──12月。
私は中山レース場のゲートで、スタートを待っていました。
出走するのは条件戦。
12月といえば、貴重な短距離GⅠであるスプリンターズステークスの開催月。
実際に出走できるかどうかはさておき、格上挑戦するという選択肢もあったのです。
(でも、今の私の目標はオープン昇格)
条件ウマ娘からシニア級のGⅠを勝利して一気にオープン昇格する、というのは前例がないわけではありません。
その一人が、実際にそれをやったウチのチームの
もちろん同じことをしろと言われても、それは私にとっては奇跡でも起きなければ無理なこと。
特に短距離レースは中・長距離に比べて重賞が少ないし、その最高峰であり春秋に1つずつしかないGⅠは
もちろん、私も
でも──
(オープン昇格は手が届くほどに近くに来ているのです。リスクの高すぎる賭けをする必要はありません)
一発逆転。ハイリスクハイリターン……いかにもロンマンガン先輩が好きそうなシチュエーションですが、「堅実に狙う」というのはトレーナー殿の考えでした。
その話を彼がした時にたまたまギャロップダイナ先輩がいて、ニヤリと茶化すような笑みを浮かべた彼女に「あたしの時とは対応が違うじゃねえか」と絡まれておりましたが。
それに、そんな寄り道をしている暇もないのです。
(彼女が、
こんな私のことをライバルだと言ってくれたウマ娘。
その彼女が差し出した手を握りしめて誓った約束です。長く待たせるわけにはいきません。
(年内の出走はこれが最後になります。なんとしてでも……)
昇格しなければなりません。
そのために──勝利を掴む!!
伏せていた目を開ける。
集中力は十分。
そうしてゲートが開いた瞬間──私は飛び出した。
「なぁ、ダイタクヤマト。“逃げ”という脚質の本質をお前はどう思っている?」
今回のレースに備えて鍛錬中のある日、走り終えた私にトレーナー殿が尋ねてきたことがありました。
その前に私が「自分は逃げウマ娘なので、イメージするのは戦艦よりも駆逐艦とかの方が合っていませんか?」と聞いたからなんですけど。
もちろん自分の名前に合わせたイメージということは理解しております。
でもそこに違和感があるとしっくりこないのです。
戦艦よりも軽快な駆逐艦の方が“逃げ”のイメージに近いのではないかという考えがよぎってしまうのです。
現にその時も走っていて違和感を感じたからこそ、トレーナー殿に言ったわけですが……
「“逃げ”の本質、でありますか? それはなんといっても他を寄せ付けない“速さ”ではないでしょうか」
だからこそ戦艦よりも駆逐艦の印象。
戦艦といえば先頭を切るよりも、
そうなるとやっぱり“逃げ”ではなく中段待機からの“差し”だと思えてしまうのです。
そんな私の答えにトレーナー殿は首を横に振りました。
「確かに短距離ならとくに“速さ”は重要だ。でもオレが訊いているのはそういう必要な“要素”じゃない」
ええと、どういうことでしょうか?
トレーナー殿の意図が分からず戸惑っていると──
「いいか、ダイタクヤマト。“逃げ”というのは『にげる』ことじゃない」
ますます不可解なことを言い出します。
思わず私は考え込んでしまったのですが、それでも理解できませんでした。
自分なりに出た結論をぶつけます。
「しかしトレーナー殿、後ろの走者から逃げるからこそ“逃げ”なのでは?」
レースの光景を思い出しても、先頭をきる走者達はやっぱり後ろのウマ娘達から逃げていますよね?
後ろにいるウマ娘から追いかけられているわけですし。
そう言う私を見てトレーナー殿はキッパリと言ったのでした。
「違うな。お前は根本的なことを間違えている。“逃げ”の走りの本質は『たたかう』ことなんだ」
トレーナー殿が出した解答に対して私は「んん~?」と戸惑いながら悩んでいました。
いったいどういうことなんでしょうか?
そんな様子に気付いたトレーナー殿が解説をしてくださいます。
「“差し”や“追込み”といった末脚勝負は『
もちろん逆転できる位置取りを確保するという大前提の争いがあってこそだが、とトレーナー殿。
「それに対して逃げの勝ちパターンは先頭を切って走り“レースを支配する”ことだ。最序盤から主導権を握り、それを他に譲ることなくゴールまで走り続けなければいけない」
自分がゴールまで走り抜けられるペース配分という戦略に則った戦いであり──
後ろから来る大多数のウマ娘達からの
序盤は本当にこのペースで勝てるのか、という不安と戦い──
終盤は尽きかけるスタミナに対してどれだけ耐えられるかという持久戦を強いられる。
トレーナー殿はレース中の戦いを一つ一つ数えるように挙げていきます。
「他のウマ娘全員とスタートからゴールまで徹頭徹尾全力で戦い続ける。それが“逃げ”という走りだ。その名称とは裏腹に、少しでも気持ちに逃げが入れば勝つことはできない」
特に私のような“逃げ一辺倒”なら尚更だ、とトレーナー殿は冷静にそう説明してくださいました。
おかげでその真意が見えた気がします。
「常に、戦い続ける……?」
「それができるのは2種類のウマ娘しかいない。1つは何も考えずに走れるウマ娘──」
純粋に走るのが好き。
他のウマ娘と競い走ることが好き。
ただ単純に一番先頭で走り続けたい。
そんな単純明快かつ純粋な気持ちで走る者には、弱気や気持ちが負けるという概念すらない。
だからこそ走ることのみに極度の集中して没頭をすることができる。
それが強い、とトレーナー殿。
でも、そんなことができるのは本当に限られたごく一部のウマ娘だけ、と付け加えました。
「純粋に走るのが好きなのか、
そう言ってから「どっちになるかは紙一重だけどな」と苦笑します……けど結構ヒドいこと言ってますよね?
私が「むむ……」と顔をしかめると、トレーナー殿は苦笑したまま私をじっと見つめてきました。
「ダイタクヤマト、お前はそうはなれない。いろいろ考えすぎるから性格的に無理だ」
トレーナー殿が言うには「ダイタクヘリオスへの憧れという動機が強すぎるのも原因」だそうで、「自分の走りに絶対の自信を持っていないからだ」と指摘されました。
ちなみにそのヘリオスさんはどちらかと言えば何も考えずに走れるタイプだそうです。
好きなことに対して脇目もふらずに一生懸命になれる、というのがその根拠だそうで──
「素っ気ないダイイチルビーに対して、めげることなくアプローチしているのは何度も見かけていたから知っているさ」
懐かしむように思い出している様子のトレーナー殿。
ダイユウサク先輩が有馬記念を制した頃の話だそうです。
そしてそのタイプのもう一人として例を挙げたのが──
「サイレンススズカだな」
そんな同期の名前に思わずピクッと耳が動いてしまいました。
直接対決したことこそありませんが、それでもその名前と走る姿はしっかりと脳裏に焼き付いています。
あんな走りができたら──同期ながらそんな憧れを抱いてしまうほどに。
走ることに純粋な思いを持っている、とトレーナー殿は彼女をそう評しました。
だからこそ揺るがず、強い、と。
「そんな天与の性格を持ってないヤツが“逃げ”の道を進んだのがもう1つの種類の方だ。そして、それこそがお前が目指さなければならない道でもある」
「そ、それは……?」
少し怖じ気ながら問うと、トレーナー殿は自身の胸をドンと叩きました。
「とにかく精神的に強いウマ娘だ。さっき言ったように競走では終始戦い続ける“逃げ”のレースを、決して挫けずに走り続けるのは他の脚質に比べて心がタフでなければならない。それこそ──」
厳しかった表情から、ニヤリと笑みを浮かべる。
「──何ものにも負けない“戦艦”
並外れた打たれ強さと、どんな障害もぶち破る力強さ。それこそ戦艦のイメージであり、巡洋艦や駆逐艦じゃあちょっと頼りない。
と、トレーナー殿はそう言って笑うのでした。
──強い心で。
その一念で、私は
今までで一番ともいえるほどに集中できたおかげで、私は良いスタートが切れました。
そのまま先頭に立って走り続けている。
3レースほど前──ほとんど1年ぶりに勝てたあのレースでの感覚が蘇ってくる。
それは昇格まであと1勝と迫った中での前走と前々走では感じられなかったもの。
(無意識のうちにプレッシャーを感じてそれに押しつぶされていたということ、でありますか)
もちろん相手のレベルが低かったわけじゃありません。
前々走で常に前を走られたメジロダーリング殿はもちろん素晴らしかったです。
でも──
(もしも、私がプレッシャーに負けることなく、怖じ気付くことも無駄に力むようなこともなく走っていたら……)
あの時よりももっともっと集中し、かつダーリング殿の隙をつこうとし続けていたら……もしかしたら勝てたかもしれない。
無論、過ぎたレースに於いての仮定など希望的観測でしかありません。
しかし──
「重圧に負けなければ、私はもっと速く走れるということ!」
そんな考えが私に自信と勇気を与えてくれる。
後ろを走る他のウマ娘達の気配が迫る。
それは自分の残りのスタミナにも大丈夫かという疑念を産みかけていた。
──これからのレース展開に対する不安。
──これまでのレース展開に対する後悔。
それらが私の心を責め立てようと準備を整えている。
でも──
『プレッシャーで思い出したんだけど、前に
それはトレーニング中に先輩に言われた言葉。
『だから自分がプレッシャーを感じてるって思ったときは無駄になるのを恐れるくらいに努力してそれに打ち込んできた証だから自身を持て、ってさ』
そう……確かに怖い。
もしもこのレースに勝てなかったら──
オープンクラスに昇格できなかったら──
そしてそのまま引退することになったら──
──私が今まで競走に打ち込んできたことすべてが無駄になる。
それが怖い。
自分の力が本当に、このまま先頭で駆け抜けられるほどにあるのか。
そんな疑念こそさっきから私の心を責め立てるものの正体だ。
(違う。大丈夫なはず……)
私がこれまで積み上げた努力は、けっして少なくなかったはずです。
(大丈夫に、違いない)
その積み上げてきたものはしっかり私の体に根付き、実力となっているに違いありません。
なぜなら──
(絶対に、大丈夫ッ!!)
トレーナー殿が認めてくれたから。
確かに私には、早くから重賞戦線で活躍してGⅠ制覇を狙うような天与の才はない。
それでも、同じように才を持たないウマ娘達に、奇跡の勝利を授けてきたトレーナー殿が認めてくださった努力が、私にはあるッ!
(だから大丈夫! 絶対に、負けない!!)
最後のコーナーを過ぎて、私は未だに先頭をキープしていた。
後ろから感じる気配が一段と大きくなる。
最後の直線を迎え、後方のウマ娘達が温存していた力を使って追い上げてきているのです。
それらの気配と、抜かれることに対する恐怖が襲いかかってくる。
(でも負けない! 戦艦のように、耐えて、耐えて、耐える──)
これまで先頭を切って走ったツケが私の体に負荷となって襲いかかってくる。
バクバクと速い鼓動を打つ心臓。
呼吸を乱そうとする息苦しさ。
軽快だった足もいつしか重さを感じるようになってきている。
(でも、それでも──耐えるのですッ!!)
自分を責めてくる不安や恐怖に、私は耐える。
それらの内面的要因はまるで撃ち込まれる砲弾のようであり、襲い来る後続のウマ娘達といった外的要因はさながら迫る魚雷のよう。
それでも私は、挫けることも負けることもなく──さらに足に力を込める。
(逃げ切ってやる! 絶対にッ!!)
歯を食いしばり、全力を尽くす。
胸が痛い。
酷使した手足が「無理~」と悲鳴をあげかける。
どんなに吸っても酸素が足りないと肺が、全身が抗議する。
それでも──
「──私は、沈まないッ!!」
沈む──迫る集団にのまれるなんて、絶対にイヤだ!
そう、戦艦は沈まないのです!
沈むことなく戦い、その勇姿をもって味方を鼓舞する。
それこそ、トレーナー殿が言った『何ものにも負けない戦艦
「だから私は、勝つッ!!」
追い上げてくる後ろの気配の圧が明らかに下がった。
それを感じながら私は必死に脚を動かし続け──いつのまにかゴール板の前を駆け抜けていた。
「──ッ!!」
勝った……
それに気がつき、私は思わず握りしめた拳を空に向かって突き上げていた。
わき上がる歓声。
走る速度を緩め、そして電光掲示板へと視線を向ける。
1着に2番──自分の番号を確認し、それが点滅していないことも確認した。
「──勝った。勝てた。つまり、やっと……」
オープンクラスへの道が開いた。
喜びが、じわじわと広がってくるのを感じる。
それが胸一杯になって溢れんばかりになったそれを解放するかのように、私は大空に向かって両手を挙げた。
「バンザーイ! バンザーイッ!! やりましたよ、トレーナー殿!! それに礼菜さんッ!! そして──」
私をここまで導いてくれた乾井トレーナーに感謝を。
その基礎を作ってくれた
そして、そんなチーム〈ミモザ〉時代に指導してくださりお世話になった、今は地方へといってしまったサブトレーナーの方になによりも感謝を!
一度は届きかけて、降級制度のせいで遠のいたオープンクラスですけど、貴方達のおかげで私もやっと昇格できました。
腕を振り上げる度に巻き起こる歓声。
そして腕を挙げたまま、
歓声が落ち着いたところで腕をおろして、今まで振っていた手をジッと見つめる。
(これから先は、今までよりももっと厳しい舞台になるんだ……)
これからレースで競うことになるのは、オープンクラスの猛者達。
私みたいなやっと昇格したウマ娘だけじゃなくて、GⅠGⅡといった重賞常連のウマ娘とも肩を並べて走らなくちゃいけない。
「カミ先輩……」
先に昇格していたダイタクカミカゼ先輩の顔が浮かぶ。
私よりも速いはずの先輩も、オープンクラスではなかなか結果を出せていないらしい。
私はそんな世界に足を踏み入れたんだ。
今までの成績を考えたら……そのことに不安を感じないわけがない。
でも──
「やりましたわね! ヤマトさんッ!!」
スタンドのトレーナー殿やチームのみんながいる辺りへ近づいていた私に、大きな声がかけられたのはその時でした。
反射的に声の方へ視線を向け、満面の笑みを浮かべて拍手をし、私の勝利を讃えていくれているウマ娘に気がついたんです。
「このたびの勝利おめでとうございます。それでこそ
「ダーリング殿!!」
彼女の気持ちに応えたいという思いが、不安という名の暗雲を払ってくれる気がしました。
それを証明するかのような、晴れやかな笑みを浮かべた彼女は溢れんばかりの自信をまとったいつもの調子で言うのです。
「さぁ、これで貴方もオープンクラス。以前よりももっともっと大きな舞台で競い合おうじゃありませんか!」
ですので──
「はい! 望むところです!!」
私は大きく頷き──チーム伝統ともいえる勝ち気で不敵な笑みを浮かべることで、彼女の差し出した手をしっかりと掴んだのです。
直後のダーリング殿が浮かべた満足げな笑みが、私達の心が通じているなによりの証拠に思え──私は、何の憂いもなくその階段を上がることができたのでした。
次なるステージ──オープンクラスという最高峰の舞台に上がる階段を。
◆解説◆
【急げヤマト!!
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」から。
【条件戦】
・ここのモデルのレースは1999年12月5日に中山で開催された仲冬ステークス。
・芝1200のレースで当日の天気は曇り。馬場状態は良でした。
・仲冬ステークスは2020年まで開催されていた準オープンの条件戦で、毎年11月末~12月の頭に開催されていました。
・なお歴代の優勝者の中で、ウマ娘になりそうなほどの実績を残した競走馬はダイタクヤマトくらいです。