「サンドピアリスの件はどうでもいい。彼女自身が望んだことで、そうなっちまった以上は今からじゃどうしようもないし、本人も納得している。問題は……そのサンドピアリスにかなわなかったお前の方だ」
「あ……」
「説明したように、サンドピアリスは“京都の2400”という限られた条件下なら一流ウマ娘たちとも張り合える。実際、その条件の重賞に勝ってこそいないが2着に入って結果を残しているからな」
おかげで《一発屋》呼ばわりされていない、とトレーナー。
「逆に言えば、サンドピアリスはその条件を外れれば並の実力のウマ娘でしかないということでもある」
確かに2400メートルという条件は満たしていたものの、場所はトレセン学園の練習用コース。
トレセン学園所属のウマ娘なら、新入生でもない限り誰でも走り慣れているし、本番のレースの開催地ではないここを得意とするほど研究する意味がないコース。
私と先輩に、少なくともコースでの有利不利は存在しなかった。
「さてダイタクヤマト。お前はダートが不得意でその分、芝を得意としているよな?」
「はい……」
トレーナー殿の言いたいことは分かります。
確かにピアリス先輩も2400という得意距離でしたが、芝という私が有利な状況も与えられていた。
負けるにしても、それでいい勝負ができていたのならともかく……
「距離とレース場という双輪があってこそのサンドピアリスに、2400という距離の片輪だけであの負け。スタミナに不安があるのは明らかだな。短距離しか走らせなかったレナ子──
トレーナーのいうことは確かです。
とはいえ、それは2400の話なんですよ?
そこまで長くない2000メートル、もしくはせめて……
「それなら、ヘリオスさんが得意にしていたマイル戦に挑戦を──」
「ダイナと走って、そう思えたか?」
「……思えませんでした」
おもわずうなだれてしまう私。
1400という私の得意距離でもギャロップダイナ先輩に完膚無きまでに負けました。
マイルチャンピオンシップと同じ1600のGⅠ安田記念を制したことのある先輩。
彼女から逃げ切ることなんて……今の私には、不可能にしか思えません。
「だがな、ダイタクヤマト……お前の人生なんだからオレはこの道を完全否定はしない。勝てずとも憧れた人の道をなぞるのも人生の選択肢の一つだとは思うし、理解できる」
あ……
トレーナー殿が厳しい表情を緩めて優しげな目になったことで、私はホッとする。
直後にそれがワナだったと気づかされることになりましたが。
「でも、
「え……?」
「お前が憧れたのは、レースに勝利しウイニングライブで輝く
あのマイルチャンピオンシップの……ダイイチルビーさんやケイエスミラクルさんの恐ろしいまでの追い上げを抑えこんで勝利した瞬間の輝き。
ウイニングライブで私の心に深く刻まれた、眩しいほどの笑顔の輝き。
「推しと同じ道をなぞることに何の意味がある? レースに勝った姿にこそ憧れたんじゃないのか?」
「それは……はい。その通りです」
トレーナー殿の言葉は、私の目の前に突きつけられた凶器のようでした。
ヘリオスさんと同じ道を歩んでも勝てない──そう断言したんですから。
「だからもう一つの道は……勝つための道、だ」
再び手を私に突きつけるトレーナー殿。
今度は2本ではなく1本、人差し指ピンと立てた状態。
「ダイタクヘリオスのような
「……ピアリス先輩みたいな?」
「さすがにそこまで極端にするつもりはないぞ」
思わずジト目になってしまった私に、苦笑を返すトレーナー殿。
「さっきのダイナとの走りを見て思った。お前は末脚を売りにできるほどの
「う……」
確かに“逃げ”を多用している私ですが、末脚に自信がないからこそそうなっているわけで……
「それに加えスタミナも不安を残すとなれば……あとは“速さ”を生かして伸ばす以外にないだろう。そこを徹底的に鍛えて“短距離の逃げ”という武器で戦う。そうやってオープンクラスを目指し重賞制覇を目標とする。それがもう一つの道だ」
そう言ってトレーナー殿は、私に決断を迫った。
勝敗を捨てて“憧れ”を追うか。
“憧れ”を追うのを諦め、勝利を目指すか。
どちらも目指すことができれば、それにこしたことはない。
だがそれをできる才を持つ者は、そういない。
そしてそれを達成できる者はもっといない。
例えば──
無敗でクラシック二冠を達成した彼女は、間違いなくその才はあった。
しかし……運がなかった。
度重なるケガや不調が災いし、彼女が憧れた“皇帝”になることは叶わなかった。
だが、それを乗り越えてグランプリを制した彼女の姿は眩しくさえあった。
──それが次の“憧れ”へとなる程に。
そう。憧れる存在になるには、同じ道である必要なんて無い。
もしもこのまま
だからダイタクヤマト、お前も……
「それで……勝てますか?」
オレの出した選択肢に悩み、うつむいたダイタクヤマトは顔を上げることなく訊いてきた。
「もしも、トレーナー殿のおっしゃる“
「……それに対してオレが言えるのは、これしかない」
それは
そしてあのレース以来の、オレの曲がらぬ信条でもある。
良い意味でも、悪い意味でもあるその言葉は──
「ウマ娘
「……今まで何度も
皮肉めいたダイタクヤマトの言葉。
それを黙殺して、オレは言葉を重ねる。
「だからこそこうも言える。もしかしたらダイタクヘリオスと同じように様々な距離のレースを走って結果を出せるかもしれない。さっきの結論がオレ達の見立て違いで、その可能性が無いってわけじゃないんだからな」
レースに出走すれば、誰にだって勝利する可能性はある。
上手く
たった一度の勝利を目指すなら、それでもいいだろう。
だがそんな勝利を重ねてオープン昇格を目指すのは、当たり目を何度も引き続けるような“本当の奇跡”でも起きなければあり得ない話だ。
それに、
その結果としてどこかにおられる三女神サマとやらが“天命”を授けてくださったんだろう。
(……なんてテキトーなことを考えているとオラシオンに『
その“人事を尽くす”ことこそ、ダイタクヤマトに対しては短距離路線への特化だと考えている。
それをしないということは、本当にただ何もせずに幸運だけを祈るようなもの。
そんな運任せで無責任なことを、ウマ娘の人生がかかっている競走でできるわけがない。
「ここまできてそんな魅力的な提案をしないでください、トレーナー殿」
ダイタクヤマトが困り顔で苦笑しながら顔を上げる。
その目はしっかりとオレを見つめていた。
「伊達に
オレが差し出していた人差し指を立てた手が、彼女の両手に包まれる。
「自分が憧れるものにヘリオスさん以外のものがあるのですよ、トレーナー殿。どうしようもない絶体絶命の状況さえも覆す、そんな秘密兵器に憧れていたんです」
彼女は悪戯っぽく苦笑しながら「ちょっと子供過ぎますかね?」と言い、さらに言葉を重ねた。
「だから……ヘリオスさんのレースを見ていて、ダイユウサク先輩とレッツゴーターキン先輩の勝利する姿に心震えていたんです。カッコイイって……だから、そっちを目指してもいいのでありますよね?」
そう言って笑顔を浮かべるダイタクヤマト。
まっすぐに切りそろえられた前髪と、背中に流した長い黒鹿毛が一陣の風になびく。
そして浮かべた勝ち気な笑みは──今までオレが育てた
「もちろんだ、ダイタクヤマト。オレがお前を全力でサポートする。だから……」
握られていない方の手で、彼女の両手を包むように重ねる。
「一緒に、世間を驚かせてやろうじゃないか。〈アクルックス〉の次なる
「……トレーナー殿、ありがとうございます」
ダイタクヤマトは笑顔でうなずき、サッと敬礼した。
──こうしてダイタクヤマトはチーム〈アクルックス〉の一員となり、“
◆解説◆
【一大決心!! Let's go!もう迷わない】
・ダイタクヤマトが、憧れへの執着を振り切って完全に自分の道を歩み始める話でした。
・それは〈
・そこへ進んだということで、第一章の「大○○」、第二章前半の「Let's~」、第二章続章の「~ない」という特徴を複合させたタイトルになりました。
【
・本章のタイトル『Outrun by The Feathers of Icarus!』の元ネタ、ギリシャ神話に登場する『イカロスの翼』のこと。
・とある事情で幽閉されたイカロスとダイダロス親子は、蜜蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくって空を飛んで脱出しました。
・……なんで空飛べるようになるんだよ。蜜蝋スゲーなオイ。
・で、自由自在に空を飛べるイカロスは調子に乗って「太陽にもいけんじゃね?」と勘違い。
・太陽神に向かって飛んでいき、当然に太陽の熱で蝋が溶けて──残念ながら墜落死しましたとさ。『DEAD END』
・そんなギリシャ神話の太陽神こそ
・古代ギリシャでは太陽は天空を翔けるヘリオス神の4頭立て馬車と考えられていました。
・ダイタクヘリオスに憧れて、近づきたい! でも近づくことができない……それをダイタクヤマトの心境になぞらえて、本章のタイトルに使った次第です。
【カッコイイ】
・本作のダイタクヤマトがヘリオスに憧れているのは「運命的なものを感じたから」ですが、それとは別に『絶望的な状況を覆して勝つ』ことも琴線に触れます。
・それはもちろん、元ネタの史実馬が、周囲がGⅠホースに囲まれるという絶望的な状況で勝利を挙げたから、ではあるのですが──
・それとは別に、名前の「ヤマト」から大日本帝國海軍の超弩級戦艦『大和』が秘密兵器のまま絶望的戦況を覆すことができずに撃沈してしまったため、その名前に引っ張られている、という設定があります。
・ダイユウサクやレッツゴーターキンの勝利に惹かれたのもそれが理由。