──北九州短距離ステークスを走り終えて、控え室へと戻ってきた私、ダイタクカミカゼ。
頭からタオルを被り、部屋に置かれた椅子に腰掛けると、前屈みになってうなだれていた。
「負けた……」
……届かなかった。
いえ、届くとか届かないというレベルの話ではないほどに、差を付けられていた。
確かに私は2着。
でも1着との差はあまりにも歴然としていた。
『エキサイティングな末脚だったわね』
その1着のウマ娘は、余裕の笑みさえ浮かべながら2着の私にそう声をかけてきたのよ。
レースを終始、
でも──
(悔しい)
最後の直線で自分の理想とも言える走りができただけにそう思えた。
そんな走りをしても届かなかったのが、本当に──悔しい。
「……どこか痛めた?」
そう声をかけてきたのは、
その彼女の言葉に私は無言で首を横に振った。
「そう……」
私の答えに、トレーナーはホッとした様子で息を吐いた。
それからポツリと付け加える。
「……いい走りだったわよ」
「でも、負けました」
「そうね。でも立派な2着だわ」
トレーナーは慰めるように優しい笑みを浮かべて言う。
「あの雨の中で、あれだけの追い上げを見せたんだもの。しかも相手は
「勝つためにあえて夏レースに出たというのに、それで勝てなかったんですから。結果を出せたとは言えません」
「ううん。アナタ、勝ったじゃないの?」
「え……?」
私の着順は今さら言わずとも2着。それが“勝った”とは……?
突然、言ったトレーナーの言葉の真意がわからず、思わず見上げるようにして問い返す。
そんなトレーナーは私をのぞき込むように見て、笑みを浮かべる
「勝ったでしょ? ダイタクヤマトに」
「それは……」
ギクッとした。
それをどうにか心の奥底に押し込めて誤魔化そうとする。
でもそんな私を見透かしたように、トレーナーは笑いながら言った。
「確かにあたしはポンコツトレーナーだけど、それでもさすがに分かるわよ。アナタの目的くらいは、ね」
返す言葉が見つからず、なにも言えない私に対してトレーナーはさらに続ける。
「今までこっちの指示に素直に従っていたアナタが、急に自分から出たいレースを指定してきた。しかもそこにヤマトが出ているんだもの。分かり易すぎるくらいだわ」
「……そうでしたか」
あまりの申し訳なさにトレーナーをまともに見ることができません。
私が彼女を意識したのが分かれば、自ずと私がなにを考えていたのかまで推測できるはずです。
トレーナーがそれに気がついているとなると、あまりにも申し訳が……
「カミカゼ、しっかりしなさい!」
案の定、緋子矢トレーナーはビシッと言い放ちました。
反射的に顔を上げ、思わずトレーナーを見て……私を真剣な面もちで見ている彼女の視線に気づきました。
「アナタの気持ち、よく分かったわ」
「トレーナー……」
「今のレースはともかく、レースに勝ちたい気持ちに嘘は無いんでしょ?」
「……え?」
想像していた指摘とは違うその言葉に、戸惑ってしまう。
でも──直後にそれがトレーナーがあえてそう言っているんだと理解できた。
「勝てない現状を変えたい。どうにかして勝ちたい。だからアナタは……」
彼女は言葉を一度切り、悔しそうに目を閉じて首を横に振る。
そして目を開くと、私の両肩を掴んできた。
「そこまで勝利に飢えているのなら、あんなことをしている場合じゃないわ!」
「あんな、こと?」
「ええ。格上挑戦の条件ウマ娘に意識を向けて過ぎた。それが今回の敗因じゃないの!」
図星だった。
私はつまらない嫉妬から格下相手のウマ娘に執着していた。
そのせいで……先頭を走った彼女に追いつくことができなかった。
もちろん、勝ったウマ娘を最初から
でも、もしも「勝ちたい」「勝たなければ」という意識を最初から彼女に向けていたら──ひょっとしたら彼女に完敗するのではなく、一矢報いることができたかもしれない。
「今日の最後の直線は、良い走りだったわ。だからこそ……もったいない」
「はい……」
あれは自分でも会心の走りだった。
だからこそ私も思う。もったいなかった、と。
「年下の格下を負かしたところで、それに何の意味があるの? アナタは……満足できたの?」
「できませんし……意味なんて、ありませんでした」
「でしょうね。だからアナタの目標は──今、あたしが決めてあげるわ」
そう言った緋子矢トレーナーは、まるでその兄弟子のトレーナーのように不敵な笑みを浮かべました。
「アグネスワールドを倒す。それでどう?」
「そ、それは……」
今日まさに1200のレコードを出すという、ある意味で
「もしも彼女に勝てたら、それこそGⅠ制覇も夢物語なんかじゃないってことなんだけど。違う?」
「その通りです」
私が答えると、彼女は満足そうに頷きます。
「夢を実現させる、そのためにトレーナーがいるんだからね。そして今のあなたのトレーナーは、誰?」
そう言って緋子矢トレーナーは再び不敵な笑みを浮かべたのでした。
──8月。
夏真っ盛りのこの時期、私──ダイタクヤマトはレースに出走しました。
前回のオープン特別の結果は6着。
格上挑戦の厳しさをまざまざと見せつけられ、自己条件のレースに出走したのであります。
舞台が前走と同じ小倉レース場だというのは──ひょっとしたらトレーナー殿はこっちのレースこそ本命と考えていたのかもしれません。
小倉は前走が初挑戦でしたから、一度経験させるためにあえて格上挑戦させたのか、と。
それを先輩方に訊いたら──
「無論、勿論、当然に確実にその通りに“間違いない!”でごさいます。あの方のことですから二手三手先を読み切っているのは言うまでもありません。で・す・の・で、アナタが無様に敗走するのも当然織り込み済み、というわけですわ」
「グフッ」
おタケ先輩の容赦ない言葉のナイフに切り裂かれたのであります。
「まったく、トレーナー様がせっかく直々に指導してくださっているというのに、なんという情けない姿……そんな後輩のあまりの無様っぷりに
「おタケちゃん……」
なんとも気まずそうに、隣でサンドピアリス先輩が苦笑しています。
先輩がそんな表情をするなんて珍しいことなんですが……それを気にした様子もなく自分の世界に没頭してなにやら言い続けているおタケ先輩。
すると近くにいた別の先輩が、そんな彼女をチラッと見て、それから面倒そうにしながら──
「考え過ぎよ」
──とだけ言い残し、スタスタと去っていきました。
む? ダイユウサク先輩、ですよね? 今の……
相変わらず素っ気ないと言いますか、私達にも無関心といいますか。
でも、去った先でトレーナーのことを小突いているように見えるのは、気のせいでしょうかね?
……で、肝心のレース結果は、2着。
またしても勝ち切れませんでした。
そんな私にトレーナー殿は「まだ気にするような時期じゃない。切り替えてドンドン行くぞ」と次の出走予定を決めてくださいました。
そして次走は夏を過ぎ──9月中旬に阪神レース場の条件戦。
それがトレーナーが決めたスケジュールでした。
──チーム移籍して、未だ勝ち星無し。
その事実に、私は少しばかり焦りを感じていました。
……いえ、ウソです。
少しなんてもんじゃありません、かなり焦ってます。
だってもう半年近く経つんですよ?
出走数だってひのふのみ……何度も出走しているんです。
だというのに、結果が──
「どーせヤマトのことだから、『うわ、私の成績負けすぎ。マジヤバくね?』とか考えてんでしょ?」
「ロンマン先輩……」
チームの部屋でこっそり頭を抱えていたら、あっさり先輩に見つかってしまいました。
半眼でこっちを見ているのはロンマンガン先輩。
けっして呆れているのではなくもともとこういう目つき……だそうです。
「
「それはもちろんでありますよ! 自分が勝てないせいで、トレーナーやチームの評判を落として──」
「あぁ、別に気にしなくていいから、そんなことはさ」
「気にしなくていい? そんなことって……」
私が戸惑う傍らで、ロンマン先輩は苦笑混じりに手を振ります。
「あのさ、ヤマト。ここ最近のうちの成績、知ってる?」
「それは〈アクルックス〉なんですから、
「んなことないって。実際のとこ、シオンの引退でエース不在になってからサッパリなんだわ。おタケは集中力なくしてレースに出走すらしない。ピアリスも実力発揮できる条件厳しすぎてなかなかね」
「そうだったんですか……」
「……ま、あっしは重賞勝ったけど」
目を伏せてそう言ったロンマンガン先輩は、心持ち胸を張ってるように見えた。
ちょっと自慢したかったのかも。
そんな私の視線に気づいて、ロンマン先輩は少し恥ずかしげに咳払いをして気を取り直し──
「ともかく、そんな感じで今の〈アクルックス〉は評判なんてとっくに落ちてんの。アンタが勝てないくらいで落ちる評判なんて、もともと無いって話よ」
そう言ってため息をつく。そして「ホント、情けないことにね……」と呟いているのは先輩の方こそ勝てないことを気にしているようでした。
「だから気に病む必要なんてないし、そういうの気にせずガムシャラに走んなよ。というかそんな余裕無いでしょ? 昇格まで自己条件ならあと2勝くらい必要なんだし」
「う……」
その通りなんですよね。
この前みたいな格上挑戦したならともかく、準オープンのレースを1回勝ってもオープンクラスにはまだ届きません。
でも、格上挑戦なんて……
「──あまり、いい傾向じゃないかもね」
「なにがだ?」
トレーナー室で作業のために端末を叩いていたオレは、じっと考え込んでいたミラクルバードのつぶやきを耳にして、つい訊いてしまった。
彼女が一瞬驚いた顔をしたのを見るに、そのつぶやきは無意識だったんだろう。
つい口をついて出たんだろうが、オレがツッコんでしまった手前、無かったことにはできない。
オレも聞かなかったことに今更できないし……申し訳なく思っているとミラクルバードは苦笑しながら話してくれた。
「ヤマちゃんのことだよ」
「ダイタクヤマトか? オレはそんなに悲観的に見てはいないが……」
準オープンに昇格直後で、ウチにくる前だった福島の条件戦は7着。
それはともかくとしてウチに移籍した今年になって3着、6着、2着ときている。
その6着だってハッキリ言えば相手が悪かった。レコードを叩き出すようなレースじゃなければ掲示板に入れたかもしれない。
現に次走の、この前のレースは2着だ。
「勝利まであと一歩、ってところまできているんだからいい傾向だと思っているが?」
「確かに3戦走って上向いてきているよ。でも……走る側からしたらもう3戦したのに勝ててない。時間的にも移籍してから結構経ってるよね?」
「そりゃあ、まぁ……な」
薫風ステークスに出走するまで間があったし、その薫風ステークスのあった5月からだってすでに3ヶ月経過している。
「そうなってくると焦りも出てきちゃうよ」
「焦る必要なんてないんだけどな……」
「トレーナーは長い目で見られるからそう思うんだよ。クラシックを過ぎてシニアに入って、自分はあとどれくらいやれるか、伸びしろはあとどれくらいあるのか、ピークを過ぎるのはいつなんだろう、って考えてたら誰だって焦るよ。
「だが、余計なことを考えていたら集中力は落ちるし、集中を欠いた状態でトレーニングしても身にならないぞ?」
「そう。だから伸び悩む……負の連鎖だけど、ヤマちゃんはそれに入りかねないよ、今のままだと」
ミラクルバードが気にしているのは、ダイタクヤマトの真面目なところだという。
彼女は「そのせいで余計に思い詰めちゃうんじゃないかな」と気にしていた。
そうなると──
「……ライバルでもいれば、な」
「ライバル? ヤマちゃんに?」
「ああ。意識する相手がいれば目標にもなるし、勝負に集中しやすくなるからな」
レースそのものに対して“勝たなければいけない”とか、オープンクラスに“昇格しないといけない”と思うのはどうしてもプレッシャーになる。
それは“勝ちたい”という思いよりも、“負けられない”という気持ちが強くなりがちだからだ。
それに戦う相手が漠然としすぎていて、“誰にも負けることができない”と自分を追いつめてしまう。
だが、特定の相手に“勝ちたい”とか“負けたくない”というのは違ってくる。
意識が集中し、負けん気がレースに対するプレッシャーをいい意味で忘れさせてくれる。
「……でも、〈
う~ん、そういわれるとなぁ……
「ダイユウサクは基本的に他人に無関心だからな」
しいて言えばコスモドリームくらいか?
とはいえ、あの2人は早熟型と晩成型でピークが噛み合わなかったから、同じレースで競い合ったわけじゃない。
初めてぶつかった高松宮杯はコスモドリームはオークス後の伸び悩んでいた時期で、一方のダイユウサクは格上挑戦で、背伸びしてやっと重賞初挑戦。
結果的にはここから伸びていくことになるが、このころは実力的にはまだまだといったところ。
まさか有馬記念を勝つなんて想像できるはずもない。
「妙にメジロマックイーンを意識していた時期もあったが……」
「あれはライバルって感じじゃないでしょ。トレーナーには分からない感覚だろうけど、
う~ん……ウマ娘の魂は異世界にいる別の生き物に宿っていたものが流れてきている、とまことしやかに言われているが、その前世での因縁ってヤツなんだろうか?
まぁ、ダイユウサクはそんな感じだった。
「レッツゴーターキンは、気弱すぎて他のウマ娘を意識するどころの騒ぎじゃなかったし」
「あ~、そうだよねぇ」
オレが言うとミラクルバードはどこか懐かしげに苦笑する。
レッツゴーターキンが居なくなって数年が経つ。
オレは彼女に会いに行ったことがあるが、車椅子のミラクルバードを連れて行くことはできず、そのためターキンが去ったきり再会していない。
そのレッツゴーターキンは一際臆病なウマ娘だった。だから他人を意識してライバル視なんてことができようはずもない。
他も──サンドピアリスは天才のシャダイカグラとは実力が違いすぎてライバルと言うよりは親友。ギャロップダイナに至っては《皇帝》に初顔合わせで勝ってからはぐうの音も出ないほどに叩き潰された。
相手との実力差を考えるとライバルと主張するのは憚られる。
「オープンクラスでもなければ、なかなか同じ時期に同じランクにいてレースで何度も鎬を削る、なんて展開にはならないしな」
「確かに。条件戦だとランクが変われば顔を合わせなくなるし、昇格するタイミングが同じにもなりづらいから……」
レースの結果で昇格するのだから、同じレースに出た2人がそこで同時に昇格することは無い。
しかしオープンクラスに昇格すれば話は別だ。大舞台で何度も顔を合わせることはザラにある。
そう、オラシオンのように早々に昇格すれば、その後は何度もライバル達と争った。
セントホウヤやロベルトダッシュはまさにそんな相手だった。
そしてその中に、ロンマンガンも入る。
彼女は重賞制覇の経験こそあるが、GⅠタイトルが無い。
口さがないファンは“善戦ウマ娘”とか“〈アクルックス〉のホワイトストーン”とか言うが、その理由はGⅠのことごとくをオラシオンと競ったからだ。
『あっしとしてはライバルのつもりなんで。一応は』
『彼女が弱いと思ったことはありませんよ。少なくとも向こうがデビューしてからは』
ロンマンガンとオラシオンはお互いにそう評価していた。
確かに結果的にはオラシオンが勝ち続けて脚光を浴びてロンマンガンは割を食うような形になってしまったが、逆に言えばロンマンガンと切磋琢磨したからこそオラシオンの活躍があったのは間違いない。
(とはいえ、だ……)
やっぱり条件戦を走っている間は、なかなかそういう相手を見つけられないのも確か。
同期や同じチームといった縁があればそういう相手が見つかるかもしれないが、ウチのチームにはダイタクヤマトと期が近いのがいないし、そもそも短距離を主戦場にしているのもいない。
同期といっても、シニア2年目のこの時期に今さらそんな相手が見つかるわけもない。
「どこかにそんな相手、いないもんか……」
ため息混じりに言ったオレを、ミラクルバードは苦笑しながら見ていた。
──そんなことを悩みつつも時は無情に過ぎ9月中旬になった。
ダイタクヤマトの次のレースは目前に迫っていた。
◆解説◆
【遠き勝ち星! 運命の相手を探して……】
・今回は元ネタなしのオリジナルです。
・運命の相手に「darling」とルビを振るか迷いましたが、やめました。
・ええ、次に出てくるのは……彼女です。
【自己条件のレース】
・ダイタクヤマトが北九州短距離ステークスの次に出走したのは、同じ小倉開催だったやまなみステークス。
・芝1200で、1600万の条件戦でした。
・1988年から2000年まで開催されたレースで、1997年は芝1700、1998年はダート1800(この年だけ阪神で開催)で行われた以外は芝1200でした。
・勝ち馬の代表は1995年に勝利したヒシアケボノくらいでしょうか。
【2着】
・やまなみステークスは2着でした。
・なお、1着だったのはスピードスター。
・ダイタクヤマトよりも歳が一つ上の牡馬。
・この時の勝利でオープン昇格しています。
・ダイタクヤマトはこの後、オープン昇格後に3戦連続で同じレースを走ることになるのですが……じゃあライバルかと言われると、そうでもない感じ。
・それ以上に縁のある相手がこの後に出てくるので、スピードスターは登場することなくサラッと流されました。