「条件レースである以上は、どうがんばっても出走できないぞ」
「それは……はい、そうですね」
オレが告げるとダイタクヤマトは目に見えるほどにしょぼーんと落ち込み、うなずいた。
今までメジロダーリングとは昇格後の全てのレースを一緒に走ってきた仲だから、気持ちは分からないでもない。
だが、こればかりはどうしようもないことだ。
そうしていると……控えめにコンコンとドアがノックされ、「失礼いたします」とウマ娘が申し訳なさそうに入ってくる。
「……ダーリング、ちゃんと説明なさい。言いづらかったのは分かるけど、自分の口で話すべきことでしょう?」
「ごめんなさい……」
入ってきたウマ娘──メジロダーリングは巽見に、そしてダイタクヤマトにそれぞれ深く頭を下げた。
「ヤマトさんには本当になんと謝罪すればいいか……こんなことになってしまって……」
「そんな! 謝る必要なんてないじゃないですか、ダーリング殿」
頭を下げたメジロダーリングに驚くダイタクヤマト。
「勝負は時の運、私だってたまたま昇格して2戦で勝つことができただけです。それに、ダーリング殿はGⅠに2度も挑戦しているじゃないですか。あれほどのハイレベルなレースであれば勝てなくとも仕方がありません」
「それが勝てていない理由にはなりませんわ。他のレースにも出ていますし、重賞以外のオープン特別に勝てなかったのは
「それこそ紙一重の結果ではありませんか。前回のレースを見れば明らかです。これからも共に走ってがんばりましょう!」
笑みさえ浮かべて励ますダイタクヤマト。
だが、それはメジロダーリングにとっては辛いだろうな、とオレは思った。
ダイタクヤマトがオープンである以上、同じレースで走るというのならメジロダーリングの方が合わせるしかない。
(だが、それは非現実的な話だよな)
そう思いながら悲しげにうつむいているメジロダーリングをチラッと見た。
そうなると彼女は毎回毎回格上挑戦するということになってしまう。
さらに言えば彼女はオープン昇格後に一度も勝てていない。
オープン特別で勝てなかったから降格したのに、勝てなかったオープン特別に出ていたら、それこそ昇格することはできないだろう。
(条件戦を走って結果を出し、再昇格を狙うのがセオリーだ)
巽見はもちろんほとんどのトレーナーがそれを選ぶだろう。担当になっている相生さんも王道を好むから同じ選択をするはずだ。
案の定、メジロダーリングは首を横に振る。
「いいえ、ヤマトさん。
「えっ……?」
メジロダーリングのその言葉が意外だったらしく、ひどく驚いた上場になるダイタクヤマト。
そんな彼女をジッと見つめ、メジロダーリングは胸に手を当てて宣言した。
「先のレースで貴方に勝利して再昇格できなかった以上、これ以上恥をさらすわけにはまいりません。貴方の
「ダーリング殿……」
「そんな寂しそうな顔をしないでくださいませ、ヤマトさん。そんなに時間をかけるつもりはございません!」
そう言ってメジロダーリングはビシッとカレンダーを指さす。
「秋までに必ず勝利を掴み、昇格してみせますわ!」
「ダーリング……」
「可能ですわよね、巽見さん?」
思わず声をかけてしまった巽見が、ジッと見つめられるという思わぬ反撃を食らって狼狽える。
「私はあなたの担当じゃないわ」
「では客観的な意見をお願いします」
「……あのね、ダーリング。貴方は相生さんが担当なのよ? そう言えば分かるでしょ。あなたのやる気次第、といったところね」
「なら、再昇格間違いなしですわね」
勝ち気な、そして自信にあふれた笑みを浮かべるメジロダーリング。
今は7月前半だが、彼女は夏も出走し続けて昇格を目指すことになるだろう。
ふむ、ということは──
「それなら丁度いい。ダイタクヤマト、お前は少し休め」
「トレーナー殿!? しかしダーリング殿も出走するのですから、私ももっとレース経験を──」
「今の時期の過酷なレースに無理に出走する必要はない。それよりも重賞が増える秋に備えて調整する。そっちの方が重要だ」
猛暑の中のレースはともすれば危険だ。
普段以上に体力を使うことになるし疲労の度合いも大きい。場合によっては体調を崩して秋以降を台無しにするおそれだってある。
その秋以降には短距離も大きなレースが開催される。
セントウルステークスやスワンステークスといった重賞。
そして短距離GⅠの元祖、スプリンターズステークス……
「前走の結果を見れば、重賞制覇まであと少しってところまで来てるんだ。間違いなく実力は上がっている。だから焦るな」
「トレーナー殿……」
困ったような表情をしているのは、やはりまだ自信が持てないのと、メジロダーリングがレースにでているのに自分は休んでいていいのかという不安だろう。
チラッと彼女を見ているところからもバレバレだ。
そんな視線に気づいたメジロダーリングは苦笑気味に微笑むと、ダイタクヤマトに話しかける。
「ヤマトさん、昨年は
「ダーリング殿……」
「それに先ほど申し上げたように
「なッ!? それはあんまりじゃないですか~!」
悪戯っぽい笑みを浮かべるメジロダーリングに、ダイタクヤマトは痛いところをつかれて情けない声を上げる。
そんな2人のやりとりに、オレと巽見は思わず笑っていた。
ダイタクヤマトと道を
彼女はすぐさまに自己条件のレースに出走した。
……だが、勝利を掴むことはできなかった。
だが──背後からきたウマ娘に抜かれ、惜しくも2着。
ゴール板の前を駆け抜けた彼女は、僅差での惜敗に悔しげに顔を歪めていた。
そして──
「オープン特別に出る、だと?」
「ええ、次走……いえ、それ以降も勝てなければ格上挑戦を続けます」
そんな宣言をしたメジロダーリングを、担当トレーナーである相生は一瞥し、そして訝しがるように眉をひそめた。
「冷静になれ、ダーリング」
「もちろん冷静ですわ、トレーナー様。」
「では訊くが、今のお前に最も必要なものはなんだ?」
「当・然、勝利以外にございませんわ!」
「ならば理解しているだろう? オープンクラスのレースで勝ったことがないお前が、オープンクラスのレースに出続けるなんてことをするのは、ただの無謀だということが」
「無謀なんかではありません!!」
相生の言葉に言い返すダーリング。
「先のレースで痛感いたしましたわ。“条件戦なら勝てる”そんな心の甘えがあったからこそ勝つことができなかったのだと」
「それが分かっているのならば油断せずに条件戦に挑めばいい。無理に上に挑戦する必要など──」
「それこそが甘え以外のなにものでもありません!!」
相生の言葉を遮って、ダーリングの大きな声が響きわたる。
「条件戦を勝って昇格したとしても、それは前回昇格した時と同じではありませんか! そしてまた同じように昇格後に勝てないようではそこに何の価値がありましょう?」
言い放ち、拳を握りしめるダーリング。
「
思い浮かべるのは、彼女を送り出してくれたメジロ家の者達であり、今まで中長距離を十八番にしていたメジロ家に短距離という新しい風を期待した当主の御婆様、そして自分の武器である“逃げ”を磨いてくれたメジロ家のウマ娘──メジロパーマー。
そして……自分が認めたライバルのウマ娘。
「なにより“条件戦を勝利しての昇格”などというぬるま湯に浸かっていては、ヤマトさんに勝てるわけがありませんわ! 彼女に勝てたのは前回昇格したレースのただの一度きりではないですか! それ以降はことごとく後塵を拝しているような不甲斐なさではありませんか……」
目を閉じて拳を握りしめた手がブルブルと震えているのは、彼女の悔しさの現れであった。
「まして彼女はすでにオープン特別で勝利を収めているのです。それに並べずに
「あえて困難な道を選ぶ、というわけか」
「ええ。そうでなければ成長は望めません。自分の殻を破るためにも“挑戦”しなければなりません!」
決意を込めて目を見開き、言い放つダーリング。
そんな彼女を見つめ、相生は「フッ」と厳しかった表情をゆるめた。
「いいだろう、メジロダーリング。お前のその“無謀”にオレが付き合ってやる」
「トレーナー様……?」
「我がチーム〈アルデバラン〉の方針は『来るもの拒まず』……ゆえに上を目指し挑戦しようとする者を全力でサポートするのが〈アルデバラン〉というチームであり、オレのやり方だ」
ともすれば『暑苦しい』と評される“昭和のイケメン顔”な相生トレーナーが不敵な笑みを浮かべる。
頼もしいその表情に彼女の気が晴れやかなものへと変わっていく。
「無論、指導は厳しいぞ」
「ええ、望むところですわ!」
そんな彼の言葉に、お嬢様然としたメジロダーリングは大きくうなずいた。
「なるほど、それでダー様は最近、姿を現さないってわけだ」
「ええ、そうなんです……」
共にトレーニングをしているロンマンガン先輩の言葉に、私──ダイタクヤマトはうなずきました。
思わず小さなため息のようなものまで出てしまいましたが……
残念ながら漁火ステークスでは2着だったダーリング殿は再昇格することができませんでした。
おそらくさらにレースに出走して昇格に挑戦することになると思います。
「う~ん8月もレースに出るってことは、秋レースにいきなり出てくるってことは無いんじゃね?」
「やはり先輩もそう思われますか……」
「ヤマトの次走はセントウルの予定だっけ? さすがにそれには間に合わないでしょ」
トレーナー殿から言われている次の出走予定は9月前半に開催されるセントウルステークスです。
7月に2走しているダーリング殿が次のレースで昇格できたとしても1ヶ月以上は空けて休養を入れてくるはず、とロンマン先輩は分析していますし、私もおそらくそうだろうなと思っています。
春のレースからまとまった休養をとっていないのですから、そのまま秋レースに出続ければケガをしてしまうかもしれません。
「セントウルってことは阪神開催か。ってことは、バードパイセンの実家で食事会が期待できるから……んん? アレってアンタの客じゃないの、ヤマト? ダー様ではないみたいだけど」
「え?」
次走にダーリング殿がいないのがほぼ確定し、気落ちしていた私はどこか上の空でジョギングしていたようでした。
先輩が指した方を見ると……そこには見覚えのある先輩ウマ娘と、彼女のトレーナーがいました。
「ひょっとして
「やぁ、ヤマピー。なんだか久しぶりだね」
ショートカットの髪にトレードマークの日章旗模様の鉢巻きをしめたウマ娘──ダイタクカミカゼ先輩が、嬉しそうに笑顔を浮かべていました。
そして改めて私のことをじっと見た彼女は、小さくうなずいたのです。
「うん……いい表情になったね。遅ればせながらオープン昇格後初勝利おめでとう。それにこの前の重賞も惜しかったね」
「あ、ありがとうございます……」
晴れやかな笑顔で私をたたえてくれる先輩。
その様子がどこかおかしく感じて、私は不安を覚えていました。
なぜなら──そんな先輩の表情とは対照的に、いつも明るいはずの
「実はヤマピー……いや、ヤマトに挨拶をしにきたんだ」
「挨拶、でありますか?」
思わず首を傾げると、カミ先輩は「そういえばそっちが素だったもんね」と笑みを浮かべました。今の私の話し方に違和感があったようです。
それからコホンと咳払いをして、彼女はあらためて口を開きました。
「実は、
「………………え?」
こともなげに、少しだけ苦笑気味の笑みを浮かべて彼女が言った言葉の意味を、私は一瞬理解できませんでした。
それが頭に染み渡り、理解できて口から思わず漏れた当惑の声。
それを無視して、先輩は続けます。
「あの時……キミが〈アクルックス〉に移籍する時、本当は悔しかったんだ。なんでオープンクラスになっている私を選ばないんだってね。乾井トレーナーを恨みさえした。礼菜さんには申し訳なかったけど……」
そう言って苦笑しながら緋子矢トレーナーをチラッと見るカミ先輩。
相変わらず悲しげで今にも泣き出しそうな彼女の様子に、その表情が「仕方ないなぁ」と言わんばかりに少しだけ呆れの入った笑みになりました。
カミ先輩の話を聞いたら、礼菜さんのそんな様子も納得できるものなのですが……
「でも、やっぱりさすがは『
「ごめんなさい、カミカゼ……」
礼菜さんの謝罪の声がポツリと響く。
それにカミ先輩は思わず苦笑を浮かべて振り返った。
「そんな意味で言ったんじゃないですよ、礼菜さん。私にはそれだけの才しかなかったってことですから。オープンクラスまではどうにか昇格するのがやっとで、その舞台で勝てるほどのウマ娘じゃなかった、それだけのこと」
自分のことは自分が一番分かっている、そう言ったカミ先輩は吹っ切れた様子でした。
「できることは精一杯やって、それでも勝てなかったんだから」
「でも、私がもっとしっかりしていれば──」
「さっきはああ言いましたけどチーム〈ミモザ〉所属でよかったと思ってます、トレーナー」
あえてトレーナーと呼んで、その感謝を伝えるカミ先輩。
「確かに常勝軍団みたいなチームじゃないけど、その分、あの空気が好きでした」
「それは私のやり方が緩かったってこと?」
「違いますって。ピリついた緊張感の中で上を目指すというのはやり方の一つだとは思います。でもそれは、上にいけるからこそそれが維持できるわけで……私はきっとそれに耐えられなかったと思いますから」
カミ先輩は礼菜さんへと近づき、その小さな体を支えるように手を添えました。
「〈ミモザ〉だったから……面倒を見てくれたのがあの人と礼菜さんだったから楽しく走り続けられたんです。もしも他のチームだったらきっと競走を、走ることを嫌いになってここを去ることになっていました」
「カミカゼ……」
「だからこそ──私はまだ、走り続けられるんです」
慰めるように、でも力強く、彼女はそう言って笑顔を浮かべました。
「カミ先輩? それってどういう……」
「
「
私が驚いてあげた声に、カミ先輩は大きくうなずきました。
確かに
──国内最高峰の中央では勝てずとも、地方なら活躍できるかもしれない。
カミ先輩はまさにそんな“不完全燃焼”なウマ娘だったのでしょう。
そしてそれを燃やす場所を求めて、新天地を探した。
「いろいろ探して、結果的に高知に行くことが決まったんだ」
「それは……遠い、ですね」
「ちょっとだけ、ね」
この関東にも
でもカミカゼ先輩が転校する先は四国にあるトレセン学園。ちょっとだけ距離があるなんて話じゃないような気がしますが。
「ともあれ、秋になったら向こうの所属になるから。今日はお別れを言いに来たってわけ」
「寂しく……なっちゃいますね」
「なにを言うんだよ、ヤマピー。交流戦だってあるんだから顔を合わせるかもしれないでしょ。それにキミにはもう……立派な仲間がたくさんいるじゃないか」
そう言ってカミ先輩は周囲を見渡す。
2人に会う前から一緒にいたロンマンガン先輩が少し離れた後方に、そして何事かと思ってやってきた他の先輩方──サンドピアリス先輩やダイユウサク先輩、それにおタケ先輩──がこの場に集まりつつあった。
そんな先輩達の姿を見て、そして私へと視線を戻す。
「だからこそ期待しているよ、ダイタクヤマト……縁あって同じ名を冠し、同じレースを走った経験のあるキミが、〈アクルックス〉のウマ娘にふさわしい結果を残してくれることを。この偉大な先輩達に負けないくらい世間を驚かせる──そんなウマ娘になってね」
「え……?」
戸惑う私に、カミ先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そうしたら……同じレースを走ったとか、同じチームにいたとか自慢できるからね」
「なッ……」
思わず脱力しかけた私を、カミ先輩は大きな声をあげて笑うのでした。
それから先輩方にも「お世話になりました。ヤマトをよろしくお願いします」と頭を下げると、緋子矢トレーナーを支えるように連れて〈ミモザ〉のチーム部屋の方へと歩いていきました。
去り際に背を向けたまま大きく手を振った手を止め、それから戦闘機乗りのやる「健闘を祈る」というハンドサインを出して……
──こうしてダイタクカミカゼ先輩は、中央トレセン学園から去っていったのでありました。
◆解説◆
【さらば 夢の舞台よ】
・今回のタイトルの元ネタは、『宇宙戦艦ヤマトⅢ』の第23話「さらば 夢の星よ」から。
・もちろん夢の舞台である
【2着】
・前話で話題になっていたように、メジロダーリングが出走した自己条件のレースは漁火ステークス。
・モデルは2000年7月16日に開催されたレースで、勝利したのはアプリコットデュー。
・当時のダーリングと同じ1600万以下の条件馬での勝利でしたが、その後は勝ち星に恵まれずにオープン昇格することなく条件馬のまま引退しています。
・展開としては、メジロダーリングはレース中3番手につけていたのですが、最終版まで1~4番手までが混戦になっていたのを、中段にいたアプリコットデューに差され、結果的には一歩及ばずにハナ差の2位でした。
・なお後ろから追い上げて5番入線したイカルスドリームが12着に後着処分をくらっています。
【去っていった】
・ダイタクカミカゼは1998年7月の文月ステークスでオープン昇格して以来、北九州短距離ステークスでアグネスワールドの2着に敗れたのが最高位で、結局は勝利することができませんでした。
・そして2000年7月15日に開催された北九州短距離ステークスで10着に敗れたのを最後に、その走る舞台を地方の高知競馬場に移します。
・なお、7月14日にメジロダーリングの漁火ステークスが開催されていたので、最終レースはその翌日でした。
・その後は移籍直後に2連勝し、結果的には10走して1着3回、2着1回、3着2回と結果を残して引退しました。
・移籍後はダートレースを走り、単距離ばかり走っていた距離も伸ばしたのですが、2400メートルの重賞(高知県知事賞)で勝つなどしており、そちらの方が適性があったのかもしれません。